砂猫の塔


 無線に入った声を聞いたとき、これは報いだと思った。


 告げられた住所へと愛車を飛ばす。十年以上乗っている大型バイクは、嫌がることなく最速で目的地へと運んでくれた。

 バリケードテープ前で停車する。慌てた様子で制止しようと警官が近づいてきたが、ヘルメットを取った俺の顔を見るなり素早く敬礼した。

「お疲れ様です! 神薙さんが来てくれたんですね」

 安心したように息を吐く警官に「状況は?」とバイクを預けた。ベルトに下げたホルスターが重いのを確認し、眼前の何の変哲もない道路を凝視する。

コンクリートで塗装された道が、住宅街をまっすぐ伸びているだけ。

警官がなぜ規制しているのだろう? そんな疑問を通りがかった人は持つだろう。

「かなり酷いですね。正直、復興は絶望的かと。死者の数さえ把握できないでしょう」

 警官が支給されたタブレットで報告書を読みながら「現在対応できるのは神薙さんしかいないようですが、他の方の手が空くのを待ちましょうか?」と聞いた。

「いや、大丈夫だ。この件は俺一人で片づける」

 ネクタイを締めなおし、銀のバッジが光るジャケットを羽織れば、警官は慌ただしく「では本部にはそのように報告しておきます」と背筋を伸ばした。

「二時間経っても戻らなければ増援を呼んでくれ」

 それだけ告げ、俺は規制線を跨いだ。

手を伸ばし、触れる。

ぐにゃりと歪んだ景色が、俺の指先を飲み込んだ。

「お気をつけて!」

 警官の激励に頷きながら、足を進める。パッと開けた視界。

「これは酷いな……」

 一面吹き荒れるは砂嵐。住宅街の中に突如現れた異界。

黄金色に輝く無数の砂は、一軒家を構築したかと思えば散り、今度は別の建物に姿を変える。まるで砂場で撮ったタイムラプス動画を見ているようだった。

 目に砂が入らないように手で庇を作りながら進む先を観察する。住宅密集地の先、小規模なオフィス街の一番高いビルだけが砂の影響を受けていないようだった。

「あそこか」

 ここから規制が始まっているということは、あのビルを支点に半径三キロメートルは砂の影響下にあるのだろう。崩れ、再び姿を成し、また崩れ、違う姿へと変わる。

砂の影響は無機物だけでなく、生物にも適応しているようだった。どうりで死傷者の数がわからないわけだ。

 通勤途中だったのだろう。砂でできたサラリーマンが、瞬きをする間に買い物帰りの主婦へと姿を変える。

 耳元を流れる砂同士が触れ合う音の先に、妹の声が聞こえた気がした。

 踏み出した階段が、急に傾斜のついた坂に変わる。そんな不安定な道を攻略しつつ、辿り着いたビルは静まり返っていた。

 迷わず非常階段で屋上を目指す。ビルは砂の影響を受けてはいなかったが、電力の供給や通信が切断されていた。

 分厚い鉄製の扉を開け放つと、屋上は晴天に恵まれていた。

 少女が振り返る。長い黒髪が風に揺れ、榛色の瞳が静かに瞬いた。

「もう来ちゃったか」

 少女は自嘲的な笑みを浮かべ、顔を逸らす。今も変化を続ける街を見下ろしながら「もう少しだけ時間が欲しかったなぁ」と少女はひとり呟いた。

 不思議なことに少女の隣にはキリンが一頭立っていた。当たり前のようにその場にいるキリンは、砂で出来ているようには見えなかった。質感も色も砂とは程遠く、崩れる様子はない。

「……異能か?」

「そう。私の異能は物質を砂に変えたり、砂から新たな物質を作ることができる。異能取締課のお兄さんなら知ってるでしょう? 全ての異能は異能安全委員会の管轄下にあるんだから」

