第4話 カイさまではありませんか

「ふわぁ……ああ。もう昼か」


 とっくの昔にお天道様は登っていたようだ。俺は眩しい日差しで目を覚ました。


 怠くてもう一眠りを決め込もうとした矢先、大家のばあちゃんがやってきた。


「おやおやアレクちゃん。まだ寝ていたの?」

「ん? あー、ちょっとねえ。やる気出なくってさあ」

「よくそんな所で眠れるねえ。もうちょっと奮発して、マシな部屋を借りるなり、家を建てるなりすればいいんじゃないの?」


 まあ、ばあちゃんが呆れるのも無理はない。なにしろ俺は、家というよりも馬小屋を借りて生活しているのだ。つまり藁の上でぐっすり眠っていたというわけ。


 両隣にいる馬が、大家さんと一緒にこちらを覗きこんでいた。ここは馬車屋であり、何頭か立派な馬が預けられている。


「まあ、いつまでいるか分からないしさ。そこまで苦じゃないんだよね」


 事実、昔は野宿ばかりしていた時期もあった。貴族だったんだけど、魔王軍とやり合うために遠征とかしてたからな。


 ゴツゴツした地面に比べたら、藁の上なんてかなり快適なのである。


「変わった人だねえ。まだ若いんだから、ちゃんとした仕事にもついたほうがいいよ」


 ばあちゃんはそう言い残すと、自分が貸しているちゃんとした家の掃除に向かったようだ。


 前世ではよく言われたっけな。それももう、かなり昔の話になってしまったけれど。


 どことなく懐かしさを覚えつつ、眠気が覚めてしまった俺は、適当に街をぶらつくことにした。


 ちなみにだが、寝床の家賃はタダ。新しい馬が入ってくるまで貸してあげるという約束になっている。


 でも、こんな辺境には馬すらなかなか入ってこないので、しばらくは大丈夫そうだ。


 ◇


 それにしても天気が良い。雲一つない空は、うっすらとした水色ではなく、南国のように濃い青色をしていた。


 いやぁ、スローライフって感じかも。なんて思いつつ、カフェのテラス席で俺はひたすら飯にありついていた。三人前を頼むのはいつものことなので、もはや店員は気にする様子もない。


 その日暮らしで一番金を使うのは食費くらい。後はほとんどタダみたいな生活をしている。


 やっぱ気楽で良いなと思う。あの悪役貴族時代と比べれば……。朝からつい昔のことを思い出してしまった。


 最初の頃はマジで焦っていたもんだった。自分が討たれる運命は二年後ということに気づいたが、なにしろ才能のないモブ悪役だったし、急いで対策を練る必要があった。


 だからかなり無茶なことも沢山したもんだ。今やだらけ放題なのは、その反動なのかもしれん。


 まあ、結局のところこういう生活が一番合っているってことだな。そう思いつつ、俺は山盛り状態のパスタを食いまくった。


 うめー! パスタうめー! 今日は何もしないで過ごしてやるぞー!


