第51話 おっと子猫ちゃん、ロマンチックが抑えられないのかい
フィルドガルドに帰ってから数日。エチカの脱走欲は以前にも増して強まっていた。
時折庭を歩く程度しか許されず、ほとんどの時間は部屋で過ごさなくてはならなかったからだ。
しかも今回は、彼女のためと国王が提案して作った、城内で最も高い塔……その最上階に住んでいる。
部屋はエルドラシアでギレンより借りた別荘よりも広い。呼べばすぐにメイドや護衛のフィリスがやってくる。何不自由ないはずの暮らしは、彼女にとっては不自由そのものだった。
父はどうしてもいつも自分を閉じ込めようとするのだろう。エチカにはそれがよく分からない。人生のほとんどを部屋の中で過ごすことが、それほど素晴らしいことなのだろうか。
彼女の疑問に、国王は納得のゆく返答をするはずがない。それは何度も衝突したことで学習済みだ。だからこそ嫌になってしまう。
(あーあ、またエルドラシアに行きたいなぁ。それに、あの人と結婚するのは気が進まない……ん?)
そう思いつつベッドに寝転んていた彼女は、開けっぱなしになっていた窓の陽光に影が映ったことに気づいて起き上がった。
そして窓に近づき、最近よくこの辺りを飛んでくる鳥に挨拶をするのだ。
「おはよー! 今日も来てくれたのね」
エチカはすぐにメイドから貰っていた餌をあげ、一羽の鳥に食べさせてあげる。
「私もあなたみたいに翼がほしいわ」
そう言いつつ微笑を浮かべていると、ふと街の様子が普段とは違うことに気づいた。
なにかざわついているというか、いつもより賑わっているような。
「気のせいかしら……え? あ、あの姿は!」
かなり遠巻きにだが、見覚えのある背中を見つけた。
一人で歩いているその小男は、長髪と太っちょな体が印象的であり、そうそう似た人物と出会うことはない。
「アレク! アレクーーーー!!」
彼女は腹の底から大声で、最も会いたかった男の名前を叫んだ。
しかし、フィルドガルド城には特殊な魔結界が貼られており、声や魔力が外には感知しづらくなっている。
しかしエチカは構わず叫んだ。もう窓から飛び降りてしまおうかと咄嗟に考えたほどだ。
少しして、フィリスと驚いたメイド達が部屋に押し寄せ、彼女はまた大人しくする他なかった。
窓から離されていくエチカは、驚きとともに、脱走計画への決意を新たにした。
そういう姫の心理を見抜いている護衛役は、すぐに首を左右に振って、
「姫さま。また逃げようとお考えでしょうけれど、私からは逃げられませんよ」
と釘を刺してしまう。
「う! わ、分かっちゃった。あはは! ね、ねえフィリス。ボードゲームでもしてみない? エルドラシアで面白いのを習ったの」
「ゲームの前に、一つご用事があります」
「え」
「カイ様が庭でお待ちです」
「げ!?」
思わず嫌な声を出してしまった。どうやらあの貴族がやって来たらしい。イヤイヤながらも、彼女は会いに行かねばならない。
偽りの大貴族は、すでに城内の中央庭園で婚約者を待ち侘びているのだった。
◇
(さて、まずは俺の魅力で姫をメロメロにしてやるとしよう)
カイに成りすましていた魔族、ピエールは自信たっぷりに城の中庭でエチカを待っていた。
今日は護衛役として数人の男を連れているが、実際のところ彼らもまた人間ではない。しかし、外目からはただの従者としか映らないことだろう。
(ふふふ……しかも、俺はもうすでに暗黒竜の血にまつわる有益な情報を得ている。部下が宝を手に持ってくるのも、時間の問題さ)
怖いくらい物事が順調に運んでいる気がした。
中庭に置かれている椅子で足を組みながら、一人ほくそ笑んでいると、遠くから姫の一行がやってくる足音がした。
エチカの側には、フィリスをはじめとした数人の護衛とメイドがいる。辿り着くなり、彼女は形式通りにドレスの裾をあげて挨拶をした。
「カイ様、再会できて嬉しいですわ」
「私もですよ。貴方という女性は、今日も変わらず麗しい。この陽光にも決して劣らない輝きを、全身から放っておられるようだ。まるでお体全てが松明のようです」
(え……松明? それって褒めてるの?)