 少女は着ているワンピースの襟を持ち上げてみせる。俺の胸に輝くバッジを見て取締課であると判断したのだろう。

「じゃあこの状況はなんだ?」

 少女の異能は彼女が語る通りのものだが、街一つを常に変化させ続けたり、キリンのような精巧な動物を作り出すものではなかったはずだ。

——異能の暴走。

 そうでなければいいと思いながら問いかければ、少女は「さぁ?」と肩を竦めた。

「あなた達が言うところの暴走じゃない? 私にしてみれば最期の希望だけれど」

 睫毛を伏せた少女に近づく。背後から米神に銃口を突き付ければ、少女は全てを理解しているのか、怯えることはなかった。

「今すぐ異能を止めろ。じゃないと撃つ」

 少女の榛色の瞳が俺を捉える。見慣れない色。神から与えられた異能によって瞳が変化することは知っているはずなのに、酷く違和感を覚えた。

「本気で撃つ気なら、私を見た瞬間撃っているはずでしょ?」

 揶揄うように口角を上げた少女に。俺は迷うことなく子羊を撃ってみせた。

 乾いた音が晴天に響き渡る。衝撃で砂へと霧散したキリンに、少女は表情を消した。

「……さすが取締課のエリートね」

「知っているならさっさと異能を止めろ。止めれば撃たない」

「やめたら捕らえて引き渡すのでしょう? そしたら私は処分されて終わり。死ぬのが早いか遅いかだけよ」

 達観した少女に俺は口を噤む。少女の異能は、政府内で重要視されているものではない。

もし少女の異能が政府の特異リストの上位に載っていれば、今回のことは揉み消され、政府の監視下で生きることが出来るだろう。ただ少女の異能と、今回の被害を考えればその選択はありえなかった。

少女もそのことを十分理解しているのか、また指先に砂を集める。

 今度は掌ほどの小さな子兎が現れた。

「駄目ね。自分の異能なのにこんなにもコントロール出来ないなんて」

 少女はそう言うと「三十分だけでいいの」と俺に向き合った。

「少しだけ、おしゃべりしましょう。そうすればやめるわ」

 眉を下げた少女に、俺は銃をホルスターへと戻す。呆気ない了承に、少女は首を傾げた。

「意外と優しいのね」

「報告書を書くのに情報が必要なだけだ。それに三十分猶予を与えた所で結果は変わらない」

 一応逃げられないように屋上の扉へと背をつけ腕を組めば、少女は嬉しそうに破顔した。

 少女もまたしゃがみ込み、急くように動物をいくつも作っていく。象、ライオン、豚、犬。どれも少女が望んでいるものではないことは一目瞭然だった。

「……まずは、どうしてこんなことをしている」

 聴取の体を取るために俺から言葉を掛ければ、少女は素直に「弟がいるの」と告げた。

「六歳下の可愛い弟。今朝、異能が発現した」

 初耳だった。少女に弟がいることも、弟が異能者であることも調査報告書に記述はなかった。

異能は誰にでも発現するわけじゃない。発現する確率は限りなく低く、一年間で産まれた赤子の中に一人いれば奇跡だと言われるほどだ。

 まるで神が気まぐれに与えたとしか思えない能力。

異能が授かる人間に一貫性はなく、ただ全員が十歳までの間に発現が確認されていた。この五十年の間に日本だけで十五人。十五人のためだけに法整備がされ、異能安全委員会、通称異安が設置された。それだけ、異能とは国に与える恩恵が大きいのだ。異能のおかげで国が発展し、豊かになり、あらゆる技術革新が三百年早まる。

「弟は、私のせいで両親から冷遇されてたの。異能を持たない人間は、両親にとっていらない人間。……ううん、逆ね。異能を持つ人間が特別すぎる」

 政府は異能を持った人間を産めば、年間五百万円の特別手当を給付する制度を導入した。確実に異能者を把握するためであり、政府の言いなりにするためでもある政策。

 宝くじを当てるような、夢のある話だ。大半の人は、あればいいねという認識だったが、一部の人間は異能目当てで子供をたくさん作り、十歳になっても異能が発現しなければ捨てるという行為を当たり前のように行った。

