第5話 毎日とるものだから、いいものを
音楽に対する
ジャンルとかミュージシャンのことを指してではない。気に入ってるものをずぅーと聞き続けてる嗜好が一緒だ。
せっかく好きになったものを飽きたりなんかしない
気に入って、とったり、せっかく身の回りに置いたのに、嫌いになるはずがない。それが、ふたりの生活や日常の土台をなしている。
だから二人の20年は、クロスはしても混ざらず穏やかに居続ける。
もっと掘り下げて見渡せば、着てるもの、小物、食器、壁の色なんかもそんな感じだ。子どもをつくらないから、ふたりの大きさや形が変わることはない。継続や繰り返しは止まってることと大した違うはない。毎日をコマ送りにしても、動画にはならない日常。
同じような静物画が並んでいるだけ
セックスも、それを始めるときの
逆さ打ちしてからの20年の毎日毎晩も、もちろん変わらない。
音楽は、部屋に流している。
ふたりともイヤホンで聞くのは嫌いだから、夕暮れを感じたから灯りを点灯するように、音源のはいったボックスのスイッチをオンする。
わたしは、ひとの声の入らないピアノか弦楽器が加わった楽器編成のものばかりだが、妻は、「イイ声のひと」と見つけたひとの声ばかりを流す。
ときには、朗読、語り、インタビューの地声もある。誰かとのお喋りでなければ、意味よりも声に乗っかる音を聞いてるんだからイイ声であれば同じなの、という。それは「音程とかリズムとは無縁の世界なのよ」と付け加える。
古今東西。いまは便利になって、自分の足で探さなくても様々にやってきてくれるから、「このひと、イイ声」と立ち止まった足元をどんどん掘っていくと一番に当たり、安住のソファーに鎮まるように浸かっていく。
けれど、そんな新しい安住のソファーはめったには入ってこない。
だから、この部屋がごちゃごちゃならずに並べられる数しかお気に入りは追加されない。人数ばかりが増えてもいいオーケストレーションにならないように、順繰りに回っていくいい声の輪唱は、妻のあたまの中にメリーゴーランドのように清らかな円舞を奏でている。
わたしには聞こえない音が、この部屋を満たしているのを妻の穏やかな微笑みの縁から感じられる。
わたしが流すインストルメンタルには、楽器が囲む空いた中央に、かならず
そののっぺらぼうの顔を穴が開くほど眺めてるわたしの口元を見て、妻は幸せを顔に現す。
わたしたちの一番に幸福な時間だ。たまにしか訪れいない幸福でなく、毎日毎晩にやって来る幸福だ。
これって、ゴハン食べるのと一緒だね
わたしたちがゴハンを食べるというのは、この部屋のダイニングテーブルで
仙人になるための修行でやってるのでないから、たまには、きちんと精米した白米を炊いて食べることだってある。
人気のおにぎりの具材のような、
ゴハン粒を口の周りいっぱいにつけて、ふたりで見合って「もちもちって、美味しいよね」の顔もする。
でも、ずっと白米だけを続けるのは、3日が限度。正月の雑煮や、うん万円するブランド牛の鉄板料理と同じで、毎日の三度三度の
お
肉食か草食か雑食かと問われれば、わたしたちヒトは雑食だ。ヒトは、ホモサピエンスは、ゴリラやオラウータンよりもチンパンジーの系譜にいる。雑食のチンパンジーは、果物も食べるが、ほかのサルだって食べる。横取りされない時間の余裕があれば、真っ先に口にするのは、脳ミソだ。ヒトはヒトを喰って永らえてきたから、いつの日かヒトに取って代わろうと、横でそれを真似て食べている。
千年や二千年でない、1万年とか10万年をかけて真似てきたことだ。
いまヒトがこんな感じで生きている系譜は、ご先祖様が自分ではないほかの脳ミソを食べて神経系の発達を促したおかげだ。
けれど、あれを見たら、いまは食欲は沸かない。
ヒトはここまで高尚になっているのだから、あんな野蛮に戻る必要はない。食べたら美味しいかもしれないが、ヒトのあたまは、いまはそこまでは欲深ではなくなった、はず。
もう、ヒトは食わなくても良くなったのだから、野蛮なんてよせばいいのに
目移りせず、お腹の正直さで毎日を過ごしていくと、少なくとも、身体の中だけでも、自分たちの好ましいものに循環されていく。
わたしは、相も変わらず都会のビルの小作人だ。野菜も育てるが、都会のビルの屋上で
どこもタワマンみたいな高さはないから、飛んできたミントやシソが脇を固め、蕎麦の白い花が一面のときは、ミツバチまでやってくる。
オーナーや管理人たちは年に2、3度づつ、そんな絶妙なタイミングを見計らって、関係者しか知らないこの屋上に上がってきて、初めてみる景色のように「ほぉー」と普段出せないような高い声で、感嘆を吐く。
それが一番の賃料なのだ。
その中の一棟のペントハウスでわたしたちは間借りしている。
ペントハウスは、エレベーターや階段を使えば二人がかりで屋上まであげられる組み立て式のものだ。「遊牧民のゲルみたい」とネット通販で見つけた妻が、即、購入した。芋づる式に見つけた発電装置や簡易水道も、即、買った。
お金はこうしたときに交換するのに便利なものだと気づかされる。
キャンプグッズというよりは、わたしらのようなビルディングの屋上を異動するもののために自給自足の居住を可能にするために開発してくれたオリジナルなものだった。
値段は、素人が考えても10倍はした。
いままでの蓄えは全て底をついたが、そうしたために備えた蓄えだったから、別の思慮が挟まれることはなかった。
貯えが底をついても、妻はそうしたことには無頓着だ。
妻の方は、お金はいつも自然と入ってくる仕組みであるらしく、細いが湧水の枯れる心配をする必要はない。
「なにかしないと褒められないのは、まだ青い。此処に居るだけで褒めて貰わなくちゃ」と、なにかパソコンを通してのやりとりの中で、わたしの方の小作代と現物を合わせたくらいのイイ分が集まってくる。
それでも「食い扶持ぴったり」のわたしの小作代とほぼほぼだから、妻を褒めてくれるのはわたしに小作代を払うオーナーと大して変わりはない。
それでも、食べられるとはいえ生やしてる植物で褒めてもらうのが精一杯のわたしに比べれば、生身ひとつで稼いでる妻の方がひととして幾分か上等なのだろう。
妻はむかしの15年着古したフリースを取り出す。そして送られてきた衣装ケース、本棚、それと彼女の35年分の詰まった様々を実家と呼ぶ明人君たちに送り返す。始めた時分の身ひとつで暮らし始めに模様替えする。
ふたたび、10年ぶりの寒気に襲われる冬がやってきた。合わせて20年着込んで起毛が見えなくなった長袖Tシャツみたいなフリースを、妻は三枚重ね着する。
それは分かってるから、繰り返しだから、「今度は、気管支炎から肺炎になって10キロ瘦せて生死を彷徨うような死に物狂いなんてヘマはしない」と言った。
逆打ちの20年間の景色で変わっていたのは、そのことだけだった。
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