第2話 オムライスを食べ続けるのは、あたしの方だってしっていた

 妻は、私には見えない達筆で書いた巻紙でも放つように、準備していた口上こうじょうを披露する。 

「でも、それ、片道ですからね。ついさっきの、一時いっときのうたた寝したあとみたいなあなたと一緒で、死んだあとなんの余韻も用意されないまま、逆打ぎゃくうちされて、さっきと同じ病院のベッドでひとり寝のうつつに戻ったとき、これが本当にそれなら、あなたと別れてからのさっきまでの5年の復路がしっかり見えてきちゃった」


 まずは、正座した。

 あわせて10年だが、半分は同じことの反復だ。それでも目方めかたは5年でなく、10年なのだ。

 ハードカバーに分冊した厚々したのが、目に浮かぶ。

 すべてを語るには妻の体力の方がもつまいが、まずは、せきを切って止まるまでの水を遮ることはルール違反だと、正座した。

 先の見えない独り身となった己れも長いが、その間のことが分かったあとで、それをもう一度繰り返すのはもっと長い。そんな片鱗など一片として持たないわたしは、妻のどれだけ深い奥の底か分からぬ顔をしげしげ見るより仕方ない。

「あたし、あなたとの約束、果たしたのよ。月命日のおひるは、必ずきまってオムライス食べてた」

 何を言い始めてるかと、腹の中で3度反復した。

 いまふうのじゃなくて、わたしが好きな方の、チキンライスを固めの卵で包るんだオムライスを毎月毎月の15日のお午に食べていたのだと、東軒あずまけんはわたしが死んだ翌年に閉めたので、それからは電車を乗り継いで、海外の観光客相手で値段が倍になった浅草まで足をのばしたのだと、最後のひと月はベッドに縛られてたからダメだったけど、それ以外は、ご飯茶碗一杯の小振りにしてもらっていたのだと。

 「毎月、毎月の15日には、ずぅーと食べてたのよ」

 堰を切ってなだれ込むと覚悟したはなしは、それで仕舞いだった。意外なほど、断片だけが置かれた格好で終わってしまった。

 たいして若くはなくなった時分に、そんなはなしを聞かされたような、或いは自分の方から手向たむけたような、そんな程度の記憶だけがあった。そんな程度と言いながら、白いヒト型に託した何かの憑き物を渡されたような感じも残っている。

 でも、その「月命日」のはなしには、「おたがいの好きな食べ物」の前に「逆打ぎゅくうち」のはなしが混ざってたように覚えている。死んだあと、すぐに前の日からの毎日毎日が反対に始めた方に向かって繰り返され、あわせて、己れ自身の容姿もだんだんにそれをはじめた時点に若返っていく、都市伝説のようなオカルトめいた調子で、逆打ちを、語ったか語られたかの記憶はある。

 あのとき、双六で繋げるみたいに、お互いのこれまでを並べたりもしている。 


 妻のイベントは、

 小中高大学と繋がる私立に入学。大学院単位取得退学、誰でもしってるメーカー系列の研究機関へ就職、結婚、起業してパン屋を始める。そして、出産、離婚、再婚、廃業、肺炎、グレイヘアー、閉経・・・・・妻の前半は、世の中の横にある自分に一番に似つかわしいものを試しているようだった。それでも、げっそり10キロ痩せた肺炎と、前の夫との間に明人あきとくんを産んでるから出産は外せない。

 わたしのイベントは、

 片思い、失恋、両想い、失恋、片思い、失恋、就職、結婚、離婚、退職、再婚、独り立ち、廃業、雇われ人、再チャレンジ、還暦まえの廃業・・・・妻に比べるとはじめっから、世の中の横にあるものとうまく付き合うのが得意とはいえない人生だ。ひとり娘の瑤子は授かったが、前の妻との間なので、授かった以上の踏み出しのないまま、薄く縁遠くなった。


 死んだあとは、ほんとうにそんな風なパラレルワールドが待っていて、折り返すみたいに今まで生きてきた道を辿たどっていくのかしらと、少ししみじみ、少しいたずらっぽく、染めるのをめてグレイヘアーになりかけた妻の顔が思い出される。 

 わたしがオムライスを先に言ったあと、妻は「あたし、にしん蕎麦」といった。


 いまのいままで、にしん蕎麦を美味しくすすってる妻を見かけたことなんてなかった。意外だなぁの顔をしたら、「好きよ。しらなかったの・・・・いいの、あたしが好きだっていうんだから、それにすればいいの」

 妻はそのあとを続けた、いくぶんロマンチックに。

 午下ひるさがりの蕎麦屋で、戸口を開けると店の一番奥の席に、にしん蕎麦をすすってるがいる。先に届いた清酒一合はすでに冷めていて、徳利の中にはまだおちょこ一杯ぶんだけが残ってる。

 もう一本、熱いのが届いて、小さく献杯けんぱい

 そのあとは、にしん蕎麦がくるまで待って、山椒味のにしんをあてに一杯二杯が続き、あたしが食べてる合間を挟みながらゆっくり蕎麦をすすっていてほしい。「考えごとして箸をとめるの、あなたの悪い癖」って、いつものあたしの小言を合間を挟んでゆっくり食べ進めていってほしい。もう、お膳下げていいのかしらと、店のひとが怪訝にすり寄ってきたら、冷めた酒をおちょこに注ぎ、砕かれたにしんとふやけた蕎麦の残骸になった汁と一緒に飲み干してほしい。

 「わたし、それが好きだから」の妻の顔は、飛べないペンギンが見果てぬ空の先を見ているようだった。


 妻は、しっていたのだ。わたしの方がひとりで、にしん蕎麦を食べることは起こらないことを。


 食べ続けるのは、固い卵でチキンライスをくるんだオムライスを食べ続けるのは自分の方なのだと。だから、おとぎ話のようなそんな場面だけをわたしに覚えていて欲しかった、といまになって分かった。   

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