第10話 ミレニアちゃんが準備できるまで、私達はいつでも待ってます
ドレミダが来襲してきたその日の夜、ミレニア・ベネディクトゥスは、自分の枕を抱いてマリスの部屋の前まで来ていた。
だというのに、彼女は何やら決死な表情を浮かべている。
そう、ミレニアはマリスに、真剣な悩み事を打ち上げに来たのだ。
「どうぞ。ミレニアちゃん」
ノックをすると、優しいマリスの声が聞こえてくる。
ミレニアの表情が一瞬だけ朗らかになるが、すぐに気を引き締めて扉を開けた。
マリスの部屋で一際目を引くのは、化粧台と壁一面の大きな鏡。
化粧台の上にはたくさんのメイク道具が並べられており、時折ミレニアも彼女におめかしをしてもらったりしていた。
そんな楽しく暖かな思い出が頭をよぎるが、自分は真剣な話をしにきたんだと、ミレニアは振り払うように首を横に振るった。
「どうしたんですか? もしかして、眠れなかったんでしょうか……今日も一緒に寝ますか?」
「……うん」
迷いはあったものの、魅力的な提案にミレニアは頷いてしまった。
彼女はまだ幼く、母性に飢えているお年頃。優しく真面目に話を聞いてくれるマリスは、ミレニアにとっては理想の母そのもの。抗えるわけもない。
それに加え、今日は彼女にとって恐ろしい訪問者が家にまでやってきていたのだ。
そんなミレニアがぬくもりを求めてしまうのは、至極当然のことである。
手招きされたミレニアがベッドに潜り込むと、マリスが優しく包容して迎えてくれる。
マリスの胸は大きく、下手をすればミレニアが窒息してしまいそうなのだが、今までも何回か一緒に寝たことがある二人は、そのような不慮な事故は発生しようがなかった。
それでもマリスの温もりは、今のミレニアにとっては危険なもので、思わず安心して寝落ちてしまう破壊力を秘めている。
それをミレニアは懸命に振り払い、話があって来たんだと眠気の誘いを断ち切った。
「……今日は、ご迷惑をおかけしてすいませんでした」
「いえいえ、大丈夫です。こういうことには慣れっこですから」
「でも、ディーノさんは事情聴取とかで兵士さんに連れて行かれましたし……」
「国民の義務なので、そればかりは仕方ないかと。ディーノ君も怒ってないと思いますよ」
夕食の後、兵士達が事情聴取をしに来ると、ミレニア達からの証言を聞きディーノを連れて行ってしまった。
「ディーノさんは大丈夫でしょうか……」
「大丈夫です。ディーノ君は悪い顔をしてますが、おいそれと犯罪ができない小心者です。ただ話をしに行ってるだけですから、何一つとして心配することはありません」
「そう、ですね……」
マリスが励ましの言葉を送るが、ミレニアの顔は一向に晴れない。
言葉のチョイスを間違えたのかと反省しようとしたマリスだったが、その前にミレニアが言葉を振り絞った。
「……私、まだ二人に隠し事をしてるんです」
その震える声を聞き、マリスは少し考えた様子を見せた後、ミレニアの頬を優しく頬を撫でながら問いかけた。
「ミレニアちゃんは、それを話したいんですか?」
「…………」
ミレニアは答えず、戸惑っているかのように目をそらす。
内容を言えるほど覚悟が決まっていないのだろう、とマリスが悟ると、いたずらっ子のような笑みを浮かべた。
「じゃあ、隠しちゃいましょうか」
「……え?」
明らかに戸惑っている様子のミレニアに、マリスは優しくも力強く語りかける。
「ミレニアちゃんが言って辛いことであるなら、無理に話す必要はないと思います」
「でも……でも、隠し事をしてるのは、悪いことだと思うんです」
「そうですねぇ……」
弱々しく言葉を絞り出すミレニア。
そんな彼女を抱きしめ、優しく頭を撫でながら、マリスは状況を分析する。
最初、天翔ける
けれども、それが明るみになり、解決の兆しが見えた途端に持ちかけられたこの相談。
(恐らく、天翔ける
そう考えたミレニアは、ミレニアの背中を押す為に一つ話をすることにした。
「ディーノ君が金庫に厳重に閉まっていた十三施錠の
「……はい。育ての親の形見で、誰にも渡せないぐらいのものだったって、ディーノさんは言ってました」
「昔、それを知っているのに、盗んだ人がいたんです」
「え!?」
それを聞いてミレニアは驚いた。
自分を守る為に、ディーノが断腸の思いで十三施錠の
大の大人であるディーノが泣いてしまっている姿など初めて見たし、それほどまでに大事にしていたことをミレニアは知っていたからだ。
