第5話 謎の女性

さっきまで恐ろしい程に無表情だった者達、今は満面の笑みを浮かべている。引きつったような顔の者、目を見開き口の端を吊り上げている者、それぞれに満面の笑みを。嬉しそうに。 




「ねぇ」


 僕は耳を疑った!

 

 人の声?


「ねぇ!」間違いなく人の声。


 声は、さっきまで僕が立っていた陸地ではなく、前の島から聴こえた。


──え! 何で!


 足元のロープから、視線を上げて島の方を見る。


「は!」僕は思わず声をあげた。


──う、嘘でしょ……


 島の中心付近、このロープが括り付けられた木の側に、人が立っている。女性が一人。


「何してんの?」女性が言う。


「え?」僕は混乱する。


──何してんの? こっちのセリフなんだけど。


 どこから現れた? いつから居た? なんでこんな所に? 

 

 二十代後半位だろうか、どこか時代遅れの黄色地に水玉の派手なワンピース。黒髪のショートボブに大きいリボンがついた白いヘアバンド。メイクには、詳しくはないが今風とは言えないと思う。


 不思議な印象の女性が木の側に立っている。



「ちょっと、あんた」


 この状態で、話しかけないで! 混乱させないで! 


「何してんですかぁ? ねぇ! ねぇってば!」


──もう!

「何! え、何!」小声で応える。


 声を出したら、バランスを崩しそうな気がしたからだ。イライラもしていた。この状況でよく、話し掛けてくれたものだ!


「何って、見ての通りですよ」


「なんで、そんなことしてるのかって聞いてんの」


「あ、あなたに関係ないでしょ」相変わらず小声で応える。


「落ちたら死ぬよ。たぶん」


──わかってるよ!


「こっち来ても何も無いけどぉ」


──ちょっと黙ってよ!


「どうせ、死ぬんだから…… ほっといて下さいよ、」少し声を荒げる。


「死にたいの? なら、ますます謎なんだけど」


──わかってるよ。言いたいことはわかってるけど、ほっといてよ!


「す、少し黙っててくれません」謎なのはあなたも同じなんですけど、とも思ったが口には出さなかった。


 

 そんな妙なやり取りがありながらも、実は足元は少しづつ動いていた。

 イライラして、少し雑になったのが思いの外、歩を進めた。



 大学受験に失敗して。何もやる気が無くなった。引きこもったり、バイトしてみたり。もちろんバイトなど続くはずも無く、人を怒らせてはすぐにクビになった。


 しかし、ひょんなきっかけで就職することが出来た。が……。そう、察しの通り超ブラック企業。


 これがトドメだった。ここから僕の健康と心は、音を立てて壊れていった。


 この綱渡りと同じで、生きる事に雑になった。そして、どうでもよくなった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る