第17話 家族の時間を取り戻す為に


 聖堂のステンドグラスから、月明かりがこぼれ落ちていた。


 精霊心姫ハートを讃える像の前では、マルタのような太い槍の横でドレミダが構えを取っている。

 一方で、ディーノは時間の止まったミレニアに抱きしめられている状態であり、自由に動くことができずにいる。


 ――――なんてことはなく、ディーノの裾から煙玉を落として爆発させた。


 ディーノはそのまま煙の時間を加速させて、聖堂の中はあっという間に煙に充満される。


「チッ!」


 充満する煙を魔法でどうにかしようとするドレミダ。

 だが、ディーノの魔力はドラゴンと同じ『優先』の性質を持ち、ただの人間の魔術ではそれを押し止めることは叶わない。


(落ち着け。五感を研ぎ澄ませれば――――)


 走る足音が聞こえたかと思えば、すぐさまステンドグラスの割れた甲高い音が聖堂に響く。


(頭上――――そこから逃げる気か!)


 ディーノの勝利条件はミレニアの奪還であり、自分を殺すことではない。

 ここへ来た時にディーノ達が出した要求はミレニアの返還だった。その事を思い返したドレミダは、このまま逃走するだろうと仮定付けた。


「そうはさせるか!」


 すぐさまステンドグラスの割れた箇所へ音もなく駆け上がり、確認するために割れた箇所から下を覗く。


 そこで、突如としてドレミダの頭に衝撃が走る。

 ステンドグラスをかち割った後、上に登っていたディーノが全体重を掛けたドロップキックで強襲したのだ。


 その衝撃が理解不明のまま、ドレミダは体に走る衝撃を受け流す。

 だが、上から落ちてくるディーノに掴まれ、地面へと叩きつけられてしまう。


 ステンドグラスの裏は誰も居ない裏庭で、ディーノとドレミダだけが対峙していた。


「卑怯な……!」

「オイオイオイオイ! その歳でお上品にしか戦えないのかよ? おおっと、もしやリング上では、お相手に介護でもしてもらっていたのかなァ!?」


 軽口を叩くディーノを見て、ドレミダは気づく。

 抱きついていたはずのミレニアがいなくなっていることに。


「おい、ミレニア様はどこだ!? どうやって抜け出したのだ!?」

「さあ?」


 すっとぼけるディーノ。

 だがドレミダは、聞かれた瞬間、ディーノの視線が上に泳いだことを見逃さなかった。


 すぐさまディーノの視線が向いた先を見れば、人一人分をくるんだような風呂敷が、屋根の角に引っかかっていた。


「お前……お前!? なんて扱いを――――」


 動揺するドレミダを見逃すはずも無く、ディーノはその顔面に拳を叩きつける。


 だが、手応えが薄い。

 ドレミダは拳を受ける瞬間、衝撃を逃がすよう体を動かしていたからだ。


「体さばきだけはいいらしいな」

「貴様の称賛なんぞ、毛ほども嬉しくないわ!」


 徒手空拳の攻防が繰り広げられる。


 ディーノの一撃はドラゴンのそれ。

 ドレミダの一撃は極められた格闘技のそれ。


 どちらもまともに喰らえば、致命傷は免れない。


 そんな一撃を、ディーノは肉体の限界まで反射神経の時間を加速することで対処し、ドレミダは体術を使いその威力を殺しいなすなどで対処している。

 踏み込めば地面が弾け飛び大地が揺れるディーノの猛攻を、肉体の技量だけで打ち合うドレミダの姿は、さながらドラゴンと人の頂上決戦である。


「我々は被害者だ! 国に己の信仰を否定され、犯罪者に貶められた! その為にこの国を潰す! この道以外、我々は幸福の道を歩めやしないのだ! だから、そこを退しりぞけ!!」

「過激な行動は反感を買うだけだろうが! それとも御老体、お前は歴史書はおろか、新聞を読んでいらっしゃらなかったかなァ!?」


 ディーノの暴れっぷりで、地面は隕石が雨のように落ちてきたのかと思うほどに穴だらけ。


「俺はお前から我が子であるミレニアを奪われ、愛するマリスを悲観の海に沈め、この頭をふっ飛ばされた被害者中の被害者だ! その被害者の俺が、お前がいなくなれと言っている! お前の論調通りなら、この要求は通って然るべきだよなァ!?」


