第22話 認めます
リリアナ様が突如屋敷に現れた日から数日後の夜。
オーランドが湯浴みを済ませたと知らせを受けたので様子を見に部屋へ行くと、彼はリラックスした様子でベッドに半身を起こし、本を読んでいたところだった。
「大丈夫?」
私がベッドに駆け寄り声をかけると、彼は本を閉じてサイドテーブルに置いた。
「具合はどう?」
「だいぶいい」
そうは言うけれど声が掠れているし、まだどこか気怠そうだ。私はサイドテーブルに置いてあったコップに水を注いで手渡す。オーランドはそれを受け取り一気に飲み干すと、改めて私の方に顔を向けた。
「……エマは?大丈夫なのか?」
どうやら私の事を気にかけてくれているらしい。私は彼の手からコップを受け取りながら、安心させるように頷く。
「看病疲れもしてないし、今日はちゃんとお仕事にも行けたし、何も問題ないわ」
サイドテーブルにコップを戻し微笑むと、彼は少し考え込むように顎に手を当てる。
「それなら、ここにきて」
オーランドは自由になる左手で、布団をぺろりとめくった。
「え?」
私はキョトンとしてしまう。
「えっと、こっちにおいでって、こと?」
私が確認すると彼は頷く。
「昔は俺が風邪の時、一緒の布団に入ってくれた」
「でも……」
私は戸惑いながら、脳裏で素早く計算する。
今日は母がもうこの部屋を訪れない事は知っている。それにオーランドは怪我人なので、近づいても感染する事はない。
けれど、彼はもう弟でもない。
でも私は彼が好き。
だとすると、成人の男女が二人きりという状況は褒められたものではない。それなのに彼のベッドに上がるだなんて、もっとまずい気がする。
「いいから」
躊躇していると、オーランドは不満げな表情のまま、自由になる方の手で私の腕を取り、布団の中へと引き摺り込んだ。そして私の腰に手を回し、自分の横にピタリと張り付くように座らせた。
「ちょっと……オーランド」
熱はもう下がったはずなのに、右隣に当たる彼の体は熱い気がする。
それに気付いた私は、途端に鼓動が早まった。
「あのさ、この前のあれの件なんだけど」
オーランドの元気な左腕が私を強く抱きしめる。
「あれってなに?」
何となく現在の雰囲気から察するに、勢いで彼のおでこにキスをしたこと。それを聞かれているような気がする。けれど余計な反応をして彼の思う壺になっても悔しいので、私はとぼけてみせたというわけだ。
「俺のおでこにキスしたこと。忘れたとか言ったら殺す」
物騒な言葉を吐くけれど、彼の口調は明るい。
「あれは……」
「あれは?」
私が言葉に詰まっていると、彼は私の頭の上に自分の頭をコツンと乗せた。その反動で私達の体がより密着する。
「さすがにあれは期待するだろ」
「……そうよね」
私は小さくため息をつく。確かにおでことはいえキスしたのだから、あれで嫌いだなんて主張するのは不自然だ。それに許可なくキスするなんて、マナー違反だとも反省する。
「あの時は勢いとはいえ、あんなことしてごめんね?」
素直に心から謝ったつもりだった。なのにオーランドは途端に不満そうな声を出す。
「勢いで誰にでもあんな事するのか?」
「そんな事ないわ」
私がムキになって言い返すと、オーランドはいじけたような声を出す。
「じゃあ、俺だからしたってこと?」
「そうなるのかしら……」
確かにあの状況でキスをしたいと思うのは、他の誰でもなく彼だけだ。それは間違いない。けれどそれを自ら肯定するのが恥ずかしくて、思わず言葉を濁してしまう。すると今度は彼の口調が上機嫌なものへと変わった。
「ふぅん、それってもう覚悟してくれたってこと?」
今度は肩に顎を乗せられ耳元で囁かれた。そんな体勢で言われたら、説明するとかどうこうの前に、何も考えられなくなるというものだ。
それでもこれから彼に告げることは、私だけじゃない。彼の人生も変えてしまうこと。だから私は、煩悩を振り払い、隠してきた気持ちを真摯に伝えようと口を開く。
