第16話 『ロープ』


「くっ…… いってぇ」


 気付くと俺の目の前には、金が入ったバッグがある。断崖の空洞の中に、収まっているあのバッグ。


──やってしまった……



 一瞬の出来事だった。断崖の縁で後退りして、足を踏み外した。



 落ちた!


 ……と、思った一瞬だけ空が見えて、後頭部に衝撃を受けた。


 どうやら仰向けに倒れて、裂け目に吸い込まれた。腰辺りも打ったようで、重い痛みを感じる。


 そして、左の足首が凄く痛む。まるで関節技を決められているみたいに、激しい痛みが続く……


 目の前には空洞とバッグ……

 


 落ちた事はわかったが、しばらく何がどうなっているかを、理解できなかった。整理が追い付かない。


 頭を上に向ける…… 見えたものは裂け目でうごめく、あの気味の悪い化け物。



 バッグを見た時は、頭がぼんやりして、考えが浮かばなかったが……


 天地が逆転している。




 俺は逆さまになって、ぶら下がっていた………… 


 断崖の裂け目に、宙吊りになっている。足を踏み外した時、左の足首にあのロープが、見事に引っ掛かっていた。

 それも、俺が足場に使った例の輪っか…… 首吊りの輪っか……



──良かったのか…… 悪かったのか

…… 


 今の状況はどっちなのか、俺にはもうわからない。


 

 とりあえず、体を動かそうとしてみるが、頭を打ち腰を打ったせいか力が入らない。


 自分の体重が、足首にロープをギリギリと食い込ませていく。足が千切ちぎれてしまうような激痛と恐怖。



「ぐぁー! ちくしょー! なんでだよ!!」


 怒鳴り声は、虚しく裂け目の底に吸い込まれていく。





 経験したことは無かったが、これが頭に血が上るってやつか? かなりつらい…… ずっと目をつむって耐えているが、いつまで耐えれるか……


 視線を裂け目を縁に移すと、並んで立ってた奴らは、それぞれ裂け目の中の、宙吊りになっている俺を覗き込んでいる。


 相変わらずの無表情。無の底…… あの眼で。





 もう足首の痛みは感じない……

 さっきまでは、頭が割れるように痛かったが、それも感じなくなっていた……


 

 死ぬまでに、あとどれ程の時間がかかるのだろうか? 

 死ねるまでに…………




──もう殺してくれよ


 心からそう思った。




「待ってたよ」女の声がした。


──誰だよ……

  何のことだよ……



 眼球だけを動かして、奴らを見ると一人の女が、


「待ってたよ」もう一度言った。


 ボロボロの水玉のワンピース、頭にはリボンがついている、


 


──誰だよ……


 


 薄れゆく意識の中で、俺が最期に見た光景…………


 

 さっきまで恐ろしい程に無表情だった者達、今は満面の笑みを浮かべている。引きつったような顔の者、目を見開き口の端を吊り上げている者、それぞれに満面の笑みを…… 嬉しそうに…… 

 特に中心にいる者…… 女……

 あの女と、その横に袖と裾をまくり上げ、裸足で立っている男……

 本当に嬉しそうに笑っている……


 俺は奴らの眼の中。〝無の底〟の中で、断崖の化け物と同じものが、笑いながらうごめいているのが見えた……





──死ぬのが怖い…………




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