第25話 どこぞの蝿かと思いきや、勇者殿であったか

 語るのが遅すぎたが、いよいよあの男の話をしよう。時は三年前にさかのぼる。


 世界を脅かさんとする魔王を討伐するべく、ある四人の若者が大陸で活動を続けていた。


 あらゆる武器と戦いの基本を知り尽くし、時にはパーティの守りの要ともなる戦士。


 どのような高度な魔法でも使いこなし、世界中に存在するあらゆる知識をほしいままにした賢者。


 かつてないレベルの治癒魔法と、さまざまな能力を上昇させる魔法を使用することができる、生きる奇跡と称される聖女。


 そして三人をまとめ、全てにおいて平均以上の能力を持ち、世界中で一人だけしか存在を許されない勇者。


 かの勇者はディミトリ・ツー・ジェラールといい、この時点では二十二歳。高い身長に甘いマスク、爽やかな雰囲気をまとう好青年風の姿は、多くの人々を虜にした。


 彼は誰よりも、これからの成長に大きな期待をされていたことは確かだ。


 しかしながら、その期待に本人が応えることができたのかと問われれば、残念ながら頷くことはできない。


 むしろ悲惨なまでにディミトリという男は、多くの人々の期待を裏切ってしまった。


 彼はたしかに優秀かつ勇猛な男ではあったのだ。だが、人間性という面において、無視できない欠陥があった。


 その欠陥については、同じパーティにいた聖女ルイーズのことを語れば充分に伝わると思われる。


 三年前、当時かの聖女は十四歳であった。ディミトリは早くから彼女に恋焦がれており、執拗に交際を求めたという。


 しかしルイーズは同意しなかった。できる限り丁重にお断りをしていたが、その度にディミトリは納得したと見せては、時をおいて再び迫るということを繰り返していた。


 何度交際を迫ろうとも、彼女は従わなかった。なぜなら既に、聖女は結婚をすると心中で決めていた相手がいたからだ。


 ある時、ディミトリの苛立ちはピークに達し、激しく聖女に詰め寄った。


 能力には秀でていたが、聖女はまだ十四歳。こういった経験も知識もなく、ただ困惑するしかなかったが、それも限界にきていた。


 もはやパーティを抜けることさえ考えていた彼女は、思いきって意中の相手が誰であるかを打ち明ける。この時、ショックを隠せなかった勇者はしばらくの間は大人しくなった。


 しかし、ディミトリがルイーズを諦めるということはない。むしろ彼は生まれて初めて、自らの人生を狂わせるほど嫉妬の炎に焼かれていたのだ。


 ちなみに、これらのいざこざがあったことは、戦士と賢者は知らなかったという。


 あくまでディミトリは表向きは健全な活動を続けていたし、ルイーズも誰かに相談しようと考えていたものの、戦士と賢者は歳が離れており、言い出しにくい面があった。


 だが二人の間に何かがあったのではないか、という疑念は持っており、時々戦士は正面から二人に聞いてみたり、賢者はこっそりと裏から確認を取ろうとしていた。


 ディミトリはルイーズに口止めしていたので、結局は誤魔化されて話は終わってしまう。二人は何かがおかしいことに気づいていたが、どうしようもなかった。


 ある日、彼はある重大な行動に出る。


 大陸に蔓延る魔王軍には、パイプとなる役割を担う者がいると声を大にして主張した。


 一体それは誰なのか。勇者ははっきりと名指しで、当時は協力関係にあった公爵家次期当主、カイ・フォン・アルストロメリアであると国王に密告したのだ。


「あの男は僕らに協力しているふりをしながら、あの手この手で欺き、魔王から遠ざけようとしているのです。助言は的確なようで、全く何も意味をなさず、僕らは活動を巧妙に阻害され続けています」


 これには国王や王都関係者を含め、パーティメンバー達も驚愕した。実は勇者の主張は間違いではなかったが、証拠は何もなかった。


 さらには大陸でも筆頭の公爵家ということもあり、国王は表立って対立をする事態に陥ることは避けたかった。


 その為、極秘でカイを呼び出し、勇者から言い渡された件について話を聞いた。彼は苦笑しただけだった。


「身に覚えがありません。それに、ないものを証明しろと言われても無理な話です」


 国王は勇者を無碍にすることもできないが、アルストロメリア家は彼にとって大いに重要な貴族だったので、証拠がない以上は追求するわけにもいかず、結局は様子見をすることにした。


 しかし、この慎重さにいっそう勇者は苛立ちを募らせる。冒険を始めた当初に比べて、彼は明らかに傲慢になっていた。


 国王ですら、役に立たない老いぼれだと酒の席でのたまい、同席した町民はあまりの暴言に恐怖すら覚えてしまう。


 嫉妬は日を増すごとに強くなり、聖女への執着もまた膨らんでいく。彼は良くも悪くも、物事を諦めることができない男である。


 そしてある日の深夜、ついにディミトリは行動に移した。


 王都の高級宿に泊まっていた勇者達は、それぞれ別々の部屋を取っていた。真夜中に部屋を出たディミトリは、静かに聖女が眠っているであろう部屋へと向かう。


 周囲に誰もいないことを確かめると、静かにドアをノックした。反応はない。


(もうお休みかな……お? なんだ、鍵がかかっていないじゃないか)


