第9話 今の家族を、俺は失いたくないんだよ


 老人、天翔ける心姫ハート教団の教祖であるドレミダ・ミルゲニアが、俺の家の廊下を歩いている。

 手紙のこともある。狙いは間違いなくミレニアだろう。


「ディーノさん、何が――――」


 ミレニアが俺の後ろにいるドレミダを視認すると、顔を青ざめて体が硬直してしまったかのように動かなくなる。

 それほどまでの恐怖があるのか。


 その様子を見たマリスが、急いでミレニアの元に走り寄ってくる。

 俺とドレミダを視認すると、急いでミレニアを自分の背に隠した。


「マリス、悪いがミレニアを部屋に連れて行ってやってくれ」

「はい、わかり……」

「おっと」


 俺とマリスを、ドレミダが手で制する。


「ミレニア様も、話にご同行してもらおうか」

「は?」


 ドレミダの提案に、俺は本気で理解ができなかった。

 こいつ、怯えてるミレニアのことがわからないのか?


「決断は、ミレニア様であるべきだからだ」

「大人の話し合いに、子供を混ぜようっていうのか?」

「私からすれば、君だって子供なのだがね。18歳のディーノ君」

「耄碌しているのか? 成人判定は15歳からだぜ?」


 こいつ個人情報も調べているのか。

 ……いや、俺達を狙って襲ったんだ。それぐらいは当然だったな。


 ドレミダは肩を竦めて、「そういう話ではないのだがね」とでも言いたげだ。

 ムカつくぜ。徹底的に人を小馬鹿にしている態度が気に食わない。


「……わ、私も、席につきます」

「ミレニアちゃん!?」


 震えた唇で、ドレミダに同意するミレニア。

 これには俺もマリスも驚いた。怯えた子供が、わざわざ恐怖に立ち向かうなど、思いもしなかったのだ。


「ミレニアちゃん、怖いなら席につかなくていいんです。私達で全て解決しますから」


 ミレニアの肩を掴み、しゃがみながら語りかけるマリス。


「……でも、一人部屋で待っているのは怖いんです。邪魔はしないので、同席させてください」


 けれどもミレニアは怯えながらも、それを譲ろうとはしなかった。


「素晴らしい。流石はミレニア様だ」


 ドレミダがわざとらしく拍手をする。


「さあ、私達を席に案内してくれ。それぐらいの教養はあるだろう?」


 悠然とした所作で促すドレミダ。いちいち癪に障る爺だ。


 四人分の席が用意されている、四角い長方形のテーブルにドレミダを案内すると、俺とマリス、そしてミレニアは、せっかく並べていた料理をキッチンへと運んだ。


「悪いな。これからご飯だったってのに不審者を連れてきてしまって……」

「ディーノさん、あっちは小さいコミュニティの長の席に座ってふんぞり返っているおじいちゃんなんですから、現代的倫理観が欠如してるのは当然なんです。仕方のないことなんです」

