第49話 矛の向かう先

 獅子王宮ししおうきゅうは、王都ガンディオンの中心部にそびえている。

 王都ガンディオンは、獅子王宮を中心とする同心円状に作り上げられた都市であり、獅子王宮、《群臣街》、《市街》の間には、その事実を知らしめるようにして巨大な城壁が聳え立っている。

 《群臣街ぐんしんがい》の北側に位置するバルガザール邸から馬車で南下し、王都の三大城壁の最後の一つをくぐり抜けることで王宮区画へと至る。

 王宮区画に入ってまず目につくのは、鬱蒼たる《王家の森》だった。

 《王家の森》の向こう側に、ようやく獅子王宮そのものが見えてくるのである。

 つまり《王家の森》を突破しなければならないのだが、通行用の道幅は広く作られており、馬車での往来も十分に可能だった。並び立つ木々は、常に手入れがされているのか、邪魔になるようなことは一切なかった。

 そんな森の中心に聳え立つ王宮は、豪奢ごうしゃにして壮麗そうれいであり、初めて目の当たりにしたセツナの度肝を抜くには十分すぎた。

 なにもかもが圧倒的なのだ。

 王宮だけ見れば、ガンディアが小国などとは到底信じられないほどだ。

 セツナは馬車の窓に顔を貼り付けるほどにして、王宮を凝視したものだし、その豪華さに眩暈めまいさえ覚えかけたのだ。

 それは、これから向かうその宮殿の中に渦巻いてるのであろう様々な思惑に対して、多少うんざりしてしまったからというのもあるかもしれない。

 それが考えすぎかどうかはすぐにわかるにせよ、これだけの豪華絢爛たる宮殿に権謀術数けんぼうじゅつすううごめいていないはずがない――などと、セツナが考えてしまうのは、無理からぬことではないか。

 少なくとも、ここはセツナの慣れ親しんだ世界ではなかったし、頼れるものなどなにもないのだ。

 心細さが先に立ち、不安が増大した。

 やがて、馬車は王宮の遥か手前で止まった。

 セツナは、ラクサスに続いて馬車を降りた。

 獅子王宮の威容を目の当たりにすると、ただただ圧倒された。言葉を発することもかなわない。唖然呆然といった状態のまま、ラクサスについていく。

 それから、王宮のどこをどう通って来たのか、セツナは、まるで記憶していなかった。

 ただ、前を進む男の背中を追ってきただけに過ぎない。

 ラクサスは、アルガザード=バルガザール将軍の長男にして、ガンディアの騎士というだけあって著名人なのだろう。彼を呼び止めるものはいなかったし、彼の進路を阻むものもいなかった。

 王宮は、セツナがこの世界に召喚されて以来、目にしてきた様々な建物とは明らかに作りの違う建物だった。

 マルダールやバルサー要塞などとも、設計思想からして違うのではないかと想像する。

 王の住まう御殿ごてんなのだ。

 戦争のために築かれた要塞や、半ば城塞化した都市とは根本からして異なるのは当然なのかもしれないし、素人目で見てもそのように感じ取れるものなのかもしれない。

 王とその家族――つまりは王家と、それに連なる貴族のみが住むことを許された宮殿は、想像以上にきらびやかで、俗世とは隔絶かくぜつされた楽園の中にさ迷い込んだかのような感覚が、セツナにはあった。

 しかし、そのきらびやかさの中にも気品というべきものが確かに存在していて、優雅とか流麗という言葉がよく似合っていた。飾り立てられた世界だ。気品がなければ、ただの成金趣味になりかねないのではないか。

 そういった厭味ったらしさは、少なくともセツナが歩いてきた範囲内には見受けられなかった。

 記憶している限りでは、だが。

 さて現在、セツナが歩いている一角は、どことなく浮世離れした王宮の中にありながら、辛うじて現実味を帯びているように思えた。

 ラクサスが先導する長い長い回廊の壁際には、多数の甲冑かっちゅうが飾り付けられて整列している。

 セツナが戦場で目にした種類の鎧兜もあれば、竜や一角獣など異形の生物を模したものも並んでいる。

 整然と立ち並ぶそれらは、進軍の号令を待つ兵士たちのように勇壮だ。

 飾られているのは、鎧兜だけではない。剣や槍、斧などの様々な武器が、壁に飾り立てられている。

 その廻廊に漂うのは、鉄のにおいであり、戦場の空気だった。

 この絢爛たる輝きに満ちた王宮の中にあって、この回廊だけがことさらに異質な雰囲気に包まれているのも当然だった。しかし、それでも現実感が薄いのは、きっとそれらの武装が一度も使われていないのが、セツナにもわかるからだ。

