第21話 素直な気持ち
オーランドが利き手である右手を負傷した。だから私は母の勧め通り、しばらくの間タウンハウスから王城に通う事を迷わず決めた。
しかもリリアナ様が父である陛下を救ってくれたお礼だと、勤務を数日ほどお休みにしてくれた。そのお陰で私は、心置きなくオーランドの側にいる事が出来ている。
熱でうなされているオーランドはとても辛そうだ。それに加え痛み止めやら、化膿止めなど、様々な薬のせいなのか意識がぼんやりしている事が多い。
午前中に必ず屋敷を訪れてくれるお医者様からは「命に別状はない」と毎日聞かされている。けれど何度その言葉を聞いても私は、弱るオーランドを前にすると、このまま死んでしまう。そんな不安な気持ちで胸が押しつぶされそうになる。
「エマ」
オーランドが掠れた声でうわ言のように私の名前を呟く。
「大丈夫、ここにいるわ」
彼の手を取り優しく声をかけると安堵した表情になりまた寝息を立てる。今日は朝からずっとそんな感じだ。
あんなに避けていたオーランドが無条件に私を頼ってくれ、側にいて怒ったりしないのは嬉しい。同時に弱みにつけ込んでいるような気がして、罪悪感も感じる。
それでも側から離れる事は出来ず、元気になったらまとめて叱られればいいと覚悟し、私はオーランドのベッド脇に用意した椅子に座り、一日をほとんどそこで過ごしている。
「何だか昔に戻ったみたいね」
私とは反対側のベッド脇に置いた椅子に座り、編み物をしながら私達を見守る母は呆れた声を出す。
「どちらかが熱を出すと、弱っている方は元気な方に側にいて欲しいと我儘を言うし、元気な方は何度言ってもベッド脇から離れない。結局、時間差で同じ病気に感染するのよ、あなた達は」
「母様にはご迷惑をおかけしました。いつもありがとう」
私はかつての自分と現状の分を合わせ、謝罪と感謝をまとめて伝える。
「ふふ、いいのよ。確かに子供達の世話を焼いて大変だったけど、皆が成人した今となっては、楽しかったと思えていますから」
そう言って笑う母に私もつられて笑顔になる。そして母は編み物を再開する。
私はそんな母の邪魔をしないように、オーランドに握られた手をそのまま、侍女仲間のアリスが貸してくれた本を手に取る。
これは貴族令嬢が成人し再会した幼馴染とのロマンスを通し、彼女が自分の立場や家族の期待に縛られながらも、自分の幸せを見つけるために奮闘する姿が描かれている本だ。
アリス曰く「幼馴染と家族は裏切らない」だそうだ。確かにその通りだと思う。一見すると厳しく思える家族の期待も、主人公が貴族社会で生き抜けるようにとの愛情がこもっているし、幼馴染も主人公を理解していつも優しく見守っている。
ヒロインの不器用な頑張りと優しいヒーローのおかげで、日常や家族に悩みながらも最後は幸せになるというその本は、最後まで安心して読む事が出来そうだ。
しばらく本に目を落としていた私は、視線を感じオーランドに顔を向ける。すると彼はうっすら目を開けてこちらをぼんやりと眺めていた。
「目が覚めた?」
「……ん……」
小さく頷くオーランドはどこかまだ熱で朦朧としている。汗を吸った服もそろそろ変えた方がいいかもと思いながら、額に手を当てるとだいぶ熱が下がっているようだった。
「ご飯は食べられそう?何か飲む?」
「飯は無理、水は飲みたい」
オーランドは半身を起こす。私は慌てて背もたれ代わりになればと、彼の背中に枕を差し込む。
それからベッド脇のテーブルに置いていた水差しにオーランドが手を伸ばそうとしている事に気付いたので、私は彼より先に水差しに手を伸ばし、コップに水を注ぐ。そして彼の口元にいそいそとコップを持っていく。
「大丈夫?飲める?」
コクンと頷き口を付けるが、私のやり方がまずかったのか、口の端から水がこぼれ落ちて、ますます服を濡らしてしまう。私は慌てて近くにあったタオルでその水を拭うと彼は気持ちよさそうに目を細めた。その様子を見てひとまず安心し、もう一度水を飲ませる。
すると今度はこぼさず飲んでくれた。思わずえらいえらいと頭を撫でそうになり、私は何とか堪えた。
オーランドはもう私に、そうされる事を望んではいない。勿論私からすればそれはとても寂しい事でしかない。けれど彼は皆の前で私に求婚した人だ。
避けられていたこの一ヶ月ほど、その事を自分なりに考え、彼が弟扱いをしないで欲しいと願っているのであれば、私もきちんとその考えを受け止めなくてはいけないと、今ではそう思えるようになった。
その心境の変化は、私は弟という関係にこだわる事よりも、これ以上オーランドに嫌われたくないと願う気持ちの方が大きいと気付いたからだ。
