第3話 もうすぐ貴方のもとへ参ります
彼女は自分の説得には応じてくれないだろう。彼はもう連れ戻すことは諦めていた。
だからこそ、こうして護衛として付いていくことが精一杯だったのだ。
辺境の町エルドラシアからしばらく北にある街道を、とある二人組が歩いている。
一人は筋骨隆々で、銀色の鎧と多種多様な武器を携帯していた。蓄えた髭により貫禄が増しており、いかついドワーフであった。
もう一人は桃色の髪をした少女で、その瞳も同じ色をしており、白いワンピースに似た法衣がよく似合っている。
「エルドラシアまで、あと何日ほどかしら」
「一週間。いや、もう少し早いかもしれませぬ。しかし本当にあの男が、この先にいるのでしょうかな? ワシには想像がつきませぬが」
「あの方はきっとこの先にいます。わたくしは予言を信じるだけですわ」
その少女はかつて、神託により選ばれた聖女であった。瞳を輝かせながら、自らが授かった予言を信じて疑わない。彼は苦笑いを浮かべつつも、首肯するしかなかった。
「ああ、それにしてもどうして。カイ様は突然失踪してしまったのでしょう。わたくし、一時は目の前が真っ暗になりました」
ここで一つ説明が必要がいる。実はカイというのは、アレクの本名である。
完全に別人になりすます為、今は偽名で生活しているのだが、二人には知る由もない。
「人の考えというものは往々にして解らぬものです。……ただ、ルイーズ様のせいではないということは、ワシにも分かります」
「ありがとうございます。お会いできたら、しっかり聞くつもりです。ここまでしたんですもの。決してただでは帰れませんからね。貴方も、わたくしも」
長い髪が風に揺られ、横顔には意志の強さが垣間見えた。少女とドワーフは少し前まで、大陸でも名を馳せる勇者の側で旅を続けていた。
しかし、彼女——ルイーズはアレクが失踪したと知り、なんと勇者達の側を離れる決心をした。そしてただ一人、ドワーフのシェイドが同行することになった。
口調も重々しく貫禄があるが、実は彼はまだまだ若輩であり、青年と呼んで差し支えない年齢である。
本当は連れ戻すつもりだったのだが……と彼は思い返す度に苦笑いしてしまう。勇者と再会した時にどれほど怒られるのか。想像するだけで気が重い。
けれども、今のところ聖女の旅路は順調だ。二人の進んだ先に、たしかに会うべき人物はいる。だがその姿に気づくことができるかは、今のところ定かではない。
なぜならアレクは、二人が知っている頃の姿ではないからだった。それでも、ルイーズは見抜いてしまうかもしれなかった。
それだけ、彼女の直感は誰にも増して強いのだ。
「カイ様。わたくし、もうすぐ貴方のもとへ参ります」
唇から漏れた言葉には、確かな決意がある。夕日に染まりつつある空が、まるで二人を招いているかのようだった。
◇
「まだか! まだ見つからんのか!」
強く玉座を拳で叩く音がした。謁見の間は静まり返り、誰もが彼の怒りを恐れている。
島国フィルドガルドの国王、ガレスは普段の温厚さからは想像できぬほど、釣り上がった目つきで周囲を睨みつけた。
「どうか落ち着いてくだされ。今や総力を上げて、姫様の行方を探しておりますゆえ」
「しかし見つかっておらぬではないか。もうすぐ三週間になるのだぞ」
焦りと怒りに塗れた国王は、大臣の返事を聞いていくらか落ち着きを取り戻した。
彼にとって愛娘が失踪したことは、この世の何よりも恐ろしいことであり、耐え難いことでもあった。
国王には既に何人も子供がいたが、彼女のことは特に可愛がっていたのだ。もしものことが……なんらかの悲劇が姫を襲い、それを国王が知ってしまったら。
想像するだけで騎士達は背筋が震え、大臣もまた心中穏やかではいられない。
名君だった王が、一つの出来事により暴君に変わってしまう悲劇は、歴史上では往々にしてあることだった。
「必ずや見つけ出しますぞ! 姫様がどこにいらっしゃったとしても、我々が必ず」
「うむ……頼んだぞ」
国王は先ほどまでの怒りが嘘のように鎮まり、一言だけ呟いて謁見の間から去っていく。
護衛に囲まれながら去っていくその姿を遠目に見送ってから、大臣は大きなため息を漏らした。
「いやはや、どうしたものか」
その独り言に答える者はいない。彼は気分を紛らわすべく、屋上へと足を運ぶことにした。この地は島国であり、それなりに広大ではあるが、隠れる場所は限られる。
捜索は二週間以上続けられていた。これだけ探して見つからないということなら、答えは一つしかない。