 少女の両親も、後者の人間だった。

「産まれたばかりの頃、弟は異能者かもしれないと期待された。私という前例があったから、次ももしかしたらなんて。でも年齢が上がるにつれて期待されることはなくなって、最近ではいない者として扱われるのが当たり前になってた」

 そんな弟を気にかけ、少女は出来る限りの時間を弟に渡した。だがそれは逆効果でしかなく、弟は両親からの愛を一心に受ける少女に憎悪を募らせた。

「私は、私の異能が好きな、私自身を見てくれない両親の愛情なんて、これっぽっちも欲しくなかった。私はロクだけが側に居てくれれば、それだけで良かったのに」

「ロク?」

「去年、拾った子猫のサバトラ。私の最愛」

 少女の言葉は重く、俺の脳裏には一匹の子猫のぬいぐるみが浮かんでいた。妹にプレゼントしたぬいぐるみも確か猫だった。

「ロクだけが損得なしで私の側に居てくれた。いつの間にか、私の一番大切な存在になってた」

 夢見心地な様子で少女は語る。胸に手を当て、祈るように瞳を伏せた少女は「でも」と言葉を詰まらせた。

「いつも朝は私が起きるまで一緒のベッドにいるのに、今日はいなかったの。キャットタワーの上にも、ベッドの下にも。……嫌な予感がした」

 苦悶から眉を寄せ、少女は語り続ける。弟が少女だけでなく、少女の飼う猫にまで憎悪を向けていることには気づいていた。だからこそ、少女は片時もロクの側を離れなかったのに。

「リビングに向かえば、両親が歓声を上げていたわ。弟に向ける笑みを見たのは久しぶりで、私も嬉しくなって駆け寄った。……ロクが死んでた」

 ダイニングテーブルの上でぐったりと横たわるロクは全身ずぶぬれで、少女が駆け寄って抱きしめたときには氷のように冷たくなっていた。

両親はまるでロクが死んだことなんて知らないような素振りで「結城にね、異能が発現したのよ。しかも水を操る異能!」と叫んだ。

少女は気づいてしまった。最愛の猫は、弟の異能によって殺されたのだと。それは決して事故ではなく、故意に行われたことだと。

弟の顔を見て、気づいてしまった。

「……そのあとはよく覚えていないの。気づいたら両親と弟は砂になっていて。抱きしめていたはずのロクも消えていた」

 少女は何度も手を組みなおし、空を仰ぎ見た。白い首筋が、微かに蠢く。

「望みはその猫か」

 俺の問いに「それ以外あると思う?」と少女は吐き捨てた。

「真っ先に思ったのはロクにもう一度会いたい。それだけ。どんな姿でもいい。たとえ砂だったとしても、あの子にもう一度会いたい。……両親や弟が死んだことよりも、猫に会う方が大切なんて、おかしいと思う?」

 少女の疑問に、俺は頷くことが出来なかった。俺もまた家族を見捨てた身なのだから。

 でも、だからこそ、止めたい思いがあった。

「そうなってまで、続ける価値はわるのか?」

 俺の物言いに瞳を鋭くした少女は「たとえ」と語気を強くした。

「たとえ、この身が朽ちても」

 少女が胸に手を置く。指先が砂へと消えていた。

 一般的には知られていないが、異能者たちは能力を使いすぎると、その身にすべてが返ってくる。炎を操りすぎれば焼け死に、水を使いすぎれば溺死する。少女もまた、自身を砂に返し始めていた。

「今やめればまだ生きれる」

「言ったでしょう。早いか、遅いかだけだって」

 少女の言葉に俺は止める手段を持たない。妹を見捨てた俺に、止める権利もない。

 目を瞑れば、思い出すのは黒髪の溌溂とした少女。俺と同じ、深い青色の瞳を瞬きながら「お兄ちゃん」と駆け寄ってくる。妹は、両親から居ないものとして扱われている俺にも、気にすることなく手を差し伸べた。

