第38話 ちょ、ちょっと待って! わ、わわ私——

 アレク達と別れて数分後のこと。


 エチカは現在借りている一軒家へと帰ろうとしていた。


 うさぎ耳が楽しげに揺れているようで、事実彼女は上機嫌そのものだった。今回の冒険も首尾よく終わったと思い、明日の報酬話が今から楽しみでもある。


 そしていつもどおりに、鍵を使って玄関扉を開けた時、背後から小さな声が聞こえた。


「こちらにいらしていたのですね」


 この声には間違いなく聞き覚えがあった。同時に頭に冷や水でもかけられたかのように、高揚感が消え去っていく。


 エチカは動揺を必死に抑えつつ、ゆっくりと振り返る。そこには彼女が予想したとおりの人物が、木陰から半分だけ姿を晒していた。


「……もしかして」

「お久しぶりでございます」

「え、あ……フィリス……フィリスなの?」


 普段は何キロ離れていても聞こえてきそうな声が、今は消え入りそうだった。こうして話していても、木陰にいる存在が信じられない。先ほど戦った悪霊のほうが、まだ現実味を感じたほどだ。


「どうして、ここが」

「探すには時間を要しましたが、いくらかヒントが残っておりましたので」


 言葉を発したと思いきや、その黒い姿は闇に重なり消えた。しかし、次の瞬間ささやき声が右耳から聞こえたのだ。


「さあ、積もるお話は後にさせていただきます。来てくださいますね」

「ちょ、ちょっと待って! わ、わわ私——」

「待ちません」


 しかし、フィリスと呼ばれた長い黒髪の女は待たなかった。白く大きな別荘は、借主の帰宅を迎えることなく佇んでいた。


 ◇


 ここは島国フィルドガルド。

 広大な山々や海のおかげで、多くの資源や食料に恵まれ、かつ観光地としても有名な陽気な国。


 しかし城内は喧騒に包まれ、まるで戦争でも起ころうかという勢いであった。ただ、その状況を作っているのはたった一人の男である。


「なんだとっ!? 見つけたというのか! 何処だ! 何処におる!? すぐに使いを向かわせよ。いや、もうワシ自らが行くぞ!」

「お、お待ちください国王! 突然他の国に押しかけるなどと! 国際問題になりますぞ」


 国王ガレスは沢山の兵士と大臣にはがいじめにされ、かろうじてその暴走を抑えられていた。


「ぬううううん!」

「うおおお!? 皆の者、王を抑えよ!」

「は、はい!」


 ガレスが全身から魔力を放ち始めたので、焦った面々は集団で彼を捕まえつつ、自分達もあらゆる色の光を発しながら止めにかかる。


 この地では魔法を使えない者などほとんどいない。なにしろ、代々世界有数の大賢者を生み出している国なのだ。しかしこういった状況ではむしろ厄介でしかなかった。


 ただ、国王ガレスが動揺したのも無理はない。


 一ヶ月と数週間前、突如として失踪した王女を血眼になって探していた彼は、とうとう部下から吉報を受け取り、いても立ってもいられなくなったのだ。


「ええい! 国際問題もへったくれもあるか! これ以上待っていられん! 娘が一体どんな目に遭っているか分からぬというのに。何処だ? 何処におったのだ? 我が娘——エチカは何処におる!?」


 ぐいぐいと前進しようとする王をかろうじて抑えながら、大臣は必死になって叫ぶ。


「グランエスクードの辺境、エルドラシアにございます!」

「グランエスクードだと!? バカな……あまりにも遠すぎるではないか」


 一国の主である以上、他国のことは一通り頭に入っている。だからこそ、意外すぎる国名に仰天してしまった。


 島国フィルドガルドから大国グランエスクードまでは、船で移動するにも半月はかかろうという距離であった。ガレスは娘のお転婆ぶりを知ってはいたが、まさか国からは出ていないだろうと予想していた。


「間違いございませぬ。しかしご安心くだされ我らが王よ。お姿を見つけた部下によれば、姫様は悲観に暮れる様子もなく、特にお変わりなく生活されているとのこと。そしてもうじき、我らが忠誠心に厚く有能な部下の手により、安全にこちらへとお戻りになられる手筈を進めています」

「本当だな? 何も変わりはないのだな?」

「はい。姫様は変わらず、穏やかに過ごされているとのことです」


 国王はようやく落ち着き、静かに玉座に腰を下ろした。自らの醜態に恥ずかしさを感じる程度には、冷静さを取り戻したようだ。


 大臣は気が気ではなかったが、王の仕草を見て安堵のため息を漏らした。実はこの報告には嘘があり、それを見抜かれることを恐れていたのだ。


 家出をした姫様は、他国で毎日のようにバニースーツを着て暴れ回っております、などというありのままの報告をしたら、一体どうなるのか。怖くて幾分改変した内容を伝える他にはなかった。


 数日前に届いた手紙に書かれた内容は、どうにも信じ難いものであったが、大臣はアサシン部隊の腕利きであるフィリスを高く評価し、そして信頼している。彼女にはそれだけの実績があった。


(もうじきアサシン部隊が姫様を連れ帰ってくる。フィリスならば失敗せぬはず。そうすれば万事解決じゃ)


 息を切らしつつ、大臣はどうにか事が収まると安堵している。


 だが彼はまだ気づいていない。助けを求めるがあまり、この数週間のうちに招くべきではない存在を国に入れてしまったことに。


 ◇


 エルドラシアはかつて、遺跡島と呼ばれる観光地によって栄えていた。


 それも遥かな昔の話であり、人々の記憶にかろうじて残るのみとなった島は、残念ながらもう存在しない。


 一ヶ月ほど前、闇勇者ディミトリとキメラ軍団を倒すため、カイ・フォン・アルストロメリアが放った魔法により、粉々に破壊されてしまったのである。


 しかし全てが完全に消滅したというわけではない。特に頑丈であった魔道具や遺物など、わずかながらに形を残したものは存在する。


 絶望的な破壊の中にあって、最も地獄を味わい、完全に息の根を止められたその体もまた、海の上で悲しく漂っていた。ディミトリの遺体である。


 ほぼ胴体のみとなっており、見るも哀れであった。


 ディミトリは間違いなく死んだ。それは揺るぎない事実である。


 ……なのに、体を共にしていた存在は死んではいなかった。


 一体どれほどの幸運の持ち主かと思うほど、それは奇跡的に守られていた。彼と合体していた小さな竜は、一ヶ月ほどの沈黙を破り、小さな瞳を開いて空を見上げていた。


 そしてなにかを決心したかのように、顔をぐりぐりと動かしながら、闇勇者の亡骸から一時間以上かけて抜け出すと、ほぼ頭と翼だけになった体で空を飛んだ。


 竜は何を考え、何処に向かおうというのか。歪な存在となったそれは、少しずつ長い時間をかけて体を修復しながら、ある場所へと真っ直ぐに飛び続けていた。


 


 

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