第28話 赤と青
当初、ログナー側の優勢で始まったはずのこの戦いは、
ログナーとしては、開戦早々右翼を失ったのが大きな痛手となっていた。
いや、それだけではない。
その失い方が、尋常ではなかったのだ。
突如として
それは、一瞬の出来事だった。
ガンディアに所属する
動揺は、幾重もの津波となって瞬く間にログナー全軍に
「あーあ……もう駄目だこれ」
ウェイン・ベルセイン=テウロスは、軽く
戦意を失った兵士たちをさらなる恐怖に陥れたのは、ガンディア軍本隊の正面からの突撃と、左翼からの強襲という波状攻撃であり、さらにいえば、右翼を
とりわけ、
「
すぐ隣から声を
真紅の
そして、ウェインは、ログナーの《青騎士》と呼ばれており、それもまたグラードと同じく甲冑の色に由来するものだった。気に入っていないわけではない。ウェインは、むしろ好んで自称するほどだった。
「もう無理でしょ。見てくださいよ、あれ」
ウェインは、槍の穂先をレオンガンドの左後方に向けた。
陽光を受けて輝く槍の指し示す先には、ガンディアの守護者と
「あれは……《
「あの爺さん、すんごく活き活きしてますよ?」
「だからどうした?」
グラードが、凄んできたものだから、ウェインは少しばかり
熟練の戦士たるグラードのまなざしは、気の置けない仲であるはずのウェインですら
「いや、だからね、
気を取り直すようにして、ウェインは、ゆっくりと槍を旋回させた。切っ先は、混乱の最中にありながらも逃げ出すことも許されず、命の火花を散らす兵士たちの頭上を通り抜け、前線から見れば遥か後方に至る。
そこにはジオ=ギルバース将軍と、彼の手勢として配置された精兵が固まっていた。得物を振り
グラードの嘆息が聞こえた。
「……ああ、無能将軍」
彼に対してその
二十代最後の年に一軍の将に抜擢された彼は、ログナーに再び隆盛をもたらす希望の
なぜかは、わからない。
格段の功もなければ、取り立てて優秀な人材とも言えなかった。そんな人物が、小国ではあるもののログナーという国の一軍を率いる将となってしまったのだ。
栄える可能性をログナーみずから握り潰してしまったというのは、言い過ぎだろうか。
とにもかくにも、ジオ=ギルバースは
が、この数年に渡る数多の失敗は、ログナーにとって大きな痛手であり、そのほとんどにジオ=ギルバースが関わっているという事実は、ウェインに常ならざる感情を抱かさせるのだ。
それは即ち、殺意という。
「ほらね」
今すぐにでも飛び出したくなる
「おまえの言いたいことはよくわかるが……」
「将軍の言った通りでしょう?」
「……その通りだ.ジオ=ギルバースでは、流れを変えることはできん」
グラードの苦々しい言葉は、この戦場にいるだれもが抱いている確信かもしれない。
それはウェインも同じであり、もしかせずともガンディアの将兵も同様の感想を持ったに違いなかった。
それほどまでにジオ=ギルバースの采配は、酷い有り様だった。
最悪とまでは言わない。
しかし、この最悪の戦況にあって、将軍が己が身の安全のみに重点を置いて全軍を指揮するなど、以ての外ではないのだろうか。
無論、将軍の命は重いものだということは、理解できる。
その役目を考えれば、当然といえる。
しかし、いま現在、前線でその身を死に
分が悪くなった瞬間、将軍が
戦意は下がるのみであり、全力を出すこともままならないのではないのか。
これが、例えば飛翔将軍アスタル=ラナディースならば、異なる結果になっていたのではないか。
前線を飛び回る指揮官の姿に将兵一同
とはいえ、それらはやはりただの妄想に過ぎないことをウェインは知っていたし、いまさらそんなありもしない空想に思いを
「あ~あ。将軍に
「この戦いが終われば、直に逢えるさ」
「生き残ることができたら、ですけど」
「こんなところで死ねはしまい?」
「そりゃあね」
ウェインは、もはや崩壊してしまった前線を
だれひとり、死にたくなどないのだ。
それが国のため、仲間のため、家族のためならばまだしも、ジオ=ギルバースなどという人間のためになど、
だからこそ、彼らは、急行せねばならない。これ以上、無駄に血を流させるわけにはいかない。
これ以上、戦いを長引かせるわけにはいかない。
「では、行きますか」
「ああ」
