第50話 セツナの選択

 王都の空を覆う鉛色なまりいろの雲の切れ間から射し込む陽光は、風に流されていく雨雲の暗さのせいなのか、より鮮やかに輝いて見えていた。

 昨夜から降り続けていた雨が、上がろうとしている。

 王都を包んだ夢のような喧騒けんそうは遠い過去のものと成り果てていたが、《市街》全体に活気を取り戻しつつあった。

 もっとも、《群臣街》のバルガザール邸へと進む馬車の中からは、《市街》の様子を伺い知ることはできない。

 《市街》にせよ、王宮にせよ、壁の向こう側なのだ。

 隔絶されているというほどではないにしても、似たような感覚を抱いたとしてもおかしくはない。

 セツナは、胸の内に渦巻く多大な不安に押し潰されそうになりながらも、一方で、新たな事態に興奮を覚えてもいた。

 いうなれば、変化だ。

 激変と言ってもいい。

 彼を取り巻く環境が、大きく変わろうとしていた。

 望み通りとはいかなかった。

 当たり前の話だ。

 セツナに選択肢などはなかったのだ。

 しかし、この寄る辺なき世界で、ようやく頼れるものができたという想いが、セツナの胸を熱くしていた。それは望んで得られるようなものではなかったし、求めて手に入るものでもない。

 だが、セツナは、得た。

 もちろん、今まで頼りにできる人物が居なかったわけではない。

 ファリア=ベルファリア。

 彼女ほど親身しんみになってくれた人物をセツナは知らなかったし、これほどまでに彼のことを想って動いてくれる人物など、後にも先にもファリアくらいなのではないか――そういう確信にも似た想いが、セツナの中にあった。

 だからこそ、だろう。

 セツナは、馬車に揺られながら、一番の恩人であるファリアの反応が気になって仕方がなかった。彼女は、この話をどう受け取ってくれるのだろう。

 喜んでくれるだろうか。

 それとも、怒るだろうか。

(それはないか)

 セツナは、ファリアの顔を脳裏のうりに思い浮かべてみた。

 一言で言えば、明るい女性である。

 理知的で思慮深しりょぶかさをうかがわせるのは、その見た目だけではない。言動の端々に、知性を感じずにはいられなかった。一方では、快活であり、軽口を叩くことも多かったし、常にセツナのことを気遣ってくれていた。

 時として厳しいことも口にするが、それこそ、こちらを思いやってのことではないか。

 セツナは、ファリアが怒った姿をほとんど見たことがなかった。

 昨日、アズマリアと対峙したときくらいではないかと想うほどだ。

 それにしたって、理由があってのことだろうと推察する。

 彼女とアズマリアにどのような因縁いんねんがあるのかは知る由もない。

 知りたいとは想っているが、無理に問い質すようなことではないと考えていたし、なにより、話す必要があると判断したならば、ファリア自身が話してくれると信じてもいた。

 楽観的なのかもしれない。

 セツナは、自分のそういう部分に初めて気づいた。

 そして、ファリアもまた、セツナにそういう対応を取られていたのではないかと想い至る。

 彼女としては、セツナからアズマリアのことを少しでも多く聞き出したかったはずである。

 本当に弟子なのかどうかは当然として、アズマリアがどこにいるのか、連絡を取っているのか、といった情報は、喉から手が出るほどに欲していたのではないか。だが、彼女はセツナに問い質すようなことはしてこなかった。

 そこにどのような打算や計算が働いていたのかは知る由もないが、少なくとも、彼女がこちらが話す気になるのを待っていたのは確かだろう。

 それならば、セツナも待っていよう、と想ったのだ。

 やがて、セツナとラクサスを乗せた馬車が、バルガザール邸の必要以上に厳めしい正門へと辿りついたころ、頭上には晴れ間が広がりきっていた。

 濡れたような青空が、大きな顔を見せている。



「ちょっとそれってどういうことよ!? ガンディアを離れることになった? 意味がわからないわ!  いや、わかるけど。でもおかしくない? 陛下の考えにけちをつけるつもりもないけど、それにしたってあまりにもあまりな仕打ちじゃない?」

 あらゆる意味で予想を上回るファリアの剣幕けんまくに、セツナは、ただただ圧倒されるしかなかった。

 たとえ彼女が普段見せることのない怒りの表情に新たな魅力を発見できたとしても、見惚みとれている余裕もなかったほどだ。

 バルガザール邸の応接室である。

 その空間には当然のようにルウファとラクサスもいるのだが、ファリアの反応の凄まじさには、二人とも絶句していた。ファリアがそのような反応をするとは、想像だにしていなかったのだろう。