 手入れは行き届いている。

 埃ひとつ見当たらないほどだ。

 だが、振るわれない刀槍にどれほどの価値があるのか、セツナには理解できない。観賞用の美術品ならばともかく、この場に整列している武器や防具がそのようなものには見えなかった。

 まるで歯牙をなくした猛獣たちが、行き場をなくしてその場にへたり込んでいるかのようにも見えた。

「この回廊は、今は亡きシウスクラウド陛下が、その晩年夢に見た情景を元に考案されたのだ」

 セツナの思索しさくを断ち切ったのは、ラクサスの凍てついたような声音だった。

 セツナは、彼の冷ややかな声を耳にするたびにぎょっとするのだが、同時に安堵もするのだ。

(このひとは、悪いひとじゃない)

 善人かどうかはともかく、悪人ではない――それがセツナの実感だった。

 でなければ、セツナへの事情聴取があんなに穏やかに進行するはずがなかったし、そもそも、休憩するいとますら与えられなかったのではないか。

 ラクサスが、これから事情聴取する対象であるセツナを労る理由はないのだ。たとえ、レスベルの殲滅せんめつに力を費やしたのだとしても、恐るべき存在かもしれないものを丁重に扱う理由はない。

「シウスクラウド陛下は、最後の最期さいごまで、生を諦めておられなかった。生きて、再び戦場に立つ――それが陛下の夢であったのだ」

 ラクサスの声音にかすかな熱を感じて、セツナは、顔を上げた。

 正装を纏った男の背中には、なんの感情も見当たらない。しかし、回廊に反響する彼の言葉は、時として異常な熱量を帯びているように感じられた。

「そしてそれは、わたしの夢でもあった……」

 セツナは、ラクサスの言葉に込められた深い悲しみを感じ取った。

 彼にとって先王シウスクラウドがどれほど偉大な存在であったのか、想像する。

 先のガンディア国王シウスクラウドが、英傑の誉れ高い名君であったことは、セツナも聞き及んでいる。ガンディア歴代の王の中でも特に文武に長じたシウスクラウドは、ガンディアの悲願である国土の拡大すらも成し遂げるのではないかといわれていた、という。

 だが、病に倒れ、命を落とした。

 そして、王位を継承したのが、レオンガンドである――ということまでは、セツナも知っているのだが、それ以上に詳しい話は知らない。

 ただ、ラクサスにとっては、この回廊に至るだけで感情を昂ぶらせてしまうほどの人物だということはわかった。

 それと同時に、セツナのラクサス評に一文が加えられた。

(情の深いひとなんだ)

 故に、普段は感情を表に現さないのだろうか。

 表面的には冷徹に見えて、その奥底では激情が荒れ狂っている――そんな人物なのかもしれない。

「残念ながら、その夢が果たされることはなかったがな」

 ラクサスはそう告げると、不意に脚を止めた。甲冑の回廊のちょうど真ん中あたりだろうか。左手に硬く閉ざされた両開きの扉があった。

 ラクサスがその目の前に立ち止まったということは、この扉の奥にレオンガンドがいるのではないか。

 しかし、利便性の悪さから考えるに、謁見などをするための場所とは到底思えなかった。

「ラクサス=バルガザール、セツナ=カミヤを伴い、参りました」

 ラクサスの声は、多分に緊張しているように感じられた。さすがにラクサスと言えど、主君に対しては緊張感を持って応対しなければならないのだろう。

 セツナはセツナで耐え難い不安に苛まれながらも、なんとか冷静さを保とうとしていた。

 レオンガンドには久しく会っていない気がするのだが、それは気のせいである。

 バルサー平原での戦いは数日前であり、当日の朝に言葉を交わしているのだ。もっとも、戦後、数日間眠り続けていたセツナにとっては、それもつい昨日のことのように思えるのだから、余計に会っていない感覚というのは短いはずだ。

