第2話 夢か幻か

 理不尽な――としか言いようのない状況の中で、セツナは、アズマリア=アルテマックスの言葉を待っていた。

 見知らぬ森の中。陰鬱いんうつな冷気が、ただただひそやかに流れている。生き物の気配や息遣いきづかいはまるでなく、息苦しいほどの沈黙が、その森を支配していた。

 乱立する木々もまた、風に揺れてざわめくようなことすらしない。

 奇妙なまでの静寂は、やはり、この森の異常性を物語っているのかもしれない。

 いうなれば、危険信号ではないか。

(馬鹿馬鹿しい)

 セツナは、かぶりを振ると、くだらない妄想を頭の中からかき消した。

 森が、いったい誰に向かって危険信号を発するというのだろう。迷い込んだ人間に対してか? 森が――森を形成する木々や植物が、人間に対してそんなことをするいわれはない。人間がどうなろうと、知ったことではないはずだ。

「さて、セツナ=カミヤ。きみはわたしの召喚に応じ、この世界に現れた。それは理解しているな?」

「いや、全然」

 セツナの即答には、さすがの美女もあきれ顔にならざるを得なかったようだ。

 しかしながら、絶世の美貌びぼうは、多少崩れたところで絶世の美貌であることに変わりなかった。

 完璧、というのとは少し違うかもしれないが、彼女の容貌ようぼうは、非の打ち所のないものであり、だれが見ても美女だと答えるだろう。

 それはセツナにも否定できないし、元より否定するつもりもない。

 セツナは、まだここが現実だとは認めていなかった。女がいうにはイルス・ヴァレという世界らしいが、セツナにしてみれば知ったことではない。

 夢の産物なのだと考えるほうが自然だ。

 しかし、同時に夢の中であれ、問わずにはいられないのも事実だ。

「召喚ってなんだよ? おれはあんたに召喚されたのか? 魔法か何かで」

 問い詰めるような口調になりながら、セツナは、それはあまりにも馬鹿げた話だと思った。アニメやゲームにありがちな話ではあるし、ファンタジーは嫌いではない。そういったものにはまりかけたこともある。

 現実逃避の手段として。

 しかし、現実にそんな事態が我が身に起きるなど、だれが考えるのか。そして、起きたとして、だれがすぐに受け入れるのだろう。

 やはり、夢でしかない。

 現実に、そんなことが起こりうるはずがない。

 そのうち目が覚めて、またつまらない日常が始まるに違いなかった。

 だからこそ、期待もしない。

 失意のあまり、より一層絶望を深めることになりかねないからだ。

「そうだ。わたしの召喚武装しょうかんぶそうの力によって、な」

 彼女は、特に誇るでもなく告げてきた。声音が極めて事務的に聞こえるのは、どういうことなのだろう。まるで、何回も何回も同じような対応をしてきたかのようだった。そしてその考えは、あながち間違えでもないのかもしれない。

「召喚武装……? またまたわけのわからんことを」

 セツナは、つぶやきながら、夢の一場面を脳裏のうりに思い描いていた。

 敵の大軍勢を前にした彼は、なにか似たような言葉を叫んでいた気がする。その言葉ののち、武器を手にし、数多の敵を相手に大立ち回り――それが、悪夢の前半部である。つまり、まだしも良い夢と呼べる部分だ。

 一騎当千いっきとうせんの夢。

 一時期ハマっていたゲームの影響かもしれない。

 なんの逡巡しゅんじゅんもなければ、呵責かしゃくひとつなく数多あまたの命を薙ぎ払うのは、ゲーム同様の快感があった。それも、夢の世界だからこその快感だろう。現実ならば快いものではないに違いない。

 それは、現実の戦いを知らないセツナにだって、想像がつく。

「きみは〈門〉を知覚し、視認したはずだ。〈門〉に触れ、開いたはずだ」

「あの城門のことか? ダイヤモンドみたいな……」

「材質や形状は知らん。どうやらわたしの〈門〉は見るものによって形を変えるらしいからな。ともかく、きみはその〈門〉を潜り抜けた。そうだな?」

「そう……なるのか?」

 アズマリアの言葉を半ば肯定こうていしながらも、セツナは少しばかり首を傾げた。あの空から降ってきた城門に触れた瞬間、彼は意識を失ったのだ。門扉を開いたような気もするし、そうではなかったような気もする。

 記憶が曖昧だった。

 そんなセツナの様子などお構いなしに、アズマリアが話を進める。

「つまり、きみはわたしの召喚に応じたのだ」

「そんなつもりはなかったんだけど……」

 セツナは、なんともいえない顔になった。

 好奇心に駆られただけだ。眼前で繰り広げられた夢か幻のような出来事に対し、黙殺するなどという勿体無もったいないことは、あの瞬間の彼にはできなかったのだ。ただ、それだけのことだ。そしてそれが夢なら、どうだっていいことでもある。