 セツナは、テーブルを挟んで向かい合わせに置かれた長椅子に腰掛け、もう一方の長椅子に座るファリアと対座していた。テーブルにはティーセットのほかに、シュークリームのようなお菓子が、やはりどうしようもなく高級感の漂う小皿に盛られている。

「あ、いや、だから、話は最後まで聞いてほしいんだけど……」

「聞いてるじゃない!」

 だから怒っているのよ、とでも言いたげな口振りの彼女に、セツナは、困り果てた。

 自分のために怒ってくれているというのはわかるし、だからこそ心底嬉しいのだが、その怒りの源が彼女の勘違いならば、喜んでいる場合ではないとも想う。

 一刻も早く訂正しなければならない。

 でなければ、ファリアの中のレオンガンドの評価が下がってしまう。

「えーと……」

 セツナは、自分の話の仕方が悪かったのだと理解すると、仕切りなおすために言葉を探した。結論から話したのが良くなかったのだろう。

 だとすれば、答えはひとつだ。

「ファリア」

「なに?」

 セツナが真面目な顔つきになると、ファリアは、怒気のはらんだ表情をゆっくりと変化させていった。こちらの様子に驚いたようでもあり、セツナがそんな表情を見せるとは想ってもいなかったようでもある。

「最初から話すよ」

 セツナは、眼鏡越しのファリアの瞳を見つめながら、静かに語り始めた。



「セツナ、おれに仕える気はないか?」

 レオンガンドの提案は、セツナの人生にとってとてつもなく重大な意味を持っているということは、考え込むまでもなくわかることだった。

 その提案に応じるということは、武装召喚師ぶそうしょうかんしとして彼に仕え、彼の家臣として、ガンディアの戦力として働くということに違いなかった。

 それ以外にレオンガンドがセツナを召し抱える理由は見当たらない。

 応じれば、その瞬間、セツナはガンディアの戦士になる、ということだろう。

 ただ強力な後ろ盾を得るということだけではない。職を得るということでもあるのだ。

 すなわちこの世界で生きていく上での基盤ができるということにほかならない。。

 それは、未だ《大陸召喚師協会》に入ってすらいないだけでなく、あらゆる国、組織、団体に所属していないセツナにとって、これ以上ないくらいの申し出だった。

 眩いくらいの閃光を放つ、選択肢。

 そもそも、《大陸召喚師協会》に入ったからといって、即座に仕事が見つかるわけでもない、ということはファリアから伝え聞いている。

 先の戦いでガンディア軍の一員として働けたのは、偶然が重なって、ファリア、レオンガンドと知り合えたからなのだ。

 もしふたりと出逢うことがなければ、どこかで野垂のたれ死んでいたとしてもおかしくはなかった。

 いや、紛れもなく死んでいた。

 カランで火に焼かれ、焼き尽くされて死んでいたのだ。

 蘇生したのは、ファリアのおかげ以外のなにものでもなかった。

 ここは、異世界。

 セツナの生まれ育った世界とは、なにもかもが大きく異なっている。世界の有り様、人のあり様、怪物の存在、技術、文明――様々な物事が違っているのだ。

 今日まで生きてこれたのは、幸運に恵まれたからとしか言いようがなかった。

 それが、これから先も続くとは到底考えられない。

 そんな都合の良い話があるわけがないのだ。

 ならば、と、セツナは考える。

 レオンガンドに仕えることを真剣に考えるのだ。

 彼の家臣になるということは、つまり、武装召喚師として戦場に駆り出されるということだ。それ以外にセツナに価値はない。それが全てで、だからこそ、今日まで生きてこられた。

 この寄る辺なき異世界で。

 そして、戦いに関しては、だが、そう簡単に後れを取るようなことはないのではないか、などと、セツナは想うのだ。

 この世界に召喚された直後に異形の怪物と戦い、カランでは武装召喚師と交戦した。バルサー平原では多数の敵兵を殺戮さつりくしている。

 多少なりとも、戦闘の経験を積んだつもりである。

 歴戦の猛者というには圧倒的に足りないだろうが、数多くの命を奪ったという実感がある。そして、命を磨り減らすような戦いの中で、黒き矛の強さを身に染みて理解してきたのだ。