それを知っていながら盗むだなんて、よほど人の心がない人間の犯行に違いないと、ミレニアは判断するのも無理はないだろう。
「あ、だから、あんな厳重な金庫に?」
「そうですね……その時の事があったから、金庫が厳重になったのは間違いないでしょう。ですが、私がいいたいのは、その盗人の顛末です」
マリスは一つ深呼吸をすると、優しく語り始めた。
「泥棒はディーノ君の冒険者仲間だったのですが、実は裏で犯罪者ギルドと関わり合いがあって、最初から十三施錠の
泥棒はそれを依頼されていた犯罪者ギルドに持ち帰りましたが、約束は守られることはなく、体をバラバラにされてしまったのです」
「バラバラですか?」
「はい。それはもうバラバラです」
思ったより残酷な話だな、と内心愚痴るミレニアだったが、話の続きが気になったので口にすることはない。
マリスもそれを了承したと受け取ったのだろう。話を進めだした。
「とにかく、見るも無惨な姿になった泥棒でしたが、ディーノ君はその泥棒の肉体を、時間を巻き戻すことで助けてしまったんです」
「な、なんで!?」
ミレニアからすれば信じられない話だ。
それ程までに、ディーノが涙を流したことは、彼女に強く印象に残っている。
「ディーノ君に聞いてみたら、『
マリスが笑みを浮かべているのに変わりはない。
けれどもミレニアには、今浮かべているこの笑みが、懐かしい思い出を語っているかのように見えた。
「……その泥棒は、今何をしてるんですか?」
ミレニアの質問に、少し考える素振りを見せるマリスだったが、答えはすぐに出てきた。
「……今は、真っ当に冒険者をしているそうです。ディーノ君が領主と掛け合い、減刑してくれたお陰で、すぐに出られたんだとか。本当、甘すぎると思います」
困ったように語るマリスだったが、その中に喜びが入り混じっているようにミレニアには聞こえてしまう。
――――もしかして、その泥棒って、マリスさんのことじゃないんですか?
そう聞こうとも考えたが、結局ミレニアは聞くことをしなかった。
もし本当にその泥棒だとしても、マリスに対する感情がそう大きく変わらないだろう、とミレニアは言える。
それほどまでにディーノやマリスと過ごした時間は、ミレニアにとって特別な物を与えていてくれていたからだ。
聞かなかったのは、マリスが語らないのであれば、それを自分に聞かせたくない理由があるんだろうと考えたからだった。
もっとも、自分の邪推で、マリスに嫌われることを恐れた、という理由もあったりする。
そのように色々と考えているミレニアに、マリスは一つ断言をする。
「そんなわるーい泥棒より、ミレニアちゃんはディーノ君に溺愛されてます。例えミレニアちゃんが秘密を隠してても、そんな泥棒と比べようもなくいい子ですから」
「そ、そうですか?」
溺愛、という言葉に背中がくすぐったくなるような感覚に襲われたが、ミレニアにとってそれはとても心地の良いものだった。
「はい。間違いありません。ディーノ君、ミレニアちゃんのことになると過保護になりますし、とても甘々なくらいです……ですから、きっとミレニアちゃんがその秘密を打ち明けたくなったら、ディーノ君はきっと受け入れてくれます」
「……本当ですか?」
「はい。本当です」
マリスが断言するなら本当なのだろう。
そう思うと、ミレニアは嬉しい気持ちで胸がいっぱいになる。
だが、ここで一つ疑問が湧いてきた。
ミレニアは恐る恐る、それをマリスに訪ねた。
「……それは、その、マリスさんも?」
「ええ、もちろん。私もミレニアちゃんを溺愛していますよ」
そう言うと、マリスはミレニアのことを、ギューっと強く抱きしめる。
それに対しミレニアは「ちょっと苦しいです」と訴えながらも、その顔は喜びの笑みで溢れていた。
腕の力を少し抜いて、優しく抱きしめ直すと、マリスは話を戻し始めた。
「ディーノ君は居候の私にだって、嫌な顔一つしないんですから、本当に懐が広いですよね」
「そうです……居候?」
「はい。居候です」
居候。
その言葉の意味を理解するのに、ミレニアは時間を要した。
(だってそれ、ディーノさんとマリスさんの関係で、一番程遠い関係じゃないですか! 今日だって帰る間際、ギルドでイチャイチャしてましたよね!? バレてないとでも思ったんですか!?)
