第12話 名前は?

「でもね……容姿は時に人間を騙すのには丁度いいんだ」

「え? 騙すって? どう言う事??」

「——アナタ本当にお馬鹿さんなのね? 分からない?」

「え〜〜とぉ〜〜……ッッッ!!?? 〜〜〜〜〜ッッッ」

「ふふふ……そういうことよ」



 カイルは、恐る恐る少女を視界に捉える。すると……すぐ目の前には、鋭利な八重歯が覗く不敵な笑みと、自身の唇に人差し指を当てる少女の姿が……コレに一瞬にして紅潮したカイルは瞬間に少女の顔から視線を外す。心なしか心臓が激しく脈打ち……耳を胸につけているわけでもないのに、動悸が早く鼓膜に響く。



「本当に人間って単純だね——唇が触れたからって一体何だというの? 接吻とはよく分からない文化ね。でも、こちら(魔族)としては好都合……面白いように動揺を誘えるのだから……ねぇ〜?」

「うう……否定できない……」



 おそらく、少女の意識はカイルに向いているのだが……彼は内包した羞恥から、これ以上隣にいるであろう彼女の姿を視界に映せなかった。

 まだ薄らと紅潮する頬のまま……悔しそうに正面を視界に捉える。すると、駆ける馬車にかかる風が火照った皮膚には心地よく、次第に冷静さを取り戻す。


 すると……ここで——



「ところでさ。君……名前は?」

「…………名前? どうしたの急に……」

「急? むしろ遅い方じゃない? そういえば聞いてなかったと思って……」

「…………」



 カイルは少女の名前が気になった。それに……



「それに、僕のこと……さっきから人間、人間って——僕のことも……な、名前で呼んでくれないかな?」

「…………はぁあ?」



 カイルは、少女からの呼ばれ方に疑問を持ち、これを口にした。すると少女は呆気に取られた息を吐き出す。



「いや……だってさ。『人間』って呼ぶのって誰だか分からなくならない?」

「ふん。そんなの矮小な存在なんだから区別なんていらないよ。人間は人間で十分でしょ?」

「でも、僕たちの関係って『打算』なんでしょ? これからも、この関係を続けるなら人間って呼び方もどうなの? “魔族”だってバラしてるようなものだけど……誰が周囲で聞いてるかも分からないよ?」

「……ふむ……」

「それに、今朝は確か僕の事名前で呼んでて……あれ? そもそも僕、名前教えたっけ……?」



 なんてことのない要望だった。カイルは少女に臆さずに要件を伝える。彼女が馬車に乗り込み残虐非道を露わにせず大人しくしているのは謎だったが……それでも『魔族』と隠しているのは、ツノを隠すようにシーツを被ったままなのが語っている。だからか……カイルは自分の事を「カイル」と——そう呼んでもらおうと何気なく口にした望みだったが……ふと——気づく事が……

 街でのことだ。少女はカイルの「カノジョ」もしくは「妻」を演じたが……確かその時一度だけ「カイル」と名前を呼んでいた気がした。カイルの記憶では自己紹介などしたつもりがなかったものだから……つい気に掛かってしまう。



「そんなことは簡単、君の荷物を軽く物色したから……手帳やら、商談取引の書類をみれば、情報なんて簡単に集まるのよ」

「……ッえ?! 待って……じゃあ、荷物がグチャッとしてた気がしたのは……」

「…………」



 否定が返ってこない——



「そ、そういうことかぁ〜〜………」

「因みに、あなたが冒険者を雇わないと決めつけたのも、雇った記録もなければ、銅貨しか入っていなかった小袋を見れば容易に想像がつく。シケタ、お財布ね。あなた本当に商人?」

「それ以上言わないでくれ……悲しくなってくる」

「事実を言ったまでだけど?」

「——グフッ!?」



 カイルは落ち込み——思わず項垂れる。


 まさか、こんな言葉を魔族の少女に言われる日がこようとは……誰が想像つくのだろうか? 元はと言えば……これも全ては“トチ狂ったお人よし”の所為。そこに幾つもの偶然が重なって、今こうして『人族の青年』と『魔族の少女』が並んで馬車に揺られている。変な奇跡が起きたものだ。



「「…………」」



 そして……暫くの沈黙——



 カイルは気落ちしつつも馬車の手綱を操って——少女は再び頬杖をついて景色に夢中。聞こえてくるのは、馬車の軋みと馬の蹄……あとは風のせせらぎに小鳥の囀る歌声のみ——


 カイルは自然と考えることをやめ、そんな自然のコーラスに耳を傾けた。


 ただただ前を見据えて黙りこくる。


 しかし……



「エアリエル……」

「……え?」


 

 不意に左から呟く声。その正体——声の持ち主は少女ただ1人しか考えられない。



「エアリエル・フゥーエネニック・エニス」

「エアリ……ニック……え??」

「“え?”じゃない。アナタが聞いたことよ? エアリエル・フゥーエネニック・エニス……魔族には名前の概念がないけど…… みんなそう呼ぶ」

「あ!? ああ……名前……てか、長くね??」

「……そう言えば、あなた馬鹿だったよね。ならアリエルとでも呼べばいい」

「馬鹿って……まぁ、そんな長いの覚えられる気がしないけど——って、ちょっと待って……」



 少女は、カイルの疑問と要望に素直に答えた。一瞬、彼女の方を伺えばつまらなそうにそっぽを向く姿だけがそこにある。だが……そんな彼女の淡白な自己紹介にカイルは気づいたことが……



「アリエル? いや、エアリエルって……どこかで聞いたことがあるような……」



 彼女の名前に覚えがあった。特に魔族に詳しいわけではないカイルだったが……【エアリエル】との響きにはどこか既視感が存在した。だが、次の瞬間カイルは……



「エアリエル……えあり…………え? ?」



 とんでもない事実を口にした。







 

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