 黒き矛さえ手離さなければ、負けることはない――そんな確信が、セツナの中に芽生え始めていた。

 もっとも、それは戦闘に関してのみの話だ。

 戦うだけでは、人は生きていくこともままならない。

 生きていくためには、食べ物がいる。睡眠もとらなければならない。そのための場所も必要だろう。皇魔などという化け物が存在する世界で、野宿など考えられるはずもない。

 宿を取るにせよ、食事をするにせよ、金がいる。当たり前の話だ。

 矛を振っているだけで、金が増えるわけがない。

 それも至極当然の話だった。

 それらの問題全てを解決する方法が、今目の前にいる王に仕えるということだ。

 レオンガンドに付き従い、彼のために力を振るえばいい。

 それだけで、生活面の問題は解決されるに違いない。

 たとえどのように酷使こくしされようとも、数え切れないくらいの戦場に借り出されることになろうとも、結果さえ出し続ければ、路頭ろとうに迷うようなことはないはずだ。

 迷う理由は、どこにもなかった。

 もっとも、そうした考えがセツナの意志を決定付けたわけではない。

 打算や計算は、彼の得意とする分野ではなかった。

 セツナの行動を決めるもっとも大きな要因は、ほとんどの場合は感情なのだ。その瞬間瞬間に生じた想いが、一時の感情が、彼の言動を左右した。

 そう、この人生においてもっとも重大かもしれない問題に対しても、セツナは、変に考えて混乱するよりもみずからの感情をこそ、優先した。

「おれなんかでいいのなら……!」

 セツナは、上手く言葉にできないことに歯痒はがゆさを覚えながら、レオンガンドの碧い眼を見つめた。

 すると、その碧玉のような瞳に、歓喜の光が生まれた。そのあざやかな光は、セツナの出した答えが間違いではなかったことを示しているかのようだった。ただの反射的な喜びではない。心の底から、セツナそのものを歓迎するような輝き。

「セツナ! おれの願いを聞いてくれるのか!」

「は、はい。おれには戦うことしか出来ないですけど……」

「そんな謙遜けんそんはしなくていいんだ! きみは、途方もない力を持っているんだ! 自信を持っていい! だからこそ、おれはきみを必要としているんだ! きみと黒き矛の力が!」

 レオンガンドの興奮と迫力に気圧けおされながらも、セツナは、彼の言葉に込められた強い想いに心が打ち震えるのを認めた。

 感動とは、まさにこのことをいうのだろうと想う。

 これほどまでに自分を必要としてくれるのならば、力の振るい甲斐がいもあるというものだ。未だに明らかになっていない黒き矛の力、そのすべてを出し切ることでその想いに応えたい、と、セツナは強く想った。

 だれかのために力を尽くす――かつての自分からは考えられないようなことではあったが、それはそれで悪くない気分だった。

「さて、セツナ。きみはたった今、わたしの家臣になったわけだが、きみほどの人材をただの兵士として召し抱えるというのは、いささか不条理だと思わないか?」

 王として、ということなのだろう――態度も新たにセツナに話しかけてきたレオンガンドだったが、そんな彼に水を差すかのように、側近の一人が口を開いた。

「陛下、それではほかのものに示しがつかないかと……」

「きみには聞いていない。わたしはセツナと話している」

 レオンガンドは、にべもなく告げたが、その側近に一瞥いちべつをくれることもなかった。口髭を綺麗に整えた紳士然としたその男は、憮然ぶぜんとした様子だったが、周囲の視線を気にしたのか、即座に表情を消した。

「はっ。失礼しました」

「セツナ、きみにはきみに相応しい待遇を用意しようと考えている。しかし、それには少々時間がかかりそうなんだ。我が国はいままで武装召喚師を抱えたことがなかったからね。特にきみほどの力を持った武装召喚師を、ほかの兵士と同様に扱うのは失礼というものだ」

「陛下……!」

 レオンガンドの青い瞳が、真っ直ぐにセツナを見つめていた。

 セツナが言葉に詰まったのも、致し方のないことだろう。

 レオンガンド本人の思惑がどうあれ、彼が紡いだ言葉は、セツナの心には強く響いたのだ。耳朶じだから脳内へ、そして心の奥底まで、光の速さで浸透していくかのようだった。感情が激しく揺さぶられ、瞼が熱くなった。

 レオンガンドは、戸惑いながらも微笑を浮かべていた。セツナの反応に驚いたのかもしれない。

「それだけきみのことを評価しているということだ。先の戦いでの働きはもとより、カランでランカイン=ビューネルを倒したことも、アズマリアが放った皇魔を殲滅せんめつしたということも、すべて評価に値する。いや、評価しなければならない。でなければ、職務怠慢しょくむたいまんといわれても仕方がない。それこそ、他のものに示しがつかないというものだ」