「大分刺してきますねミレニアちゃん。否定しようのない事実なので、私も大いに賛同しますけど……」


 俺達が嫌味を言い合っていると、ドレミダが眉をピクピクと痙攣させて苛立ちを表現しながら、俺達に声をかけてくる。


「……その陰口、私に聞こえているぞ」

「「「聞こえるように言ってます」」」

「それはシンプルに性格が悪いだろ!」


 ハッ! 俺達の知ったことか。言ってろ糞爺が。

 俺達を強襲する命令を出している組織の人間が、敬意は愚か、好意的に迎え入れられるわけがないだろうに。

 ミレニアの反応だって異常だった。これぐらいの意趣返しは当然だと言える。


 というか、夕飯時は本当に来るな。こっちはお腹ペコペコなんだぞ。それくらい察しろよな。


 ……とはいえ、感情的になりすぎた。水を飲んで落ち着こう。

 そうして俺がコップの水を飲んでいると、マリスが俺に耳打ちで話しかけてきた。


「ディーノ君、どっちが主導で話しますか?」


 交渉事ならマリスの方が得意だ。普通に考えれば、マリスに任せてしまえばいいだろう。だが、それではミレニアの保護者として、あまりに情けない。


「……俺でいい。俺が家に上げた客だからな」

「わかりました」


 マリスが納得してくれると、俺はドレミダの隣に座り、マリスとミレニアが向かい側に座る。

 すると、またもやドレミダの眉がピクピクと痙攣させていた。


「ディーノ・ベネディクトゥス」

「なんだ? ドレミダ殿?」

「普通向かいに座るのが常識というものじゃないのかね?」

「失礼。手紙を一枚だけよこして、ろくなアポの取り方を知らないドレミダ殿。今なんと仰ったのか、もう一度教えていただいても? 何分耳が遠いものでして……」

「……何でもない」


 自分が非常識だって認識はあるのかドレミダこいつ

 認識してるとしてないじゃ雲泥の差がある。役に立つかはわからないが、一応覚えておこう。


 それと、手紙というワードを耳にして、萎縮するように体を震わすミレニアの姿を視界に捉えた。

 ……ゴミ箱から拾って復元したこと、言ってなかったな。ドン引きされているのだろう。


「悪いミレニア。お前のことが心配で、勝手に見させてもらった」

「……大丈夫です。隠してた私も悪かったので」


 ミレニアの表情が少し明るくなった気がするが……先程の萎縮していた姿は、怒られるんじゃないかと怯えていただけだったのかもしれないな。


 おっと、ドレミダを放置していた。さっさと話を終わらせよう。


「さて、それではさっそく本題に入ってくれドレミダ殿。俺達は夕飯の時間だったんだ。さっさと要件を済ませてお引取り願いたい」


 ようやくか、とこれ見よがしにため息を見せつけ、ドレミダはその口を重々しく開く。


「今回ここまで足を運んだ理由は、ミレニア様を迎えに来たということだ」


 ……まあ、少しは予想していた。

 ミレニアが天翔ける心姫ハート教団の教祖から手紙を貰い、それを知られまいと今までひた隠しにしていた。

 それはきっと、こいつらの元へ送り返されるのが、怖かったからなのだろう。


「ドレミダさん、あなたはミレニアちゃんのおじいさん……血族の方ですか?」

「いや、違う」


 俺が聞きたかった質問をしたマリスに対し、首を横に振るドレミダ。


 それならいい。

 こちらは戸籍上はきちんと養子として迎え、親権を獲得している。それならこちらの有利に話が運ぶだろう。


 ……いや、こいつら普通に強襲するやつらだろ? よほどうまく丸め込まないと、また襲いかかってくる。それを回避する為にも、糸口を見つけこの場で決着をつけなければならない。


「私は彼女を召喚した者だ。天界からな」

「「……はぁ?」」


 ドレミダのあまりに想定外の言葉に、俺とマリスは間抜けな声を出してしまった。


 国民の大半は天国とか地獄と言った概念を、「あったら良い、子供の教育に使える」程度のものにしか捉えていない。子供だって大きくなっていけば、それらを「教育の為の作り話だったのか」と納得するだろう。


