第26話 僕は最強だ!
「貴様こそどういうつもりだ。何があったとて、これは許されぬ行為だぞ」
歯噛みしているディミトリに、冷酷な一言が突き刺さる。
悪役貴族のプレッシャーに、勇者は戸惑いを隠せなかった。そして周囲には、彼の部下である腕利きの男達がいる。
「だ、黙れ! お前は魔王の配下だろうが! もう僕には分かっているぞ。これもお前の陰謀だ。僕を誘導して、こんな真似をさせたんだろーが!」
カイは苦笑するしかなかった。側にいるルイーズは目を見開き、ディミトリの失言に驚くばかりだ。
「ほう。俺が魔王とやらの配下だと? なるほど、勇者殿は妄想がお好きなようだ。しかし、俺にそのような疑惑を投げかけること自体、身を滅ぼすことになることも分からんか」
周囲から殺意が溢れてきた。生まれて初めての恐怖に動揺が隠せないディミトリは、悪手だらけの自分に気づくことなく、さらに泥沼に陥っていく。
「え、ええい! ならば僕が今ここで、お前が悪の手先であることを暴いてやるぞ。ルイーズ、とにかくそいつから離れるんだ。こっちに来い」
「嫌です!」
「ルイーズ、少し休んだほうがいい。お前達、聖女を安全な所へ」
部下のうち三名が彼女の元へと集まり、すぐに避難が開始されようとしていたその時、勇者が絶叫した。
「そうはさせるかぁー!」
ディミトリの全身から獰猛な炎が噴き出した。
街中では決して使ってはならない、巨大な炎の化身へと変貌した勇者は、その身で対象を焼き焦がしながら剣を振るうことが何よりも得意であった。
「きゃああ!? ディミトリさま、一体何を——」
ルイーズはまさかの行為に悲鳴を上げた。ここは王都であり、相手は人間。決して許されない行為をディミトリはしている。
今この場において、勇者は剣を持っていない。しかし、人間相手など拳で充分とばかりに、彼は咆哮しながら駆ける。
一瞬で場が緊張に包まれたが、標的となった男は冷静に周囲を制した。それがどうしたとばかりに、暴走した勇者を冷ややかに見つめるのみ。
「うおおおりゃあああああ!」
大熊ですら撲殺するほどの一撃。振り抜かれた右の拳は、炎を宿しながらカイの頬に直撃した。
「フハハ! ハァ……あ?」
ディミトリは勝利を確信して笑ったが、すぐに違和感に気づいた。その剛腕は、貴族の男を打ち抜くことができない。
目前の男は、拳が当たったまま何事もなく立っている。しかも、その顔には打撲も火傷も見られない。つまりまるでダメージがない。
直後、カイの赤き瞳が輝いた気がした。
「ヒ……!」
すると、ディミトリが纏っていた炎は風にさらわれたかのように消えさり、むしろ涼しくなるほどであった。
そして、涼やかな空気は徐々に、猛烈な極寒へと変わる。
「あ、ああああああ!?」
勇者は信じられない光景を目の当たりにした。カイの頬に当てたままだった拳から肩までが、急激に凍りついていったのだ。
突然の出来事に後ろにのけぞり、苦しみ喘ぐその姿は見るに堪えない。
「ま、ま、魔法だな! いつやった!? カイ! 貴様、」
「おお。腕が凍っているではないか。放っておいては大変なことになるぞ。どれ、すぐに戻してやろう」
悪役貴族は指先から小さな火を作り上げると、唇からふっと息を吹きかけた。すると、弱々しい火がゆらめきながら、勇者へと近づいてくる。
だが、それは言うなれば魔法の演技であった。ディミトリの側まで消えそうな火の粉となって接近したそれは、突如として黒い炎へと姿を変え、彼を丸呑みにした。
「馬鹿が! 俺には炎の耐性が——」
その炎魔法はカイにとって、まさに挨拶がわりにもならない些細な力であった。しかし、二人には測りきれないほどの差がある。その一端が、直後ディミトリを襲ったのだ。
「ぎゃーああああああーーー!?」
ただの炎だったなら、耐性を持った勇者には効果が薄い。しかし、カイの放った黒き炎は、耐性などお構いなしに相手を焼いてしまう。
まさに火だるま状態となり、勇者は意中のルイーズが見ている前でのたうち回った。
「おっと、やり過ぎていたか。ではこれで」
「う、うひええーーーゴボボボ! オエエエエ!」
続いて水魔法が放たれ、巨大な水の玉に包まれた後に吐き出される。地面に転がったディミトリは、これ以上ないほど恥ずかしい姿を晒して気絶した。
「もういいだろう。奴を捕らえよ、もうじき憲兵どもが来る。引き渡して裁判にかける」
「はっ!」
公爵家の腕利きの部下達が、勇者を起こして拘束した。この事件は、瞬く間に王都どころか、大陸中に知れ渡ることになったのである。
◇
聖女が暴行を受けたという知らせが街中に駆け回り、真っ先に怒りを露わにしたのは聖教会の大司教達だった。
ルイーズは教会にとっての新たな象徴であり、決して汚すべからずという共通の誓いを立てていた。いかに勇者といえども許せぬ暴挙だと、有力な司教達がこぞって王に謁見を求めたほどだ。
