第44話 婚約者を決めたぞ! 今度は間違いない!

(あーあ。帰ってきちゃった……)


 ドレス姿になった金髪の少女は、島国の港を前にしてため息を漏らした。


 エルドラシアにいれば見つからないと思っていたのが甘かった。乗船して以降ずっと側に控えている少女は、考えていた以上に自分のことを分かっている。


 フィリスというアサシンだけが、自分に辿り着いたのだ。しかしそれはエチカにとって、嫌なことばかりではなかった。


「ねえフィリス。やっぱりお父様、怒ってた?」

「……お怒りより、焦りが見えるご様子でした。現在は分かりかねますが」

「家出大成功! って思ってたんだけど、やっぱりあなたには敵わないわね」

「いいえ、とても苦労しましたよ。エチカ様の思考は、まるで謎だらけの迷宮のようです」

「脱走のおかわりをしたいところだわ」

「それは叶いません」


 いよいよ船は港に到着し、事前に報告を受けていた騎士達が大部隊となって待ち構えていた。姫の姿が見えるなり、剣を地に立てて敬礼をしている。


「フィリスとなら、きっとどこにでも行けそう」

「……私と?」

「そう! ね、逃げるとかじゃなくて、いつか一緒に旅行に行かない?」

「なぜそのような誘いを?」

「旅行っていうのは、友達を誘って行くものでしょ」

「私とエチカ様は、身分が違います」


 その一言に、エチカはゲンナリしてしまう。こういうやり取りを、かつては何度もしたことがある二人だった。


「もう! 何度だって言うけど、身分なんて関係ないわ」

「……そうでしょうか。ではエチカ様、こちらに」


 船上や船室で警備をしていた他のアサシンが上がってきて、会話は打ち切りだ。残念がる姫とは違い、黒髪の少女は幾分ほっとしていた。この手の話題になると、どうしても調子が狂ってしまう。


 二人は同い年であり、幼馴染である。しかし身分の違いから成長するほどに、フィリスは距離を置くようになっていた。


 ◇


 エチカ・フォン・シールズ・フィルドガルドの存在を知る者は少ない。


 なぜなら彼女は、成長するほどに城から出してもらえなくなったからであり、王女といえば姉のアンリのほうが知名度が高い。


 エチカは人一倍お転婆であり、強い好奇心の持ち主でもあった。中でも騎士道物語や冒険譚には興味が溢れ、城を抜け出しては剣士の真似事をしようと企んだものだった。


 そんな子供の頃の彼女を、城内で嫌う人間はいなかった。父もまたしかりであったが、彼の場合は常軌を逸している。


 国王ガレスは幼い娘を溺愛したが、成長してくるにつれ城から出さず、なるべく人目にもつかないようにさせた。


 その理由は、彼がもう会うことができない妻と、成長したエチカの容姿が実に似てきたからだと言われる。事実そのとおりであり、ガレスは溺愛するあまりに彼女を閉じ込めるようになった。


 さらには、結婚する男もこの先の人生も、全て安全にこの地で生きられるようにこのワシが決めてやると伝えた。この世界においては、姫というものはむしろ自由恋愛ではなく、親が婚約者を決めることが普通である。


 なので王は特別おかしな配慮をしたつもりではなく、むしろ感謝されるその瞬間を陰ながら待ちわびていたほどである。


 だがそれは逆に反抗心を招くことになり、王は仰天した。エチカは姉や兄が止めるのも聞かず反抗するようになる。


 しかし、いくら説得しても何を語ろうとも、父は聞いてくれない。もしかしたら父の頭の中は鉄でできているのかと考えてしまうほどに。


 さらにはある時、その婚約者を連れて来たのだが、彼女はどうしても好きになれなかった。


 そしてある時、電撃的な思いつきが脳裏を駆け抜け、まんまと島を抜け出したエチカは船でエルドラシアに向かうことに成功した。


 約二ヶ月の間、辺境の地で暮らしたのは実に楽しかった。これほど彼女にとって充実感を覚えた日々があっただろうかと思うほど。


 だが今は、こうして開かれた城門を抜け、元の世界に帰ろうとしている。


(もう戻れないのかな……)


 王女たる身で家出などをしたのだから、きっとただではすまない。一体どんな罰を受けるのだろう。想像するだけで怖くなる。


 だからと言って逃げることはできない。嫌ではあるが、やってしまった以上罰則を受けるしかないのだろう。避けられない現実を前にして、なぜか辺境の地で出会った人々の顔が浮かんだ。


(アレク……どうしてるのかしら)