 大体、あの世だの異世界だの、そういった存在の証明は未だにされてはいない。

 叡智の勇者であるレイナ・ベネディクトゥスでさえ、仮説の域を出ず、自分達以外の世界の証明をすることはできなかった。


 召喚術という魔法理論も確かに存在するが、そんな証明できていない場所からの召喚など論外である。


 要するに、目の前にいるこのクソジジイは、そんな世間一般では鼻で笑うような場所から、ミレニアを召喚したというのだ。


「その……天界というのは?」


 マリスも戸惑いながら質問を投げかける。

 さすがに突拍子もない話過ぎて、その顔から困惑を隠しきれていない。


「そう! 心姫ハート様と同じ天界から、私が召喚した! 私の召喚術で! 天の使いであるミレニア様が、我らを救い導いていただく為に!」


 ドレミダの興奮は爆発していた。異論は通じないと言わんばかりに、声高々と断言している。


 唇は切り裂かれたような笑みを浮かべ、目を大きく開いており、陶酔か心酔しているかの様に見える。簡単に言ってしまえば、狂っているとでも言えばいいか。


 とてもじゃないが、話の通じる相手に思えない。

 その頭には、俺達とは隔絶している程、違う常識が詰まっているのだと思い知らされた。


 こんなイカレポンチが、表面上でも世間一般の常識にも適応できていると思うと、非常に恐ろしく見えてくる。


 そう考えていた時、ダン! と、ミレニアが机を叩いた。

 その顔を見てみれば、怒りと悲痛が入り混じった、こちらが見ていられない重苦しい表情をしている。


「……私は、私は天使なんかじゃない! 貴方達が私を誘拐して監禁して、勝手にそんなことを言っているだけじゃないですか!」


 声を荒げるミレニア。


 ……そうだ。確かに彼女は他の子供よりも頭もよく、大人びているようにも見える。

 けれども、自分がやってみたいことに挑戦し、同じ年代の子供に囲まれて、楽しそうに笑い会える子供でしか無い。


 それにミレニアは、今はっきりと誘拐、誘拐と言った。

 彼女の鬼気迫る表情から察するに、それは事実なのだろう。


 ただのイカれた男なのではなく、天界だの天使といった、誰もが近づきたくないとされる言葉で他者を突き放し、自分の犯罪行為を覆い隠そうとしていたのだ。


 当然、許される行いではない。

 ミレニアの事を思えば、俺は今にも腸が煮えくり返るような感情が溢れ出してしまいそうだ。


 だがそんなミレニアに対し、ドレミダは呆れるように口を開いた。


「ミレニア様。普通の子供は、馬車の床下に隠れて逃走したりはしないのです」


 今なんて言ったこいつ?

 馬車の床下に隠れるとか、そんなコト出来るわけが――――


「ど、どうして、私の逃走経路を……!?」


 本当なのかよミレニア。


 そういやミレニアの身体能力はかなり高い。

 それがきっかけで、町中での冒険者活動ぐらいは良いんじゃないか? という話にもなったぐらいだったな……今日なんて荷車引いてたし。


「あー……」


 マリスも俺と同じことを思い浮かべたのか、苦い表情を浮かべて納得している。


 ……いや、だからどうした。ミレニアが俺が守るべき子供であることに変わりはない。


 しかしどうする? こんな頭ぶっ飛んでるやつを、納得させた上で追い返すだなんてできるのか!?


「……あの、ミレニアちゃんは子供です。いくら身体能力が高くても、導くも何も無いと思うのですが」


 うまいぞマリス。よく言った! まさしくその通りだ!


「何も、導くというのは指示することだけにとどまらない。我らが教義に仇なす逆賊共を討ち滅ぼし、彼女の栄光を浴びることも、また我らを導くことにつながるのだよ」


 どこ吹く風といった様子で返すドレミダ。

 だが、マリスは俺にとって、いい情報を引き出してくれた。


「つまり、ミレニアに敵を殴ってもらいたいと」

「蛮族言語に変換するのはやめたまえ」


 否定しないところを見る限り、俺の解釈は間違っていない……つまり、こいつの目的は戦力確保か。


 モルゴダみたいにぶっ飛んだやつが複数居るなら、過剰戦力だと思うんだがな。いや、あいつは上澄みで、そんなに数は居ないのか? 有り得る話だ。俺をあそこまでコケに出来るやつは、このジパング国を探しても十人いるか居ないかだろう。


 俺を倒すことに全力を出すなら、モルゴダというカードを切ってくるのは当然の話だったな。

 まあ俺が容易く倒しちまったんだがな! アーハハハハハハハハハ!