「覚悟もそうだけど、自分の気持に正直になったってこと。私はやっぱりオーランドが好き。もちろん一人の人として。どうしたって大好きなの。だからあなたに嫌われるくらいなら、お姉ちゃんは卒業するって決めたの」
観念して私が告げると、オーランドは満足したように腕に込めていた力を抜いた。すると今度は私の髪に顔を埋めて匂いを嗅ぐように鼻を鳴らすので、なんだかもう私はすっかり恥ずかしくなってしまう。
「な、何してるの?」
「エマの匂いを嗅いでる」
当然とばかりに告げられ、私は困惑する。
「に、匂いって、犬じゃないんだし、やめたほうがいいと思うけど」
私が恥ずかしさに堪えきれず、オーランドの腕から抜け出ようとすると、彼は腕の力を再び強めた。
「嫌だ」
少しむくれたような声がすぐ近くで聞こえる。どこか子供っぽさを感じるその響きは、いけないと思っていても、弟であった可愛い彼の事を思い出さずにはいられない。私はオーランドに気付かれないよう小さく微笑むと、もう少しだけ大人しく彼の腕の中に納まる事にする。
「エマが好き、もうずっと前から君が好きだった。エマが俺の事好きじゃなくても、俺はエマしか好きじゃないから」
オーランドは何度も私に好きだと言ってくれた。彼の重すぎる気持ちが嬉しくて恥ずかしい。だから私は彼の腕の中で身じろぎしながら、「うん」とか「私もよ」と返すのが精一杯だ。
「たぶん俺たちは、前世で一人だったんだと思う。だから俺は病的にエマが好きだし、君がいないと不安でたまらない」
突然の告白に私は驚く。
「そうなの?記憶があるの?」
「ない」
一瞬信じかけた運命の結びつき的なものは、呆気なく終わりを告げる。
「でも、なんだかそれ分かる気がする」
私達は世の中に多く存在する赤の他人の中から出会った。そして出会ってからずっと、私は彼と一緒にいる事がとても自然だと感じている。それはまるで欠けていた半身が見つかったような、そんな気持ちと似ている。だからきっと、オーランドと私は前世では、たった一人の人間だったのかも知れない。
なんて考えると、物凄くロマンチックな気分で、彼への好きが溢れてくる。
「エマ、俺と結婚して」
「いいわよ」
私は十歳の時と同じ言葉を迷わず返す。
「今度は、あれは子どもの約束って言われないようにしなくちゃな」
オーランドは私の髪に口づけを落とすと、耳にもひとつキスを落とした。そして頬と頬が触れ合うように顔を近づけると、私の目を覗き込んできた。その甘い視線に私は思わず呼吸を止める。
「今からキスするよ、子供じゃないやつ」
オーランドはまるで今までのあれこれが、子どもの遊びだったかのように言う。悔しくなった私は、自分から唇を彼に重ねて、恥ずかしくなってすぐに離す。
「ま、また奪っちゃった」
私がおどけて告げると、オーランドは「わかってないな」と呟くと、元気な左手で私の顎を掴むと親指で私の唇をそっと撫でる。
それからゆっくりとオーランドは私の唇を奪う。
「……んっ」
反射的に漏れる自分の吐息が信じられないくらい甘い。胸が詰まって息が苦しくて、でもそれは決して嫌な苦しさではない。確かにこれは大人のキスだと、私は彼の胸にしがみつくのがやっとだった。
唇が離れると、今度は私を見つめるオーランドの瞳が優しくて切なくて、胸の奥がきゅうっと甘く疼く。
「エマ、顔が赤いよ」
私を揶揄うように見つめるオーランドは、もう可愛い弟になんて見えない。
「オーランドは可愛くないけど、でも大好き」
私は悔し紛れに告げる。
「なにそれ」
オーランドはクスリと笑いをこぼして再び顔を近づけてくる。私もつられてクスリと笑い、彼の唇が自分に触れるのを目を閉じて待つ。そしてもう一度、私達は確かめるように大人のキスをしたのであった。
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