第63話 ファイアーーーーーーー!

「皆さん、ご安心ください。この私が偽者であるなどということは、決してありえないことです。ではよろしいでしょう。ここに私が私である、たしかな証拠をお見せいたします」


 丁寧な口調で告げた後、彼は懐からペンダントを取り出し、天に掲げた。


「このペンダントこそが、アルストロメリア家である何よりの証明なのです! さあお三方、この紋章を目にしても、まだ私が偽者だなどという、たわけた妄想を語られるおつもりか!」


 勝ち誇った顔となった魔族を遠目に眺めつつ、マガローナは頭を抱えた。


(まずい。ここで終わってよ。本当にここで終わらないとまずいんだから)


 しかし、スカーレットは一連の芝居じみた仕草を鼻で笑う。


「それを証拠とするのだな? 良いだろう。では、ペンダントの中身も見せよ」

「……は?」

「ペンダントの中身だ。アルストロメリア家は必ず、ペンダントの中に肖像画を入れている。それを見せてみろ」


 ここでピエールは固まってしまう。確かにペンダントを開ければ肖像画がある。しかし、描かれているのは自分とは似ても似つかない。


 ここでルイーズが前に出た。


「もうお認めになったほうがよろしいかと。あなたの行為は、かの大貴族さまにとって許し難い所業なのです。ご本人の目に届く前に、わたくしが然るべき裁判所にお連れいたしますわ」

(ルイーズ様……認めてもお許しになるわけではないのか。これは恐ろしい)


 いつもとは異なる聖女の言動に、シェイドは内心震え上がった。


「どうなのだ? 貴様、我々が嘘をついていると申していたな。さあ、ペンダントの中を見せるのか? それとも見せられないのか」

「ぐ、ぐぐぐ……この、この」


 ステージの中心に立つ男は、とうとう追い詰められてしまう。体をくの字に曲げて、恐怖と怒りで身が焼かれんばかりだ。


(お、おいおい! いつになったら部下どもは来るんだよ。地獄のオークども、もうとっくに約束の時間は過ぎてるのに、どうして来ない? ちくしょう、ちくしょうちくしょう!)


 この緊急事態に、いても立ってもいられなくなったのは、彼を支援していた中年族だ。太った体をどうにか揺すりながらステージに上がると、


「これはどういうことかね!? 説明してくれ。君にいくら投資したと思ってるんだ!」


 と、最後のダメ押しをしてしまう。


 焦り、恐怖、後悔、憤怒。ありあらゆる負の心がをぐちゃぐちゃに掻き回し、ついに理性のダムは決壊した。


「ち、ちくしょうガーーーーーー! そうだよ馬鹿野郎! 俺はカイなんて貴族じゃねえし、もっと言えば人間でもねえよ! てめえらアホどもを利用してこれから成り上がる、大魔族様だ!」