 それなのに膨れ上がる不安のせいで、感覚が狂っている。

「入りたまえ」

 室内からの返答は、レオンガンドのものではなかったが、緊張感が増大するには十分な厳粛げんしゅくさと威圧感を備えていた。

「はっ」

 ラクサスが扉を開いた瞬間、重苦しい冷気が、ラクサスの背後のセツナにまで伝わってきた。室内に満ちた冷厳な空気。

 呼吸さえもはばかられるような、そんな感覚があった。

 セツナは、室内に入っていくラクサスの背中を見詰めながら、呼吸を整えた。覚悟を決め、ラクサスの後に続く。

 扉の向こう側へ。

(う……)

 セツナが足を止めたのは、室内に足を踏み入れた途端、いくつもの視線が突き刺さってきたからだ。好奇、猜疑さいぎ、冷徹――セツナへの視線は様々な感情を伴ったものであり、彼をなんとしてでも見定めようとしているのがわかる。

「ラクサス、ご苦労様。王都に帰ってきたばかりだというのに、わざわざすまなかったね」

 気さくな青年王というセツナの印象そのままに、レオンガンドが、ラクサスの労をねぎらった。


 王は、ふたりの前方にいた。

 部屋の中央に設置された大きな長方形のテーブルを取り囲むように無数の椅子が並べられており、そのうち、扉側の椅子にはだれも腰かけていなかった。

 反対側――つまりセツナたちの正面――に、レオンガンドと四人の男が座っていたのである。

 レオンガンドは、柔らかな微笑びしょうを浮かべていたが、ほかの四人は、セツナを値踏みするように見つめていた。その視線はさながら刃のように鋭く、セツナは胸中で悲鳴を上げかけたが、レオンガンドを見つめることで耐え抜いていた。

 四人の男は、王の側近なのだろうか。どの男も、ただ者ではない面構えをしていた。

「いえ。元より帰還報告に参上する予定でしたので」

「そうだったね」

 かたくななラクサスの言いようが面白かったのか、レオンガンドは、にっこりと笑った。その笑顔は、同性のセツナが見ても惚れ惚れするくらいに素敵なものであり、レオンガンドがこちらに視線を投げかけてこなければ、しばらくは呆けていたかもしれない。

 碧玉へきぎょくの如き美しい瞳が、セツナを見つめていた。

「さて、セツナ=カミヤ。早速で悪いけど、きみの話を聞かせてくれないか?」



「なぜ、今になって現れたんです?」

 クオンは、つとめて穏やかに問いかけた。

 内心では激情が螺旋を描き、嵐の如き叫びを上げようとも、彼は柔和にゅうわな笑みを崩さなかった。どれだけ感情がたかぶろうと、荒れ狂おうと、微笑する。そうするうちに心の海は凪いでしまうものだ。

