第14話
二木研哉の任意同行は明日、葬儀が終わるのを待って行うことで纏まった。研哉以外に喪主を引き継げるものがいないことや、逃亡する可能性の低さから決まった猶予だ。もちろん、万が一のために夜通し張りつきはする。
「以上、引き続き頼みます」
御山の告げた終了に、各自が次の行動へ移る。一方、淺井は自分のデスクへ戻り書類仕事へ取り掛かった。
御山は淺井を本人の要求通り現場から外し、新しい責任者に
「巻き込んで悪かったな」
淺井は島の先から詫びる。「惚れてしまったから外してください」と言ったかどうかは知らないが、「公正を保つ」という捜査の鉄則に則れば、現場から外れた淺井の選択は正しいものだ。でも、それを聞いた御山の驚きは想像に難くない。
独身街道を突っ走る淺井は、女も女遊びも好きな男だ。二次会が終わったあとは大抵、渋川達とこっそり消える。その辺のサラリーマンの振りをして風俗にでも行っているのだろう、とは御山の見立てだ。それでも相手が捜査対象なら、口ではどう言おうと決して揺らぎそうにない信念を持っていた。
そんな男が何故、清乃なのだろう。他人の嫁で、義理の兄と泥沼不倫中で、しかもその男の子供を妊娠中で、捜査対象だ。それにまだ会って二日しか。ふと腑に落ちて顔を上げた。
「一目惚れなら、どうしようもないんじゃないですか」
敢えて口にした「一目惚れ」を、淺井は頷くだけで流す。別にからかいたかったわけではないが、それにしても拍子抜けするくらいの手応えのなさだった。
「まあ元々ねじ込んで入れてもらってた身分ですし、渋川さんが車の鍵も持ってっちゃったし。気にしなくていいですよ」
似合わないフォローをしつつ、私もパソコンを立ち上げ画面に向かう。刑事は取り調べと逮捕しかしていないように思われがちだが、実際にはそれと同じくらい書類仕事がある。調書に比べれば楽ではあるが、報告書だの何だのと煩わしさはこの上ない。
「淺井さん、ちょっと」
御山の声に淺井は手を止め、腰を上げる。耳障りな音を立てる草臥れた椅子を押し込んで、戸口へ向かう御山のあとに続く。
御山の方が五センチ高く十キロ細い、といったところか。御山の顔は淺井の造りを三割ほど薄めて角を取り、色々細めにして滑らかにするとできあがる。細く通った鼻筋の先は下向きに尖り、笹の葉のような目は目尻に長く影を引く。上がり気味の一文字眉は眉尻までくっきりとして、見るからに「頭が良さそう」「仕事ができそう」な風貌だ。
今朝、久し振りに幸哉の顔を見た。病室で見たのは一瞬だったが、自分のことを覚えているかと後部座席でサングラスを外した。当時の私を惹きつけてやまなかった美貌は左の目と眉にしか残っていなかったが、削り出したような鼻筋は崩れていなかった。私より二段は明るい瞳の片方は義眼で、聴力も片方は失われて、ニット帽の下に隠された頭にはもう殆ど髪もないと言った。事件から暫くは爆音が蘇って、他人の声が聞き取れなかったらしい。
掠れるようにしか話せず、まともに息もできず、顔は次々に生まれるミミズ腫れのような痕で覆われた。清乃がいなければこんな風に生活することは愚か、あの家で自分が生きていられたとは思えない。
まあ良かったかどうかは分からないけどね、と幸哉は自嘲するように笑った。
清乃との面識を改めて訊くと、俺を好きだったらしいけどそんな子は山程いたし、となんの抵抗もなさそうに答えた。「昔は太っていて顔も丸く目も腫れぼったくて、今とはまるで違う顔だった」ことを伝えたが、ふうん、と斜め上を見ながら興味なさそうに返して終わった。
もし幸哉があれで清乃を思い出していたとしても、不可抗力だ。私のせいじゃない。それに、思い出してもらえた方が清乃だって嬉しいだろう。
不意の声に引き戻され、視線を上げる。
「次、お前だってよ。会議室」
「ああ、はい」
通路を戻りながら顎をしゃくる淺井に、席を立った。
聴取は十分ほどか。これくらいなら恐らく厳重注意で済むだろう。まあ、その判断を下すのは私ではない。
「庇わなくていいからな」
「そんな高等技術、持ち合わせてませんよ」
冗談のように返したが、実際この手のフォローは不得意だ。口でああだのこうだの、そんな弁舌能力は備わっていない。取り調べの駆け引きを覚えるのは課題の一つだ。清乃の取り調べは、またねじ込んで私がさせてもらう。
ドアノブをひねりながら、当たり前のように浮かんだ思考に溜め息をつく。私が清乃を疑っているのは私怨か刑事の勘か、淺井には否定したが本当は自信がない。