 それがどれだけ眩しかったか。

 妹に異能が発現した後も今までと変わらず、俺のことを兄と慕ってくれた。もう十三年も前の、妹が三歳の頃の話だ。誰もが忘れているような些細な記憶。

 血の繋がった兄が、何も言わずに家を出て、再会してみれば自分を殺そうとしている。そんな現実、旅立つ人間に知らせる必要はない。

 少女は既に半身が砂に溶けていた。空っぽの服が風に靡く。それでも不思議なことに、少女は苦しみに顔を歪めることはなかった。

「……本当はね、分かっていたの。ロクが死んだのは私のせい。私にも与えられるはずだった平等な孤独が、返ってきただけ。寄り添うフリして、状況を変えてあげようとはしない、傲慢さが生んだ報い」

 少女は分かっていた。

弟の苦しみが、寄り添うことで癒されることがないことも。

 少女は分かっていた。

自分がいなくなれば、弟は少しでも両親に目を向けてもらえる事も。

 だけど、少女は知っていた。

 それでも手を差し伸べることに意味があるのだと。一匹の猫のぬいぐるみが、自身の心を支えたように。一匹の猫と出会って、すべてを捧げてもいいと思えたように。

「異能が特別だと人は言うけれど、特別なことなんて一つもない。普通の人と同じように、選び間違え、取りこぼし、二度と取り戻すことができない」

 少女は諦めたように息をついた。そろそろ時間だ。これ以上は少女の身が持たないことは明白だった。膝から崩れ落ちる少女に、思わず駆け寄る。

 残された右肩を引き寄せれば、少女の片目が俺を捉えた。

「もしも、最期に会えたらと思ったけれど……駄目ね」

 悔恨するように瞳を伏せた少女に「怖くはないのか?」と思わず言葉をかけた。

「死ぬことが? もう自分が死ぬことよりも怖いことを味わったのに?」

 少女の中には俺の知らない膨大な時間が流れていた。俺のいない間の、猫と過ごした特別な時間が。その時間だけが、彼女の支えだったのだと今更ながらに実感した。

「俺は……」

 失うことが怖いよ。そう言いかけた言葉が詰まる。

 微かに猫の鳴き声がした。

「……ロク?」

 少女が目を見開き、慌てて身を起そうとする。だが体に力が入らないのか、指先が微かに動くだけだった。見える最大限の視界で猫を探す少女。俺は背後に現れた一匹の子猫に視線を奪われていた。

 その猫はあまりにも似ていた。俺が妹へと渡した猫のぬいぐるみに。

 ロクと呼ばれた猫は利発そうな瞳を細め、俺を一瞥した後ゆっくりと少女へと近づいた。

 砂で出来たとは思えない温もりが、少女の指先に触れる。瞬間、榛色が涙で濡れた。

「ロク! ろくッ! ごめんね。守れなくてごめんっ」

 漏れ出る嗚咽に、猫は不思議そうに首を傾げる。何も謝ることはないと少女の掌へ頭を摺り寄せた猫は、そっともう一度だけ鳴いた。

 俺は片手で少女を支えつつ、猫を持ち上げる。無抵抗の猫を少女の膝の上へと乗せれば、猫はまるでお礼をするように小さく頭を下げた。

「ああ、よかった。最期に言える」

 少女は震える手で、猫の背中を撫でると笑みを零した。

「出会ってくれてありがとう、ずっとそばにいてくれてありがとうっ」

 猫は同意するように少女の頬に顔をよせ、舌で涙を拭いとる。砂が急かすように二人の時間を奪い取っていくが、どちらも気にすることはなかった。

 溶け合うように体を合わせ、二人は幸せに満ちた表情で瞳を閉じる。

 思わず呼んだ名前は、風にかき消され、少女の姿ごと奪い取っていった。

 ただ、一握の砂だけが俺の掌に存在する。

 砂を零さないよう立ち上がり、フェンスへと近寄った

 眼下の光景はありふれた日常だった。砂になったビルも、人も、すべてが何事もなかったかのように、そこに存在する。

 砂漠でみる白昼夢のように、少女と猫の存在だけが消えた世界に、俺は砂を投げ入れた。

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