猫が跨げば死人も踊る

 田辺の膝の上には、奇妙な鉄の塊が乗っていた。

「なにそれ」

 途中のバス停から合流した私は、最後尾に座る田辺を窓際に押しやり、鉄の塊を覗き込む。

「猫型ロボット」

「猫型……」

 ロボットと続く言葉を口内に押しとどめ、頭の中に浮かんだ青い狸の姿を振り払った。

 いつもと同じ黒い長袖シャツにジーンズ姿の田辺は、涼しい顔をして窓の外を眺めている。暑いなら半袖のシャツにすればいいのに、短く切り揃えられた黒髪が汗でじんわりと額に張り付いていた。

「酔いそう?」

「……別に」

 私は流行りの小さな鞄から薬を取り出し、田辺の手に無理矢理握らせた。

 不愛想な男は裏面に書かれた注意事項を、顔をしかめつつ読み切り、掌に一錠出して口内に放り込んだ。

「水」

「持ってるわけないでしょ」

 鞄を掲げて見せれば舌打ちが降ってくる。本当に図体も態度もでかい男だ。

 田辺は足元に置いていた黒色のリュックからペットボトルを取り出し、飲み干した。

 色からみて水だろうけど、ラベルが剥がされていて飲み物の正体は分からない。どんな飲み物でも購入したすぐラベルを剥がす。変人田辺の習慣だ。

 変わり者だらけの工学部の中でも変人と囁かれている田辺と、文学部の華と呼ばれている私  これは別に自分から呼び始めたわけじゃない  がなぜ、こんな辺鄙な田舎行きのバスに乗っているのかと言えば、偏に二人とも「民俗学研究会」というサークルに入っているからだ。

「森澤の実家って、K市だっけ?」

「……急になんですか」

 民俗学研究会にあてがわれた七畳の部屋で、口角の吊り上がった部長に声を掛けられた瞬間、嫌な予感がした。部長の機嫌はいつも良いが、殊更良いときは注意しろ。

 一学年上の古嶋先輩の忠告が脳裏を過る。

 各授業の前期評価レポートも終わり、あとは司書課程のテストを終えるだけ。一応カンペを作っておこうと、せこせこ小さなメモ用紙に出そうな答えを連ねていたらコレだ。

 私は「あー」と言葉を濁しつつ「違いますよ」と視線を逸らした。

「おかしいな。古嶋に森澤の実家はK市だって聞いたんだけど」

 古嶋先輩、なぜ余計なことをっ!

 頭の中で古嶋先輩が平謝りしているのを尻目に、部長は「で、どうなの?」と顔を近づけてきた。分厚い眼鏡で覆われているが、相変わらず隠れ美少女である。

 民俗学研究会って無駄に面の良い人間が集まってるなぁ。無駄に。と現実逃避をしてみるが、部長は逃がしてくれない。

「ほらほら白状しなよ!」

 ぐるんぐるんと頭を回されながら、私は「いや、ほんとですって!」と叫んだ。

「ほんとにK市じゃないんですよ。その隣のS村。なんもない田舎です!」

 K市と言った方が出身地として理解されやすいからK市と言ってるだけ。なので嘘はないですと、神妙な顔をしながら両手を上げれば、部長は「ふーん」と更に口角を引き上げた。チェシャ猫、いや口裂け女だ。

 撃退呪文でも唱えてやろうかと思っていれば急に部室の扉が開いた。

「……何やってるんですか」

 私たちを見たとたん不快そうに顔を顰めた男は、肩にかけていたリュックを乱暴に机へと下ろした。振動で私のペンが転がる。

「やぁ、田辺くん。丁度いいとこに来た!」

 満面の笑みを浮かべた部長がターゲットを私から変人田辺に移した隙をみて、ペンを拾い上げた。そのままそそくさと広げていた勉強道具をしまう。

「田辺くん、この部長の役に立ちたいとは思わないか?」

「いえ、まったく」

「そうかそうか、いやぁ、ありがたいなぁ。親切な後輩を二人も持てて」

 大袈裟に涙を拭う部長を横目に「お疲れ様でーす」と小声で部室を出ようとする。が、そんなことを許す人間が民俗学研究会にいるはずがない。骨が軋むほどの無遠慮な力で、手首を握ってきたのは田辺だった。

