第34話 ディミトリ……俺だ

 決闘の場に不可思議な現象が起こったことは、周囲にいた全員が感じ取っていた。


 今ではアレクと名乗る男が、一本の剣を鞘から静かに抜きはじめた。抜きでた剣身は鏡のように周囲を映し出している。


 剣があらわになるほど、周囲を包む光が増した。猛烈な風が吹き荒び、只事ではない変化が起ころうとしている。


「ふん! ようやくブサイクな面をやめるか」


 ディミトリはこの変化を前にしても、不敵な笑みを崩さずにいた。しかし、徐々に現れる力を前にして、その顔は引き攣り始める。


 仮にこの状況で襲撃を試みたとしても、それは成功しなかっただろう。強烈すぎる風の舞いと、膨大なまでの光。それらがようやく落ち着いた時、中心に立っていたのは全くの別人だった。


 カイ・フォン・アルストロメリア本来の姿がそこにはあった。


「ディミトリ……俺だ」

「し、し……知ってるヨォ……」


 元勇者はかろうじて返事をすることができたものの、明らかに怯えがあった。


 艶のある黒髪が風に揺れ、すらりとした背はディミトリよりも高くなっている。紅色の瞳は怪しく輝き、黒地と金枠のジャケットが誰より似合っていた。


 美青年と呼ぶにふさわしい風貌は、ディミトリを嫉妬と怒りをないまぜにした感情に悩ませるほどだった。


 だが、勇者だった男は何よりも恐怖している。以前会った時よりも、遥かに力を感じている。自分は誰よりも強くなったはずなのに。


「ふ、ふふ! 相変わらずコケ脅しの上手いやつだ。さあ、いい加減始めようじゃないか」

「神も悪魔も……お前を裁かなかったらしいな」

「さ、裁くわけがないだろう。この僕を」

「よって俺が裁く」


 突如、カイから猛烈な黒色のオーラが噴き出した。周囲にいたキメラ達は怯え、誰に言われるでもなく後退していく。


「ぐ! だ、だからコケ脅しだってんだよ! お前がいつまでも来ないなら、僕のほうから——ア」


 悪役貴族が、静かに右腕を上げている。途端に周囲の色が変わっていくのが分かった。


 明るかった空は黒く染まり、周囲は闇に蝕まれてゆく。


 岩山に包まれた決闘の地。キメラ達は漆黒の空を見上げて恐れ慄いていた。


「……え……夜になった……のか?」


 まさか、とディミトリは驚いた。時間すら操るとでもいうのだろうか。しかしそれだけではない。計りようのない魔力は、なおも巨大化を続けている。


 このままでは何かが手遅れになる。そう心の奥で悟ったディミトリは、かろうじて残る勇気を振り絞り、一気に距離を詰めて剣を振り上げる。


「死ぃいいい、ねええー!」


 狙いは首筋。勇者として磨きに磨き、裏修練場で極限まで昇華された剣は、常人には決して防げない。


 目にも止まらぬその剣は、確かに男に一撃を加えたように映った。しかし、それは刃が触れたと思った瞬間、幻のように消え去ってしまう。


「な!? 何処だ!」


 ディミトリは周囲を見渡したが、カイは何処にもいない。キメラ達も一緒になって探しているが、やはり見つからない。


 まさか……一つの考えが浮かんだ闇の勇者は、再び笑みを取り戻した。


「ふ、ふふ。ははは! なんだアイツ、結局は僕を恐れて逃げたんじゃないのか? なんだなんだ。デカい口を叩いておいて、その程度だったか!」


 途端、闇の力に溺れた男は余裕を取り戻した。周囲のキメラ達は、なおもカイの行方を探し続けている。


 しかし、悪役貴族だった男は何処にもいない。


「ただのチキン野郎だったっていうオチか。ハハッ! これではっきりしたね。僕が最強だっていう事実がさ」


 さて、到着までワインでも飲んで時間を潰すか。そう思い自身の部屋へと帰って行こうとするボスを、部下の一体が引き止めた。


「お待ちくださいディミトリ様。何かが妙です」

「フッ、何を恐れている。僕がいる限り、何人も恐れる必要などないのさ。祭りはすぐそこだよ。君達が憎む人間どもを、好きなだけ殺せるパーティが始まる」


 ライオンの顔をした部下は、自信に満ちた声を聞いても納得していない様子であった。


「いえ、実はそのう。てっきり夜になったとワシも考えていたのですが……あっちの空は青いんですよ」

「……ん?」


 言われて指で示された先には、わずかだが青い空が見えた。今までは岩山にすっぽり囲まれた位置にいたので見えなかったのだが。


「では、あれは何だ?」

「さ、さあ。しかもですよ。どうも赤い雷のようなものが見えまして……」

「赤い雷だと?」


 一万を超えるキメラの軍勢は、誰もが空を見上げて戸惑っていた。闇勇者もまた不可解な現象に眉をひそめる。


 彼はしばらく夜空とばかり思っていた黒い何かを見上げ続け、ふと気がついた。


「落ちてる」

「はい? どうされましたか」

「あの黒いものが、落ちてきているのだ。ま……まさかあれは……ブラックボールなのか!?」