 嵐は、過ぎ去っていくのだから。

 それでもクオンは、その相手に対してだけは自分の感情を抑えきれないのかもしれないという恐怖があった。

 感情の暴発ほど恐ろしいものはない。

 みずからの心を支配しなければ安息など訪れないように、激情に身を任せたとき訪れるのは破滅的な未来に違いないからだ。

「おまえに聞きたいことができたのだよ」

 事も無げにそういったのは、美女である。

 燃えるような赤毛が象徴的ではあるが、彼女の特徴といえばそれだけではない。

 絶世の美女という言葉が彼女以上に相応しい人間がいるのかと思えるほどの美貌びぼうは、異性はもちろん、同性であろうととりこにしてしまいかねない魔力があった。

 圧倒的な魅力は、魔力になる。

 その肉感的な姿態したい悩殺のうさつされるにせよ、蠱惑的こわくてきな声音に耽溺たんできするにせよ、彼女に楽園を幻視げんしするものは後を絶たない。

 故に彼女は、災厄の名で呼ばれる。

 もっとも、クオンはそうはならなかった。理由はわからない。少なくとも、彼の自制心の強さが原因ではないように想うのだが。。

 女の名は、アズマリア=アルテマックスといった。この大陸でもっとも高名な武装召喚師であり、数多の二つ名で恐れられる伝説的な人物である。

 そして、クオンをこの世界イルス=ヴァレに召喚した張本人でもあった。

「ぼくに?」

 クオンは、彼女との距離感を意識しながら問いかけた。

 太陽は、中天に至ろうとしている。風は無いに等しく、気温は静かに上昇を続けていた。

 クオンの額に汗が浮かぶ。が、彼はそれを拭いもせずに、アズマリアの黄金の瞳を見据みすえていた。妖しい光をたたえたふたつの瞳もまた、クオンを見つめているのだ。

 ベレル王国の南西、マージアの町外れの屋敷、その裏庭にふたりはいた。

 屋敷は、クオンが率いる傭兵集団白き盾の拠点として借りているのだが、いまは、ほかの団員はほとんど出払っていた。

「セツナという少年を知っているか? セツナ=カミヤ。おまえと同じ家名の少年だよ」

「……やはりあなたか! あなたがセツナを召喚したんだな!」

 クオンは、アズマリアの言葉の意味を理解した瞬間、自分でも驚くほどに声を荒げていた。

 激する感情を抑える手立てが無かった。

 今の今までぼんやりとしていたものが、一瞬にして鮮明な光を発したのだ。幾重もの渦を巻き、明確な答えの得られなかった疑問に、納得のいく回答が得られたのだ。

 そして、その答えは、決して許せるようなものではなかった。

「セツナまで、この世界に召喚したのか……!」

 アズマリアへの鬱積うっせきした想いが、激情となって迸るのも無理はなかった。

 クオンの脳裏を閃光のように駆け抜けた数多の記憶が、彼女への敵意を増幅させた。

 クオンは、この世界に召喚されてからというもの、アズマリアのおかげで、絶望というものを何度となく味わわされた。それが自分自身のみに降りかかるものだったからこそ、彼は、今日まで我慢することができたのだ。

 しかし、セツナがアズマリアによって召喚されたと判明した以上、セツナがクオンと同様の地獄に落とされるのは火を見るより明らかだった。

 それは、クオンにとってもっとも耐え難いことだった。

「なにを怒っている? 家族か友人か知らないが、この世界で再会を望むこともできるのだぞ。喜んで欲しいものだ」

 アズマリアがいつものように冷笑れいしょうする様を認めて、クオンは、自分の中でなにかが弾ける音を聞いた。



 室内は、広い。

 天井から吊るされた複雑な形の魔晶灯ましょうとうが、室内全体を照らすように冷ややかな光を降り注がせている。磨き抜かれた石の床の上に敷かれているのは、銀の獅子が描かれた絨毯じゅうたんだった。

 銀獅子は、ガンディアの象徴なのだという。

 絨毯の上には長方形のテーブルと無数の椅子が並んでいた。どれもこれも高級品には違いないのだが、使い古されているようにも見受けられた。

 目を引くのは、壁に貼り付けられた三つの地図だろうか。三方の壁にそれぞれ一枚ずつ貼られており、左は、王都ガンディオンを中心に描いているところから、ガンディア国内の詳細な地図だと想われた。

 右は、ガンディアとその周辺諸国を描いたものであり、真ん中の地図は、その規模から考えるにこの大陸の全体図なのかもしれない。

 しかし、その地図からガンディアの位置を探し出すのは一苦労だった。あまりにも小さいのだ。もっとも、それはログナーやザルワーンも大差ないのだが。

「アズマリア=アルテマックスがすべての元凶……か」

 レオンガンドの口調が少しばかり残念そうだったのは、彼が最初にセツナに会おうとした目的が、彼女の存在だからだろう。

 ファリアからの事情聴取の際、咄嗟の思いつきでアズマリアの弟子を名乗ったセツナは、その瞬間、ファリアやレオンガンドにとって特別な存在となった。

 セツナと接触することで、あの伝説的な武装召喚師との繋がりを持つことができるのではないか、と、考えたのだとしてもおかしくはない。

 なんといっても、弟子を名乗っており、それ相応に武装召喚術を使えたのだ。であれば、アズマリアとすぐさま会うことは叶わなくとも、接触の機会や手がかりを得られるかもしれない。