と、ミレニアは心の中で熱弁していた。
けれども、ミレニアも女の端くれ。それを口にしない情けはあった。
「マリスさんって、ディーノさんの奥さんじゃなかったんですか!?」
「はい、籍とか入れてないので」
「あ、じゃあ恋人とかそういう……」
「恋人でもないですね」
「恋人でもない!?」
衝撃の事実に、ミレニアは頭を抱えた。
まさか二人の関係に、恋愛関係が介在していないとは、露程も思っていなかったのだ。
何なら、「いつか二人のことをお父さんお母さんと呼びたい!」という願望まで持っているミレニアにとっては、今抱えている隠し事以上に重大な事である。
「じゃ、じゃあ、ディーノさんの事、嫌いなんですか……?」
ミレニアは混乱している頭を動かし、なんとか打開策を見つけようと、震える唇で質問を投げかけた。
「いえ、私はディーノ君のことが好きです。世界で一番愛してるんだと思います」
「……???」
余計に訳が分からなくなるミレニア。
当然だ。普通それなら恋人になっていても、おかしくないのだから。
「多分ディーノ君も私のこと愛してくれているとは思うんですけど……」
「完全に同意です」
マリスの言葉に、何度も素早く縦に頷くミレニア。
二人が相思相愛なのは、子供であるミレニアにもわかっている事実である。
「そうですね……でも、ディーノ君と私じゃ、子供ができる確率が限りなく低いんです」
「えっと、それは、どういうことですか?」
深刻な問題であることなのはミレニアにも理解できる。
だが、話してくれるということは、自分が質問をしても咎められることはないだろうと思い、疑問を口にした。
「ディーノ君、実の父親に体を弄られてるんです。竜の力を持つ人間を、人の手で作るために」
「……え?」
ミレニアは目を丸くする。
確かに育ての親のことを誇らしく語っていたディーノだったが、生みの親のことは何一つとして、ミレニアが耳にしたことはなかった。
だからといって、そんなことがあっただなんて、ミレニアは思いもしなかったのだ。
「本来は礎人種だったはずなのに、そのせいで
「……そんな、ことが」
身勝手な父親のせいで、自分の人生がめちゃくちゃになる。
そのことをミレニア自身よく知っていたミレニアは、胸が締め付けられるような思いをした。
「ただそれはディーノ君の理論なので、私は知ったことではないんです」
「え?」
だが、マリスがあまりにもあっけらかんとそんなことを言うものだから、ミレニアは首を傾げてしまう。
「絶対にディーノ君を納得させてみせます。絶対に諦めてなんてあげませんから」
「お、おお……!?」
あまりに力強くマリスが断言するものだから、ミレニアは尊敬の念まで懐きそうになる。
「でもこれ、ディーノさんが居ないところで勝手に聞いても良かったんでしょうか……?」
「本人にとっても、自分からはあまり言いたくない話題なんですけど……機会があれば、話しておいて欲しいと言われていたので」
マリスの説明に、ミレニアはホッと胸をなでおろした。
本人が了承しているのであれば、大きな問題になることはないだろうと安心したからだ。
「ですから、ミレニアちゃんが言いにくいことも、私から伝えるってこともできますよ?」
「それ、は……」
一瞬、目を逸らすミレニアだったが、すぐさまマリスの目を見る。
「……伝えるなら、自分で伝えたいです」
「そうですか」
震えていた声だったが、力強いミレニアの回答に、マリスは嬉しそうに微笑み頷く。
「だったら、ミレニアちゃんが準備できるまで、私達はいつでも待ってます。ゆっくりと、自分の心に整理を付けてからで大丈夫ですからね」
「……はい」
マリスに優しく語りかけられ、ウトウトと返事をするミレニア。
無理もない。もう夜も遅く、子供は寝る時間だ。心情を吐露したのであればなおさらだ。
そう判断したマリスは、おやすみなさいとミレニアに告げて、その瞼を閉じる。