 そんな穴の中で殴り合う二人。

 相手に魔術を使わせない為の妨害工作でもある。互いに決して距離を取らせはしないと言わんばかりの猛攻だ。


 ディーノは宙で一回転してドレミダに踵を叩き落とす。


「断る!」


 ドレミダはそれを腕で防御し受け止める。

 鍛えた手足が軋む、だが受け止められると判断してのこと。


 そこでドレミダは気がつく。

 なぜ自分が受け止めきれる攻撃をしてくるのかと。


「ダブルスタンダードクソジジイめがッ!!」


 その勢いを利用し、ディーノは穴の上空まで飛び出していた。


「――――【時よ、逆行しろ】!」


 すぐさま時間が逆行し、飛び散った地面達が穴へと集約する。


「やってくれる!」


 自分の体を加速させ、素早く穴から脱出するドレミダ。

 穴が浅かったかと言わんばかりに、ディーノは悔しそうに舌打ちをした。


 殴りかかるドレミダをいなしながら、ディーノは遠い目をして語り出す。


「俺は実の父親に実験体にされた。あいつが最強になる為のモルモットにされたんだ!」

「突然何の話を……ならまあ、そのお父上には感謝したらどうだ?そのお陰で今、私と戦えている!」

「実験は失敗して、俺は首長四つ足の貧弱ドラゴンになった。レイナが俺を治療していなければ俺はまともに人であれなかったんだよバカが!!」

「それは……ううん」


 思わず敵であるドレミダも唸る境遇。

 そんなふうに動揺を見せながらも、隙は愚か残心すら忘れていない。


「マリスだってそうだとも! 両親虐待で孤児院に入ったってのに、里親はその性能だけが目的だった! その性能『だけ』だ! 顔も体も削ぎ落とされて、外国で聖女の代用品をやらされてたよ! 宗教の被害者だ!」

「一括りに宗教だからといって断じるな!!」

「それは仰るとおり! だがその里親とお前は間違いなくクソだよ!! バカにでもわかるようもっと主語を縮めるとしよう――――お前はクソ野郎だ!!」


 渾身の一撃がドレミダの腹を捉える。

 その衝撃をドレミダは完全に殺しきれず、塀を突き破り外――――五キロメートル先にある、山脈にまで叩きつけられた。


「が、はっ!?」


 ワームホールを形成して立て直そうとするが、その上からディーノが魔術をかけてワームホールの時間を止める。


(この距離だぞ!? 視認しているのか……化け物め!)


