第4話 出逢ったのは、図書館だった

 妻のはなしでは、逝った者が皆んな逆さ打ちをするとは限らないのだという。


 己れの世間での立ち位置を生業なりわいの範疇でくくる雇われ人や自営業など「ありふれ」の名称では受け入れられず、大小はさておき、属す会社やネットワークや秘密結社に於ける上昇志向の強いやからには、そこから降りていく、あるいは落ちてゆく道すがらは、耐えられないらしい。

 かならず、気が狂ってしまう。或いは、精神に異常をもたらすのだという。

 反対に、逆さ打ちを、若返りの秘薬か何かと混同するナルシスト気質の強い御仁ごじんは、若返っていく身体とその方面への欲の強さがついていけず、これもひとの道から外れてしまうらしい。

 世間でいうところの「人生の目的」などを、己れの縁おのれのふちに並べるなど一度として考えていない者には、相応ふさわしいらしい。

 正月の元旦に「新年にあたって」の小難しいことは横に置いて、穏やかな日の出に迎えられた己れの温かさに染まる頬の喜びだけを芯から満足できるような者にだけ与えらるものらしい。

 そうだとすると、わたしも妻も再婚どうしで一緒になってからの20たびの元旦を迎えた。迎えるたび、むかし大つごもりと呼ばれた大晦日を潜り超えくぐりこえどうにか次の歳の新しい日を共に迎えた「20度か」の感慨よりほか持てたためしはなかった。。

 ふたりの間に新たな子どもでも設ければ違ったかもしれないが、ふたりよりほかの世間に関心を寄せることなく日々のよすがよすがを過ごした身には、逆さ打ちの大仰なオカルトじみた呼び名をかんするよりも、5年、いや10年の時間差はあったが、二人がそろってまた同じだけの時間を連ねていける、もう一度同じ長さだけ繋がっていける、ただそのことを喜んだ。

 妻からそれを告げられたとき、それが溢れ出た一番素直な感じだった。


 妻との出逢いは図書館だった。はじめてのときも、何度目のときでも・・・・

 出逢いに運命のお飾りをつけるとしたら、螺旋階段のついた巻貝みたいな巨大な図書館で、東西南北のほか一階二階三階すら混濁する方向音痴のふたりは、何度も何度もおなじ階段の踊り場で邂逅かいこうする。

 それを、映画や物語に混ぜ込むなら陳腐な筋書きだが、運命や宿命といった必然のしつらえなど、本来は他人への見世物はだない。

 とうの二人が飲み込みやすいと思えばいいものだ。


 方向音痴はいっしょ。

 一人っ子なのも。ほかは、ふたりとも一と月前に籍を抜いた子持ちのバツイチで、子どもの頃から何度も何度も此処に通っていた。

 ラウンジで、大きなマグカップに入ったカフェラテに、ふたりの一緒を溶け込ませていたら、「はじめてでない、何度でも、何度でも」に行き着いた。見開いた互いの顔の上の疑問符が、早鐘を鳴らすように何度も鳴っている。最終コーナーに釘付けするように、わたしたちはお互いがから目が離せなかった。

 わたしは何度もこの迷宮らびりんすのような図書館に足を運んだ。東京の人口と同じだけの蔵書数があると教えてくれたのは母方の叔父だった。

 叔父は、こうした本と建物が大好物のひとだった。匂いと味覚に落ちたものだけが自分にとっての本物だと教えてくれたひとだ。

 わたしが、この図書館にはじめて足を運んだのは10歳になる誕生日の前日だったが、それを話したあとに、誕生日が同じ妻は5歳の誕生日を迎える前日に此処を訪れたと繋いだ。