 ……こいつが戦力欲しいなら、俺が削っちゃダメだったろがい!!


 伝達能力の足りない木偶の坊共が! そういうことは先に言えよな! 言ってくれればこちらだってもうちょいと手加減……手加減したら、俺が殺されてるから無理だな。うん。

 よって、仕掛けてきたこいつらが全面的に悪い。


 だがどうするか。ミレニアは身体能力も高く、魔力の燃費もいい。

 確かに鍛えればそれはもう凄まじい戦力になることだろう。


 だが、人間が成長するというのは、どんな種族であろうと長い目で見なくてはいけない。どんな戦場に出したいのかは知らないが、今のミレニアを出しても満足な成果は出せないだろう。


 ……それほどまでに、コイツらは追い詰められているということか。

 無理もない。コイツらからすれば、自分の生きがいや仕事なんかを、国から同時に奪われているようなものなのだから。


「ですが、それらを考慮しても、ミレニアちゃんはまだ未熟です。そんな子を戦場に出すだなんて、私は……私達には、到底考えられません」

「マリスさん……」


 マリスの言葉に涙ぐむミレニア。

 そんなミレニアを見て、マリスはハンカチで優しく涙を拭ってやっていた。


 色々とナイスだマリス。俺もちょうど聞きたいところだったし、俺の位置じゃ涙を拭ってやることはできないからな。


「武勇を示すのは、何も戦場だけではあるまい。神聖なる儀式の元で行われることもある。私とて天の使いであるミレニア様を、いたずらに消費などしたりはしない」


 ……大会とかではなく儀式と出たか。


「まさか、『神類証明決闘儀』を再び申し込むつもりか?」


 国に自分の宗教を合法的に認めさせる可能性のある儀式。

 確か、再戦の申し込みは最初の試合から一年以内とかだったはず。そろそろ期日間近だろうし、それなら確かに焦るだろう。


「理解が早くて助かるよ」


 ドレミダは爽やかな笑みを浮かべてうなずいた。


 だがその考えは馬鹿げている。

 成長性が早いからと言って、ミレニアが王に勝てるわけがない!

 このジパング王国の頂点に立つ人間が、子供一人に情けをかけて手加減するとでも? 最低でも病院送りは確実だぞ!?


 それこそ、他に希少性がなければ――――……いや、あったな。

 空属性。ミレニアは俺と同じく、時と空間を操りやすい属性に偏っている。


 何らかの魔道具を使い、時間や空間を操作すれば、ワンチャン……あるとは思えないが、戦いがわからん素人ならば、勝利を確信してしまうのも分からなくはない。


「わかった。それには俺が出場しよう。それで解決だろう?」


 俺のほうが戦闘経験がある。秘策があるなら、同じ属性持ちの俺が出たほうが勝率は高いだろう。

 だが、ドレミダは首を横に振った。


「君は叡智の勇者であるレイナと、とても深い繋がりがある。彼女は長年政治にも首を突っ込み、さらには他の宗教を毛嫌いしてきたという。『神類証明決闘儀』を法案したのも彼女なんだろう? それに関しては信用がまるでできない」


 精霊に人権を与えられた時、神とし崇められたから精霊は人に堕ち、奴隷として非道な扱いを受けていた精霊を人に押し上げた。

 それに伴い神の信用がガタ落ちし、他宗教の拡大を防いだ法案を掲げたのは、確かにレイナだ。


 ――――私達を『邪教だ』と何度も潰そうとしたんですから、これぐらいはかわいいもんですよね?