 その魔法現象を拳で砕くドレミダだったが、自分の作ったワームホールまで砕けてしまった。

 実質、ワームホールを通れなくされているのと同義である。


「……つまるところ、だ」


 山脈に叩きつけられたドレミダに対し、木々をなぎ倒し、それをドレミダに投げ飛ばしながら接近する。


「お前は俺達が最も忌み嫌う行為を、俺達の娘にしたんだ。それは許されざることだ」

「……娘、娘だと? ハッ!」


 それを回避し受け流しながら、ドレミダは笑い飛ばした。


「お前は拾った子供に娘という看板を掲げさせただけだ! 本物の、血の繋がった家族じゃない!!」

「……今のを聞いてそれが出てくるのか。お前の人生に、国語という学問はなかったのか?」


 ようやくドレミダの所に追いついたディーノは、呆れ果てているのか哀れんでいるのか、そんな感情が入り混じった目をドレミダに向ける。

 再び二人の殴り合いが始まり、木々をなぎ倒し、崖を削り、地面が砕ける猛攻の嵐。


 そんな中、二人は自分の主張すらもぶつけ合っていく。


「家族が始まるきっかけなんて、なんだっていい! 手を取り合い、互いに家族になりたいと思えたなら、それでいいのさ! 俺達はそうやって家族になったんだ!」

「本当にそうか!? お前はミレニア様から語られる言葉、それら全てを信じることはできるのか!? 彼女の真実を、お前はすべて受け入れたのか!?」

「無理だな」

「ならそれは偽物だ!!」


 カウンターを叩き込み、ディーノの腕を砕き、削り取る。

 素振りをしていたら剣がすっぽ抜けてしまったように腕は吹っ飛ぶ。


「私達は信じている! 『いつも貴方がたを祝福している』という心姫ハート様の言葉を! 皆が! そんな本物の信頼を持つ我々が、偽物の家族に負けるわけが――――」

「その人の言葉の全てを信じることが、本当に信頼か?」


 腕の断面から溢れ出る血の時間を加速させ、噴水のように吹き出る血をドレミダの顔に浴びせる。


「あ、ぶっ」


 視界が真っ赤に染まり、拭おうとするドレミダ。


「人間は誰しも間違いを犯す。靴を掛け間違えたり、嘘をついたりな。同一人物じゃないんだから、どうしたって認識に違いだって出てくる。それら全ての可能性を、お前は考えないのか?」


 それを一方的に殴るディーノ。


「相手が間違いを犯した時、それを間違いだと言ってやることは大切だろうが!」


 そのままドレミダを蹴り飛ばし、崖に叩きつける。


「ハハ、ハハハハハハ! 自分が正しいと思っているのか、お前は! この世にはお前も知られざる真実というものが存在しうる! それでお前はミレニア様を言葉を否定し、傷つけたのだ! 傲慢にもほどがるぞ!」


 受け身だけはきっちりしており、血を流していながらもドレミダはしっかりと立ち上がる。

 ディーノがその重心移動を見る限り、行動に支障は何らないと居ないことがわかった。


 耐久性や頑強性ならば自分のほうが圧倒的上だと言うのに、会得している体術で威力を殺している。

 厄介なことこの上ないと、ディーノは目を細めた。


「ああ、だから俺が間違えたのなら、ミレニアがそう正してくれればいいなと願っている。時間はたっぷりあるんだから、わかり合うだなんてゆっくりしていけばいいんだよ」


 それでも言葉は返す。

 自分の動揺をさとられない為というのもあるが、その主張は譲れないものでもあったから、明言しておきたいと思ったのだ。

 それに、彼は一つ言っておきたいことがあった。


「それに、だ。俺はお前の間違いを正したかったやつだっていると思うんだ」

「何をバカなことを。我々は皆、同じ目的の為に――――」

「なら、どうしてミレニアは逃げ出せたんだ?」

「――――それ、は……」


 その言葉に、大きく動揺するドレミダ。


 そう、ミレニアを監禁していた際、ドレミダは最強とも言える男を監視につけていた。彼にとって切り札と言ってもいい男だ。

 どうやってその男の目をかいくぐったのか不思議だったが、ミレニアは天からの使いだからこれぐらいできて当然だと結論付けた。


 だが再び捕まえたミレニアはどうだ。逃げること叶わず、ディーノに救出されるまで自分の手の中だった。

 もちろん監視だって増やした。その時の切り札は、もう居なくなってはいたのだが。


 その隙を見逃さないとばかりに、ディーノは時間を逆行させて自分の腕を取り付ける。


「いたんじゃないか? お前の行動を間違いだと思い、正そうと行動した人間が」

「…………」


 ドレミダの頭の中、ピースがピタリとハマる。


『……なあ旦那。もうやめようぜこんなこと。お亡くなりになった心姫ハート様だって、こんなこと望んじゃいねえよ』


 ミレニア脱走時に居て、今回の再捕獲の際にはいなくなっていた人物のことが、頭の中でリフレインしていた。


     ◇


 少し前の話。


 煙が充満する聖堂の中ではミレニアが、一人部屋の隅っこで時間が止まったまま座っていた。

 先ほどドレミダがミレニアと誤認した風呂敷の中には、何も入っていない。強いて言うなら時間を止めた空気が詰まっているだけである。


「あれ?」


 そんなミレニアの時間が、再び動き出した。


 彼女の最後の記憶は、霧の中でディーノにハグを解除させられたことだけだ。

 あまりに一瞬の出来事なので、状況がさっぱりわからない記憶だ。


(……どういうことなんでしょう。うん? これは?)


 何が起きているかさっぱりわからないミレニアだったが、手の中にメモが残っているのに気が付く。

 霧の中で読み難いが、手がかりもないので広げて読んでみることにした。


『お前は止まった時間の中にいる。今は俺がお前の時間を正常にしている。これだけのことができる敵は間違いなく強いので、お前にはマリスを動かして欲しい』

(私を動かしているようにお父さんが動かせばいいのでは?)