 それは、バルサー要塞奪還戦を控えたレオンガンドにとって、とてつもない大事件だった。

 魔人とも呼ばれるアズマリアの力こそ、喉から手が出るほど欲しかったのだ。

 セツナは、静かに呼吸を整えながら、レオンガンドの様子を見ていた。魔晶灯の照明の下で、青年王の容貌はあいも変わらず美しいままだ。

 話は、終わった。

 セツナは知りうる限りのすべてを、レオンガンドとその四人の側近に話したのだ。

 イルス=ヴァレとは異なる世界に生まれ育ったこと。

 突如として空から降ってきた門を潜り抜けた先が、カラン近くの森の中だったこと。

 そこでアズマリア=アルテマックスと初めて出会い、武装召喚術の使い方を知ったということ。

 黒き矛の召喚、皇魔おうまとの戦い、カランにおけるランカイン=ビューネルとの戦闘、そして昨日の出来事について、洗いざらい話し尽くした。

 当然、疑問の声も上がった。

 なぜ、いままで黙っていたのか。

 なぜ、アズマリアの弟子などと虚偽きょぎの申告をしたのか。

 なぜ、アズマリアがセツナに対して皇魔を放つような真似をしたのか。

 セツナは、それらの問いに対して、わかる限りのことは答えたつもりだった。

 異世界の住人だということを黙っていたのは、無用の混乱や誤解を招かないために他ならない。

 異世界に召喚されたはいいがなんの予備知識も与えられなかったセツナには、そうすることでしかあの状況を切り抜けられそうになかった。

 初対面のファリアに異世界から召喚されたということを話しても、まともに取り合ってもらえなかった可能性もあったし、あるいは大騒動になったかもしれない。

 もちろん、ファリアのことだ。昨日のように受け入れてくれたかもしれないが、それはそれ、である。

 あのときのセツナには、嘘をつくくらいしか選択肢は存在しなかったのだ。

 それは、アズマリアの弟子という申告に対しても同様だと言える。なぜアズマリアの名が出てきたのかを考えると、この世界の住人で知っているのが彼女しかいなかったからなのだが、弟子とした理由は、ファリアに武装召喚師としての師はだれかと聞かれたからだった。

 そして、それらの選択は、あながち間違いではなかった。

 結果として、ファリアはセツナをなにかと目にかけてくれるようになったし、レオンガンドと出逢うきっかけになったのだ。レオンガンドとの出逢いは、セツナをマルダールへと運び、《蒼き風》の傭兵たちとともにバルサー平原の戦場を駆け抜けることになった。

 問題はなにひとつなく、なにもかもすべてがうまく行き過ぎていた。

 順風満帆といっていい。

 だからこそ、アズマリアは現れたのだろうか。

「きみも皇魔も同じではないのか? 今なら、兵たちの言っていたことも理解できる。悪鬼、死神、化け物とな」

 そう言ってきたのは、レオンガンドの側近のひとりだった。

 黒髪の男だ。彫りの深い顔立ちは、男の厳めしさを引き立てている。年齢は、三十代半ばくらいだろうか。どこか超然ちょうぜんとした茶褐色ちゃかっしょくの瞳には、なにもかも見透かされるかのような錯覚を覚えた。

「言葉が過ぎるぞ。先の戦いは、彼の活躍のおかげで大勝を収めることができたのだ。手柄をあげることすらできなかった兵士たちの戯言たわごとよりも、彼の戦果のほうが余程雄弁ゆうべんだ」

 セツナが答えるより先に反論を述べたのは、貴族然とした男だった。金髪碧眼。痩せぎすで、頬がこけており、不健康そうに見えた。しかし、眼光は鋭く、生気に満ちている。肉体はともかく、精神的には充実しているのかもしれない。

 黒髪の男が、皮肉げに笑う。

「実に雄弁だな。とても人間の――それこそ、ただの少年の成せる業ではない」

「彼は武装召喚師だ。ただの少年というのは誤った認識だな」

「それも奇妙な話だと想わないか? 異世界から召喚されたばかりのものが、なぜ武装召喚術を行使できるのだ? 召喚術を習得するためには、気の遠くなるほど膨大な時間と労力を要する。それほどまでに高度な技術なのだ。聞けば、彼の世界にはそのような技術はないというぞ? これはどういうことなのだ?」