グラードの心強い返事に、ウェインは、覚悟を決めたのだった。
「勝ったな」
ハルベルク・レウス=ルシオンのつまらそうなつぶやきを、リノンクレア・レーヴェ=ルシオンは、馬上にありながらも聞き逃しはしなかった。といって、別段気にすることもない。いつものことである。
ハルベルクは、圧倒的な勝ち戦というものを好まなかった。むしろ、追い詰められているほうが好みに合うらしい。
無論、将来国を率いる立場にあるものが好き嫌いで戦い方を選べるはずもなく、彼の戦は大体において圧倒的優勢のまま勝利を飾ることが多かった。
その
リノンクレアを先頭とする
セツナが引き起こした大火は、ログナー軍に恐怖と混乱を巻き起こしており、彼女らの突撃にとって大きな助けとなっていた。
横腹を突くまでもない。
崩れかけた戦陣は、もはや元に戻りようがなかったのだ。
騎兵の圧倒的な機動力によって戦陣を駆け抜けるだけで、数多の敵兵が薙ぎ倒されていった。
残った兵もまた、遅れて左翼に辿り着いたルシオン本隊によってひとり残らず討ち果たされた。
これにより、ログナー軍の左翼は壊滅したといってもいいだろう。残るは本隊であり、ログナーの兵力のほとんどは、そこに集中していた。
リノンクレアたちは本隊に合流後、速やかに中央の主戦場へと突入するつもりだった。
「さて。
リノンクレアは、ハルベルクの本心とも建前とも取れない言い様に、ただひとり笑いを噛み殺していた。要するに本音を言うのが恥ずかしいのだろう。
リノンクレアは、ハルベルクのそういうところも好きであった。
「どりゃああああ!」
シグルドの豪快な一撃は、彼の眼前にいた三人の敵兵を一度に吹き飛ばしていた。
長大な
敵陣の右翼から中央へと至る進路、である。
レオンガンド率いるガンディア本隊は既に前線を突破し、中央において敵主力と交戦に入っていた。左翼では、ルシオンの騎兵が大活躍しているらしい。そして、右翼から進出したシグルドたち傭兵部隊は、いままさに主戦場へとなだれ込もうとしていた。
「なんといいますか、
「ま、そういうな。仕方ねえさ」
シグルドが、ジンを振り返ると、彼のショート・ソードが軽装歩兵の首を切り落としたところだった。返り血ひとつ浴びないのは、彼の巧みな剣技と身のこなしによるものだろう。
かくいうシグルドも返り血など浴びてはいないが、これはそもそも打撃武器を振り回しているからに他ならない。もちろん、戦鎚をぶつける部位によっては、血も浴びるのだろうが。
「セツナのおかげでずいぶんと楽をさせてもらってんだぜ。ありがたがっておけよ」
「武装召喚師の炎に
「pれもだ」
シグルドは笑いもせずに告げるなり、背後からの殺気に即座に対応した。前へ跳び、振り返り様、敵を視認すると同時にその側頭部に戦鎚を叩きつける。兜に覆われたはずの敵兵の頭は、しかし、ウォー・ハンマーの強打に耐えることはできなかった。無残なまでに潰れ、断末魔を上げることもできずに絶命する。
「で、その武装召喚師殿はどこだ?」
シグルドは、なんとはなしにセツナの姿を探して、戦場に視線をさ迷わせた。
無数の敵兵は、炎の恐怖に囚われながらも、それでもなんとか戦場に踏み止まろうとしているようであり、必死に戦い抜こうとしているようでもあった。
もっとも、シグルドは、彼らを哀れなどと想わない。
それならば、最初から剣など手に取らなければいいのだ。兵士になどならなければよかったのだ。栄達を望まなければよかった。
(ま、すべての人間が望み通り生きているはずもねえけどよ)
それは、これからの彼を見ていればよくわかることだ。
セツナ=カミヤ。
彼は、この戦いにおけるガンディア軍の勝利の立役者となったことで、ガンディア中は愚か、周辺諸国にもその名が知られることになるだろう。ログナーにおいては悪名となって知れ渡り、憎悪の的となるだろう。
彼が望もうと望むまいと、過酷な運命が待ち受けているに違いない。
そう、彼は力を振るったのだ。
みずからの意志で。
「団長、おれはここですよ~」
こちらに向けて手を振っている突撃隊長の姿に、シグルドは、深く深くため息を浮かべたのだった。
「おまえなんか探してねえ」
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