第4話:王宮医ブロックル

 鞄を抱えて外に出てみると、今までの人生で乗ったことのない素晴らしい馬車が待っていた。

 車好きのペドロが興奮して鼻息を荒くしている。


「御師様、すごいですよ。これは六人乗りのフィアレという車種です。しかもそれのいいやつです。上位車種ですよ! うわあ、すごい。内装まですごい!」

「これ、ペドロ。よしなさい」


 騎士がくすりと笑いながら、シンドリのために扉を開けてくれた。


「これはグレンデルフィアレの最新の型です。うちの副団長がこだわって、振動を極限まで抑える部品を追加させた特別仕様車になっています。しかし、少し飛ばしますので、乗ったらベルトを締めてください」

「あい分かりました」

「御師様、あとで乗り心地を教えてくださいね!」

「はいはい。店を頼みますよ」

「お任せください!」


 こんな素晴らしい馬車で旅ができたら、さぞ楽しいだろうと、シンドリの心は再び美食と温泉の引退旅行へ向いた。

 しかし、格好の良い去り方は思いつかない。彼は堂々巡りをしていた。


 それにしても、なぜ神薙のような身分の高い人から自分が呼ばるのだろうかと彼は思った。

 王と同じ地位にある生き神ともなると、その体に触れられる人物は限られている。


「王宮医のブロックル先生がお忙しいのだろうか……」


 どこかへ出かけているのかも知れない。

 そんな時に事件か事故が起きた?

 縁があって、王兄殿下の蕁麻疹の薬は随分と前から作っていた。その関係で自分のことを知ったのかも知れない。だからただの王命ではなく、王とカール殿下の命で迎えが来たのだろう。

 シンドリは乗り心地の良い馬車に揺られながら考察していた。



 シンドリと王宮医ブロックル・ミンテグレンは旧知の仲だった。

 ブロックルは魔法が使える天人族の貴族で、シンドリは魔法とは無縁のヒト族の平民だ。

 しかし、二人は時折会って食事やお茶を共にして医療について語り合っていた。


 医師であり治癒師でもあるブロックルは、若い頃からこの王都で指折りの人気治癒師だった。

 彼が王宮医になったのも当然のことだとシンドリは考えている。


 治癒師には一日に治療できる人数に限界があった。

 天人族は魔力が減りすぎると体調を崩し、枯渇すると死に至る。本人が安全な範囲でしか治療は行わないものだ。

 ブロックルは他の治癒師に比べて一日に治療できる人数が多いことで有名だった。

 しかし、彼は人命を救うために、度々その上限人数を超えて治療を施した。使命感あふれる治癒師の宿命か、無理が原因で若い時分に何度か体を壊している。


 二人が出会ったのは、シンドリがニケの店を引き継いで数年後のことだった。

 ブロックルが一般市民向けに講演会を開くと言うので、興味を持ったシンドリは足を運んだ。

 満員の聴衆は一体どのような治癒魔法の話が聞けるのだろうかと期待に胸を弾ませていたが、ブロックルは彼らに向かってこう言った。


 十人が風邪を薬で治してくれたなら、治癒師はその分の魔力で命の危機に瀕した人を少なくとも二人救える。

 だから薬を使ってくれ。薬師の知恵にも頼ってくれ。

 医師の診察しか信用できぬと言うのなら、診察を受けて処方箋をもらい、それを持って薬師のもとへ行ってくれ。


 ブロックルは魔法の話などそっちのけで、薬草の効果とそれを扱う薬師の重要性を説いていた。


 当時の王都では、医師と治癒師と薬師は完全に別々のものだった。

 医師は医療知識持つだけの人であり、研究者に近い存在だった。日中の僅かな時間を一般市民の診察にあてる者はいたが、基本的に診断と助言だけをしていた。

 高度な教育を受けねばなれない職業だったため、全体の人数は少なかった。


 病気や怪我を治すには、治癒師か薬師が必要だった。

 多少高額になってもすぐに治療してもらいたい人は治癒院へ行く。そうでない者は薬屋へ行った。

 治癒師は天人族のごく一部にしかなれない職業であるため、そもそも数が少ない。加えて、各人の魔力の限界があるため、早い者順だった。

 しかし、薬師は勉強さえすればヒト族でもなれる職業だ。学校へ行く経済的余裕がなくても、シンドリのように誰かに弟子入りして学ぶこともできた。大変な努力は必要だが、入り口が広いため治癒師に比べれば大勢いる。


 お互いに商売敵と言うほどではないが、治癒師の口から「薬を使え」という言葉が出ることは有り得ない世の中だった。ましてや医師まで巻き込んで互いに協力し合うことも考えられなかった。

 ブロックルはその高い知名度を利用して、王都の医療に対する意識改革をしようとしていた。


 講演を聞き終えたシンドリはそのまま真っすぐは帰れなかった。

 関係者と思しき人に、感想を伝えてもらおうと声を掛けたところ、ブロックルの控え室に通された。

 そこで二人は出会った。


 当時シンドリは三十八歳だった。

 ブロックルは彼よりも十歳若いが、いくつかの戦場を経験していたせいか、その年齢には見えないほど落ち着いていた。

 その日以降、二人は時々会って食事を共にし、お茶を飲みながら王都の医療や健康について語り合うようになった。


 そして、会うよりも頻繁に患者を紹介し合った。

 ブロックルは薬で治る病人を率先してシンドリに紹介し、シンドリは薬では完治が難しい患者をブロックルに紹介した。

 ブロックルはシンドリの紹介状を持ってきた患者には、問診もそこそこに急いで治癒魔法を施した。代金は長期の分割払いもできるようにしてくれた。

 シンドリはブロックルの処方箋を見ると、すぐに調合に取り掛かった。

 王都の健康を守るという共通の使命感を持つ二人の間には、言葉で語り合うよりも強固な信頼関係が築かれていった。


 その後、ブロックルは王宮医になった。

 街中にあった治癒院を別の治癒師に譲り、第一線を退いた。

 もはや王都でブロックルとシンドリの名を知らない者はいない。本人たちが思っている以上に二人は有名人だった。

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