「それは……」

 言葉に詰まる男に対して、黒髪の男はここぞとばかりに声の調子を上げた。

「つまり彼は人間ではないのだ。少なくとも、この世界にいるべき存在ではない。いまは良い。陛下の言葉に従い、ガンディアのために力を振るってくれた、その事実には感謝している。だが、いつその力の矛先が我らに向けられるかわかったものではない――」

 セツナは、ふたりの側近の口論を見守ることしかできなかった。歯痒はがゆくても、口を挟むことはできない。一方的ともいえる男の発言も、必ずしも横暴なものではないのだ。

 納得できる部分もある。

 確かに、おかしな話だった。

(おれは何で、武装召喚術が使えるんだ?)

 しかも、アズマリアは、それを最初から理解していたようだった。

 セツナが武装召喚術を使えることを知って、この世界に呼び出したような、そんな気配すらあった。

 その上、ファリアたちの武装召喚術とは色々と異なる点があった。

 ただ武装召喚の四字を言葉として紡ぐだけでいい、というのがそれだ。

 それだけで術は発動し、異世界から武器が現れた。

 ファリアが卑怯者と罵ってきたのもわからなくはない。

 彼女たちが武装召喚術を体得するために費やしてきた膨大な時間や多大な努力を嘲笑うかのようなものなのだ。

 だからといって、セツナにはどうしようもないのだが。

 使えるのだから、遣うしかない。

 ふと、セツナは、レオンガンドがこちらを見つめていることに気づいて、正面に顔を向けた。青年王は、心配しなくていいよ、とでも語りかけてくるかのような表情を浮かべている。そのあざやかなまなざしを見た瞬間、セツナは、自分の中からあらゆる不安が取り除かれていくのを感じた。

(あ……)

 張り詰めた空気の中では涙を流すことなど有り得ないが、それでもセツナは、涙腺が緩みそうなことに焦りを覚えた。いくらレオンガンドの優しさに触れたからといって、それだけで気を緩めるわけにもいくまい。

 レオンガンドが、黒髪の男に向かって口を開いた。

「貴重な意見をありがとう、ケリウス=マグナート。きみの懸念けねんももっともだ。この国は、セツナの力に対抗する手段を持ち合わせていないといってもいい。矛先がこちらに向けられた場合、平身低頭で許しをう以外に生き延びる術はないだろう。それで彼が矛を収めてくれたなら、の話ではあるけれどね」