『俺が動かしたいんだが、ちょっと乱戦中で場所がわからん。だから魔術が掛けられない』

(あ、真っ当な理由がありました……でも私、まともに魔術を使ったことが無いのに……そんな事ができるんでしょうか)


『術式は裏面な』


 不安に思いながら裏側を見てみれば、確かにビッシリと書いてある。

 一般人ならそれを見れば発狂するような情報量と処理能力を要する魔術だ。


(あ、これ、勉強した所だ)


 だが、それをミレニアは理解する。

 ディーノと一緒に勉強してきた時間が、それを可能にさせたのだ。


 どこからか轟音が聞こえる。

 ディーノとドレミダ、どちらが優勢かはミレニアにはわからない。


(……お父さんに、死んでほしくない)


 ミレニアはその思いを霧の中を立ち上がり、出口を探し始めた。

 手探りだが、確実に、一歩ずつ。


     ◇


 そして現在、山脈の奥深くにて、木々が剥げそこら中の地面が抉れている戦場の中で、ディーノとドレミダは対峙していた。

 ドレミダは何やら気がついたようで体が震えており、ディーノはそれを警戒している真っ最中だった。


「貴様だ……」

「は?」

「貴様がそれを奪ったのだァーッ!!」


 ドレミダの殺意が弾けだす。


 瞬時に飛び蹴りをディーノに叩きつけるた。

 だがディーノもそれになんとか反応し、なんとか地面に叩きつける。


 投げの構えが甘かったのだろう。ドレミダはすぐさま起き上がり、ディーノに殴りかかる。


「あいつはバカだか、いいやつだった! 私があそこまで育て鍛え上げたんだ! 私の自慢だった! それを、貴様が……貴様がァーッ!!」

「俺の自慢の娘を泣かせたのはお前だクソジジイ!!」


 それをクロスカウンターで対抗し、ディーノは腕の長さと腰のひねりを使ってドレミダの頬を殴りぬく。

 ドレミダは地面に叩きつけられるが、またしてもすぐさま立ち上がった。


 今のは構えが甘いとかではなく、完全に入ったとディーノが確信した一撃だ。

 だというのに、ドレミダの顔はまだ原型を留めている。ディーノからすればそれは信じられないことだった。


 ポツリ、ポツリと雨が降り出した。


「……だがよかったな。それを死ぬ前に気がつけて」


 


「は?」


 聖堂を起点に半径十キロの範囲の時間が止まっているはずなのだ。それは空にだって及ぶ。

 だと言うのに、雨の勢いは増すばかり。とどまることを知らない。


「この時間停止、本物じゃないんだよ。疑似時間停止……とでも言うべきか? 光の時間を止めたら視界は機能しない。空気の時間を止めれば、音を聞くどころか身動きだって取れやしない。つまるところ――――大気にある水分操作は自由ってことだ」

「……水分、操作!?」


 今回のディーノの襲撃メンバーの中で、ドレミダはそれを得意な女を一人知っている。


(ありえない! そんな余裕はなかったはずだ。距離が離れている間にも、やつは俺に集中を向けていた。追撃だってあった! 時間が止まっているとは言え、混戦状況だったはずだ。そんな一瞬の隙を突いて、こんな芸当はできないだろう!?)


