第3話:えらいこっちゃ
弟子が車を買ったせいで、すっかり去る機会を逸してしまったシンドリは、新たな『格好良い去り方』を模索していたが、妙案は浮かばないままだった。
新しい薬草も植えてしまったし、しばらくはこのままでもいいか……と思いつつ、彼は庭いじりに励んでいた。
そんなある日、けたたましい音を立てて店の扉を開ける者がいた。
店内の掃き掃除をしていたペドロが頭を上げて入り口を見ると、紺色の服を着た若い男が突進してきていた。
彼は咄嗟にほうきとちり取りから両手を離して飛び出した。
「シンドリ殿! シンドリ殿はおられるか!」
「お客様、落ち着いてください。奥におりますが、御師様は高齢です。そう興奮している方に会わせるわけには参りません!」
両手を広げて客を奥に近づけまいと制止する。
よく見れば、男は王都騎士団の制服を身にまとっていた。とてもとても力でどうこうできる相手ではなかったが、高齢の師に何かあっては困る。ペドロは必死で止めた。
「すまない。興奮しているわけではない。急いでいるのだ」
「急病人でございますか?」
「そうだ。王命で、いや、王とカール王兄殿下の命で参った。我々と一緒に来て頂きたい!」
シンドリは誰かに名を呼ばれたような気がしてひょこっと奥から顔を出した。
「おや、騎士様。どうなさいました? 怪我ですかな?」
「御師様、大変でございます! 国王陛下とカール殿下の命令だそうです。一緒に来て頂きたいそうです」
「カール殿下が? また蕁麻疹の薬ですかの?」
ペドロが手を離すと、騎士はつかつかとシンドリに近づいた。
騎士の服には獅子が百合を抱えている紋章が刺繍されており、それがずんずんとシンドリに近づく。
騎士は小声で言った。
「シンドリ殿、患者は神薙様です」
「なんと……! では、あなた様は……」
「自分は第一騎士団の所属で神薙様の護衛を担当しています。先生をお連れするために参りました。外に馬車のご用意があります。道具など一式は我々が運ばせて頂きます」
「こりゃあ、えらいことになったぞ」と、シンドリは思った。
神薙とは、この大陸に一人しかいない生き神の女性だ。
天から降りてくるとか、異世界からやってくるとか、泥で作った人形に誰かが命を与えたとか様々な説がある。どのように選ばれたかはおろか、その出自も名前も公表されていない謎の存在だった。
前の神薙が退位したのは、半年と少し前。まだ一年経っていなかった。
「新しい神薙様ということでしょうか。しかし、神薙様なら王宮医のブロックル・ミンテグレン先生が拝診するのでは?」
「申し訳ない。規則により、ここでは詳細が話せない。屋敷に着き次第、上官のオーディンス副団長よりご説明をさせて頂く」
「なんと……。オーディンス総務大臣のご家族様ですかの?」
「ご嫡男だ」
「そ、そうですか。それはそれは……」
次々と大物の名前が出てきてシンドリは焦った。
この王国で上から数えたほうが早い人々の名が連続で出てくると、心臓が縮こまるような思いがする。
「準備も手伝わせて頂く。団員を数名呼び入れるので、何なりと指示を出して頂きたい」
「か、かしこまりました。ではペドロ、店番を頼む」
シンドリは早足で奥の部屋へ行き、道具入れの鞄を引っ張り出した。道具は大した荷物ではないが、問題は何の材料を持っていくかだ。
えらいこっちゃ。
えらいこっちゃ。
八十を過ぎてもこんなことがあるものなのだな。
シンドリの心は落ち着かない。
しかし、生き神様だろうと何だろうと、患者には違いなかった。
「騎士様、荷物に入れる材料を決めるのに、最低限の質問をさせて頂いてもよろしゅうございますか。ここにはあまたの材料がございます。土に植わっている状態の薬草まで含めると大変な数なのです。とてもすべては持っていけません。ある程度まで絞り込まなくては、出先で調合することは不可能です」
「うむ。答えられる範囲で答えたい」
「個人情報が含まれていると言えないのですよね?」
「それ以外もあることはあるが、その傾向が強いのは間違いない」
「わかりました。まず、ご病気ですか、それともお怪我ですか?」
「……怪我だ」
「では、ご本人以外にお怪我に関わった方はいらっしゃいますか?」
「……いる」
「かしこまりました。ありがとうございました」
「それだけで材料が決められるのか?」
「おおよそは」
事故か事件であることが分かれば、シンドリには十分だった。
消毒薬、炎症止め、化膿止め、痛み止め……、それから良く眠れる薬と、万が一に備えて心を落ち着かせる薬、胃の薬の材料も持っていく。一応、ガーゼと包帯も鞄に入れてあった。
彼は裏庭へ行くと、次々と薬草にハサミを入れて葉や茎を収穫し、手伝いの騎士に頼んで切り口に濡れた紙や布を巻きつけ、紐でくくらせた。根っこが必要な植物は引っこ抜き、土を落として袋に入れた。
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