「あんたが蒔いた種だろ」

「冗談。私はただの被害者」

 ほら、離してと腕を引くがびくともしない。互いに青筋を立てながらの攻防を続けていれば、部長が「というわけで」と紙束を二つ突きつけた。

「二人で行ってきて。森澤ちゃんは帰省、田辺くんはロボの実験。夏休みの活動としては最適でしょ?」

 思わず二人して掴み合いをやめ、コピー用紙を受け取ってしまう。それは古いオカルト雑誌の一記事で「怪奇! 猫で蘇る村人たち!」の文字が躍っていた。

「じゃ、決定ね」

 ここまでくれば、断ることはできない。それは一年目で嫌と言う程実感した。

 大学二年の夏。予定は既に決められてしまったのだ。さよなら、バイト三昧の日々よ。

「ふふ、これで私の卒論も安泰だね」

 部長の独り言にさえ突っ込む気力はなく、こうして私と田辺は実家行きのバスに乗っている。


 S村入口と書かれたバス停で降りた私と田辺は、炎天下の中、木々の間をひたすら歩いていた。前を行く田辺のリュックはロボットを押し込んだせいで歪に膨らんでいる。

「にしても、こんな噂聞いたことないけどなぁ」

 まさか自分が住んでいた村に、こんな奇妙なオカルト話があるなんて。

「友達がいないからだろ」

「いや、ここには私よりもうんと年上しか住んでないのよ。違う所に住んでる友達はちゃんといたから」

「あっそ」

「いや、ほんとだからね!」

 汗をだらだら流しながら表情一つ変えない田辺は「で、どっちだよ」と私を急かす。

「方向分からないなら先を歩かないでよね。こっち」

 リュックの紐を掴み、右側に田辺の体を寄せる。まるで犬の散歩だ。

 なんて密かに思っていたのがバレたのか本日二度目の盛大な舌打ち。

「あ、ほら。見えたよ。第一村人の家」

 開けた視界の先には田園と点在する家々。S村。私の生まれ故郷だ。

 高校進学を機に東京で暮らし始めたから、帰ってくるのは四年半ぶり。だけど私の知っている風景と何一つ変わらない景色が広がっていた。

 とりあえず実家へと向かう。都会では滅多に見ることがない平屋の日本家屋。防犯意識が低いから、すりガラスの玄関扉は開けっ放しだ。

「ただいまー! おかーさん!」

 敷居を跨ぎ、薄暗い廊下に呼びかける。事前に連絡していたが、母のことだから忘れてしまったのだろう。とりあえず乱雑に靴を脱ぎ、田辺に上がるよう促した。

「田辺、とりあえずここで待ってて。ちょっと母親探してくるから」

 緊張した様子で頷いた田辺を置いて台所へと向かった。そういえば、田辺は人の家が嫌いとか言ってたな。頑なにホテルに泊まろうとする田辺を説得したのを思い出す。

 まさかあのリュックの中身、キャンプセットだったりしないよね……。

 嫌な予感と玉簾を振り払い、私は台所に立つ母の背に声をかけた。

「ただいま」

 振り返った母の目が大きく丸まっていく。五十目前なのに皺ひとつない肌が喜色で色付くのが見えた。

「あら、知里ちゃん。お帰り」

 四年半ぶりの再会だというのに、母はにこやかに微笑むのみで、まったく実家に帰らなかった娘を心配する素振りはない。相変わらずの母である。

「知里ちゃん、今日の夕食はカレーにしようと思うんだけどどうかしら? お隣の石川さんから、たくさんお野菜貰ったから夏野菜カレー」

 歌うように言葉を紡ぐ母に「うーん」と濁す。田辺、あいつ好き嫌いとか多そうだな。

「連絡した時にも言ったけど、友達……サークルの知り合いも一緒に来てるんだ。そいつに食べれるか聞いてくるね」

「あら、そうだったの! 知里ちゃんのお友達!」

「いや、お友達じゃ……」

 否定する私を押しのけるように母が小走りで玄関へと向かう。手に持った玉葱はどうするつもりなのか、母の背を慌てて追えば絹を裂くような悲鳴が家中に響いた。

 母だ。追いついた先にはへたり込む母と、その目の前で呆然と立ち尽くす田辺がいた。

「田辺、まさかおそっ」

「襲ってない。変な誤解をするな」

「ただでさえこっちは困惑してるんだ」と田辺は固い表情を更に固くする。震える母の指先が、田辺の腕の中を指差した。

「ね、ねこ」

 田辺はリュックに仕舞っていた例の猫型ロボットを抱きしめていた。

「猫恐怖症の人間がいるなら言えよ……」

「いや、よくソレを猫だと思えたよね」

 幼稚園児のお絵かきの方がまだ特徴を掴めている可能性がある。筒状の胴体に四本の棒がついただけの鉄の塊。しいていえば胴体になぜか針金でつくられた三角の耳がついている  猫を嘗めるな。

