第58話 俺ちゃんにはまだ、奥の手が残ってんだ

 グランエスクードの英雄カイを装う男は、自らの失言にようやく気づいた。


 これはまずい。フィルドガルドにおいて、国王を怒らせることがどれほど危険なことか、ピエールは多くの貴族連中から聞かされていたのだ。


「カイよ、一体どういうことじゃ。以前と申すことが真逆ではないか」


 ざわついた騎士達が、少しずつ前に出ようとしていた。まさかとは思うが、王はこの貴族を自ら成敗するかもしれない。大臣もこの時ばかりは止めることはできない気がした。


(国際問題になるかもしれぬ)


 焦る周囲と同じように、ピエール本人も焦っている。だが黙っていても状況は悪化する一方であることも、また事実だ。


「そう思っていた時期が、私にもありました。……しかし、実際にエチカ王女と出会ってからと言うもの、考えが変わったのです。いやはや、王女との出会いは私の全てを変えてしまいかねないほどに、劇的かつ素晴らしいものだったのです」

「エチカの何がそこまでお主を変えたのか、聞かせてくれ」


 この口調にはまだ譲歩の響きがあり、王は幾分冷静さを取り戻したように思えた。ホッとする大臣であったが、次の発言に耳を疑う。


「彼女の全てが私を変えたのです。あの煌めく太陽のように輝く髪、青空を思わせる青く深い瞳、細身ながらもふっくらとした胸、長く美しい脚……全てが私の心を根底から破壊し、新たな価値観を生み出したのです」

「……外見のことしか言わぬのだな」

(あ、あれ? なんかマズった?)


 一度はおさまりかけた怒気が、先ほどにも増して膨れ上がり、ガレスは自らが持つ強烈な魔力を解放し始めていた。


「皆の者、王を止まるのだ! なりませぬガレス様! このままでは国際問題に——」

「黙れ! ……カイよ。貴様は先ほどから、エチカの父であるワシを前に、よくもそのような卑猥なことを堂々と言ってのけたな!」

「あ、あわわわ!?」


 情けない声を漏らしつつ、後ずさる貴族を目にして、ガレスは新たな衝撃に身を震わせた。


「貴様……恐れをなしたのか? あの英雄ともあろう男が」


 怒れる王は魔力を解放しつつ、アイテムボックスを召喚した。そして中から巨大な大剣が顔をのぞかせ、騎士達もまた止めるべく強烈なオーラを四方から発していく。


(こ、こいつらマジやべえ! 死ぬ、死んじまうー!?)


 緊張と恐怖が膨らむ中、ピエールはとうとう動揺を隠せなくなり、震え始めたその時だった。


「急報ー! 急報ー! ラジェンドラ遺跡にて、かの遺物が強奪されかけました!」


 まさに危機一髪であった。憤怒が爆発しかけていたガレスや、大臣にその他の騎士達が目の色を変える。


 急いで事件を告げにきたのは、アレクと一緒に行動を共にした騎士だった。大臣はすぐに彼に駆け寄った。


「どういうことだ!? まず速やかに二つ答えよ。アレは無事か? 防衛は継続できておるのか?」

「は! 遺物の強奪は阻止しており、現在最寄りの駐在所より兵士を派遣済みです」


 このやり取りの中、ガレスは額に汗を浮かべつつ玉座に戻ると、


「カイよ、席を外せ。この話は聞かせるわけにはいかん」


 と偽の貴族に退出をうながした。


「はい。し、しし失礼します」


 腰が引け、情けない姿で出ていく娘の婚約者を眺めながら、王はため息を漏らした。


(あれほどの逸話を持つ男ですら、この程度だというのか。どうすればいいのだ。娘の婚約者として、相応しいとは思えぬ。カイ・フォン・アルストロメリアよ、お前もその程度なのか)