 とまさに豚の如き衝動に突き動かされていた、その時だった。


「……カイさま? カイさまではありませんか」


 背後からお清楚のお手本のような声が聞こえた。ピク、と耳が反応してしまう。


 無理もない話だ。だってカイというのは、転生した俺の本名である。アレクという名前は偽名だ。


 急になくなってきた食欲を無理にでも鼓舞しつつ、何食わぬ顔のままパスタを口に入れていく。


 ワイワイと騒ぐ町中でも、コツコツという上品な足音が近づいてくるのが分かった。


 視界の横に姿を現したその娘は、この横顔を見るなり申し訳なさそうなリアクションをした。


「申し訳ございません。人違いでしたわ」

「……え? 俺?」


 大変しらじらしい反応だったが、俺はこうすることが正解だと秒で判断した。そしてこの判断は、やっぱ間違いじゃなかったと思う。


 その娘はまだどこかあどけなさは残しつつも、もう周囲がチラ見を余儀なくされるほどの美少女だった。


 桃色の長髪と白くて若干スカート丈が短い法衣をまとうその娘を、俺はよく知っている。もう心臓がバクバクしているが、なんとか無表情をキープしてる。


 彼女の名前はルイーズ。新生勇者パーティの回復役であり、知り合ってからもう十年になる。


「はい。わたくしのよく知る方に、雰囲気が似ていましたので。お食事の最中に無用のお声がけをしてしまい、申し訳ございません」

「あー別にいいけど。この辺じゃ見ない顔だな」


 実は今の俺は、以前とは全然違う身なりをしているわけで。絶対にバレない自信があったのに、実は正解を引き当てられてめちゃくちゃ動揺してた。


 どうしてここに来たんだろうな。ちょっとだけ探りを入れたくなった。


「実はわたくし、ある方を探して旅をしておりますの。そしてこの町に辿り着いたのです」

「え? もしかして一人で?」


 もし単身の旅というなら、不用心にも程がある話じゃないか。ちょっと心配になってきたぞ。


「二人で旅をしておりますわ。とても勇敢なドワーフの方です。彼のおかげで、安心して旅ができるのです」

「そっかー。良かったねあはは」


 ドワーフ……といえばシェイドだな。落ち着いて度胸もある優秀な戦士だが、人が良すぎるところがある。きっとルイーズに頼まれてなんだかんだボディガードを引き受けたとか、そういう流れと思われる。


 あいつもあいつで、俺のことを知ってるし。これは厄介だな。


 よし決めた! 早めにこの町からいなくなってもらうとしよう。


「で、探しているのはさっき話したカイって奴なわけ?」

「はい。わたくし、あの方にどうしてもお会いしたいのです」

「でもあれだなー。俺もこの町に来てそんなに日が経ってないが、大体の人はもう把握してるつもりだよ。カイなんて名前の奴は、聞いたことないな。多分、ここにはいないと思うぞ」


 この一言で、明らかに彼女は切なそうな顔になった。ちょっと罪悪感が湧いたが、ここで諦めてもらったほうがお互い良いのだ。


「そうですか……でも。わたくし、どうしてもこの町が気になるのです。直感のようなものですが、今まで外れたことがありませんでした。それに……」

「それに?」

「実は先日、わたくしの夢に神竜ギガンティアさまが現れたのです。そして、わたくしの探すあの方はエルドラシアという町にいると、そうお伝え下さったのです」


 あの竜なら俺も知り合いだわ。なかなかに大迫力の神様である。っていうかお節介にも程があるだろ!


「ですので、しばらくはこの町にお邪魔するつもりですの」

「そ、そっかー……頑張ってね」

「ありがとうございます。わたくし、なんとしてもお会いするつもりです。大事な約束を果たすつもりです」

「ぶほっ!?」


 パスタむせっちゃった。めっちゃ苦しい。


「大丈夫ですか!?」

「ごほ! う、うん大丈夫。おかげさまで」


 何がおかげさまなのか意味不明だが、動揺しすぎて言葉が選べない。


「お食事中に長々とすみませんでした。では、失礼します」

「ほーい」


 ふうう。

 なんとか誤魔化したが、これはキツいぞ。


 いやはや、まさかあの約束が大きくなってからも継続してるなんて、普通夢にも思わない。あの一言を思い出す度に、動揺しちゃう自分がいる。


『カイ様。わたしが大きくなったら、結婚してくださいっ』


 舌ったらずな声だった。懐かしいシーンが脳裏に蘇る。実は十年前……まだ幼いルイーズに、結婚してほしいと言われたのだ。


 まあよくある話。ちっちゃい時の結婚のお願いなんて、時と共に忘れ去られる微笑ましいエピソードだ。


 だが二年ほど前、彼女はあろうことか結婚の話を進めているという驚愕の事実を俺に伝えてきたのだ。


 気がついた時には外堀を埋めに埋め尽くされ、息すらできないほどに固められている状況だった。


 そう……なぜかいまだに約束は継続しており、ガチガチのガチだったのだ。今さら、


「いやぁ、子供の頃は君もそんなこと言ってたよねー? 懐かしいなぁ、あるあるだなぁ、ハッハッハ!」


 なんて言える空気では決してなくなっていた。


 でも彼女は俺なんかにはもったいなさ過ぎるし、結婚した後は恐らくお偉いさんにも囲まれまくり、それはもう大変窮屈な生活が待っているに違いない。


 そして逃避行に至ったわけだが、逃げたのは彼女からではない。


 他にもヤバい事情があったのだが、それはまたの機会に。


 大丈夫、大丈夫!

 この容姿になったからにはバレない。絶対にバレない。


 俺はパスタの味など全然感じなくなっていた。同時にちゃんと姿を変えていて良かったと、ホッとする気持ちもあった。


 とにかく、彼女には早いとこ諦めてほしいと願うばかりだ。

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