 彼女は特に、小太りの男と過ごした日々を思い出していた。また一緒に冒険したい。彼女の直感が、どうしてもアレクに惹きつけられるのだ。


 気がつけばいつの間にか、エチカの脳裏には不細工だが頼りになる男のことばかりが浮かんでは消えた。もう一度会いたいと思う。


 しかし、よりいっそう厳重になるであろう警備のせいで、叶わないことは明白だった。そんなことを思っていると、青空を思わせる瞳からうっすらと涙が溢れた。


 ◇


「エチカ! エチカーーー! 今まで、どうしていたのだぁーーー!」

「きゃああ!?」


 娘の予想では、父はどっしりと玉座に腰を下ろし、刃向かう存在を殺しかねない威圧的な眼で睨みつけてくる姿を想像していた。


 ところが現実では、謁見の間にたどり着く前に猛烈な勢いで扉が開かれ、弾けんばかりに駆け寄ってきたのだ。


「この馬鹿者! 城を抜け出してなぜ大陸に向かったのだ!?」

「痛い痛い! お父様、痛い!」


 唐突にハグされているが、まるでゴリラに捕まったのではないかというほどの力である。


「国王! おやめくだされ! 姫さまのお身体が」

「ワシはどれだけお前のことを探したか! 分かっておるのか。む!?」


 焦る大臣と騎士達は、急いで引き剥がしにかかる。抱擁を解いた国王は、娘が僅かに泣いている姿を見て愕然とした。


「ど、どうしたのだ?」

「ごめんなさい……お父様」

「……許す! 許すぞ! こうしてはおれん、皆の者! とにかく宴の準備をするのだ!」


 そしてあっさりと彼女は許された。周りにいた大臣や騎士、アサシン部隊は空いた口が塞がらない。実際のところ彼女はエルドラシアとの別れを思い涙していたのだが、国王は勘違いしている。


 城内は目まぐるしい勢いで準備に追われ、その日はあっという間にエチカが帰ってきたことを祝うパーティが開催された。


 罰を受けるはずがパーティの主役になってしまった姫は、困惑しつつも城内の知り合いと再会を果たしていく。


 なかでも特に気まずかったのは、兄達との再会だ。しかし、いくらか厳しい注意はされたものの、彼女はなんとか許された。


 ちなみにだが、姉のアンリはとある用事で島から離れている。戻ってきたら何を言われるのか、今から不安でもあった。


 しかし、そう悩んでいたのも少しの間である。彼女の中にあった多くの不安や仲間への想い……そういった数々の悩みを一瞬にして真っ白にしてしまう出来事が起きる。


 城の大広間はどこまでも続くような真っ赤な絨毯に埋め尽くされ、黄金のシャンデリアが百人以上もの貴族達を照らした。


 豪勢な食事や煌びやかな宝石、詩人の歌声や竪琴の音色が加わり、まさに豪華絢爛なパーティの中心にエチカはいる。


 ガレスは娘に、失踪していた頃のことをとにかく質問した。娘はありのままに語ろうとするが、バニースーツの話などを言いかけると、急に大臣が割ってはいる。


「ガレス様、姫様は今は……お疲れのご様子でございますから」

「うむ。それは済まなかったな。だがエチカよ、今日という記念すべき日に、どうしてもお前に会わせたい者がおるのじゃ」

「え? 会わせたい人って?」


 きょとんと首を傾げた娘を前に、父は自信にみなぎる笑みを浮かべて席を立った。


「そこの騎士。かの占い師と、あの者を呼んでまいれ」

「は!」


 言われるなり、警備の一人である騎士が急ぎ足でどこかに向かう。


(え、今占い師とか言わなかった?)


 一体何が始まるのだろうか。少しして、遠くから黒いフードに包まれた小柄な、いかにも占い師という者がやってきた。


(うわー! 何この人、超怪しいじゃない)


「紹介しよう。彼女はマガローナ。お前がいない日々に塞ぎ込むワシの前に現れた救いの主よ。何しろよく当たる占いなのだ。そして国に起こる災害や災いなどをぴたりと当ててみせた。占いなど信じていなかったワシが愚かであった!」

「勿体ないお言葉、光栄にございます」

(この声……もしかして女の子?)


 どうやら自分よりも年下かもしれない。怪しさしかない少女を前にして、エチカは戸惑いを隠せなかった。


「さらに、ここからが本題なのだが。コホン! 良いかエチカよ、実はワシは……以前お前の婚約者を決めたのだが……すまなかった。確かにお前が言うとおり、あの男には裏があった。だから安心するが良い、奴はやめた。そして新たな婚約者を決めたぞ! 今度は間違いない!」

「新たな……婚約者?」


 あまりの驚きにエチカは席から立ち上がった。すると、ダンスや社交に興じる面々のなかを優雅に掻い潜りながら、威厳を持って近づいてくる男がいる。


 まだ若い男だが、鼻の下には半月のような髭を蓄えており、いかにも上流貴族という風体だ。


「紹介しよう! 彼こそはお前が辿り着いた大陸、王都グランエスクードで最も名のある貴族として人々より崇拝されていたという……貴族の中の貴族! カイ・フォン・アルストロメリア殿だ!」

「え、えええええーーーー!?」


 エチカはあまりの急展開についていけず、思わず叫んでしまった。

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