 まさか、ミレニアがマリスの時間を動かしているとは、微塵も思いはしなかった。

 そんな高度な術式を理解できるなど、彼はミレニアの事をまるで知らなかったのだ。


「【空に揺蕩う天の涙よ。大地に恵みを与え給え。深淵に至る地の底に至るまで浸透せよ。腐り、崩れ、瓦解せよ】」


 地面がぬかるみ、泥沼に成り果てる。

 木々も沈み始め、山も崩れだしていた。


「クッ!」


 このままではまずいと思ったドレミダが泥沼から脱出しようとするが、泥は瞬く間に自分を鎮めようとする。そうマリスが泥を操作しているのだ。

 手足がまともに動かせず、ズブズブと泥沼へと沈んでいく。


「ああ、今更時間停止の術式書き換えようったって無駄だぜ?」


 ディーノは、依然地面の上を立っていた。


「水分と地面の時間は、俺の魔術で時間を正常にしてるんだ。水属性の魔術なら干渉できるかもだが……今のお前に、そこまでの余分はあるかな?」


 ディーノは自分が踏む泥の時間だけを止めて、ドレミダから走って距離を取ったかと思えば、天に向かって手を伸ばす。

 大気の時間を巨大な剣の形になるよう停止させ、その柄を握りしめた。


「……おい、待て。アレだろう。これを水蒸気爆発させるつもりだろう!? この規模だと、貴様も助からないぞ!」

「心配ご苦労! ――――俺はお前から、一時も目を離さない」

「……いや、お前は今空気の時間を止められたな」

「ハッ! わかっても言うなよ恥ずかしい……」


 ワームホールを作って逃げようとするが、当然ディーノが魔術を上から被せ阻害する。

 ドレミダは口を閉ざすことすらできず、沼と化した地面に呑まれるだけしかできない。


「【天地激動の万感よ】――――!」

「――――【蒼き空は失墜する】!」


 天からは巨大な大気の剣が。

 地に染み渡った水が水蒸気爆発を起こす。


 上下から、膨大な質量がドレミダに襲いかかった。

 時間を停止させようにも、それらはディーノの影響下にあるため、彼の魔力性質では対抗することができない。


「う、うおおおおおおお――――っ!!」


 だが、彼は諦めていなかった。

 ドレミダは泥が蒸発する一瞬を見逃さなかったのだ。

 拘束が解けた一瞬を使って抜け出し、空気を蹴って空中を走り抜ける。


 空気だろうが水だろうが、叩けば一瞬固まるものだ。ならばその一瞬の間にまた空気を蹴ればいい。

 至ってシンプルな理由で、彼はその身一つで空中歩行を可能にしていた。


「――――破ァッ!!」


 大地から迫りくる水蒸気爆発を手刀で一刀両断する。


 もちろん水蒸気爆発は固体ではない。そんな事をしても質量が襲いかかることは明確だ。

 だが、ドレミダはその切断面をかき分けるように叩いて受け流す。


 空気を蹴るのと大差ない。むしろ勢いがある分、彼からすれば固めやすいまである。

 彼は水蒸気爆発を二つに裂き、その断面に潜り込むことで


「雑、だ!」


 大気の膨大な剣に至っては簡単だ。全体をねじり足を使い受け流す。

 単にディーノの魔力と魔術で空気を固めただけのもの。ならばドレミダにとって、普通のでかい剣と大差ないのだ。


「……剣士には向いていない太刀筋だ。殴りかかられた方が脅威だったぞ」


 こうして、ドレミダはこれらの質量攻撃を己の体一つで切り抜けて見せた。


「「はぁ!?」」


 それに驚愕するディーノとマリス。

 もっとも、天地が砕けている音で、その声はドレミダには届いてはいなかった。


(泥で私の身動きを拘束していればよかったんだ! 今すぐトドメを刺してやる――――!)


 大地の下で水蒸気爆発が起こり、山脈を吹き飛ばした影響で形成された巨大な奈落。

 水蒸気爆発を切り抜ける為、その中間部分まで落ちていたドレミダは、そこから這い上がるように空気を蹴飛ばし上昇しようとする。


「――――【時よ、逆行しろ】!」


 時間が逆行し、飛び散った大地と水が元いた場所へと集約されていく。


「く、そ、が」


 奈落の中間にまで落ちてしまっていたドレミダは、降り注ぐ土と水に顔を歪めていた。


 拳で砕けはする。受け流せもする。

 魔法理論で作られた現象。それ自体を砕くのは容易い。


 だが、四方八方からのしかかるそれに、肉体を加速させても対処しきれない。

 穴も聖堂付近のものとは違い、山脈を削り取るほどのもので深度の規模が違う

 これがディーノであれば、肉体の限界まで時間を加速すれば脱出できただろう。


 だがドレミダは人間だ。そんなレベルで加速すれば、体が持たずに自壊する。


(――――いや、


 肉体の時間を、限界以上に加速させる。


 襲い来る土水を払い除け、ディーノが立っている地面まで駆け上がる。

 地面はぬかるんでいるが、空気を蹴るときのように走れば、ドレミダを捉えることはできなかった。


 ドレミダの体の節々が弾け飛び、血肉が欠落していく。


 それを彼は、


(……こんな回復方法、正気の沙汰じゃない。だが、応急処置には使えるな)