また、同様にカイ・フォン・アルストロメリアにも暴力を振るったという情報が入ると、今度は王都中がディミトリへの怒りで燃えた。
カイはまだ貴族家の跡取りという立場でありながら、王都の民衆から絶大な支持を得ていたのだ。
裁判すら待てないとばかりに、民は城を包囲して勇者を裁けと騒ぎ続ける。
ここで重要なのは、勇者ディミトリを庇う者が、結局のところ誰もいなかったということである。
戦士はただ沈黙し、もはや冒険をする気もなくして故郷へと帰ってしまう。賢者は周囲の烈火の如き怒りに逆らおうとはせず、むしろ同調していた。
では、ディミトリ本人はどう思っていたのだろうか。結論から言えば、彼は変わっていなかった。
自分は絶対に正しいのだ、という根拠のない自信が、彼の心を永遠に縛っていたのかもしれない。
獄中でもルイーズを求める心と、カイへ復讐を誓う気持ちが浮かんでは消えた。
そして裁判の前夜、勇者だった男は一つの策を用いて、こっそりと牢獄から抜け出すことに成功する。
しかし、この脱獄は地獄の始まりでもあった。すぐに指名手配が行われ、もはや殺しても構わぬとばかりに賞金までかけられる始末。
以降二年間に渡り、ディミトリはあらゆる存在に追われ、逃げ隠れながら生きていくことになった。
哀れな男と言いたいところだが、彼は自分が生きるために何でも行ったので、やはり同情することは難しい。
盗み、たかり、殺人、そういった犯罪の数々を、もはや躊躇することなく実行しまくっていた。
ちなみにだが、カイはディミトリが脱獄したと知った後、特に行動は起こさなかった。
「暴行程度で裁かれるほうが、まだ良かったな。奴は自ら、暗黒の道へと足を踏みいれた愚か者だ」
すっかり元気になったルイーズに、一度そう答えたことがある以外には、ほぼ口にすることもなかったという。
そして新たな勇者と仲間達が結成され、ルイーズは再びパーティに加わることになる。全ては終わったと思われた。
だが、神々に捨てられた男を、悪魔が拾い上げることを誰が想像しただろうか。
逃亡生活から二年が経過し、いよいよディミトリは身も心もボロボロになり、賞金を得ようと追いすがってきた山賊に殺されかけていた。
目を血走らせた賊どもの剣が瞳に映ったその時、同時に血飛沫が舞った。
偶然とおりかかった虎型のキメラが、主の指示通りに山賊達を瞬殺したのだ。ファルガは死にかけた男を見て、我が目を疑った。
「こ、これは……勇者! 勇者ディミトリではないか」
「……が……」
「ん? なんじゃ?」
「力が……欲しい……」
誰よりも快活な好青年だったはずの勇者の瞳は、もはや濁りに濁っていた。絶望が目の奥から滲み出ている。
腐った瞳をまじまじと眺め、元魔王軍幹部は震えていた。
「く、くはははは! こ、これは良い! そんなに力が欲しいというのか? ん? ……ならくれてやるわ。お前なら手に入るかもしれんゾぉ! 唯一無二の力をな!」
◇
過去の話はここまで。
これより先は、野望を捨てきれない老人の話からになる。
スカーレットから逃げおおせたファルガと部下は、とある古き洞窟の奥へと入って行った。
その先には力を失いかけている古きワープゾーンがあり、ある場所へと一人と一体を誘ってくれる。
転移された先にあったのは静かな神殿であり、白い通路は巨人の通り道を思わせるほど広い。
息も絶え絶えだったファルガは、とある巨大な扉の前で部下から降ろされると、すがるように見上げた。
「もう一年……約束の時じゃぞ。さあ、姿を現せよ!」
「ファルガ様、どうやら来たようです」
しばらくの間、沈黙していた扉から軋むような音がした。ゆっくりと青い扉は開かれていく。奥にあるのは、まるで漆黒の世界だった。
無そのものを思わせる闇。しかしその闇から、一人の男が静かに、確かな足取りでこちらに向かってくる。
「おお、なんとも……立派になりよったのう」
「これは! 期待できますね、ファルガ様」
彼はようやく闇から抜け出すと、小さく嘆息した。一年前、ボロ雑巾のようになり死にかけていた男が、別人のようなオーラを纏って戻ってきた。
「ディミトリ! どうだ? キメラの力は?」
「もう完全にモノにしたよ。ああ、僕は最強だ! ……今度こそルイーズを手に入れる。そして、アイツを……あの貴族を殺してやる」
勇者でありながら沢山の魔物と合成した男は、あらゆる力を使いこなすため、一年ものあいだ筆舌に尽くしがたい修練に明け暮れていた。
だからこそ、今のディミトリは自信に満ちている。
ありとあらゆる禁を破り、犯罪を犯し続けた男は、それでもまだ自分が正しいと信じて疑わなかった。
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