第5話:大臣の嫡男
馬車は大きな宮殿の敷地へと入っていった。
入り口から屋敷までが遠く、警備の騎士があちこちに立っている。
「いやはや、これはこれは凄い……」
窓から外を眺めながら、シンドリは呟いた。
騎士に守られた馬車で街中を疾走するのも初めてだったが、宮殿と呼ばれる場所に入るのも初めてだった。
馬車を降りると、屋敷の玄関ホールに通された。
ビックリするほど豪華な調度品が飾られた立派な玄関だったが、そこにいた人々の表情はシンドリが店でよく見るそれだった。
病気や怪我を負った人を案じる家族の顔だ。替われるものなら替わってやりたいと思っているのに、それも叶わぬ悔しさと憤りであふれている。
シンドリの気が引き締まった。
「副団長! 薬師のシンドリ殿をお連れしました!」
「ご苦労。道具と荷物は大会議室を使え」
「はっ!」
シンドリをここまで連れてきた騎士が背すじを伸ばして敬礼すると、「副団長」と呼ばれた長身の騎士が足早にシンドリに近づいてきた。
明るい茶の髪に、灰色の瞳をしている。えらく顔の整った男だった。
新聞に度々載る総務大臣の姿絵に似ていると思ったシンドリは、大臣も若かりし頃は女性からキャーキャー言われる人気騎士だったことを思い出した。
遺伝か……と思いながら、深く頭を下げてお辞儀をした。
大臣の嫡男ともなると、平民であるシンドリが自分から話しかけられる相手ではなく、頭を上げたまま会える相手でもなかった。
「頭を上げられよ。ご足労をお掛けした。オーディンスだ」
「お初にお目にかかります。手前は薬師のシンドリにございます」
「我が神薙のために薬を調合してもらいたい」
「かしこまりました」
「少し説明したいことがある。それと、診察した医師から詳しい症状をお伝えする」
「あ……はい」
シンドリにとって意外なことが二つあった。
ひとつ目は、オーディンス副団長が、驚くほど好感度の高い人物だったこと。大臣の嫡男だというから、相当に横柄な若造だろうと覚悟していたのだが杞憂に終わった。
そして、ふたつ目は、医師が診察をしていたことだった。
応接室に案内されると、三つ目の意外な事実が明らかになった。
「ブロックル先生?」
「やあ、シンドリ先生」
「もしや、診察した医師とは先生のことなのですか?」
てっきり不在なのだろうと思っていた王宮医ブロックル・ミンテグレンが、眉間にシワを寄せてお茶を飲んでいた。
「シンドリ先生、申し訳ない。私が先生を呼んでほしいとお願いしたのです。お忙しいのは重々承知しているのですが、絶対に信頼できる薬師と言ったら、やはりあなたになります。急なことで本当に申し訳ない」
「いやはや、一体これは……。あ、もしや一日に治療できる人数を超えましたかの?」
「それが違うのです。面目ない」
ブロックルの隣の席を勧められたので、シンドリはそこに腰を下ろした。座り心地の良い最高のソファーだった。
すぐに良い香りのするお茶が運ばれてきた。
なんとまあ年寄りに優しい場所だろうか、と思いつつお礼を言うと、丸いメガネをかけたメイドが「先生、どうか神薙様をよろしくお願い致します」と、深々お辞儀をして出ていった。
「シンドリ殿、すでにご承知の上ではあると思うが、念のためお伝えする。法に則り、貴殿には守秘義務が生じる」
オーディンスの言葉に彼は頷いた。
「はい。承知しております」
「当代の神薙に関して、如何なる情報も漏らしてはならない」
「はい」
「まずは、秘密と機密の違いを簡単にご説明しておく。不明点があれば、話の途中でも気にせず質問をしてもらって構わない」
「かしこまりました」
オーディンスは淡々と分かりやすい説明をする男だった。
漏洩した際に国家の安全を脅かす情報は機密情報、漏洩すると大変なことにはなるが国家を揺るがすほどではないものを秘密情報と定義していることが説明された。
「ここまで貴殿が見聞きしたものは、いずれも秘密情報に該当するものだ。例えば、神薙の住まいがこの場所であること。これは知られると大変ではあるが、妙な輩が入り込んでも我々第一騎士団が対処できる。だから機密ではなく秘密に該当する」
「なるほど。よく分かります」
「今から伝えることは、国家を揺るがす機密情報に該当する。機密に触れる者は国王陛下と守秘義務契約を結ぶことが義務付けられており、その身を保証できる第三者の署名が必要だ。ブロックル殿が貴殿の保証人になると申し出ている」
「ブロックル先生を保証人に国王陛下との契約を? ははあ、それはそれは……」
なんだか大変な話になってきたぞ。
シンドリはここに来たことを少し後悔し始めた。
しかし、ブロックルが顔をくしゃくしゃにして、「どうかお願いです。先生に断られると、もう他には思いつかない」と、彼に頼み込んだ。
他でもないブロックルが彼を国王に推していた。それに、ブロックル自身も同じ契約を結んで仕事をしている。
「これほど心強い仕事仲間など他にはいない」と、彼は思い直した。
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