一度でも通院

そうざ

Visit the Hospital at Least Once

 場末の何々という表現があるが、その医院の形容にはぴったりだった。そして、蔦の絡まる洋風の外観が醸す趣きに惹かれ、ついその扉を開けてしまったのが間違いの始まりだったのかも知れないし、ここのところ体の調子がおかしいような観念に取り憑かれたが為についうっかりすこやかな長寿を希求してしまったのが運の尽きだったのかも知れない。


 屋内は美容院のような設えだった。はて、院は院でも院違いだったかときびすを返そうとしたが、白衣の男に呼び止められ、椅子に座らせられるや否や垂直に起立していた背凭せもたれが水平に傾き、診察が始まってしまった。

 男は先ず俺に大きな蠅帳を被せた。何ですかと問うと、埃が被らないようにする為に決まっているでしょうと返された。蠅帳の用途くらいは知っている。馬鹿にされたような気がして帰りたくなったが、すっかり蠅帳の虜にされているから侭ならない。


 男は手術の方針を明らかにした。俺の胸を切り開いて心臓を取り出し、それを色んな角度から眺めてみて大丈夫そうだったらまた元に戻す、が、ソロ手術なのでそれなりに時間が掛かるし、近頃は何かと飽きっぽくなっているとの事だった。

 そこで一つの疑問が湧いた。俺が横たわる椅子の周りには看護師ナースらしき女が三人、各々おのおのリノリウム張りの床にレジャーシートを敷いて寛いでいるが、手術を手伝うつもりがあるのかないのかという真っ当な疑問だった。

 しかしながら三人が三人共、厚化粧で、胸元を大きく開け、スカートの丈が短く、身持ちが悪そうだった。俺の個人的な偏見であるとは思うのだが、この女共が変に手術を手伝おうものなら寧ろぐちゃぐちゃにされそうに感じた。それに、煙草の灰を辺り構わず落としたり、スナック菓子を食い散らかしたり、小型犬の白い毛をばら撒いていたりと、それで蠅帳が必要なのかと漸く合点が行った。そもそも女が三人居る場合は姦の一文字で事足りるではないか。


 で、肝心の手術がどうであったかについて、俺はつまびらかに語る事が出来ない。俺は曲がりなりにも患者であって実況担当者ではないのだし、心臓を取り出されている間は言わば死者のようなものなのだから、生者のつらをして偉そうにご高説を垂れる訳にも行かない。俺に人参の鬚根ひげねの切れっ端程度でも医学の知識があれば、或いは芸が身を助けるの如く写実的リアリズムを以てそれが出来たのかも知れないが、泣く子と地頭には勝てない、長い物には巻かれろ、寄らば大樹の陰が身上で、とても石をいだきて淵にる事は難しい。


 何れにしろ、健康診断は必要か否かという命題それ自体に対し、実は不健康診断という呼び名の方が的確ではないかと思い知らされた体験だった事だけは深く心に留め置きたいと思うのと同時に、橋に逢いてはすべからく馬をくだるべしを過ぎては船を争うなかれなのだから、若い時分にもっとお医者さんごっこをしておきたかったと後悔している次第である。

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