 田辺は不満そうに片眉を上げたが、猫信者な私はそれを無視し、母を一瞥した。

「どうしようか」

「お前の家族だろう」

 それはそうだが、華奢な私では成人女性を運ぶことは難しい。田辺にお願いしたいところだが、ものすごく嫌そうな顔をしている。美人を運ぶ役が嫌だなんて、どんな神経してんだ。

「とりあえずそのまま」

 放っておこうと続くはずだった言葉を投げ出し、私は田辺の腕を強く引いた。驚き傾いた田辺を肩で受け止め、背後を睨みつける。空を切った鍬は、玄関の石畳に甲高く打ち付けられた。

「な、なんだっ」

 動揺を隠せない田辺の言葉を無視し、私は素早く母の靴を正面の人物へ投げつける。

 目くらまし程度になればと思ったが、効果は抜群。老体が尻餅をついた隙に、私は田辺の腕を掴み走り出した。向かうは雑木林。身を隠さなくちゃいけない。

「なんだったんだ」

 村を見下ろせる小高い林の奥に、田辺の声が響いた。

 眼下には、五十人ほどの村人たち。

 どこにそんな人数がいたんだと思わずにはいられない。田園の細道を無数の蟻のように歩き回っている。明らかに民家の数よりも多い。

 皆、私たちを探しているのは明白だった。

 恐ろしいことに、それぞれ殺傷力の高そうな物を携帯している。

「お前の村、なんなんだよ」

 ついに腕まくりをし始めた田辺に、私は「さぁ」と肩を竦めた。

「知らないってことはないだろ」

「知りたくないが正解かな。こんな不気味な所、関わり合いたくないし」

 幼い頃から、この村が異様なことには気づいていた。

「さっさと帰った方が良さそうだね、これは」

 時間が経つごとに村人の数が増えている。

うーん、もしかして田園の下には地下帝国でもあった? と疑いたくなるレベルだ。

「帰るったって、どうするんだよ。こんなに人がいたら下手に動けないぞ」

「田辺や、実はあと十分でさっきのバス停にタクシーが来るんだよね」

 残念ながらバスは二時間に一本しかない。手痛い出費は我慢してほしい。私の言葉に目を細めた田辺は「どこまで分かってたんだよ」と吐き捨てた。

「いやー、何かあった時のためにタクシーを呼べるようにしてたけど、まさか里帰りが十分で終わるなんて思ってなかったよ」

 それはほんと。何か地域的因習が残っている村なんだろうなぁとは考えていたが、まさか人殺しを躊躇わないレベルだとは思いもしなかった。

「とりあえずバス停に向かおう。じゃないとミンチにされちゃうからね、田辺が」

「俺だけかよ」

 肩を竦めて応えてやれば今日三度目の舌打ちが返ってきた。この危機的状況下でも田辺は相変わらず冷たい。

 見つからないように身を屈め、スマホで位置情報を確認しつつ林を下っていく。私が珍しくスニーカーを履いていることに今更気付いたのか、進むたびに田辺の小言は増えていった。

「で、どうすんだよ」

 バス停の赤いシンボルマークの周囲に、村人が全部で三人いる。逃げ道を塞ぐためだろう。思ったよりも人が少ないのは、次のバスが二時間後だと村人たちも分かっているから。

「村人がいたんじゃタクシーに乗る前に捕まるぞ」

「もしくは私たちが乗る前に乗られちゃうかもね」

 もちろん、すんなり帰れるとは思っていない。配車アプリに表示されている時間は残り三分。悠長に考えている時間はない。

「田辺はタクシーが来たらすぐに乗って」

「乗るって、抑え込まれたら終わりだぞ」

「私が足止めする」

 言い切った私に、田辺は「馬鹿か」と吐き捨てた。

「相手は男三人だぞ。老人とはいえ体もでかくて、お前なんかが足止めできるわけない」

「でも、もう考えてる時間はないよ」

 バス停の奥、続く道の先を指す。そこにはタクシーがいた。

 タクシーは老人三人組が乗客だと思っているのだろう。迷いなくバス停へと向かっている。幸いなことに、私たちのほうがタクシーに近い。バス停の前で止まるより先に、タクシーに駆け寄れば勝機はある。

