3 敵陣
タツヤが草むらをかき分けすすむと、繁る葉の向こう側に人の気配を感じた。
タツヤは敵だとばれないように腕章を外した。デンバー・王国の連合軍に傭兵として雇われたタツヤの装備は自前のものである。
動きやすさを重視する彼は額の鉢金と、薄い篭手、服の下に着込んだ鎖帷子という最低限の防具しかつけていない。
王国軍の主力部隊が身につけるような統一された鎧を着ているわけではないので、うまくやれば傭兵であふれる敵陣に紛れ込むことができるのである。
タツヤが草陰からのぞくと、いくつかのテントが張られ、傭兵たちが出番に備えていた。
じっと座って動かない者、弓の手入れをする者、酒を飲む者……。タツヤはテントの裏からそっと合流した。
「なぁ」
「ん?どうした?」
タツヤは大胆にも傭兵の一人に話しかけた。
「伝令なんだが、領主様は今どこにいる?」
タツヤ一人対数千人ではいくらなんでも勝負にならない。タツヤに勝つ好機があるとすれば、密かに敵大将の首を取ることである。
「ん? おまえは……」
頬のこけた傭兵は訝しむような視線をタツヤにむけた。タツヤは息をのんだ。
「……新入りだな!」
「は、はい!」
「領主様はな、お屋敷から一歩も出ていない」
「え、じゃあ、誰が指揮を?」
「そんなことも知らずに戦場に来たのか? これだから若いもんは。大将は悪名高き裂風団のホイールさんだぞ」
山に籠もり修行していたタツヤは知る由もないが、それなりに名のある傭兵らしい。悪名高い、というのは金を積まれればなんでも引き受けるからであるという。
「で、そのホイールさんはどこに?」
「最前線で戦っているらしい」
敵軍が傭兵の寄せ集めであったことは、タツヤの潜入を助けた。統率がとれた軍では異物となるが、装備もバラバラの集団のなかではタツヤの装いでも目立つことはない。
タツヤはいくつもの傭兵団を抜け、早足に前線へと向かっていった。だが、両軍の衝突場所である岸辺までもう少しというところで、タツヤを後ろから呼び止める者がいた。
「そこの者」
タツヤは肩に手をおかれた。
「えっと……」
タツヤはつわものの気配にぎくりとして振り返った。
そこには無精ひげをはやしたやつれた男がいた。歳は五十を超えているようである。しかし、眼つきからは精悍さを感じる。
「その漆黒の髪に、その刀。おぬし、シキオリの者だろう」
「そうですが、もしやあなたも……」
シキオリはタツヤの祖国である。だが、もはや忘れ去られた国であり、彼をみて、そこの国のうまれであると気がつく者は少ない。
「そうだ。俺もシキオリの者だ。名はゲンゾウ。旧コウズケ郷のうまれである。おぬしは見たところ若いが……どこの生まれだ」
「俺はタツヤ。旧シンシュウのうまれです。山中の隠れ里で育ちました」
「なるほど、いくつかの村が隠れ里となり、いまだにシキオリに暮らしている者がいるとは聞いていたが……。ここで同国の民にあえるとは感慨深い」
ゲンゾウは幼少期に国の滅亡に際し、以来、傭兵として食いつないできたらしい。
祖国の復興を願い、槍一本で戦地を渡り歩いてきたが、叶わぬまま現在も傭兵暮らしだという。特定の傭兵団には所属せず、
「こんな小競り合いの戦場にまで出なくてはならないのだから、俺もいよいよ落ちぶれたものだ」
ゲンゾウはかなしげな微笑みを浮かべて言った。
「だが、小競り合いとはいえ、いささか激しい戦闘になりそうな気配もある。タツヤ、おぬしは後方にいるといい。若きシキオリの血を絶やすわけにはいかぬ」
「それができないんです。ちょっとこちらへ」
タツヤは草陰で、首に刻まれた呪印をみせ、事情を説明した。
「おぬし、王国軍に雇われているのか……。悪いことは言わん。戦が終わるのを静かに待った方がいい。終わってしまえば呪印も効果をもたない。兵力もこちらが勝っている。さらに裂風のホイールは強い。デンバー領は明日には陥落するだろう」
「ホイールとやらはそんなに強いのですか」
「いくつかの戦場であいつの働きをみたが、並の兵士では近づくことすら難しい。容赦というものも知らないやつだ。混沌とした戦場では無類の強さを発揮するだろう」
「しかし、俺には行かねばならない事情があるのです」
タツヤの頭にあるのはエミリアのことだった。味方が敗勢に陥るのならば、なおさらに彼がどうにかしなければならない。
「事情とは?」
「それは……言えません」
目をそらしていうタツヤの様子に、ゲンゾウは何かを察したようである。
「……わかった。ならば、俺もついていく」
「えっ、どうして」
「言っただろう。若きシキオリの血を絶やすわけにはいかぬと」
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