 とは、実験を邪魔されまくっていたレイナの言い分。


「むしろ『神類証明決闘儀』には反対していたんだ。当時の新聞を読んでないのか?」


 国にとって有益な技術発展の研究を行うスピノザ教を特別扱いされて、他の宗教から目の敵にされるのを恐れていたのはレイナだった。


「騙されんぞ。死んだとされているが、どうせあの女のことだ。レイナ・ベネディクトゥスは、今もどこかで陰謀を企んでいるに違いあるまい」


 ドレミダがそんなことを宣って、俺の脳裏にはレイナが死んだ時のことが思い浮かんだ。

 火山が叫び荒れ狂い、天にも聳える大きさの魔物が町を踏みしめる中、レイナは俺を安心させる為に微笑み、一人立ち向かう姿のことを。

 ……過去の感情に引っ張られるな。今は目の前のことに対処しろ。


「……彼女は、俺を守って死んだ。目の前で見たんだから間違いない」

「縁者の君が言っても、一切信用ができない」


 俺の言葉は、ドレミダの不信感によって一刀両断された。


 ……落ち着け。別にアイツは攻撃をしているわけじゃない。自分が信じたい情報しか信じていないだけだろう? 俺がイライラする理由にはならない。ただの戯言だと受け流せ俺。


 自分に言い聞かせ、息を二度吸って吐き、冷静さを取り戻す。


「話はもう十分だろう。早くミレニア様を返してくれ」

「断る。彼女は俺が養子として貰っている。ちゃんと領主に対して書類も出した。そんな俺が出す答えはNOだ」

「そうか、それは残念だよ」


 わざとらしくドレミダは肩をすくめ、いやらしい笑みを浮かべた。


「私は何も指示はしない。教徒達にこの結果を伝えるだけだ。伝えた結果、暴徒が発生する恐れがあるのだが……どうにか、ならないものか?」


 ドレミダはミレニアに対し、獲物を見る目をしていた。


「……!」


 きっと想像してしまったのだろう。ミレニアは顔を青ざめさせ、体を恐怖で震わせていた。


 こいつ、子供に対して脅迫するとか、どれだけ腐っているんだ?


「ドレミダさん、こちらは脅迫と受け取りますよ」

「おっと! それは違う。断れば、私以外の誰かがそうする可能性があると言っているだけじゃないか。私としても、それは望むところではないんだ。それを、どうか、理解して欲しい」