 わたしたちは読書好き以前に、この図書館にくるまれているのが好きだ。

 わたしたちはやってくる度に、螺旋階段の踊り場で交錯し、赤の他人として離れた。


 わたしは、中学、高校でのデートでもこの図書館を使った。

 中学2年生の初デートは、あの時分のここいらでは定番の海浜公園でブルーハワイのカナッペを食べたりしたけれど、2度目3度目の定番をくぐったあとで、

何か胸の内を告白するみたいに彼女にしたい同級生の女の子をこの図書館に連れてきた。

 中二の女子に迷宮ラビリンスとだけ伝え、目隠しするみたいな期待感もたせずに。それが、失敗だった。「本ばかりが並んでる・・・・ただの大っきな物流センターみたい」と言われ、何か変な残念なやつの距離をつくられ、それっきりになった。

 そんなカサカサな穴の空いたわたしの横を、ツインテールしてる9歳の妻は通り抜けていったのだ。


 いまなら、あのときの光景を想い起こせる。

 ターコイズブルーの髪留めしていた、肘も腿も腕もすべてが同じくらいの瘦せっぽちの女の子。


 3年後、わたしは高校2年生になっている。付き合って3カ月の、17歳を迎えたばかりの彼女と再びこの図書館をデートに使った。

 迷宮ラビリンスなんてそんな自分勝手な妄想を繋げるじゃなく、お互いの得得意不得意を補うようなさりげない誘い方の小道具として取り出したのだ。 十代は、1年前の自分がひどく幼く見える。むかしあんなに愛着を感じたのに、その分の気恥ずかしさから、忘れようとする。

 だから、高校受験から縁遠くなっていたから新鮮だった。が、いまはそれどころじゃない。

 15歳16歳17歳じゅうごじゅうろくじゅうしちと、自分とは別ものの丸くて柔らかでいい匂いのする生きものとして、女の子には堪らない魅力を感じる。

 目と耳でなく、鼻と唇の感覚が先にたっている時分だ。

 そのときも、小学校6年生になった妻は、ラピスラズリの髪留めをしたツインテールでデート中のわたしの横を通り過ぎた。

 中学2年生と小学3年生のときよりも、その気配はもっとあっさりに感じた。

 もしも、1年後の中学1年生になっていたら・・・・・丸くて柔らかな匂いが肌の透き間から零れてきて、「もう中学生なんだから」と、おのずからツインテールを外す仕草を、その丁度のタイミングを目撃していたら・・・・もっと、はやく、こんなおじさんおばさんの姿に代わる前に出逢えたはずだ。

 同じ様に17歳になりたてのわたしは、空気のように妻の通り過ぎるのを見送った。匂いのしない女の子には興味がわかないニキビヅラの猿だから。そんな言い訳しか思いつかなかった。

 高3の受験を終えたわたしは、地方都市にある大学に移り、そんな彼女ともこの図書館とも自然消滅した日常がしばらく続くことになる。就職、結婚、父親、退職、起業、離婚と、世間でいう人生のイベントの二文字を六つ並べたのち、再び、此処に戻ってきた。

 戻るまではこうして戻る自分の気づかなかったことを知らされる。


  往来のひとの足で刻まれ、入り組んだ、いびつな道

  どん詰まりのその先に、忽然と大谷石を葺いた大正時代の迷宮ラビリンス

  ヌクレオチド鎖を彷彿させる螺旋階段

  踊り場が近づくと、ツインテールからラビリンスの髪飾りが外される

  もう、瘦せっぽちの女の子はいない、5歳でも、9歳でも、12歳でもない 

  丸くて柔らかくての、いい匂い

  すこし目尻に皺の、いい匂いするセミロングの髪の中に白いものがチラホラ  

 

 買ってタグをとったばかりのアウターでも上着でもなく、起毛の失せた肌着のすでに馴染んだ着心地だった。22年間脱ぎっぱなしだったものを身につけて、いままでの自分と自分の身体がどこかちぐはぐだったと気づかされる一体だった。


 ためらいなく男40と女35の成り立てのバツイチは立ち上がり手を握り、そして繋がった。当たり前すぎるほど当たり前のことだった。そのあとすぐに、ふたりは暮らし始める。おたがいが離婚したての荷物の少ない仮住まいのアパートメントだったから、大学生よりもそうしたフットワークは軽かった。