 レオンガンドが、口髭の男を一瞥した。男に緊張が走ったようだったが、レオンガンドがそれ以上追求することはなかった。

 彼のまなざしは、再びセツナに注がれた。厳しさと優しさが同居した王者のまなざし。主君たるものこうあるべしと思わせ輝きが、その瞳には宿っていた。とてもうつけなどと呼ばれていたようには見えない風格があるのだ。

 まさに王者の風格というべきか。

「先にも言った通り、きみのための役職を用意するためには時間がかかる。ラクサス=バルガザール」

 レオンガンドの視線がラクサスに注がれると、その場にいる全員の意識が騎士に集中した。当然のようにセツナもラクサスに目を向ける。

 金髪碧眼の騎士の横顔は、いかにも凛々しく、王と側近たちの注視さえも涼風を受けているかの如くだった。

 セツナは、自分ではそうはいかないだろうと想ったりした。いまだに緊張と感動の振幅に、どうにかなりそうな状態なのだ。とても真似のできる芸当ではない。

「きみは、軍の再編の話を聞いているな?」

「我が隊一同、そのために王都に帰還した次第です」

「ああ、そうだ。きみの隊だけではない。各地に派遣している騎士のうち、主立ったものたちには帰還を命じている。アルガザード将軍にはバルサー要塞に専念してもらわざるを得ないのは残念だが……それもこれも人材が不足していることが原因だ。奪還したばかりの要塞で指揮を取れるような器の持ち主は、将軍くらいしかいまい」

 レオンガンドの発言に、側近たちはぐうの音も出ないといった様子に見えた。

 彼の結論に異論や反論をぶつけることもできないらしい。

 セツナは、王に対してはなにも言えない側近たちに多少なりとも同情してしまった。セツナには、レオンガンドは完全無欠に完成された人間のように見えているからだ。

 人材がいないのならば、どうすることもできないということもある。

 国内から発掘しようにも、そう簡単に人材が見つかるとは思えない。

「それも深刻な問題ではあるのだがな……。我が国が弱小国のそしりをまぬかれないことは諸君も知っての通りだ。実際、先の戦いにおいて勝利を決定付けたのはセツナの活躍だ。ただの勝利ではない。圧倒的な勝利だった。要塞を奪還しただけではない。将を討ち取り、兵力を消耗させ、ログナーに大打撃を与えることができたのだ。文句のつけようがない大勝利だった。しかし、その勝利の内容をかんがみるに、我が軍の兵卒一人一人の質の悪さは想像を絶するほどに酷いものだと認めざるを得ない。このままでは同盟国を頼るしかなくなるだろうな。かといって、ルシオンやミオンがいつでも手を貸してくれるわけがない」

「陛下のお考えは理解できます。しかし、軍を再編したところで、なにが変わるというのです?」

 と、尋ねたのは、口髭紳士だった。もっともな疑問ではある。

 現状、編成を変えたところで、数少ないという人材が増えるわけもない。それぞれの能力に見合った部署に配置し直す事で効率化を図ることはできるかもしれないが、それにしたって限度があるのではないか。

 話を聞く限りでは、レオンガンドの思い描いているものと、現実にできるであろうこととの乖離かいりが甚だしいと思わなくはなかった。

 といって、セツナは、レオンガンドの手腕を疑っているわけではない。レオンガンドならば、なにか革新的な、革命的なことをしてくれるのではないかという期待がある。

「その通りだ。だがな。なにも手を打たず、ただ時の流れの過ぎ行くのを良しとは想わない。わたしはまず、皆の意識を変えねばならないと考えているのだ」

「意識?」

「そうだ。いつまでも、弱いままでもいい、などと思われている場合ではないのだ。意識の改革を。そのために、軍を再編する。これは再生ではない。新生なのだ」

「軍の新生……!」

 側近たちの目に宿ったのは、希望の光だったのか。

 ともかくも、目に見えて現れた側近たちの変化は、セツナの中の彼らの印象にも良い変化をもたらしていた。どうやら側近たちは、レオンガンドに心服してはいるらしい。

 それは、これから彼らと関わることになるのであろうセツナにとっても喜ばしい情報だった。

「そういうことだ。そして、これにこそ相当な時間がかかるだろう。時間をかける必要があるのだ。セツナの件も含めて、問題が山積みだからな。そこで、だ。セツナ、ラクサス。その間にきみたちにやってほしいことがある」