 魔族という言葉が飛び出し、ある者は怒りに震え、ある者は恐怖し、会場は割れんばかりの大騒ぎになる。


「け! てめえを人質にしてやる!」

「きゃあ!?」


 この状況でピエールは、最も近くにいたルイーズへと掴み掛かろうとした。しかしシェイドが前に出て払いのけ、魔族は体勢を崩して後ずさる。


 そして静かに急接近したスカーレットが、左手で魔族の胸ぐらを掴みながら、右手を握り締めて振りかぶった。


「この下郎が!」

「ぶぎゅあ!?」


 思いきり顔面を殴りつけられ、彼はステージ上で転倒した。その際、頭につけていたカツラが宙を舞い、顔面を覆っていた偽の皮膚が破れてしまう。


 立ち上がった時、周囲から悲鳴が上がった。紫色の鱗だらけの顔と、裂けた口が顕になったからである。


「貴様……ピエールか」


 スカーレットは正体を知り、いっそう険しい顔になる。魔王の後継者候補として、最も小者で卑劣な男。そういった印象を彼女はこの男に持っていた。


「信じられませんわ。この方、絶対に許されない悪魔です」


 ルイーズは驚きながらも、強く非難の言葉を浴びせた。


「カイさまは今も正しいことに向かって、その身を犠牲にしても生きているのです。それを偽るなどと!」

「そうだ。聖女の言うとおりだ!」


 スカーレットは珍しく賛同した。


「恥を知りなさい! そして罪を償うのです」

「そうだぞ。貴様は恥晒しにも程がある!」


 まったくそのとおりだと賛同する。


「わたくしの婚約者を愚弄するのはやめてください!」

「違う! さて、下郎を捕まえるとするか……ただでは済まさん」


 婚約者のくだりは強く否定しつつ、スカーレットはなおもピエールに迫ろうとする。しかしこの時、民衆は怒りのあまり想定外の行動に出た。


「嘘つき野郎!」

「一体フィルドガルドに何をしにきた!?」

「最近の行方不明事件はお前の仕業か!」

「国王様に不敬を働いたそうだな」

「裁判なんて関係ない!」

「焼け! 焼けー!」

「うおおー!」

「最低!」

「このクズ!」

「ファイアー!」

「ファイアーーーー!」

「「「ファイアーーーーーーー!」」」


 フィルドガルドは代々優秀な賢者を生み育てた、魔法にとても明るい国であった。戦いに参加したことがない民衆でさえ、普通に魔法を使用することができる。


 怒りのあまり火球がステージに放り込まれ、まさに炎上していく。


「ギョギョーーー!? 熱い熱い熱い熱いぃいいいい!」


 ピエールは見事に火球の集中砲火を浴びることとなり、のたうち回って逃げ出した。シェイドはルイーズを守りつつステージから避難し、スカーレットも離れたが、すぐに魔族を追う。


「ごあああああ! うげええええ! なんてこったあああ! ハッ!? じ、地獄! 地獄のオーク三兄弟だぁ!」


 ピエールにしてみれば、遅すぎる到着だった。海の向こう、微かに映る飛竜の姿。そして竜の背には、三匹の猛者がいる。


 さらには海辺から、予定よりもかなり遅れて魔物の大群が押し寄せてくるのだった。


「ああああ! なんで、なんで俺がこんな目にぃいい! クソが! 覚えてろよーーーー!」


 しかし魔族は更なるミスを犯した。自分の部隊がやってきていることに気づかず、フィルドガルド城方面へと逃げてしまったのだ。


 ◇


「やっば! 兄者、こりゃ大変なことになってるぞ」

「……」

「兄者、もうフィルドガルドだぞ!」

「……分かっている。そう急くな」


 氷の飛竜にまたがった三匹のオーク。その中心に座る男は、一冊の小説を読み耽っていた。


 オークといえば髪がない者がほとんどだが、その男は長い黒髪を風に靡かせていた。筋骨隆々としており、一般的なオークよりも長身であった。どことなく貴族のような上品さがある。


「ふむ。カタリナ嬢は、婚約を放棄して、かの騎士を愛さんとするか……」

「兄者……。この忙しい頃合いに、まだそんなもん読んでんのか」

「口を慎め。この素晴らしき伝記を冒涜する気か」

「いや、何度も言ってるけど、伝記じゃなくて小説だって」


 はあ、とため息を漏らしつつ、長兄は首を横に振った。


「何を愚かなことを。これが伝記でないとするならば、一体なんだと言うのだ。お前は食って寝て、戦ってばかりで、まったく学ばんな」

「読書は今度するって! それより、もうフィルドガルドだ。あいつら戦争おっ始めてるぞ!」


 次男であるオークは、兄とほぼ同じ体格ではあったが、こちらは汗臭い戦士そのものといった雰囲気であった。そして最も好戦的であるが、いつも兄に振り回されているのも彼である。


「ふん……あのようなものは戦争とは呼ばぬ。ただの小競り合いよ」

「どっちでもいいけどさ。もうそろそろ降りようぜ。俺たちの手柄が無くなっちまう」

「まだ良い。もう少しカタリナ嬢の動向を辿るとしよう。これは世界に伝わるべき、愛の真実だ」

「お、おいおい。兄者ぁ、それは人間が作った架空の物語なんだぞ。いい加減現実と創造の区別をつけてくれよ。ウルド、なんとか言ってやれよ」


 ウルドと呼ばれた末弟は、長身ではあるが一般的なオークよりは細身だった。杖を手にして祈りを捧げつつ、下の状況を観察している。


「僕らには、アルフレッド兄さんは止められないよ。それにしてもここは物騒だね。一般人と思われる人達が魔法を使って戦ってる」

「ああ、やばそうな連中だ。だが俺たちが狙うのは一つ、暴君とやらをぶっ倒せば済む話だしな。なあ兄者、どっかで降りようぜ」


 長男は次男の呼びかけにも、ほとんど応じる素振りがない。


「なぜ降りるのだ? 城まで向かえば良かろう」

「いやいや、そりゃ無謀すぎるぜ。何があるか分からねえんだぞ」

「……少し待て。カタリナ嬢が、いよいよ婚約破棄を宣言している」


 ピラり、と紙をめくり読書を続ける兄に、弟は頭を抱えた。


「あーもう! 分かった分かった! このまま突っ込むならそうしようぜ」

「兄さん、ここには何かいるよ。恐ろしく魔力の高い反応が、いくつかある」

「ハッ! 今までもよくあっただろ。むしろ、そうこなくちゃ面白くねえ」


 オーク達を乗せた飛竜は、堂々と真っ直ぐに、フィルドガルド城へと向かう。島国はかつてない混乱の中にいた。

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