 ディーノがやっていたことを見様見真似でやった付け焼き刃。


 傷口は塞がって折らず血は流れたまま。

 だが体を動かすのには何ら支障がない。


「……決着だ」


 足を突き動かす。


「貴様を落とす――――ディーノ・ベネディクトゥス!」


 恩讐に塗れた声だった。

 それだけで人を殺せそうな熱があった。


 ドレミダ自身、どうしてそこまで感情がこもっているかはわからない。


 だが、彼が慕う心姫ハートの姿と、彼を慕う信者達――――特に、切り札だった男の姿。

 それらが脳裏から焼き付いて離れないのは、関係があるのかもしれない。


 今にも崩れそうな肉体だったが、ドレミダは時間を加速させ、拳を軽く握り、ディーノへと殴りかかる。


 その一閃に揺るぎなし。

 どれだけ疲労し傷つこうとも、彼が長年鍛え上げ積み重ねてきた肉体が、技を覚えている。

 ディーノに当たるであろうその瞬間、ありったけの力を込めた。


 その一撃をディーノは時間を加速させて避ける。

 紙一重。当たってしまえば自分は死ぬだろうとディーノは理解していた。


 だが、その程度で彼の激情が萎むことはない。

 男として、父として――――その殺意は揺るがない。


「言ったはずだ」


 避けて、左手を勢いよく天に掲げた。

 その動作で、パァン! と空気の弾ける音がした。


 仕掛けは至って簡単。空気抵抗が最もかかる手の形で、高速で手を振り上げただけのこと。

 その程度の芸当はディーノにだってできる。

 尤も、魔術無しで空中を走る芸当には及ばないが。


 その音に反応し、反射的に視線と意識をディーノの左手に向けるドレミダ。

 攻撃をかわされ、手足が伸びきった姿勢のままで、それをしてしまった。


 残心無き、誰もが見逃すであろう一瞬硬直時間。

 止まった時間の中で、二人の時間は加速して動いでいるのだから当然だ。


 そこへ、ディーノが右手に空気を時間停止して作り上げた短剣を、ドレミダの腹に突き刺す。


「が、あ!?」


 普段であれば、ドレミダの深く突き刺さらないであろう一撃。

 だが、その体が瓦解寸前であり、無防備な瞬間に突き刺されば受け入れてしまうのも無理はない。


「お前は俺達が最も忌み嫌う行為を、俺達の娘にした!」


 ディーノの猛攻は終わらない。

 ドレミダの背後の空気の時間を止めて、磔になっている所に拳と蹴りをこれでもかと叩きつける。


 それら全てを、満身創痍のドレミダに対処できるわけがなかった。


 歪な成長をさせられ、涙するミレニアの姿。

 その悲劇はディーノの魂に刻まれ、彼の体を突き動かす。


「それは――――許されざることだ!」


 憤怒を込めた渾身の一撃が、逃れられないドレミダの心臓に突き刺さる。


「言った、はず、だ……」


 その腕を、ゾンビのような有り様のドレミダは掴んだ。

 彼はわざと力を抜き、肉体にディーノの腕を突き刺さらせた。


「こ、の!」


 ディーノが肉体から腕を引き抜こうとするが、ドレミダの最期に力を込めているためか、一向に引き抜けない。

 それどころか、ドレミダはディーノを抱きしめ、互いの間に一切の隙を無くしてくる。


「貴様を落とす――――ハハハハハハハハハハ!!」


 笑い声を上げながら、光り輝くドレミダの体。

 体内の魔力を暴走させ、ディーノ諸共死のうと言う算段だ。


 時間停止による空気の壁は作れない。密着している状態ではまともに食らう。

 位置情報の時間逆行は無意味。この男が付いていくる。


 如何にディーノの魔力性質が『優先』であろうとも、他人に直接魔術を仕掛けるのは高度な技術だ。

 一般的な魔術師であろうともそれだというのに、彼の技量であっても、数人の時間停止の打消がせいぜいだろう。

 もしそれ以外の時間操作を他人し仕掛けるならば、高価な魔道具が必要になってくるし、戦場に耐えられる耐久性をしていない。


 次々と案は浮かぶが、それをドレミダの反撃がすりつぶす。


