第62話 そちらにいらっしゃる方は、カイさまではございません

 ここまでは狙いどおり。追い詰められた男は屈辱を忘れ、失いかけた誇りを取り戻そうとしていた。


 アレクと崖っぷち亭の冒険者数名が抜けたビーチでは、ステージの上で子供達の合唱が行われている。


 フィルドガルドの少年少女が楽しげに歌う姿は微笑ましいものだった。集まった人々はそれぞれが陽気に踊り出している。


 ルイーズとスカーレットはあまり踊りたい気分になれず、ただじっと様子を見ていた。ちなみに受付嬢も少し後ろからステージを眺めている。


 ギレン伯爵はこの催しに感動しており、今度娘をエルドラシアの合唱団に入れようか本気で考えていた。


 それぞれが別々のことを思いつつも、少しの間は穏やかな時間が流れていた。ただ主催者は、心温まるひとときを求めるような男ではない。


 そして数分後、とうとうその時は来た。合唱が終了した後、暑い浜辺にジャケットを着た男が現れた。


 隣には彼を支援しているフィルドガルドの貴族がおり、禿げ上がった頭と大きな腹を揺らしながら、最高の瞬間を待ち侘びていた。


 さらにその隣にはローブの少女がいる。城に赴いた時とは異なるごく薄い生地を身に纏っている。


 司会の若い男が、大きく手を挙げて注目を集める。


「皆さん、大変長らくお待たせいたしました。今回の催しを企画していただいた大貴族様より、今からご挨拶があります。さあご紹介しましょう。カイ・フォン・アルストロメリア様です!」


 カイを装う魔族ピエールは、堂々とした足取りでステージへと上がっていく。


 この時、ルイーズ、シェイド、スカーレットの三人は我が目を疑った。そのすぐ後ろにいた受付嬢も、まさかの姿に驚きを隠せない。


「いやはや、なんともご立派なお姿で。まずはご挨拶をお願いできますか」


「はい。王都グランエスクードから参りました。カイ・フォン・アルストロメリアです。この度は国王をはじめ、こちらにいらっしゃる貴族の方からご支援を賜り、フィルドガルドでも多くの慈善活動を行なっていきたい、そう思いまずはご挨拶として、この度の催しを企画させていただきました」


 よく通る声が砂浜に響き、集まった人々は盛大な拍手を送り続けた。司会も彼を支援する貴族の男も、満足げに笑っている。


 盛り上がり続ける会場内で、ただ黙っていた聖女が、静かに囁いた。


「シェイド。参りましょう」

「……! ルイーズ様、まさか」

「ええ。決まっておりますわ」


 護衛を務めるドワーフは、背筋がわずかに震えた。何かを決意したようなルイーズが、人だかりをするりと抜けながらステージへと近づいていく。


「……ギレン殿、少しお付き合い願いたいが、良いか」

「はい? ええ、構いませんが」


 スカーレットが動いたのは、聖女のすぐ後だった。ギレンを連れてステージの左側へと、堂々と進む。


 ルイーズは右側から回るように近づいており、まるで挟み撃ちでも仕掛けるような状況になりつつある。


 この様子に気づいていない司会とピエールのやり取りは続き、会場はまさに新たな貴族の来訪に大盛り上がりとなっている。支援をしている中年貴族は、この光景に満足しきりだ。


 予想以上の好感触に、偽の貴族は興奮しすらすらと演説を続ける。ステージ脇に立っていたマガローナは呆れていた。


(いつまでペラペラ喋ってんのよ。あーあ、だる! ってかカイの評判全然落としてないじゃん。使えない奴だわホント!)


「あら? マガローナちゃん」

(……へ!?)


 名前を呼ばれ跳ね上がりそうになりつつも、彼女は声の主へと振り向いた。そこには以前、アルストロメリア家で何度も会った聖女がいた。


(え! 聖女ルイーズ!?)

「妙だわ。なぜあなたがここにいるのかしら? もしや、あそこにいる方とご関係が?」


 ルイーズは歩み寄り、フードで顔を隠す少女をじっと見つめた。その瞳に気押され、マガローナは顔を俯かせてしまう。


「さあ、誰のことでしょう。あたしマガローナじゃないっす」


 なんとか普段の自分とは違う声色を出して惚けようとするが、前に立っている聖女に全てを見透かされている気がして、その場から逃げ出したくて堪らなくなった。


「あら? 人違いかしら。……突然すみませんね。ですがわたくし、あなたにとても興味がありますの。よろしければ、後でゆっくりお話しさせてくださいませ」

(ぜ、絶対ヤダ!)


 声を聞く限り、微笑を浮かべているのだろう。ルイーズは少女の前を横切り、そのままステージへと歩み続ける。後ろにはドワーフが続いていた。


(え? ちょっと待って、舞台に上がるつもり?)


 まさかという展開。ようやく顔をあげてみると、聖女の美しい背中が遠ざかっていた。いつだって綺麗だと思っていた後ろ姿が、今日はなんとも恐ろしい。


 そして、反対側のステージからも近づいている見知った顔を発見し、またしても震えた。


(ちょ、ちょちょちょ! スカーレットまで来てんじゃん!)


 スカーレットもまたアルストロメリア家によく来訪しており、元々カイの部下だったマガローナとも面識がある。


 ふと、魔王娘の紅い瞳がこちらを見つけた気がした。慌てて顔を逸らし、彼女はもじもじと震える。


「なんでこのビーチに二人が……や、やばい……やばい」


 早くカイのペンダントを返してもらい、この国を出よう。でも、この後に一体何が起こってしまうのか。


 マガローナは焦燥感に駆られつつ、ステージを見つめていた。


 しかし、そんなことは知らない貴族もどきは、意気揚々と演説を続けながらも、渾身の演出を待ち侘びていた。


(ククク! もうすぐだ。この後オーク兄弟や俺の部隊が押し寄せ、ソフィアビーチは地獄と化す。だが後々になって暗黒竜の血を得た俺がオーク兄弟を殺し、大英雄となるのだ。最高のシナリオだぜ。予定の時刻まで後少し。あと——)


「皆様、お楽しみのところ失礼いたします」


 背後から凛とした声が響き、彼は振り返って少女を目にした。自分が決めた段取りにはないことだった。


 聖女ルイーズは見るも神々しく、水着姿もステージ映えしていた。チラチラと彼女を羨望の眼差しで見つめていた老若男女が、この登場に色めき立つ。


「わたくしは勇者さまと共に活動をさせていただいております、ルイーズと申します。突然この場をお借りする無礼をお許しください。しかしながら、どうしても性急に正さなくてはいけない事情があり、僅かではございますが、わたくしにお時間をいただければ幸いです」


 聖女ルイーズの名乗りを聞いた民衆は、あまりのことに一度は大騒ぎするものの、すぐに静まりかえった。彼女が何を伝えるのか、固唾を飲んで見守っている。


(お、おいおいおい。ちょっと待てよおい。なんで、なんで聖女がこのビーチなんかに来てんだよ!?)


 完全に想定外のことであり、ピエールの余裕の笑顔は完全に消え去っていた。


「わたくしが申し上げたいことは、そちらにいる男性が、カイ・フォン・アルストロメリアを名乗っていることについてです。神竜ギガンティアさまに誓って申し上げます。そちらにいらっしゃる方は、カイさまではございません。どうしてこの場で偽りの名で活動をしていらっしゃるのかは分かりませんが、ご本人でないことは事実です」


 聖女の発言に、集まっていた民衆はざわつかずにはいられない。貴族を偽る男はステージの中心で、しばらくの間何も言えずに黙っていた。


 しかし、何度もギリギリの窮地を逆切れと裏切りで乗り越えてきた魔族は、すぐに観念するようなことはなかった。


「ハハハハ! いやー、これは面白い。どうやら脚本にない演出があったようです。聖女殿、あなたの演技は上手過ぎます。少々脅かし過ぎていますよ」

「演技ではありませんわ。あなたはどうして、カイさまの名を騙っているのですか」


 ここで背後に控えていたシェイドが、聖女に加勢する。


「ワシも同じくして勇者パーティに参加させていただいています。カイ様とはよくお会いさせてもらいましたが、明らかにそこにいる男は別人! 偽者に違いありません」

「だ、黙れ! くだらんドワーフ如きが!」


 いよいよまずい。このままでは英雄になるはずが罪人として公開処刑もありえる。ピエールはもはや必死だ。


「貴様ら、この大貴族様が下手に出ていればつけ上がりやがって。証拠はあるのか!? 大体、もう何年も会ってなかっただろうが! 証拠を見せてみろ、証拠を! この舞台を台無しにした落とし前をつけてもらうぞ!」

「証拠を見せなくてはならぬのは、貴様のほうだ」


 厳格な女の声がした。魔族の中でも特に有名なこの声を、ピエールは知らないはずがなかった。


(スカーレット!? なななんで!? なんでここに)


 偽貴族は文字どおり震え上がった。ここに来て自分が最も嫌うライバルが、最も窮地に陥っているタイミングで現れてしまった。


「我はこちらにいる貴族の仲間でな。ちなみに、カイともよく知っている仲だ。貴様のその姿はあの男に似ても似つかない。どう見ても偽者としか思えぬ。もし貴様が本物であるならば、貴族としての身分証を見せるがいい」


 スカーレットはギレン伯爵を後ろに控えさせている。今本当の身分をここで明かすことはできないが、貴族を側に置くことで説得力を増すことに成功していた。


(く、くそ。調子に乗りやがってクソケモ耳女め! へ、へへへ! 舐めんなよ)


 偽貴族は両手を広げ、余裕たっぷりの笑みを浮かべながら、くるりと民衆へと振り返った。

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