死ぬほど格好いい、大好き、付き合えたらどうする、と馬鹿の一つ覚えのように毎日喚いていた。見た目も頭も、それこそ「何の取り柄もない」くせに、なぜ自分にそんな資格があると思うのか、身の程知らずの女だとずっと蔑んでいた。何故誰も「お前となんか誰も付き合わねえよ」と言わないのか、現実を思い知らせてやらないのかと苛ついて仕方なかった。
男共も「あいつら煩えよなあ」と散々言っているくせに、教科書だのノートだのを借りる相手は清乃だった。調理実習のおこぼれを頼まれるのも、班作りの時に真っ先に声を掛けられるのも清乃だった。
私が一度たりとも幸哉への恋心を口にしたことはなかったのは、身の程を弁えていたからだ。自分のようなブスに、男のような女に好かれても迷惑だと分かっていた。私は清乃のように幸哉の迷惑を考えられない女でも、「女の子はピンク」に何の疑問も持たないステレオタイプの馬鹿女でもなかった。自分で考えられる頭を持っていた。
幸哉だって清乃を「取り柄がない」と切り捨てたのだから、私は正しかったのだ。幸哉にふさわしいのは、清乃ではなかったはずだ。
噴き出した過去の毒を深呼吸で押さえ込み、会議室のドアをノックする。向こうから聞こえた合図に、ノブを捻った。
御山はいつも通り一番奥の辺にいたが、真ん中ではなく左端だった。ちょうど角で、斜向かいで話ができるからだろう。
「まあ、後続の指名には言いたいこともあるだろうけど」
御山は私が腰を下ろす前に口火を切った。
「別にいいですよ。淺井さんが外れたのは仕方ないことですし。その代わり、二木清乃を取り調べする時は、私にさせてください」
突きつけた要求に御山はペンを置き、渋い顔で椅子へ凭れて腕を組む。ぼろいパイプ椅子が、私を拒絶するように耳障りな音を立てた。
「そんなに、任せられませんか」
「そうじゃない」
苛立ちを隠さずぶつけた私に否定を返し、長机の上でゆっくりと指を組む。いつものように、節の目立たない滑らかな指の一本には指輪が嵌められている。結婚して何年経つのか、子供は何人いて何歳なのか、そんなことは一度も口にしたことがない。口にしなければ聞かない女だと分かっていて隠している。清乃はなんと言ったか、思い出せないが思い出したくもない。
「捜査の原則は『公正を保つこと』で、淺井さんはそれが守れなくなったから外れた。君も、別口で外れてるように見えるんだけど」
「それで、私を除け者にするのが分かってて渋川さんを指定したんですか」
淺井が外れたことで結果的に省かれるのなら仕方ないと思えたが、意図的な采配なら話は別だ。
「他の事件の時とは、肩入れ具合が明らかに違うだろう。彼女に私怨があるんじゃないのか」
「ありませんし、公私の区別くらいつけられます。その辺は、よく『お分かり』なんじゃないですか」
叩きつけた皮肉交じりの返答に、御山は目を閉じて諦めたような息を吐いた。そのまま頭を左右に倒し、ようやく目を開く。こちらを見ているが私は見ていない、分かりやすい反応だ。昔、こういう教師を何人も見てきた。対処療法でその場凌ぎの、安易な方法で一時的な波風を押さえ込もうとする時の顔だ。口元の薄い笑みまで似ている。
「分かった、怒るなよ。取り調べのことは考えとく。それで、淺井さんのことなんだけど」
懐柔を図るように口調を崩して宥めたあと、すぐに逃げた。
「端で見てて、二木清乃に惚れてると思ったのはいつだった」
「初日の、二回目の聴取の前です。聴取対象が好みなら自分が行きたがるのに、私に行かせたので。『惚れたら支障が出る』と自分でも言ってました」
「支障を感じたのは」
「今朝の聴取のあとからです。どちらの子供かが聞けなかったと諦めて帰って来て、任意同行のことも口にできなかったと。今回通ってる病院と過去に不妊検査を受けた病院は別だったんですが、それも見落としました。その他には特に感じませんでした」
「彼女に手を出したり、絆されて便宜を図ったりした様子はあったか」
「ありませんでしたし、ないと思います。そうなる前に捜査を外れたはずです」
分厚いノートに素早く走らせていたペンは、その答えを書きつけたと思われる辺りで止まる。
「処分は追って通知するけど、まあこの程度なら問題ない。念のため、このまま淺井さんのサポートについて見張っててくれ。この先、便宜を図らないとは限らない」
「分かりました」
気は進まないが、リスクヘッジとしては正しい判断だ。捜査を外れたからといって無事解決というわけではない。淺井自身もこれくらいのことは予想しているだろう。
ああ、と呼び止める声に振り向く。
「今晩、会えるか」
「はい、暇になったので」
御山は苦笑で応え、追いやるように軽く手を払う。私は笑えないが、言い返さないまま会議室を出た。
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