 ディミトリはすぐにドアノブに手をかけ、意中の女子がいるであろう部屋へと迷いもなく入ってしまう。


 だがルイーズはいない。おかしいと彼は思った。ふと窓から宿屋の外を見回してみると、一人で外の道を歩く華奢な後ろ姿を見つける。


(どういうことだ? こんな時間に)


 彼はルイーズのことは何でも知りたがった。すぐに下まで降りて、身を隠しながら尾行を続ける。よく見れば、彼女は小さな右手に手紙を持っているようだ。


 封筒に包まれたその中身に、何が書かれているのだろうか。超人的な視力を持つ男は、与えられた能力をいかんなく発揮し、その封筒の宛先に目を凝らした。


(な……カイ・フォン・アルストロメリア次期公爵様……だと!)


 ここで勇者の頭に血が上った。そうとも知らない聖女は、鼻歌でも口ずさみそうなほど上機嫌である。


 実はルイーズは、小さい頃以来会えなかったカイと再会した時から、密かに文通をするようになった。


 多忙極まりない身の上だった男は、自分を慕う子供が手紙をくれていると思った。良い気分転換だと楽観的に考えていたのだ。


 一方のルイーズはすでに、彼と婚約する為の準備を始めたのである。この大きな認識のズレに気づくまでには、まだ一年ほど時が流れる必要がある。


 話が横道に逸れてしまったが、とにかく彼女は手紙を送ろうと、ポストへと手を伸ばしていった。


「きゃっ!?」


 しかし手紙は投函されることは阻止された。その白い腕を、荒々しい男の手が掴んでいる。


「一体なんだい、これは?」

「あ、あの。これは……その。友人にお手紙を」

「ほう。君があの性悪貴族と友人だとは知らなかったな。どれ、中身を読ませてもらおう」

「な、何を! やめてください」


 あっさりと手紙は勇者の手に渡った。必死に取り返そうとする聖女ではあったが、体格の差は歴然。すぐに封筒は破かれ、中に書かれた文字の数々を、貪るように読まれてしまう。


 少しして、ワナワナとディミトリの体が震え始める。そしてあろうことか、手紙をめちゃくちゃに破り捨てた。


「何をするのです!」

「黙れ! 君は恥知らずだ。あのような見てくれだけの男に、こんな歯が浮くような手紙を!」

「カイさまは、貴方のおっしゃるような男性ではありません。侮辱するのはやめてください」

「君は分かっていない。いや、きっと騙されているんだ。君にはもっと似合いの男がいるに決まっているんだ」

「ゆ、勇者さま……一体……なにを」


 空気が変わった。あまりにも薄気味悪い笑顔を浮かべる男に、少女は恐怖心を覚えた。


 いや、正確にはずっと前から、少しずつだがこの男に不信と恐怖を抱いていた。


「まだ分からないか。君と来たら本当に、学びが足りないようだなぁ!」

「きゃあ!」


 左の頬に強い衝撃が走った。握りしめた男の拳が、少女の顔面を殴りつけたのだ。思わず地面に転んでしまった彼女を、男は上から殴りつけようと馬乗りになろうとした——その時だった。


 何かが音もなく、そして鋭く接近した。影が猛烈な速度で迫り、暴力の権化となった男を吹き飛ばした。


「うぐぁ!」


 大地を転がり続ける姿は、勇者とは思えないほど情けない。口の中に鉄の味が溢れ、歯が何本か欠けてしまったことが分かる。


 羞恥と怒りに塗れた男は、すぐに立ち上がって邪魔者を睨みつけた。しかし、怒りの形相はすぐに驚愕へと変わる。


「これはこれは。どこぞの蝿かと思いきや、勇者殿であったか」


 前に立っている男は、カイ・フォン・アルストロメリアその人だった。


 実はこの頃、カイは既にディミトリを疑い、王都にいる間は始終見張りをつけていた。


 そしてルイーズを追いかけている姿を見つけるや否や、忠実な部下はすぐに屋敷へと密告に向かい、こうして現場を抑えることに成功したのである。


「カイさま!」


 思わずルイーズは意中の男に抱きついた。


「大丈夫だったか」


 公爵家次期当主筆頭の男は、まだ子供だと思っている聖女の頭を撫でてやる。その姿を、ディミトリは許せない。


「おい貴様! どういうつも——」


 勇者は悪役貴族を前にして、人生で初めての恐怖に駆られた。


 そして月夜の下で、彼は忘れえぬ屈辱を味わう。

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