 改めてこちらに視線を送ってきたレオンガンドに対し、ようやく平静さを取り戻しかけていたセツナは、声を上擦うわずらせた。

「おれに!?」

「わたしもですか?」

「セツナひとりでは心許ないのでな。きみにも同行してもらうことにした。もちろん、ふたりだけというのも安心できないだろう。もうひとり、後で合流する手筈てはずになっている」

 レオンガンドの口振りからして、つい今し方決まったことではなさそうだった。

 しかし、セツナにとっては突然の話だったし、驚きばかりが脳内を駆け巡っていた。

 先ほど、レオンガンドに仕えると決まったばかりなのだ。

 もしセツナがレオンガンドの望みを拒絶していたのなら、その手筈通りには行かなかったのではないか。もちろん、その場合はその場合でなにか手を打っていたとしてもおかしくはなかったにしても、だ。

 唐突に過ぎた。

 ラクサスにとっても寝耳に水の話ではないか。

 なにより、彼は軍の再編のために王都に帰ってきたのであり、別の任務を待っていたわけではない。今ここにいるのだって、たまたま、彼がセツナの正体を知り、確保したからにほかならないのではないか。

 もっとも、ラクサスの表情からは、彼の内心を読み取ることはできなかったが。

「それでもたった三人ですが?」

「少数精鋭と考えてくれたまえ」

 とは、黒髪の側近。名は確か、ケリウス=マグナートといったか。

 口髭の男が、彼に続く。

「諜報活動を大人数で行うことほど愚かなことはなかろう?」

「諜報活動? わたしたちが?」

 それにはさすがのラクサスも驚いたらしく、素っ頓狂な声を上げていた。

 セツナは、話の内容にほとんどついていけなかったが。

 次に口を開いたのは、貴族風の男だ。ケリウスからセツナを庇ったあの男である。

「いま、ログナーに不穏な動きがあるらしいのだが、それがどうにも要領を得ない。その上、ログナーに忍ばせていた諜報員と連絡がつかなくなってしまったのだ。このままでは、ログナーの内情を探るどころか、諜報員の無事を確認することもできない」

「もし、諜報員が捕らえられたとなると、これは我が国にとって大きな痛手だ。こちらの情報が敵の手に渡ってしまう可能性がある」

 そう続けたのは、四人の側近の最後のひとりだった。側近の中でもっとも若く見える彼は、風貌からして優男であり、声音もまた、とてつもなく柔らかいものだった。

「それをわたしたちで調べろ、と?」

「そういうことだ。きみたちなら腕は確かだ。どのような事態に陥ろうとも、生き延びてくれると信頼している」

「剣の腕ならばご期待に応えることもできましょう。しかし、ログナーに潜入するとなると話は別です。それこそ、わたしたち以外に適任のものがいるはず――」

「そこをなんとかするのが、きみの役目だろう。騎士ラクサス=バルガザール」

 有無を言わさぬレオンガンドの迫力に、ラクサスは押し黙るしかなかったようだ。

 内心頭を抱えたくなったのではないかと想うのだが、彼の表情からは、やはり心情を読むことはできなかった。

 セツナは、混乱さえしていた。

 レオンガンドの誘いに乗ったのは間違いではないと胸を張っていえるものの、いきなりの任務に困惑と不安ばかりが先に立った。戦うことにさえ慣れてはいない。訓練さえしていないのだ。

 そして、諜報活動など、想像だにできなかった。

 しかも、潜入するのはバルサー平原で戦ったログナー軍の本国だというのだ。

 かの戦場で、セツナは、ログナーの兵を数え切れないほど殺戮した。戦いに死はつきものだと納得はできる。しかし、それにしても殺し過ぎたのではないか、と思わざるを得ない。

 ログナーの人々の憎悪を買うには十分すぎる戦果だと、誰もがいっていた。もし、ログナー本国に潜入して、セツナの存在が露見すれば、どのような目に遭うものか、わかったものではない。

 といって、もはや引き返せない場所に立っていることは、セツナも自覚していたし、その事実から逃れようなどとは想わないのだが。

「セツナ、しばらくガンディアを離れることになるが、これもこの国のためだ。よろしく頼む」

 レオンガンドの真剣なまなざしと口調からは、セツナのことを思いやってくれているのが伝わってきていた。

 故にセツナも、心を奮い立たせて頷くのだ

「はい!」

 力強く声を上げたセツナは、体の奥底から力が湧きあがってくるのを感じた。

 それは、レオンガンドの期待に応えたいという想いが生んだものに違いなかった。

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