エチカは笑顔が引き攣ってしまったが、どうにか堪えると、二人だけで庭を散歩でもしませんかと誘いを受けた。
これに応じると、初めて二人だけで会話する時間が生まれた。
広々としたどこまでも続くような庭を歩きながら、ピエールは次のデートに漕ぎ着けるための会話を必死で考えている。
エチカはといえば、いくつか雑談を振ってはみたが、やはり奇妙な何かを感じずにはいられなかった。
「カイ様は、グランエスクードではどのような暮らしをされていたのですか」
「私の暮らしは退屈なものですよ。少しばかり悪党を懲らしめ、魔王を討伐した後は、興味のない政治の誘いを受けてばかりでした。どうにも民衆というものは、頼れるリーダーを求めているらしい。私としては迷惑なものでしたね」
「まあ、魔王の討伐ですか。それは凄いですね。実際に魔王を倒した時って、どんな感じだったんです?」
彼女は魔王討伐というワードに思わず食いついた。もしこのカイが本物だとしたら、大変興味のある話題だ。
「まあ、かくいう魔王は、暗黒竜の遺産の最たる物を手にしている怪物ですから、そうそう簡単には行きませんでしたね。魔王城は闇の炎に包まれ、用意していた剣の数々は無惨にも叩き折られ、万策尽きた私は死を覚悟したほどです」
「へー」
花壇の前にあるベンチに腰掛けたピエールは、それとなく隣に座るよう促した。エチカは少しだけ距離を置いて座り、話の続きを促した。
(ここだ……ここでイカしたトークを決めて、一気に距離を詰めてやる)
ピエールは気合を入れた。人間の愛の語らいは知らないが、おおよそはマガローナから教わっている。
「しかし、私は諦めませんでした。人々の希望を摘み取る魔王の悪意に、どうして大人しく従うことができましょう。私は仲間達を叱咤激励し、最後まで決して諦めるなと叫びました。そして、屍が重なる地獄のような戦いの場に奇跡が起こったのです。そう、神竜ギガンティアの加護がこの身を覆い、溢れんばかりの巨大な力を手にいれ、私はついに魔王との死力を尽くした一撃の勝負に出たのです!」
「は、はあ……」
エチカは呆気に取られていたが、とりあえず話を聞いていた。
「すれ違いざま、私と魔王の剣が交差したその瞬間、魔王城はまるで太陽のような輝きに飲まれ、私は脇腹に生じた傷で片膝を着きました。魔王はフッと笑いましたが、このとき奴めは気がついていなかったのです。自らが甚大な痛手を負ったことに。彼は悶え苦しみながらその場に倒れ込み、長き戦いは私の手により終わりを告げることに——」
「あの、すみません」
「——ん? 何でしょうか」
(おっと子猫ちゃん、ロマンチックが抑えられないのかい。もはや魔王討伐の件より、俺との関係を進展させたくて堪らないようだ)
そうピエールは勘ぐりつつ、爽やかな笑みを向けた。
「私、魔王の最後の戦いは聞いたことがあるのです。その話によると、決着は魔王城ではなくて、最果ての地と呼ばれるところにある平原だったはずです。それと、集団で戦っていたわけではなくて、最後は一対一で決着をつけたと」
「……え……」
おかしい、とピエールは頭の中が真っ白になった。確かに自分は魔王とカイの最後の戦いは見ていないし、知りたくもないので他の魔王候補者にも聞いたことがなかった。
どうせ姫様なんて、魔王との戦いの詳細なんて知らないだろうとたかを括っていた。それがこうして矛盾していると指摘されるとは。
こうなった時、彼がよくやるのは逆ギレである。
「ちょっと待ってください。それはおかしい。一体誰からそのようなホラ話を?」
「現地で実際に戦いの場にいた二人から、話を聞いてます」
「……な、なんだって。一体誰から。い、いい加減なことは言わないでほしいな! 私がまるで嘘つきみたいじゃないか!」
自分が劣勢になった時、いつだってピエールは激昂して、捲し立てることで状況を打破してきた。自らよりも下の立場にいる者を、彼は強引に説き伏せてきたのである。
「聖女ルイーズと、スカーレットさんです」
「せ、聖女と、す、す、す」
聖女の名前が出てきたことも驚きだったが、何より自分が最も嫉妬していたスカーレットの名前が出てきたことに、彼は驚きを隠せない。
「私、エルドラシアで二人に会っているんです。それで、色々とお話をする機会があって」
怒り顔になったピエールに戸惑いながらも、エチカは二人との出会いから交流についてを説明した。
すると、みるみる男が小刻みに震えていくのがわかった。これには思わずギョッとしてしまう。
「あ、あー! あー、そうでした。そういえばあの平原でした。いや、最近どうも、ちょっと記憶が曖昧になっちゃって。仕事のしすぎかもしれないですね」
「そ、そうなのですね。大変ですね」
あまりに苦しい言い訳に、思わず呆気に取られてしまう。この人は絶対にカイ・フォン・アルストロメリアじゃない。いよいよエチカは確信を持ち始めている。
だが、次に発せられた言葉は、予想していたものとは違い、エチカの興味を強く刺激した。
「貴方のおかげで、私はようやく落ち着いてきたようです。申し訳ございません。ところで、そのお礼と言ってはなんですが……今度城の外でお食事でもいかがでしょう」
「え! 外ですか」
「ええ。私から貴方のお父上にお話をしておきますので」
「はい、ぜひお願いしますっ」
(これは二度目の家出チャンス!?)
危険かもしれないが、上手くいけば……!
そう深窓の姫は心の中で考えを巡らせ、こっそりと作戦を考えるのだった。
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