 その黒く禍々しい何かが、少しずつだが覆い尽くすように迫っている。その事実を遅れて知ったキメラ達は、あまりの事態にパニック状態に陥った。


「あれが魔法だっていうのか!?」

「知らねーよ! でも落ちてきてる。あのデカさはやべえぞ!」

「信じられない……」

「そんな馬鹿な!」

「空が、空が!」

「逃げよう、早く!」

「馬鹿! もう間に合わない!」


 常識では考えられないほどの、規格外のサイズを誇る闇の玉。実はエルドラシアの森で一度この魔法は使われている。


 カイ自らが作り上げた闇魔法の進化系、ダークプリズンであった。


 だが、森で使用されたものとは次元が違う。島すらあっさりと飲み込むほどの巨大な闇が、徐々に落下を始めていた。


 しかし、思案の末に全ての事実に辿り着いたディミトリは、それでも不敵に笑う。


「フッ。何を騒いでいるんだお前達。僕という存在がいることを忘れたか! 見ているがいいさ。この闇勇者が全身全霊を持って、奴の魔法を破壊する姿をな」


 王となった男の自信に満ちた姿に、部下達もまた覇気を取り戻した。そして王は、両手を胸の前に交差させ、深く腰を落とし精神を集中する。


 それから数秒。微動だにしない体全体から、溢れんばかりに魔力が噴き出してきた。


 キメラ達は王の凄まじき力を前にして、完全に窮地を脱することができると確信した。


(カイめ……これだけの魔法を使ったのだ。何処か近くで息を切らせて隠れているんだろう。お前の全力を打ち破った後、見つけ出して殺してやる)


 さらに数秒後のこと。キメラ達はソワソワと慌て出した。空一面を支配する闇が、もう最初の地点から随分と降りてきている。


 徐々に天井が落ちてくるような恐怖に、じっとしてはいられない。


「ディ、ディミトリ様! そろそろ」

「焦るな。……時は来た」


 いよいよであった。ディミトリは一年間修練場で鍛え抜いた魔力をフル開放し、これ以上ないほどの攻撃魔法を放つ。


「はぁあああああ! レインボーーーーーースパーーーーーク!」


 勇者だった男は両手を上げ、手のひらから巨大な七色の光線を放った。雄々しき輝きは真っ直ぐに上空へと立ち上り、迫り来る闇の監獄とぶつかりあう。


「す、凄すぎる! さすがですディミトリ様」

「ディミトリ様は神!」

「やった!」

「ふん! あんな男が我らが王に叶うと思ったか」


 口々に称賛の嵐が吹き荒れる。そんな中、隣にいたライオンのキメラだけは険しい顔で見上げていた。


「ま、まずい! まったく変わっておらんぞ!」

「ん……んん……ぐ……ぬおおおお」


 この一言に、騒ぎ立てていたキメラ達の動きが止まる。虹色の光線は、地獄の闇を押し返すことも消すこともできず、むしろ押される一方であった。


「お、おおおお……く、クソがああ! お前達ぃい! 僕に魔力を分けるんだ! なんとしても跳ね返す。なんとしてもだ!」

「は、はいい!」


 ライオンキメラを含めて、多くの魔法を使えるキメラ達が両手をディミトリに向ける。緑色の小さな輝きが、幾つも王へと注がれていった。


 ディミトリは最初こそ華麗さ溢れるポーズであったが、今ではガニ股で見るに堪えない姿勢となっていた。


「おおお、うぐぐぐおお! ま、まだだあ! もっと寄越すんだぁ。パワーをくれ、パワーーー!」

「パ、パワー!」

「パワー!」

「パワー!」


 なぜか「パワー」の合唱が始まる中、それでも闇は容赦なく、島ごと彼らへと迫りつつあった。もはやギリギリのところまで接近し、キメラ達は発狂寸前となってしまう。


 そして、誰よりも怯えていたのはディミトリだった。


「うおおお! ぬ、ぬくくく……ぐあああああー! ダメだぁー」


 力みに力んだ末、彼はとうとう悟ってしまう。もうどうにもならないと。キメラ達はまさかの一言に耳を疑った。


「ど、どうしてだよお!? こ、こんな魔法如き……こんな……ん、んぎょおおおおおっ!」


 まさに絶体絶命。どうしようもないピンチを迎える中、ディミトリの鳥よりも良い目が、遥か先にある小島にたたずむ男を見つけた。


 その男……カイは涼しい顔で、キメラ達を見つめている。だが、呆れたように首を振った。


 そして、のんびりとした仕草で右手をあげ、そのまま下ろした。彼の動きと連動するかのように、黒い監獄が突如として速度を上げていく。


 キメラ達は半狂乱になり、誰もが島から逃げようとした。もはや誰からも頼りにされなくなったディミトリは、それでも無意味に踏ん張り続ける。


 直後、何よりも巨大な黒き玉が、ついに島全体に激突した。


「ぎいやあああああああっ!」


 ディミトリの甲高い悲鳴が轟いた。


 すぐには死ぬことができない地獄の魔法。その苦しみは島全体を飲み込み、怪物達を余すことなく仕留めていった。

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