「行くよ。いち、に、さん!」

 いや逆だろ! と叫ぶ田辺の背中を突き飛ばし、転がるように道路の前に出る。タクシーが急ブレーキをかける音に交じって、村人たちが「いたぞっ!」と叫ぶ声が聞こえた。

 タクシーに駆け寄る田辺を守るように、村人たちの前に立ちふさがる。

「古澤の娘が。猫を寄こせ」

 血走った目に、指先が震えた。私は華奢で可愛いだけの女子大生でしかない。柔道黒帯でもメンサ会員でもない。だけど、私にだって出来ることはある。

 私は躊躇せず、金的をした。男の田辺では出来ない、私だからこそ出来る躊躇ない一撃。

 先頭にいた男が悶絶し、蹲る。残りの二人も怯んだ隙に、私は走り出した。

「うーん、やっぱり駄目だったか」

 金的をした男は蹲ったままだが、残り二人は直ぐに復活した。伸びてくる男の手に身を固くすれば、私の横を鈍色の塊が通り過ぎる。

「早く来い!」

 あれだけ大事に抱えていた猫型ロボットを男へと投げた田辺。その手を掴み、転がり込むようにタクシーに乗車した。

「出して!」と運転手を急かす。

 瞬く間に小さくなっていく男たちに、安堵の息を漏らす私。そして湿っぽい息を吐く田辺。

「新作のロボットが……」

 太腿に肘を置き項垂れる田辺の落ち込み様は酷い。そんな格好していると乗り物酔いするぞとはさすがに言えず「田辺はさ」と話題を切り替えた。

「猫が一匹もいない地域をみたことがある?」

「……なんだそれ」

「誰も猫を飼ってなくて、野良猫一匹すら存在しない村」

 ありえそうな話だけど、実際にそれはかなり難しい。都内だけでも野良猫が十万頭もいるのだ。排除しない限りは、一匹も存在しない村なんて空想でしかない。

「猫に関する民間伝承は数多く受け継がれているけど、その中でも多いのが呪術的な民話。例えば、そう。猫が棺桶に乗ったら、死人が蘇る……なんて」

「ただの作り話だろ」

「……そういえば、田辺はうちの母親を見た時、何歳だと思った?」

「……母親には会ってないだろ。会ったのは妹  ッ」

「妹に見えるよねぇ、うちの母親。私が産まれた時から見た目が一切変わらないんだもん」

 思わず口を押えた田辺の目が泳ぐ。

「死人、いやでも出産してて……ありえるのか?」

 零れだす思考に被せるように「知らぬが仏だよ」と私は肩を竦めた。

「私も色々考えたけど、知らないほうがいいこともある。そう思って早々に村を出たの」

 まさか今更帰ることになるとは思わなかったけど。

 窓の外にぼんやりと視線を向ければ、田辺が「じゃあなんで民俗学研究会に入ったんだよ」と私を見つめた。

「知りたかったからだろ。自分の出生のこと」

 田辺はそう言い切り「悪い。引き返してくれ」と運転手に告げた。

「今戻って捕まったら死ぬよ。田辺だけ」

「いや、だから俺だけかよ。……じゃなくて、なんで珍しく腰引いてんだよ。お前なら「私のために田辺死んで」くらい平気で言うだろ」

 堂々と告げる自分の姿が想像できて、私は思わず苦笑した。我ながら性格が悪い。

 民俗学研究会に入ったのは田辺がいたからなんだけど、と本人には絶対に伝えない事を考えつつ、自分の抱えていた謎に一つケリをつけるいい機会だと表情を緩めた。

「今更やめるなんて言わないでよ」

「上等」

 Uターンしたタクシーが村へと向かう。

面倒なことになった。でもそれ以上に身から爆発しそうな興奮が、体の末端を駆け巡ってる。急にドンッと凄い衝撃が体を襲った。一瞬、興奮しすぎて体が千切れたのかと思った。

「ッ、なに」

 正面を見れば青ざめる運転手。

「あ、救急車、人を轢いて」と震える手で無線を操作しようとしている。

 私はガラス越しにゆらりと立ち上がった人影に頬を引きつらせた。

「これでも?」

「……ゾンビは対象外だ」

 今更だぞ、田辺。私は運転手の肩を叩き「アクセル全開で」と笑った。

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ねこみつくし @kuchinashiiori

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