 いつの間にか怒りが落ち込みへと変わっていた。しかし、今は考えている暇はない。国を揺るがしかねない事件が発生したのだから。


 ◇


 城中が大騒ぎとなる中、ピエールは死に物狂いで隠れ家へと戻った。


 そこで待っていたのは、黒いローブに身を包んだマガローナである。なんと魔法によって、腰掛けているソファごとふわふわと浮かんでいる。


 今の状況を報告しなくてはならないのだが、ピエールは少々渋った。しかし、結局のところ全てを語る他なかった。


「はああ!? ほんっとーにバカねアンタ! 普通に打首になっても文句言えないのよそれ」

「しょうがねーだろ。俺は元々闇の世界で生きる身だからよ! 知らねえんだよああいう偉ぶった連中のやり取りなんて」


 半ば開き直った元魔王軍幹部は、棚に閉まっていた酒を取り出してがぶ飲みしている。


「ふふっ。まあいーわ! あの貴族の評判を散々に落としたわけよね。そろそろ頃合いってところかなぁ。ねえ、アレ返してよ」

「ペンダントのことか? 待ってくれよ、まだ終わってねえ。だってよぉ、俺ちゃんにはまだ、奥の手が残ってんだ」

「奥の手って何?」

「甘いなお嬢ちゃん。奥の手っていうのは、ホイホイ教えるもんじゃねえんだよ」


 先ほどは危なかった。もしガレスが殺しにかかってきたら、自分でもひとたまりもなかったかもしれない。


「ええー? そんなこと言ってえ。本当はもう負け確なんじゃないの? クスクス」

「ああ? この俺ちゃんが負けるだって? そんなわけあるかっての」

「嘘。もうなーんにも出来ないのを隠してるんでしょ。変な嘘でも聞いてあげるのに」


 一気に顔が赤くなり、魔族はカツラと顔がズレはじめた。


「あーまたズレてる! はいはいー。嘘はもうけっこう。そろそろペンダント返しなさいよ」

「だから手はあるんだって。しょうがねえな。教えてやるよだったら! 俺はなあ、ここに来る前に、名のある傭兵をここに来るように仕向けてあるのさ」

「誰よ、名のある傭兵って」

「地獄のオーク三兄弟だ」

「じご…………嘘!?」

「マジだ。切り札だって言ったろ。あいつらにはこの国を襲撃してもらう。その土壇場に合わせて、俺の部下達もまたフィルドガルドを襲う。そして暗黒竜の血を手にした俺がオーク達をぶちのめし、国自体手に入れてハッピーエンド! どうだ、この完璧な作戦はぁ!」


 マガローナは目前にいる男を嘲笑するはずが、凍りついてしばらく動けなくなった。


「それ冗談じゃなくて?」

「冗談なわけないだろ。この華麗な作戦が」

「本気で言ってる?」

「だから本気だって。この目を見てみろよ」

「………………」


 数秒後、ようやく金縛りが解けたように体をモゾつかせると、今までにない吊り目でピエールを睨みつける。


「バッカじゃないの!? ねえ本当にバカなの!? アンタが呼んだ三匹がどれほど恐ろしい連中か、知らないわけじゃないでしょ」

「どうってことないさ。俺は雇い主だぞ」

「素直にいうこと聞くわけないじゃん! 人間も魔族も、あいつらは見境なしに殺すのよ」


 地獄のオーク三兄弟。それはたった一匹が一万の兵に匹敵すると言われるほどの猛者であり、あらゆる修羅場を潜った怪物と呼ばれる。


 多くの戦にその姿を現し、最前線で戦い続けることも珍しくない。


 今は傭兵をしているが、雇い主が気に食わなければすぐに裏切る。人間からも魔族からも、危険極まりない存在だと認知され恐れられていた。


「け! 奴らは俺を裏切らないさ。俺は裏切るけどな。楽しみにしておけよマガローナちゃん」

「ちょ、ちょっと!」


 あっという間にピエールは外へと消えていった。まだ終わったわけではない。自分にそう言い聞かせながら、更なる破滅への道を進んでいる。


 ◇


「あ、お疲れ様です」

「お疲れ様です」


 フィルドガルドの塔は静かであった。エチカの部屋がある一つ下の階で、フィリスは一人のメイドと挨拶をかわす。


 俯き加減なそのメイドとすれ違う瞬間、彼女は足を止めた。


「エチカ様」

「……!」


 うわ、と声を出しそうになるのを抑えつつ、メイド姿の少女は「へ?」という顔で惚けて見せる。


「その服とカツラは、どこで手に入れたのですか」

「あはは。バレちゃった」


 この手もダメか。エチカは観念するように自作のカツラを外し、苦笑いで誤魔化した。


「本当にすぐ気づいちゃうのね。ビックリだわ」

「エチカ様は、何処にいても、どのようなお姿でも目立ちますので」

「ふーん、そ」


 残念そうに拗ねた顔になりつつ、姫は壁の一つを指で押した。


「あ」と珍しく虚を突かれてしまったフィリスは、そのまま現れた隠し扉の向こうを覗くエチカが、まさか奥へと入ろうとは予想もしていなかった。


「ね! ここが新しいフィリスの部屋なんでしょ? 見せてよ」

「見ても面白いものはありません」

「えー、そんなことないわ。見たい! 見せて!」

「エ、エチカ様」


 フィリスの慌てた顔を見るのは何年振りだろうか。小さい頃は自分より彼女のほうが泣き虫だったのだが、いつしか無表情でいることが多くなった。


 アサシン部隊に入ってからというもの、フィリスの家は定まっていない。突き当たりにある小さな部屋は、ベッドと机と最小限の生活用品が置いてあるだけのようだった。


「すごーい。収納の達人ね」

「いえ、そのようなことは」

「あ! ぬいぐるみ、持っててくれたんだっ」

「………」


 小さな机の真ん中に、大事に置かれたウサギのぬいぐるみ。それは幼少の頃エチカが、フィリスの誕生日にプレゼントしたものだ。


「可愛い! しかも綺麗なままね。こんなに大事にしてくれてるんだ。嬉しい!」

「……頂いたものです、から。それより、もう脱走はやめてください」


 あまりの気恥ずかしさに、フィリスは強引に話題を変えようとする。それを聞いて、お転婆な姫は楽しそうに笑う。


「分かったわ。普通に外に出ることにしましょ。カイ様と一緒に」

「その件ですが……どうやらなくなったようです」

「え?」

「実は」


 すでにアサシン部隊には、王と貴族のやり取りは伝わっている。フィリスは淡々と事実を述べていった。


「え、えええー!?」


 一部始終を聞かされたエチカは、あまりの急展開に叫び声を上げた。

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