私の中で家族だとか、弟だとか、そういう言葉は、オーランドという一人の人間を好きだと思う気持ちに正当性を持たせるために、繰り返し言い聞かせていた言葉であって、私が意識し始めた彼への想いを懸命に誤魔化すためのものだった。
そのことを、今はしっかりと自分自身で認めている。
「エマ」
名前を呼ばれ、私はハッとする。
「もういらない?」
オーランドがコクリと頷くのを確認しコップをテーブルに置く。それから濡れタオルをまだ熱で赤い頰に当ててあげた。するとオーランドは気持ちよさそうに目を閉じホッと息をつく。そんな彼の様子に安堵した私は、ずれた布団を彼の体にかけてあげた。
「ありがとう……」
「気にしないで」
半分微睡んだ状態でお礼を言ってくるオーランドに微笑んでいると、廊下からノックの音が聞こえてきた。どうやら誰か訪ねてきたようだ。
「まぁ、誰かしら」
怪訝そうな表情のまま母が「どうぞ」と答えると入ってきたのは、何とリリアナ様だった。彼女は私達の様子を見て、所在なさげな表情をして佇んでいる。
「ええと、お加減はいかが?」
「だいぶ熱も下がりましたし、顔色も良くなっています」
私が説明するとリリアナ様は良かったと、ようやく微笑んでくれた。
「本日は、お越しいただきありがとうございます」
母が礼を口にするとリリアナ様は首を横に振る。
「今日はエマに贈り物を届けようと思ったの。玄関口でお暇する予定だったのよ。けれど「是非に」と執事の方にお願いされて。先触れもなく伺ってしまってごめんなさいね」
「こちらこそ、気遣いが足りず申し訳ございません」
恐縮した様子で母が頭を下げる。
「いいえ、私もエマの元気な姿を見られて嬉しいわ。だからお気になさらないで。それとこれは私からのお見舞いです。あまり長居をするのも良くないし、これで失礼しますわね」
リリアナ様が手に提げていた袋を渡してきたので、母が受け取る。
「ありがとうございます」
「それはノース地方の紅茶ですの。闘病中の方が頑張れるのは、支えてくれる家族あっての事。お二人で是非」
「まあ、お気遣い、感謝致します。ほらあなた達もお礼をなさい」
「リリアナ様、ありがとうございます」
母に促され私もお礼を伝えるが、熱で頭がぼんやりしているオーランドはキョトンとしている。そんな様子を気にせずリリアナ様は続ける。
「オーランド様。早く良くなって、私にエマを返してくださいね。また王城でお会いできるのを楽しみにしておりますわ」
リリアナ様は笑顔でオーランドに告げると、あっという間に去っていく。
「お待ち下さい、せめてお見送りだけでも」
逃げるように立ち去るリリアナ様を母が慌てて追いかけていく。
私は唖然と立ち尽くし、オーランドと二人部屋に残されてしまった。
滞在時間は数秒ほどだった気がする。けれど、彼女の登場と共に部屋の中の空気が明るく入れ替わったように私には感じた。
流石我が国が誇る王女殿下だと、私は感心し誇らしく思う。
「今のは何だ?リリアナ殿下が俺の部屋にいた気がするが」
どうやら今の騒ぎによって覚醒したらしいオーランドが大きなため息をつき、枕に頭をボスッと預ける。
「ごめんなさい。無理させちゃった?」
私の謝罪にオーランドは苦笑しつつゆっくりと私に手を伸ばす。私は反射的にその手を取ると彼が手を握り返してくる。熱のためか少しまだ熱い彼の手の平を感じつつ私は微笑む。
「久しぶりに弱った姿を見せた気がする」
「ふふ、たまにはいいじゃない。あなたに甘えられて嬉しかったし」
私が笑い混じりでそう返すとオーランドは一瞬、驚いた表情になったけれど、すぐ笑みを返してくれた。
「ずいぶんと迷惑をかけてしまったみたいだな」
「そう思うなら、早く元気になって」
私の手を握ったまま彼は柔らかく微笑む。そしてもう一方の手を動かそうとしたのか、顔を顰める。
「両手が使えないと不便だな。君の頬に触れる事が出来ない」
突然発せられた甘い言葉に私はドキドキしてしまう。けれど今の彼は熱のせいなのか、あまり思考が働いていない気がする。
だからこの一ヶ月、私を避けていた事をすっかり忘れて調子のいいことを言っているに違いない。でも私は今のオーランドの方が好きだから、怒るのはやめた。
その代わり、私は彼の前髪を優しくかきあげると額に軽くキスをした。
「昔も今も、私はオーランドがいちばん大好きなの」
少し照れながら告げると彼は嬉しそうに目を細める。
「知ってる」
そう告げた彼は、安心した表情でゆっくりと目を閉じたのだった。
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