心姫ハート様、万歳! 我らが信仰に、光あれ――――!」


 すがりつくように愛しの神を褒め称える。その表情は恍惚としており、今からの行いを誇りだとでも思っているかのようだった。


「この脳味噌腐敗ジジイがァーッ!」


 最後の手段と言わんばかりに、対ショック姿勢を試みる。

 だが、ふと視界に映った物を見て、ディーノは思わず笑みを浮かべる。

 もっとも、抱きついているドレミダはそれに気がつくことは無かったが。


「目的を見失って、自分勝手に暴走か――――気持ちよく死ぬんじゃねえよ」


 ドレミダの横から怒髪天を衝くマリスが現れ、その頭を杖で思い切り叩く。

 普通の人間であれば死ぬそれだが、ドレミダの体に染み付く技術がその衝撃を逃がした。


 だが目的を達成しているマリスは、冷めた目でドレミダを見下し、怒りに燃える詠唱を口から吐き出す。


「――――【汝の血潮よ、我が怒りに共振せよ】」

「きさ、ま」


 ドレミダがマリスを視認しようと振り返ろうとするが、それが叶うことはない。


「ア゛っ」


 血管の一本一本。体の水分の一滴に至るまで蒸発して弾け飛んだからだ。

 魔力が爆発する前に、その土台が壊れては元も子もない。


 先ほども言った通り、他人に直接魔術を仕掛けるというのは、どんな魔術師であれ高度な技術だ。

 だがマリスは、他人を治療する為にそれを可能にしてしまう腕を持っていた。


ディーノ君その人は私と一緒に地獄に行くんです。ミレニアちゃんの大事な人でもあります。それあなたが横取りするだなんて……おこがましいと思いませんか?」


 わずかに残ったドレミダの欠片に、何度も何度も踏みつけるマリス。

 これだけ激情にかられているマリスを、ディーノは久しぶりに見たな……と感慨にふけっていた。


「まったく、こびり付いたカビのようなジジイ……もとい、おじいさんでしたね」


 口調を改めると、マリスはため息を吐き、自分とディーノの体を、水を使った魔術で洗浄する。


「……大分荒れたな」

「荒れもします。同一人物に二度も負けるだなんて……油断はできないんじゃないんですか?」

「油断と言うか……力量を見誤ったというかだな」

「まあ……あればっかりはそうですね」


 自分達の最大規模の技が打ち砕かれた光景を思い出し、納得するマリス。

 それほどまでにドレミダは理不尽の塊だった。


「……まったく、お前は強かった。それだけは認めよう」


 ドレミダの欠片軍を集め、火の魔術で燃やす。

 そうして、ディーノはようやく安心して息を吐き出した。


「……今回は助かった。ありがとう、マリス」

「……調子がいいんですから、もうっ」


 目を細めてディーノを睨みつけるマリス。

 だがその口元は緩んでおり、喜びと嬉しさを隠せないでいた。


「それに、がんばったのはミレニアちゃんもです。帰ったらちゃんと褒めて下てくださいね?」

「ああ、もちろんだ」


 いつの間にか時間が動き出したせいだろう。冒険者と信者達が争う喧騒が山奥ここまで聞こえてきた。


「そういえばミレニアはどうした?」

「ぎゅーっと抱きしめた後、一緒にグロリィさんを戦場から離しておきました。ミレニアちゃんはその傍に立って貰ってます」

「それは安心だな。人格面的な意味でも」


 他の冒険者の顔を思い浮かべるディーノ。

 特に今回連れてきた二つ名の連中は、強いは強いが一癖も二癖もあるやつばかりだと彼は認識していた。


 もっとも、その連中からはディーノが一番の変わり種だと思われているのだが、本人のしるところではない。


「なら、さっさと戦いを止めるか」

「はい。お掃除のラストスパートです」


 マリスを背負うと、ディーノは再び天駆ける心姫ハート教団の聖堂へと走り出す。

 家族の時間を取り戻す為に。

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