 マリスの主張に対し、ドレミダは自分の手は汚れていないと主張する。

 そんな手口を使ってる時点で真っ黒だと言ってやりたいが、今は調子に乗らせておけば良い。

 それはマリスも同じようで、悔しそうに顔を俯かせ、太腿の上に拳をギュッと力強く握らせる。

 俺だから分かるが、これは演技だ。全く持って恐ろしい女優だよ。


「……私が、戻れば、私が戻れば、二人は危険な目に合わずに、すみますか?」


 震えた唇で、ミレニアがそんなことを提案した。


「落ち着いてくださいミレニアちゃん。私達なら大丈夫ですから!」

「お前がこんな男の戯れ言に付き合う必要はない!」


 マリスと俺が慌ててミレニアを諭そうとするが、ドレミダだけはニッコリと笑みを浮かべて、安心させるように胸を広げた。


「もちろんです。ミレニア様が戻れば、二人を非難するものはいませんよ」

「よかった……」


 ドレミダの言葉に、ミレニアは安心したように胸をなでおろした。


 そう、自分が生贄になればいいのだと、安心したのだ。


 俺は、それを、どんな目で見ていたのだろうか。

 少なくともマリスは、ドレミダに対して怒りに燃えた目で見ていた。


 演技じゃない。ブチギレている目だ。

 そりゃそうだ。子供が大人の傀儡にされようとしているのだなんて、マリスが一番嫌いなことだ。

 むしろここまでよく我慢したほうだろう。


「いい加減に――――いたっ」


 だが俺は、指輪に手をかけようとしたマリスを、脛を蹴って止める。


「落ち着け。もういい」

「もういいって! 何もよくないですよこんなの……ッ!」


 獣のような目で俺を睨むが、俺の目を見るとマリスはすぐに大人しくなった。

 悲しんでいるような、哀れんでいるような、それでいて心配しているような……そんな目を俺に向けている。


 もしかしたら、俺もさっきのマリスと似たような目をしているのかもしれない。


「納得できる代案を用意しよう。五分待っていただきたい」


 それだけ言うと、俺は自分の部屋に戻り、金庫の中身を取り出して帰ってきた。


「これをあなたに差し上げる。だから、ミレニアから手を引け」


 俺はドレミダの隣の席に座ると、金庫の中身である十三施錠で縛り付けてある拘禁器こうきんきをテーブルの上においた。


「十三施錠だと……!?」


 それを見たドレミダは、驚愕で目を見開いた。

 普通は見たことあったとしても、錠前十個が最大だろう。それに加えて三つもあるんだから、驚くのも無理はない。


「ディーノ君、これって……!」

「ああ、叡智の勇者であるレイナが、自分の命を使って封印した魔物が入っている」


 そう、これはレイナの死因。

 レイナは俺を守る為、こいつを封印する為に、彼女は命を捧げた。


 ……なんともまあ、苦い思い出の詰まった代物だ。


「でも、これはディーノ君とレイナさんの、最後の繋がりじゃないですか!」

「……え?」


 おいおい、そんな事を言うなよマリス。ミレニアが動揺してるじゃないか。


 そう、マリスの言う通り、俺に残された唯一のレイナの遺品でもある。

 他にろくな遺品は無かったのかって? 生憎だが、他の思い出は溶岩に飲まれて、この世から綺麗さっぱり消え去ったよ。


 だが、今はそんなことより、二人を安心させてやらないと。


「そりゃ、過去の家族も大事だが……今の家族を、俺は失いたくないんだよ。だから、いいんだ」


 そう言って、俺はできる限りの笑みを浮かべた。


「ディーノ君……」

「………ディーノ、さん」


 マリスとミレニアの瞳が潤み出した。


 オイオイ泣くなよな。笑ってる俺が空気読めてないみたいじゃないか。

 そう言ってやりたかったが、視界が歪んでそれどころじゃなくなった。


 慌てて目元に触れると、俺のほうが先に泣いていた。


 ……どうやら、こんな危険物に、大分思い入れがあったらしい。


「馬鹿だな俺も」


 なんとか笑おうとするが、うまくいかない。

 こんなんじゃ、二人が安心できないじゃないか。

 

 それに、家族を守る為なら、きっとレイナも笑って許してくれるはずだ。


 ――――王様が処分してくれるならありがたい話ですね。


 ……ああ、あいつこんな感じで空気を台無しになる事言う。

 いや、俺もそれは考えていたが、お陰で涙が引っ込んだよバカ。


「……一度教会に戻り、審議を行う時間が欲しい」


 長考していたドレミダが、立ち上がって帰ろうとする。


「オイオイ、ちょっと待ってくれよ」


 それを、俺は肩を組んで止めた。

 冷静になってもらうわけにはいかない。ここで畳み掛ける。


「俺は構わんが、『神類証明決闘儀』までに調教が間に合うのか? なんせ叡智の勇者であるレイナが、退治ではなく封印を選ぶ暴れん坊だ。手懐けるのであれば、早いうちにテイマーに預けるなりなんなりすることをおすすめするぜ?」

「…………ッ!」


 震える手で十三施錠の拘禁器こうきんきを手に取ろうとするドレミダ。


「待ってください」


 それを、マリスは紙の束とペンを差し出すことで止めた。


「受け取るのでしたら、こちらの書類にサインを」


 こいつ、いつの間にそんな書類の山を用意してた?

