第4話 咆哮

「おおおお!」

 セツナは、化け物の群れの中で雄叫おたけびを上げた。

 瞬間、四つ目の化け物どもが動きを止め、こちらを注目したのは、その声量故なのか、どうか。

 夢は夢ではなく、幻もまた幻ではなかった。その事実を認める一方で、自分が置かれている状況の酷さに絶句ぜっくしたくなる。

 異世界とやらに召喚され、化け物の群れに襲われたのだ。偶然手に入れた対抗手段の強力さは、無力なセツナにはありがたい武器となったものの、この状況を生み出した張本人は助けてさえくれない。

 化け物は数多あまたといる。

 最初に把握した数よりも増えている気がするのは、きっと気のせいなどではあるまい。

 優に百を超える数の化け物が、森の闇にひしめいていた。なたのような爪をもつ四足の化け物。四つの眼孔がんこうから漏れる赤い光を撒き散らすようにして、セツナを見つめている。

 黒き矛を構える。

 全長二メートルはあるだろうか。長大な武器だ。大して筋力もないセツナに扱えるはずのない武器だったが、なぜか自由自在に扱えた。最初に感じた重みは既に感じなくなっていて、まるで手の延長のようだった。

 急速に意識が高揚こうようしていくのを認める。眠っていた闘争本能が目覚めたかのようだった。普段通りの日常生活では発揮しようのないなにか。

 それは喜ぶべきことなのか、悲しむべきことなのか。

 よくわからない、と彼は想った。

 ただ、いまこの場では必要不可欠なものには違いなかった。

 化け物を倒していかない限り、この状況を脱することはできない。

 そして、の世界における一般的な通念や常識を凌駕りょうがする〝なにか〟がなければ、殺意を剥き出しにして襲い掛かってくるものに立ち向かい、戦い続けることなどできるわけがなかった。

 ましてやセツナは、ついさっきまでのほほんと平和を謳歌おうかしていた学生に過ぎない。純然じゅんぜんたる殺気を向けられたこともなければ、武器を手に取ったこともない。

 喧嘩は、何度もした。だが、喧嘩は喧嘩だ。殺すことを目的とはしていない。そもそも、本気で殺し合いをするような学生がいるというのだろうか。

 他人を傷つけてはいけない。

 他人と争ってはいけない。

 他人を殺してはいけない。

 そんな言葉が脳裏のうりぎって、セツナは、笑いたくなった。全周囲から放たれる剥き出しの殺意の中では、あの地の道徳など風の前のちりに等しいのではないか。

 地を蹴って、前方に飛ぶ。

 それはちょうど、化け物が一体、こちらに飛び掛ってきたところだった。

 皇魔おうまは、両方の前足を思い切り振り上げていた。鉈のような爪で、セツナの体を断ち切るつもりだったのだろう。しかし、それはかなわない。両腕を掲げたがために露になった胸元に、漆黒の矛が突き刺さったからだ。

 断末魔の悲鳴を聞きながら着地して、セツナは、矛を振り回した。穂先に刺さっていた化け物の亡骸なきがらが飛んでいく。

 化け物どもが奇声を発した。

 憎悪が、ますます強くなる。

(まるでおれが悪者みたいじゃないか)

 先に攻撃してきたのはそっちだろう、とセツナはいいたかった。

 もっとも、こちらの心情を汲み取ってくれるような相手なら、最初から戦闘になどならなかったはずだ。

 皇魔たちは、初めからセツナを殺すつもりだった。

 森の中とはいえ、乱立する木々を考慮して立ち回れるわけもない。

 セツナはずぶの素人なのだ。

 初めての戦い、初めて扱う武器、初めて戦う化け物。

 なにもかもが初めての体験といってよく、いまこうして生き残っていられるのは、この黒き矛のおかげにほかならない。

 皇魔の正確な数は把握はあくしきれない。

 百体を超えた辺りからどうでもよくなっていた。とにかく、セツナを包囲しているのがわかる。そして、仲間が数体殺されたことへの恨みなのだろうが、それら怪物たちの声が生み出す不協和音の大合唱は、次第に酷さを増してきていた。

 耳に刺さるだけでなく頭にがんがん響くような鳴き声には、セツナも我慢できなくなっていた。

「うるせえ!」

 怒鳴どなり散らすように声を張り上げ、駆け出す。

 左前方に皇魔が固まっているのが見えたのだ。

 皇魔の集団はセツナの接近を認識して、一斉に身構えた。その数、十体。セツナは口の端を歪めた。そして、獲物を前に喜んでいる自分に気づきはっとなった瞬間、頭上から殺気が降ってきた。

「うりゃあ!」

 叫びとともに矛を突き上げる。手応えはほとんど感じられなかったが、頭上を見上げずとも皇魔が絶命したことを認識する。ずっしりとした重量が矛にかかっている。そして、矛を握る手に生暖かい液体が流れ落ちてきた。

 血だ。

 矛を振るい、穂先に刺さったままの亡骸を放り捨てる。

  血まみれの手を拭う暇はなかった。十体の皇魔が、既に眼前にまで迫ってきている。また、笑みを浮かべている。

 皇魔は、こちらに向かって大きく展開していた。セツナを迎撃するための布陣なのだろうが、彼は気にせずに踏み込んだ。皇魔の陣形の中心部へと突っ込んでいく。

 皇魔が、奇声を発した。陣の中心の皇魔は、両方の前足を大きく掲げていた。同様に身構えたのは、左右と後方の三体。鋭利な爪をこちらに向ける。残りの六体は、傍観ぼうかんしているように見えたが。

(なんだっていい)

 彼は胸中でつぶやくと、中心の化け物の頭部目掛けて矛を突き出した。化け物が、両足の鉈で顔面を庇おうとする。受け止め、仲間に攻撃させようとしたのだろう。だが、漆黒の矛は、幾重にも重なる鉈の盾をたやすく突き破り、皇魔の頭蓋をも貫いた。甲高い絶叫が鼓膜こまくに響く。

「黙れよ!」

 セツナは苛立いらだちとともに叫び、矛を右に振り抜いた。矛の刃は、化け物の頭蓋をたやすく切り裂き、そのまま右の皇魔の前足を切り飛ばした。皇魔の前足が血を噴き出しながら飛んでいく。


 当の皇魔は悲鳴を上げながらも四つの眼を強く瞬かせ、飛びかかってきた。もう片方の前足で斬りかかってくるが、セツナの返す刃がその皇魔の頭部を吹き飛ばしている。

 セツナは、不意に違和感を覚えた。

(ん?)

 左からの殺気に、体が反応した。鉈による連続攻撃を柄で受け止める。金属同士がぶつかったような音が響き、火花が散った。しかし矛の柄には傷ひとつつかない。皇魔の爪こそぼろぼろに刃毀はこぼれしたのだが、化け物は気にも止めなかった。

 得物をぶつけあったまま、一瞬、睨み合う。

 皇魔ののっぺりとした顔面は、ただ気味の悪いものだった。四つの眼孔から漏れる赤い光が、一際強くなる。刺すような殺気に、皮膚がビリビリと震えた。しかし、化け物一体に構ってあげられる時間は少ない。

 セツナは、爪を受け止めたまま、矛を回転させた。勢いで皇魔の爪を振り払い、がら空きの頭部に石突きを叩きつける。悲鳴が四つの眼孔から発せられ、セツナの耳朶じだを叩いた。

 だが、セツナは力を緩めない。そのまま、皇魔の頭部を地面にめり込ませると、足場にして、つぎの敵を求めて跳躍しようとした。

 不意に、ざわめきがセツナの全身を駆け抜ける。

「っ!」

 見やると、後方に布陣していた皇魔どもが、前傾姿勢のまま臀部でんぶを持ち上げるような体勢を取っていた。

 威嚇いかくでもするかのような体勢ではあったが、いまさらそんなことをするとは考えにくかった。

 見ている間に背中にある一対の突起が電光を帯びた。突起と突起の間にその電光が集まっていく。

 電光は球体を形成し、放電しながら膨張ぼうちょうする。電光球は、六つ。森の闇を一掃し、周囲を白く染めていくかのようだった。

 そのおかげで、無数の皇魔がセツナを幾重にも包囲している様がわかったほどの明るさだ。

 セツナは、危険を察知したが、激痛が左太腿に走り、動けなかった。

「くっ」

 皇魔による攻撃なのか、瞬時には判別できない。

 傷は浅くはないが、重傷でもないと判断する。だが、セツナの体勢は崩れた。視界が流転るてんする。そのとき、セツナの目は、踏みつけていた皇魔の尾が足に刺さっているのを捉えた。螺旋状の尾は敵を攻撃する武器でもあったのだ。即座に矛の切っ先で足元の皇魔を貫く。