その夜はもう二人が語ることはなく、ただ寝息だけが、その部屋に木霊した。
◇
翌日、ミレニアはギルドで同年代の冒険者達と集まり、昨日と同じ形式でギルドの依頼を受けていた。
昨日は配達の依頼だったが、今日は二人一組となって、依頼書に記載されているペットを探す依頼をしている。
ペットを探す為にミレニアは住宅街を歩くが、どの道も広く、馬車が二台分は通れそうな広さだ。
『ああ、それは治安の良さに繋がっている。見通しを良くすると、バカが隠れて何かをしようともできないって寸法の政策さ』
ふと、ディーノがそんなことを言っていたのを、ミレニアは思い出した。
「なんか今日は気が抜けてるな、お前」
「あ、ギーラ君」
町中の仕事だと言うのに、軽装をしている赤髪の少年……ギーラがミレニアに話しかける。
彼は今回、ミレニアがペットを探す為のパートナーである。
「そりゃペット探しなんて、一日中張り詰めてても仕方のない仕事だぜ? でももうちょっとシャキっとして欲しいところだぜ」
「ご、ごめんなさい?」
気が抜けていた自覚のなかったミレニアは、とりあえず謝罪する。
そんなミレニアを、ギーラはジッと見つめながら口を開いた。
「……なんか、良いことでもあったのか?」
「え?」
突然のことに、ミレニアは少年がどういう意図での発言か測りかねている。
そのミレニアの動揺が伝わったのだろう。ギーラは慌てて説明しだした。
「いや、昨日はめちゃくちゃ張り切ってたのに、今日はなんか、そこまでじゃないっていうか……」
「そうですかね?」
何のことだろうとミレニアが考えると、昨晩マリスと相談したことを思い出した。
あまり自覚はなかったのだが、隠し事を打ち明けるのを待ってくれると言われたのは、彼女自身肩の荷が下りるような出来事だったのだろう。
それを自覚したミレニアは、納得したと同時に、あの時間が自分にとって有意義なものであったと確認ができ、とても嬉しくなる。
「まあ、少し余裕ができたって感じです」
「……ふーん、ならいいんだけどよ」
話も終わり、自然とペット探しを再開しだした頃。
空から矢が一本落ちてくるのをミレニアは視認した。
ディーノから弾道予測の計算方法を教わっていたミレニアは、ギーラの近くに落ちてくる結果をすぐさま導き出す。
そして、当の本人は何も気がついていない様子だった。
「危ないです」
「ぐえっ!?」
気がついていないギーラの首根っこを馬鹿力で引っ張ると、一本の矢がギーラの足元に落ちてくる。
その矢には、『緊急』と書かれた紙が巻かれていた。
「矢ァ!? びっくりした……サンキューミレニア」
ギーラにお礼を言われると、一瞬キョトンとするミレニア。
だがすぐさま矢の方を観察し、口を開いた。
「いえ、それよりその矢、緊急の矢文のようです」
「え? あ、本当だ。こんな事ができるのはグロリィさんか? で、用件がなになに……?」
ギーラが紙を広げて底に書かれている文章を読むと、その顔がみるみるうちに青くなっていく。
それは、ミレニアにもわかるほどの動揺だった。
「何かあったんですか?」
「と、父ちゃんが、父ちゃんが、魔物に襲われて、病院に運ばれてったって……めちゃくちゃ大変だって」
「……ギーラ君のお父さん、すごい強い冒険者なんですよね?」
「あ、ああ。でも、グロリィさんがこんな嘘をつく理由がないし……一回、集合場所に戻ってこいって」
なんとか振り絞っている声で言葉を紡ぎながら、ミレニアに手紙の指示をギーラは教えてくる。
それを、ミレニアは「はい」と動揺しながら頷き、二人で集合場所へと向かい出した。
……この日ミレニアは、どれだけ強い冒険者であろうと、突然死んでしまう可能性があるという、当然の摂理を知った。
自分の心の整理がつくまでに、二人は生きていてくれるのだろうか?
そんな不安が、ミレニアの心を締め付けるのだった。
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