 あ、俺が泣いてる時か? マジ? 流石としか言いようがないな……。


 書類の内容を確認するドレミダだったが、目をゴシゴシと拭って書類と格闘している。


「……いや、その、字が細かすぎやしないか?」


 どれだけみっちり書かれてるんだあの書類。


 そんなドレミダを思ってか、ミレニアが虫眼鏡と朱肉を運んできた。


「耄碌しているお爺さんにはわからないかもしれませんが、これは虫眼鏡と朱肉という文明の利器です。使ってください。使い方も説明したほうが良いですか? あ、印鑑だなんてその頭で用意できてないですよね? 脅迫にしに来ただけで、想定外だったはずですから。でも指でも構いませんよ。あ、指紋押捺ってご存知ですか? 説明いります?」

「い、いや、大丈夫です。ミレニア様……!」


 さすがの教祖であるドレミダ様も、笑みが引きつってらっしゃるぞ。


 にしてもここまで煽るミレニア、初めて見た。誘拐された時に、相当嫌な目にあったんだろう。


 あの煽りはマリスから学習したな。少なくとも俺ではないのは間違いない。


 一つ一つ書類を読み、サインと指紋押捺をしていくドレミダ。

 老眼ではさぞつらかろう。そこだけは同情するが、容赦する理由にはならないのでな……。

 ドレミダは写しと十三施錠の拘禁器こうきんきを握り詰めるように掴み取った。


「さて、これでもう私達には干渉しないと契約されましたね……あら? どうしてまだ家にいるんですか?早くお帰りください。契約違反ですよ」

「品の無い女め……!」


 品のない爺は口を慎みな。


 だが口撃となると、やはりキレッキレだなマリス。

 やっぱりミレニアのあの煽り、マリス似にしか思えん。


 ――――あんな物騒なもの、さっさと捨ててしまってもよかったんですけどねぇ……。

 ――――ですが、あなたがこの選択をしたことを、お母さんは誇りに思います。


 頭にノイズが流れた気がする。

 ……なぜかはわからないが、そのノイズは俺は誇らしい気持ちにさせた。


     ◇


 俺達はドレミダの玄関で見送った後、俺達は皿などを皆で運び、リビングで食事を再開する。

 俺は口に食べ物を運びながら、グルグルと考えを巡らせていた


 全く、えらい目にあった一日だった……まあ、それは凡人の感想であって、俺からすれば楽勝なんだがな。うん。

 ああ、十三施錠の拘禁器こうきんきを譲渡した事、各所に報告しないとな。マリスが書かせた書類にも、そうすることは明記してあるし。


 あ、報告と言えばだ。


「しまった! 通報を忘れてた。ちょっと使い魔を出してくる」

「もう済ませました」

「さすがだなマリス。ありがとう」

「どういたしまして」


 立ち上がろうとした俺だったが、マリスの言葉に安心して席に座り直した。


 アイツの所業は普通に犯罪者だから、国民の義務は果たさないとだ。

 俺達、あいつらがミレニアを誘拐したことを黙秘するだなんて、一言も言ってないしな。


「……いいんでしょうか。これで」


 なんとも微妙な顔でご飯を食べるミレニア。

 さっきまでノリノリだったお前が言うセリフじゃないと思うが……。


「心配することはない。子供なんだから、お前は親に任せてれば良いんだよ」


 そうやって俺が笑いかけてやると、ミレニアはキョトンと不思議そうな目で俺を見てくる。


「……え? いいんですか?」


 こいつは俺を何だと思っているのだろうか? そんなに俺が頼りないか?


「いいに決まってる。困ってることがあれば、俺かマリスに相談しろ。わかったな?」


 ミレニアは「いいんだ……」と呟くと、何やら段々と表情が明るくなっていく。

 さながら花が開いているようだとでも言うべきか、それぐらい劇的に表情が変わった。


「……はい!」


 どうやら納得したらしく、ミレニアは美味しそうにご飯を食べだす。

 俺にはそれが、プレゼントに何をもらおうか悩んでいるようにも見えて、なんだか笑ってしまった。

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