 断末魔が聞こえた。

 しかし、セツナは胸中で舌打ちした。殺し損ねたのがまずかった。頭部を殴られるだけでは意識を失わなかった皇魔は、セツナが前方に気を取られた隙を逃さなかったのだ。急所を狙われていたら、死んでいた可能性もある。

(死……?)

 太腿ふともも一瞥いちべつする。

 皇魔の尾が刺さったままだ。重傷ではない。膝をついたものの、耐え切れない痛みではない。いまも歯噛はがみして、耐える。それでも、死ぬよりは遥かにましだといえる。言い切れる。

「死……か」

 セツナがぽつりとつぶやいたときだった。

 前方、六体の皇魔の頭上に滞空していた六つの電光球が、一斉に解き放たれたのだ。

 それらは、物凄ものすさまじい殺気の塊だった。セツナの意識が震えた。これほどの殺意にさらされたことが、未だかつてあっただろうか。それらは、ただセツナを殺すためだけに生み出された力だ。

 純然たる殺意の塊。

 それによって、視界が純白に塗り潰されていく。動けない。避けられない。

 そしてこれは、夢ではない。

 死が、耳元でなにかをささやいているようだった。

「死ねるかああああああああっ!」

 彼は、咆哮とともに、矛を振り上げた。ただがむしゃらに振るった矛は、なぜか金色こんじきの光を帯びていた。

 セツナに殺到した電光球は、黄金に光る矛に触れた瞬間、強烈な閃光とともに膨張し、爆発を引き起こす。猛烈な爆光ばっこうが、轟音ごうおんを撒き散らしながら渦を巻く。

 破壊的な力の奔流ほんりゅうは、周囲の木々をぎ倒し、草花を焼き払っていく。

 その荒れ狂う光の中心で、セツナの目はなにも捉えてはいなかった。純白に塗り潰された世界しか見えていない。だがしかし、脳裏にはべつの光景が描き出されている。

 爆光の渦の中、木々は倒壊とうかいし、森は崩壊の一途を辿る。周囲の皇魔は光の中で息絶いきたえ、いままで隠れていた動物たちも一斉に逃げ始めたものの、あまりにも遅すぎた。

 破壊の力は、罪なき動物たちにもその魔手ましゅを伸ばし、圧倒的な力で多数の命をひねり潰していく。

 セツナには、なにもできない。ただ、死をまぬれた皇魔どもがこちらに背を向け、逃走を開始したのを認識しただけだ。そして、それだけでよかったのかもしれない。大地を蹴る。大地を踏み抜くほどに力強く。

 破壊的な光の中を飛躍ひやくする。

 セツナは、十数の皇魔の背中を視認した瞬間、笑みを浮かべた。矛を握る手に、力がもった。金色の光は既に失せ、漆黒の矛に戻っている。が、あの数を殲滅せんめつするには十分すぎる。

 しかし。

「もう、十分だろう」

 真紅しんくの女が、セツナの進路に立ち塞がった。だが、セツナは中空。空中で静止することなどできるはずもない。

 それに、せっかくの殲滅する機会を邪魔されるのは、気分のいいものではなかった。あのような化け物どもを生かしておく道理はない。

 壊し、砕き、破り、滅ぼせばいい。

「えっ……?」

 セツナは、自分の意識に混じった不穏な言葉に思考を止めた。しかし、彼の体は止まらない。ただ一直線にアズマリアの頭上を越えようとする。

 アズマリアが、目を細めるのが見えた。光の嵐の中、その美貌びぼう際立きわだっている。

 まるで女神のようだった。

 そして、その女神の唇がなめらかに動いた。

武装召喚ぶそうしょうかん

 セツナの目の前のなにもなかった空間に、突如として巨大な門が出現した。

 セツナは、心の底から悲鳴を上げた。

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