どういう手段を用いたかは知らないが、姫は島国から脱出したのだろう。そして今は、恐らくはどこかの大陸にいるのではないか。
姫のことは大臣もよく知っている。とにかく行動的で機転が効き、何度城を抜け出されて連れ戻したことか。
「こうなれば世界中に捜索の手を伸ばすしかあるまい。だが、どうすればいい。姫様を見つけ出すには、世界はあまりにも広い」
今日何度目かのため息を漏らしていたその時だった。彼の背後に、微かな物音がした。五つの影が跪いている。
「我らにお任せください」
「む? アサシンどもか——これ! このような所に来るものではないぞ」
「事態は一刻を争うものと思われます。我らであれば、姫様を見つけ出すことができます」
アサシン達はフィルドガルドの影であり、決して表沙汰にしてはいけない集団だった。しかし表にいる騎士や冒険者連中が頼りにならない時、彼らほど力になる集団もいない。
大臣はアサシンの重要性を痛いほど分かっていたので、無碍にするわけにもいかなかった。
「どうやって見つけ出すというのだ」
「姫様のお部屋を調査する許可をいただきたい。我々はどんなに微かな情報からでも、全てを明らかにすることができます」
「……この際仕方がないな。分かった。内密に調査せよ。私が許可する」
「承知」
影達はいつの間にか消え去っていた。もはやなりふり構っていられぬ。大臣は心の中でつぶやき、視界に広がる広大な海を眺め続けていた。
◇
燃え残った草は焦げつき、荒れ果てた大地にいくつもの遺体が転がっている。
ほとんどが人間の遺体ばかりだったが、魔物も少しだけ倒されていた。ある国との闘争に勝利した魔物達は、平原を埋め尽くすほどの大群を誇っている。
「まったく歯応えがない。最近の人間はなっておりませんなー。スカーレット様」
「……ああ。話にならんな」
魔物達を率いる男が、すぐ近くでくつろぐ女に語りかけていた。黒い鎧を纏ったその男には、いくつかの角が生えている。明らかに女の機嫌をうかがっていた。
「ククク! 初陣にしては上々でしょう。この調子で行きましょう。そろそろ、本格的に軍を宣伝していくつもりです。あなた様の軍の旗揚げです」
女もまた、人とは違う容姿をしていた。銀色のショートカットに透き通るような肌、切長の瞳は血のように赤い。耳は獣と同じであり、衣服の間から尻尾も見えていた。
軽量のプレートメイルを身に着けているが、その姿は兵士というよりも王族のそれであった。並外れた美貌の中に、他者を圧倒する雰囲気を纏っている。
彼らは新たに結成された魔王軍であり、好戦的な帝国との戦いに勝利したばかり。敗れた国は壊滅的な人的被害を負ったに違いなかった。
「あの国は終わりでしょうね。我々に挑みかかったばかりに、滅亡を早めたのでございますよ。恐らく、また新しい国に取って変わられるのでしょう」
「そうして繰り返すのだな。人間も、我らも」
「いえいえ! スカーレット様に敗北などございません。何せこのボルゲ、戦術家としての自負がございますからな」
酒を煽りながら、魔族の男ボルゲはいやらしく笑う。スカーレットは今は亡き魔王の娘であり、新たな軍を立ち上げるにあたり、象徴としてなくてはならない存在だった。
「今回は挨拶代わりのようなものです。また新たな戦力を組み入れた後、いよいよ——」
「……! どうした?」
ボルゲの声には気づかなかった。スカーレットは、自らが愛用している赤い竜の様子がおかしいことに気づき、足早に近づく。
彼女の相棒というべき竜は、とある布切れの匂いを嗅ぎながら、少し離れた海を見つめ、また布を嗅いでは鳴いていた。
今すぐにでも飛び立ちたいとばかりに、スカーレットを見ては翼をはためかせる仕草をする。
赤き竜は信じ難いほど鼻が利く。かつて慣れ親しんだ男の匂いを、とうとう嗅ぎ取ったのだ。
「まさか! アイツがいたのか! ボルゲ、我は急用ができた。戻るまで任せたぞ」
「え、え!? ど、どちらに——」
彼女はすでに右腕となった男の声を聞いていなかった。レッドドラゴンは咆哮と共に飛び上がり、海を越えた地へ迷うことなく向かっていった。
スカーレットはその一見冷たく見える瞳に、大きな興奮を隠していた。突然失踪したあの男に、ようやく会えるかもしれない。
こうして世界は少しずつ、新しい渦に巻き込まれていく。ほとんどの人間は、微かな予兆に気づくことはできなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます