第4話 鉛空(なまりぞら)

 朝は比較的晴れていたのに、中天ちゅうてん(正午)を過ぎたあたりから、重そうな雨雲が垂れ込め始めていた。


 空からは時折、ゴロゴロと軽雷けいらいが響く。

 まだかなり距離はありそうなものの、遠方空には、閃光せんこうらしきものが走っているのも見てとれた。


 ———— こっちに来られたら、嫌だな。


 草地に挟まれた土道を歩く狛は、追加で補充するよう命じられた薪束を腕いっぱいに抱えながら、眉を八の字に寄せる。


 草の波がざわざわ畝り出した。

 これはすぐにも降り出しそうだ、とにかく急ごう。そう足を早めようとした狛は、


「……ん?」


 つと目に入った、左斜め前方の風景に足を止めた。


 左側に広がる草原くさはらの中、道へりから十数歩分ほど入った所に、通る度目につく黒い石の塊がある。


 一丈半(約3.5m)四方位で、高さは狛の背丈より低く、角張った台座のような形をしていた。

 あきらかに人が造ったものだ。


 全体としてはそれほど大きくないものの、組まれている石のひとつひとつは、結構な重量感がある。組み上げるには、たいそう労力がいただろう。


 なにより、炭で塗ったように真っ黒な石肌が艶々つやつやと光沢を持って美しく、それだけでも存在感があった。

 ……見方によっては、恐怖心もあおるほどに。


 いつ頃造られたものなのか、あまりにどっしりしているから年期ものにも思えるにしろ、漆黒のために風化度合いは測れなかった。


 狛はそれを初めて目にしたとき、何かのかな、と考えた。

 しかし、石の表面には自然の凹凸はあれども、碑ならばありそうな文字も装飾も見当たらない。


 周囲の誰も、いわれを知らないようだ。

 たぶん別段特別なものでもないんだろうと、狛は石塊の存在をさして気に留めなくなっていた。


 なのに今、狛はその石塊を見て足を止めている。

 普段あまりひと気のない黒色石造物のかたわらに、独りの立ち姿があったからだ。


 その華奢な立ち人に視線を固定した狛の目が、驚きにまたたく。


「……!」


 佇む影。それは、例の身形みなり良い子児こども —— よう様であった。


◇◇◇


 『遙様』は、何のつもりか重暗い空を黙って見上げ、静かに直立していた。


 体も顔も、石造側に向けてはいない。

 頭の上位置で縛られた髪束が、強めの風に流され、波形を描き泳いでいる。


 ———— 最初に厩舎きゅうしゃで見かけたのは、ひと月ちょっと前だったか。


 そんなに間をおかず代価品に回されるだろう、としていた狛の予測に反し、その子はどうも、そうなっている様子がなかった。


 それどころか、いまだに全身小綺麗こぎれいに整えられ、一族の上役から、何やら大切に扱われている印象である。

 ……もっとも、首長邸内の生活など、僮僕にはわからないのだが。


 狛は目を凝らせ、一段集中して相手を観察してみた。


 性別はやはり、外見では確定判断が付かない。

 なので着ている服装から、取り敢えず決める。


 ———— 男、としとこう。


 狛はその少年の姿を、あれからもう一、二度、垣間かいま見たことはあった。

 いずれも距離は近くなかったが、とにかく誰よりひときわ色白で、場違いに端正なかおをしているのが遠目にもわかり、意識せずともつい、目に入ってしまうのだ。


 そしていつ見かけても、妙に落ち着き払った、子どもらしさのない ——正確な歳は知らないが —— 変な奴だな、とも感じていた。 



 薪を抱えたまま突っ立っている狛は、これまでで一番近い距離で眺める少年のかおに、目線が吸い付いている。


 ———— きれい……だな。


 間近に見る遙様は、どう言えばよいか……まだ年少というのに、その横顔からたたずまいまで、全体が得も言わずうつくしく見えて、狛は眼が離せず、知らずポーッと見とれてしまっていた。


 視線に気付いた相手が、狛の方へ貌を向ける。


「……!!」


 白貌はくぼうにどきりとして、狛は不覚にも赤面し、抱えていた荷を落としてしまった。

 ガララッ、と薪枝が散らばる。


「あっ……と!」


 慌ててばらけた薪を拾い集める。

 なんだか妙に恥ずかしくて、顔を地面に向けたまま集めた。


 すると。

 腰を折っているの狛の顔前に、薪が二本、差し出される。


「……!?」


 上目遣いに額を上げれば……目の前に、いつの間に近付いたのか、拾った薪を手にした中腰の遙がいるではないか。


 ———— ……ち、近い!


 目の焦点をどこに合わせたらいいかわからず、狛は困惑する。


「きみは」


 薪を渡してくれている遙が、先に口を開いた。

 狛が遙の声を聞いたのは初めてだ。見目の雰囲気は大人っぽいが、声色は濁りない少年のそれである。


 薪を受け取った狛は立ち上がり、やっとなんとか相手の顔を正面から見た。

 整った目鼻立ちは、一見無表情だが、特に不快そうでもない。


 その殊色ししょく口許くちもとが問う。


「きみはいつから、ここに?」

「……」


 『いつから』が、今この場での時間についてではないことは、狛にもわかる。

 動揺の目付きを、どうにかして隠そうという苦しい努力をしつつ、狛は答えた。


「最初っから。……赤児あかごの時、拾われた」


 もちろん、狛自身にそんな記憶はない。ただそう説明されている。

 ありふれた戦孤児だろう。どこの場所で拾われたかは、知らない。


 狛はそこで、一度きちんと深呼吸をして落ち着きを戻すと、気を振るって逆返しした。


「あんたは、どこから?」


 再び雲空へと視線を戻した遙が、淡白に言う。


泰山たいざん

「泰山……」


 その地名は、狛もおぼろげに聞いたことがあった。

 確か、何やら死者を誘う聖地とかで、世の人々がたいそう崇めている岳、だったか。


 とはいえ、まともな教育を受けたことのない狛に、そこの位置まではわからないし、正直そんなことはどうでもよかった。


 ……それよりも。


「で、その……あんたもやっぱり、さらわれて来たのか?」 


 されている扱いからすると、どこかの高官か富豪家の子息なのかもしれない、と推測する。


 遙は目線を鉛空に遣ったまま、少し間をおいてから。


「泰山で乱があった。父はわたしの目の前で、斬られて死んだ」

「……」


 狛は昨今の世相について、漠然とではあるものの、もうひとつ知識を得ている。


 長かった漢王朝の力が極端に衰え、そこに乗じた輩による無法な反乱が、地上の至る場所で頻発し始めていること。

 だから、狛の客である傭兵ようへいたちのような仕事が流行はやるのだ。


 暴動、動乱、戦争、略奪、人攫い、……殺人。

 狛の脳裏に寸瞬、栗の顔が過る。


 ———— この子、戰場を体験してるのか。


 身内を持ったことのない狛には、『父親が死んだ』と告白されたところで、正直、充分な心情想像はつかない。


 けれど、死は友達でも辛かった。身内ならきっと余計だろう。

 ましてや、目の前で斬殺されたほどならば。


 狛はふと、石造の方を一瞥いちべつする。

 説明できる理由はないが、『死』という単語とこの石造の印象とが、何とはなしに繋がった気がしたのだ。


 狛の目線に遙が反応した。


「きみはこの石造が何か、知ってるのか?」

「え」


 準備していなかった遙の尋ねに狛は戸惑い、急いで首を横に振る。


「い、いや。多分、道の古い目印かなんかかなと」


 黒い石塊に同じく顔を向けた遙が、ぽそりと。


「これは墓だ」

「……墓」


 ああそうか。

 どういうわけか狛は自然に受け止めた。


 重量感ある塊を、狛はあらためて観察する。

 使われている石材は、その辺に転がる雑石ではないだろう。こんなに威風色を持つ石は、郷界隈かいわいでも他に見かけたことがない。


 石の評価基準の心得なぞ持っていないものの、狛は推想してみる。


 これはきっと貴重な素材で、そこに、葬られた者への想いが込められているのではないか。


「これは、垓下がいかの石だ」


 石に注視する狛の気持ちを読んだかのように、遙が言った。

 声色は少年だが、語調は当初からの見目に釣り合い、子どもらしさがない。

 もしかして歳上かな、と狛は思う。


「垓下の石?」

「その辺りでは、こういった美しい貴重石が採れると聞いた。ここから遥か遠方というほどでもないが……運ぶのは、大変だったろうな」


 博識らしさを感じさせるのに、遙からは聄のような不快さを感じない。


「垓下の貴重石……」


 垓下がどこかの地名らしいことは狛にも察せられるにせよ、その名は泰山と違い、耳にしたことがなかった。


 詳しく尋ねようとして……しかし狛は言を引く。


 問うて説明をして貰えたとしても、地理知識があまりに皆無である自分は、その先もわからぬことが続いて、質問を繰り返すことになるだろう。

 しかも聞いたところで、頭の中に地図なんて描けない。


 ならばと視点を変える。

 墓なら誰か人を葬っているはずだ。なのにこれは、表に文字のひとつも書かれていない。


「墓って、誰の?」


 一息いっそく間をおいて、遙の返答。


「軍神」

「てことは、神?」 

「もとは人だ。死んで神とされた者」

「……」


 人も神になったりするのか、と狛は初めて知る。

 土地爺とちろう(土地神)とかは聞いたことがあるけれど、もとが人である神というのは、それとはまた別ものなんだろうか。


「……」


 遙との会話を続けようと、せっかく違う観点に振ったつもりなのに、また、狛の知らない方向話になってしまった。


 狛は心中の一方で、もっと知りたい気持ちを湧かせつつも、これ以上は己の無知さを際限なく露呈ろていするように思えて、その先の尋ねをつぐむ。


 ここまで意外にも饒舌じょうぜつでいた遙の次の言を、狛は暫く待ってみた。

 始めに狛がした『さらわれたのか』という問について、遙はまだ否定も肯定もしていない。


 されど遙はそれ以上語ることなく、空を見上げ続けるばかりであった。


 遙の静謐せいひつな姿を、狛もまた黙して視つめる。

 墓の話も然り、きれいな貌はしているけれど、やっぱりどうにも不可思議なやつだと、狛はあらためて思う。


 考えてみれば、この郷には新参者なはずの遙が、どうしてこのふるそうな石造のいわれなぞを知っているんだろう?


 ……それとも、でたらめな作り話か。


 ———— 石造のことは、まあいいや。


 狛は、遙との初めてのやり取りを整理した。

 ここでの話で重要なのは、遙が父親を殺されたことでこの郷に連れてこられたらしい、ということなのだ。


 ———— ……つまりはさ。


 心中つぶやく。


 ———— この子も俺も、どっかの誰かが勝手に始めた、戦世の巻き添えを喰わされてる、ってことなんだよな……。



 ポツ、ポツと感じる水滴感触。

 空を見上げた狛の額に、雨粒が落ち始めた。


「……あ! 雨」


 気付けば軽雷は消えている。

 それでも、濡らしてはいけない薪を抱えた狛は、さっさと戻るべきだ。


 遙の方を伺ってみた。遙はその場を動く気配もなく、相変わらず灰空を見上げ続けている。


 狛は、遙を残しては何となく、去りがたい気持ちになってしまう。

 付け加えのように、もうひとつ訊いてみた。


「他の家族は、どうした?」


 遙は姿勢を変えずに。


「……さあ。わからない」


 遙の音吐おんとには、悲しみも不安も含まれない、奇妙な落ち着きがある。

 子どものくせに、感情を制御でもしているんだろうか。


「……そうか。じゃあそこは、俺と同じだな」


 慰めようとでもしたのか、つい妙に馴れ馴れしい言を発した自分に、狛は自身で驚いた。


 行き場のない照れを隠すために、狛も遙にならい、上空を見上げる。


 雨足がやや強くなった鉛空なまりぞら見遣みやる二人の頬を、空から落ちる雫が濡らし続けた。



<次回〜 第5話 「胸声きょうせい」>

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