 夢ならば。

「いまさらなにをいっている。応じるつもりがなければ、〈門〉など無視すればよかったのだ。そうすれば、きみはきみの世界で、いつも通りの生活を続けることができた」

「警告もなにもなかったじゃないか。ただ、降ってきただけだぜ? あんたの〈門〉ってやつ」

 セツナの脳裏には、巨大な城門が青空から降ってくる光景が浮かんだ。金剛石ダイヤモンドで作られたような絢爛豪華けんらんごうかな門は、セツナの興味をそそるのに十分過ぎた。それと同時に、現実ではありえないものだと思い知らせていた。

 だから、注意も払わなかったのではないか。

「存在そのものが警告だろう。それに、突然現れた〈門〉をすかさず開くようなものに、どのような警告ができるというのだ?」

「それは……」

 アズマリアの反論には、ぐうの音も出なかった。

 もし、あの城門がなんらかの警告を発していたとしても、セツナは躊躇ちゅうちょすらせずに扉を開いたかもしれない。少なくとも、警告に従ったり、様子を見るということすらしなかったのは間違いない。

 退屈極まりない日常に訪れた異変なのだ。注目せずにはいられなかった。

 そして、夢の世界の扉は開かれた。

 わけもわからぬ森の中に放り出され、絶世の美女と対面している。夢の中なのに女には名前があり、ここがイルス・ヴァレという世界だなどとのたまっている。

 夢にしたってぶっ飛びすぎではないのか、とは思うのだが。

「どうやらきみはまだ、ここが夢だと認識しているようだな」

「ん……だってここが現実だと証明するものがなにもないし」

「それもそうか」

 女は、セツナの言葉をあっさりと受け入れたようだ。周囲を一瞥いちべつして、肩をすくめる。

「もう少し異世界らしい場所で召喚するべきだったな」

「そういう問題なのか?」

「おそらくな」

 確かに、彼女の言う通りなのかもしれない。ここがもっとわかりやすい異世界ならば、素直に受け入れられたのだろう。いや、どんな光景であれ、夢は夢だと切り捨てたかもしれない。アズマリアと普通に言葉を交わす一方で、彼女を夢の産物だと疑っていなかった。さっき名前を告げたのは、彼女の迫力に気圧けおされただけだ。

 夢とはいえ、ゲームのしすぎ、ということでもあるまい。

 最近はあまりゲームに熱中した記憶が無い。アニメや漫画も惰性で読んでいるものが多い。空想癖があるわけでもない。想像の世界に逃げていたのは昔のことだ。

 いまは違う。

 そんなことを考えていると、アズマリアは心底困ったような顔をしていた。

「きみみたいなのは初めてだな」

「なにが」

「大抵はすぐ受け入れるものだ。この状況を見て、現実だと認識するものだ。ここが自分の世界ではないと。自分は召喚されたのだと、理解するものなのだが」

「夢に説教されてもな」

 セツナは、美女の途方に暮れた顔に親近感を抱いた。だからだろう。聞きたくなった。

「そもそも、あんたはなんでおれを召喚する必要があるんだ? 夢でもさ、もっともらしい理由の一つや二つはあるんじゃないのか」

 セツナは、ある種の期待とともに、アズマリアの返答を待った。他人への期待はいつだって裏切られるもの――それは彼の人生哲学のようなものに違いなかったが、しかし、この場合は期待を抱かずにはいられなかった。

 夢が、どんな回答を用意しているのか、そこが気になったのだ。

「理由……か。考えてもみなかったな。召喚するのに理由なんているものなのか?」

 アズマリアが問い返してきて、セツナはその場でこけかけた。期待外れにしてもほどがあった。もう少し、ファンタジックな理由が欲しかった。魔王を倒すためだとか、勇者が必要だったとか、なんでもいいのだ。

 どうせ自分の見ている夢ならば、もう少し楽しませて欲しいと思うのは勝手だろうか。

「いや、いるだろ」

「ふむ……話相手がほしかったから、では駄目か?」

 アズマリアが、小首を傾げた。その仕草や表情は、なんとも言えない愛らしさに満ちており、その瞬間は美女というよりも美少女といったほうが正しいように思えた。可憐な美少女を幻視げんしする。そのまま上目遣うわめづかいで見つめられれば、だれだって胸の高鳴りを覚えるかもしれない。

 彼女はなんと魅力に満ちた女性なのだろう。

 などと、冷静に分析するセツナには、その仕草は通用しなかったが。

「絶対違うし」

「冗談はともかく」

 アズマリアは、冷ややかな表情を浮かべていた。さっきの顔が幻だったかのように、別物になっている。目は鈍く輝き、刺すように見つめてきている。セツナは、背筋が凍るような感覚に襲われた。嫌な汗が流れる。

「きみを召喚した理由など、いまはどうでもいいことだ。話しているひまはない」

「なんだ?」

 セツナは、悪寒おかんを覚えて視線を巡らせた。ざわめきを感じる。森全体がうめいているような、そんな音が聞こえる。全身が粟立あわだつ。嫌な感覚だった。殺気というものなのか、とてつもなく鋭利な悪意が周囲に渦巻いている。

 それは錯覚だ。

 夢だからこそ感じる、ありもしない感覚。

 そして夢が、悪夢に変わろうとしているのが、なんとはなしにわかるのだ。

「気づかれたらしい」

 アズマリアが告げるが早いか、異形いぎょうの化け物がセツナたちを取り囲んだ。

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