 奇数日は、わたしの1Kに。

 偶数日は、妻の1DKに。

 その一月後、この図書館周辺に、ふたりにおあつらえ向きのペントハウスを見つける。住み心地よりもこの図書館の周辺というのが、運命や宿命といった必然のしつらえだった。本当は、許されるなら、螺旋階段の途中の踊り場に住みたい。広さはゆうにあるのに人通りは少ない螺旋階段の途中のあの踊り場にキングサイズのベッドを持ち込んで、えんえんと暮らせたら・・・・食べ物も飲み物も、それを運んでくれる生活のかても、すべてこの180×195センチの中で存在してたら・・・

 そんな妄想は、けっして邪気ではなく、遥か彼方だが、一番はっきり見える幸福のかたちだ。わたしたちは、わたしたちが見てる先の幸福だけを見ていた。付き合って同棲を始めた大学生よりもピュアだった。

 ピュアなものって、柔らかでない。尖っていて、残酷だ。

 だから、ためらいないなく経緯いきさつをすっ飛ばして、こんな事務的な依頼を元の家族に遅れてしまう。

 

 父さんは(母さんは)、新しい家族をつくったから、母さんの(父さんの)荷物は、○○区○○○街3丁目2567○○○アパートメント1302へ、送ってください。

 

 それぞれの別れた家族から送られてくる荷物を空いた一部屋に入れようと、そこは空き部屋に確保した。

 わたしの荷物は、すぐに届いた。わたしのは既に剝がれていたから。

 妻の方は、15年間、ひとつも届かなかった。 妻の方はまだ剝がれてはいなかったから。


 荷物用の空き部屋には、わたしの衣装ケース、本箱のほか、それまでの40年を培ったもので半分のスペースが埋められた。もう半分に、妻は、「最低限、必要だから」と買い足した、わたしの衣装ケースの半分も埋まらない着替えだけを入れた。

 いま着ている、洗濯で干している以外の、インナーと家余所うちそとどちらもOKのジャージのようなもの。

「もう少ししたら送られてくるのに、同んなじもの買ったら、もったいないでしょ」

 くたびれるまで着古したフリースばかりの妻に、そのことについてだけは何も口を挟めなかった。

 それがいけなかった。でも、それがなかったら、コーナーは曲がれなかった。

 

 15年目に入る冬、もともと配管をだましだまし使ってる階下したのアパートメントからのスチーム暖房のおこぼれだけのペントハウスに猛寒波が襲ってきた。やせ我慢する妻に慣れ親しんだわたしは、気管支炎にかかり、肺炎を引き起こすまで病院へ連れていく発想すら浮かばなかった。

 どうしてものときと知らされていた電話番号に電話する。

 2分間の躊躇のあと、明人くんが出た。

 手短にのつもりだったが長くなった。一言も発しなかった彼の息遣いが長く引っ張った。そのあとも伝わるのも拒んでるような無言だった。伝わっているかどうかわからないまま電話を切った。

 そうした様子のあったことは、もちろんそのことの真ん中にいる妻には話さなかった。でも、退院した妻がそれを見たら、明人くんのいまが伝わると、それからのことを内緒にした。


 10キロ瘦せた妻は、帰りのタクシーからもその軽さが手に取れた。

 一月ひとつきぶりの我が家だ。狭い沓脱くつぬぎのたたきしかない玄関から、まっすぐ物置部屋に案内する。ずっと15年間わたしのものばかりで妻のは衣装ケース一箱しか置かれていなかった床に、その横のわたしのものの3倍はある衣装ケースと本箱、それにわたしと暮らす前の35年間の詰まった段ボールが三つ収まっている。

 妻は、泣いた。太さが同じになった太股とひざが崩れた。同じ細さの二の腕が五体投地のように床に投げ出される。

 荷解にほどきする妻は病後でなく千日勧業を終えた阿闍梨のような白だった。

「男の子と母親の関係って、とことんってとこまで行かないと、うまく剝がれないものなのね」

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