 自嘲じとゆ気味に微笑するレオンガンドに、側近たちはおろかセツナまでもはっとなった。

 彼の言葉が意味するところを理解して、だれもが愕然としたのだ。

 それはつまり、国家が、たったひとりの少年に降伏するということに他ならない。

 小国とはいえ、ガンディアは、何千という人間を兵士として動員できるはずであり、強固な要塞や城塞都市を持ち、なおかつ同盟国との関係も良好だったはずだ。

 その総兵力を以ってすれば、たかが武装召喚師のひとりなど容易く滅ぼせるものと考えるべきではないのか。

 セツナ本人でさえ、そう想っている。

 何千人もの人間と戦えるはずがなかった。バルサー平原での戦いの時も、結局は力が尽き果て、気を失ってしまったのだ。

 意識を失ってしまえば、黒き矛を持っていようと雑兵以下の存在に成り果てる。

 過大評価にもほどがある。

 側近のひとりが、レオンガンドに叫ぶように言った。

「陛下! そのような世迷言よまいごとは口になさいますな!」

「ただの冗談だよ」

 悪戯いたづらを叱られた子供のように、レオンガンドはいった。茶目っ気たっぷりの彼の様子に、セツナは、唖然としながらも親しみを覚える。

 一国の王ともあろうものが、どうしてそこまで軽いのだろう。いや、軽いというのとは違うかもしれない。柔らかく、穏やかだ。

 どちらにせよ、セツナにとって、レオンガンドが心地良い響きの持ち主だということに変わりはなかった。

「さて、セツナ。ケリウスはああ言っているが、きみはどう想う?」

 不意打ちのような質問に、セツナは、目をぱちくりさせた。

 レオンガンドは、優しくも穏やかな笑みを浮かべていた。

「え……?」

「きみはいつか、このガンディアに矛先を向けるかい?」

「そんなこと――!」

 あるわけがない、と、セツナは、叫ぼうとしたが、レオンガンドに制された。

「ははは、安心した。きみのその反応で、ケリウスの懸念が杞憂きゆうに終わると確信したよ」

 レオンガンドはそう言ってきたが、セツナは、しかし、彼の言葉を真に受けるほど愚かでもなかった。もちろん、疑っているのではない。

 彼の言葉にはなにか裏があるのではないか、というだけのことだ。そして、たとえそうだとしても、そこにセツナへの悪意があるとは考えなかった。

 ただ、こちらの反応を見て結論付けたわけではないのだろう、ということだ。

 セツナの驚き慌てる様子を面白がるために問いかけてきたのではないか、そんな憶測すらも浮かんでしまう。

「わたしは、セツナ=カミヤの存在をここに認めると宣言しよう」

 その一言とともにレオンガンドの纏う空気が一変した。

 いままでそこに座していたのは和やかで穏やかな気配を纏う貴公子だったのだが、今や彼は、威厳に満ちた国王へと変身していたのだ。

 それとともに、室内の緊迫感が増大した。この場にいる誰もが、国王の面前にいるのだと想い知ったといわんばかりの緊張感を覚えたのだ。

 セツナも同じだった。レオンガンドの視線一つに圧倒されるような感覚がある。

 王の言葉の意味を理解し、感動に震えたのは、それからだった。

「彼がどこから来ようとも、我が王国のために命をかけてくれた事実を覆すことはできない。先の戦いで、我が軍の被害を最小に抑えることができたのは、彼が想像を遥かに上回る活躍をしてくれたからだ。彼が力を貸してくれたからこその圧勝であり、彼の助力がなければ、我が方は大量の血を流していただろう」

 レオンガンドが熱弁を振るえば、口を挟もうとするものなど一人としていなかった。異論も反論もなければ、だれもが彼の声に耳を傾け、王の言葉、その真意を知ろうとしている様子だった。

 セツナは、レオンガンドの新たな一面を目にしたような気がしてならなかった。セツナは、レオンガンドの軽やかな、柔らかな部分ばかりを見てきた。だからこそ、国王としての威厳に満ちた彼の姿には、胸を打たれるものがあるのだ。

「元より無茶な戦術ではあったのだ。それでもバルサー要塞を奪還しなければ、ガンディアに安寧あんねいは訪れない。国民の心から平穏は遠ざかり、先王の夢は幻と消えてしまうところだった。だからこそ、無理にでも取り戻す必要があった。どれだけの血が流れ、どれほどの兵が倒れようとも、要塞を奪還しなければならなかった。結果は、先ほど述べた通りだ。セツナのおかげで、こちらの損害は極めて少ないまま勝利を得ることができた。これは何事にも変え難い事実だ。セツナがいなければ、今頃、悠長に会議を重ねている場合ではなくなっていただろう。その点でも感謝するべきではないかな? 諸君」

 レオンガンドが側近たちを見回すと、彼らは一様に苦笑したようだった。

「彼が異世界の住人であるという真実は、彼と皇魔が同質の存在であるという可能性を肯定もしなければ、否定もしていない。なぜならば、異世界からこの世界に召喚されたのは、魔性だけではないのだ。かつて、数多の神々が召喚された事実を忘れているわけではあるまい。そして、彼が寄る辺なき異邦の少年という厳然げんぜんたる事実に対し、わたしたちにできることといえば、ひとつしかあるまい」

 レオンガンドの碧い瞳が、セツナを見ていた。透き通るように美しい瞳に吸い込まれそうになったセツナは、それはそれでいいのかもしれない、とも想った。自分のことをこれほどまでに考えてくれている人間など、ほかにいるのだろうか。

「セツナ=カミヤ、おれに仕える気はないか?」

 レオンガンドの提案は、セツナの意識を鮮明に染め上げた。

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