第20話 突然の知らせ

 その知らせが届いたのは、オーランドと会えなくなって一か月も経った頃。


「オーランド様が、父の護衛中に怪我されたそうなの。今日の仕事は終わりでいいから、早くタウンハウスに戻りなさい」


 いつになく真剣な表情のリリアナ様に知らされ、私は取るものも取らず、王都にあるグラント伯爵家のタウンハウスに向かう。


 リリアナ様が急遽出してくれた馬車に乗り、私は窓の外を見つめた。空は灰色に覆われ、重たい雲が低く垂れこめている。あたりを霧雨が立ちこめ、遠くの景色がぼんやりとかすんで見える。路地や道路は濡れており、雷鳴が轟き、稲妻が空を貫き、不安な気持ちが掻き立てられるのを抑えるのが難しい状況だ。


「オーランドは私を置いて、一人で先にいくわけないわ」


 誰ともなく呟き、泣きそうになる。


 今なら私がいないと生きていけないと口にしていた、彼の気持ちが痛いほど良くわかる。私だってそうだ。彼がいない人生なんて生きる価値がない。


「イザベルを追って亡くなったシナモンも、きっとこんな気持ちだったのね」


 亡くなった文鳥の事までもを思い出し、私は涙を必死に堪えた。


 やがて馬車は薄暗い霧の中を走りぬけ、大きな屋敷の前で停車する。建物の玄関口には黒い傘を持ったメイドが待っていた。その後ろには体格の良い男性も立っている。彼らは私の姿を認めると恭しく頭を下げた。


 私は急いで馬車を降りると、屋敷の玄関に駆け込む。


「エマ、早かったな」


 フィリップ兄様が玄関ホールで私を出迎えてくれた。騎士服を着ているところから察するに、警らの仕事からそのまま直行したようだ。フィリップ兄様までもが慌てて屋敷に戻るだなんて、まさかオーランドはそんなにまずい状況なのだろうか。私は目にする全ての状況に対し不安になる。


「フィリップ兄様、オーランドは大丈夫なの?」


 私はどうかたいした事がないと言ってと、願いながらたずねる。


「陛下が城下の孤児院を視察中、暴漢に襲われたそうだ。まさか神に仕える者の中にそのような考えを持つ者がいるとは思わず油断し、警護も必要最低限の者しか連れていなかったらしい。オーランドは刺されたが、陛下は無事だとのこと」


 なんて非情な兄だろうかと一瞬驚く。


 陛下は無事だ。確かにそうかも知れない。けれど私達家族にとって、オーランドの方が大事ではないのかと、兄を問い詰めようとした。


 けれどオーランドが所属するのは近衛騎士隊だ。自分の命を捨てたとしても、陛下をお守りするのが大事で、名誉な事。だからオーランドの怪我は名誉の負傷だと、兄様はそう言いたいのだと気付く。


 私だってリリアナ様が危険な目に遭ったら、自分の命を投げ打ってでも彼女をお守りするだろう。


 頭では理解できる。けれど心では、何でオーランドが刺されなければならないの?と、納得出来ない気持ちでいっぱいだ。


「それで、オーランドの容態は?」


「聞き手の右腕を刺されたらしい。今は炎症反応で、熱が出てる」


「それって、大丈夫なの?」


「命に別状はないだろうって、医者は言ってた」


 私はその場にへなへなと座り込む。


「うわ、まさか腰が抜けたのか?」


 フィリップ兄様は慌てた様子で、床に座り込む私の顔を覗き込んできた。


「フィリップ兄様の意地悪。命に別状はないって、先にそれを教えてよ」


「すまん。昔から困るエマが可愛くて、つい虐めたくなるんだよ。俺もコンラッドも、あとオーランドもそういう所あるか。ごめん、ごめん」


 可愛いと褒めてくれる癖に、虐めたくなるで台無しだ。そして、オーランドもこういう意地悪な所を双子からしっかり真似している事は間違いない。


「でも良かった」


「ばーか。あいつがお前を置いて死ぬわけないだろ」


 私の頭をくしゃりとする。それからフィリップ兄様は私の手を引っ張っぱり、立ち上がらせてくれた。


「今は寝てるけど、顔だけみてくれば?」


「うん、ありがとう」


「じゃ、俺は一旦戻るわ。またな」


 フィリップ兄様は片手をあげると、玄関から足早に消えて行く。


 その姿を見送った後、私は母に目撃されたら、確実に叱られる速度で階段を登る。


 そして自分の部屋の前を通り過ぎ、隣にあるオーランドの部屋の前で停止する。そして何があっても耐えてみせると、扉の前で一度深呼吸をした。


 すると扉が開き、中から父と母が揃って出てきた。


「エマ、お前も来たのか」


 父は私の姿を確認し、ニコリと微笑む。


「全くエマの怪我が治ったと思ったら、今度はオーランドが怪我ですって。あなた達は二人とも親に心配をかけてばかりなんだから」


 開口一番、私達への愚痴が飛び出す母の目は、真っ赤だった。明らかに泣いたであろう事が伺え、私はまたもや不安になる。


「ただいま戻りました。それで、オーランドは?」


 フィリップ兄様を疑う訳ではない。けれど、目の前にいる母の涙の痕跡が気になり、思わず前のめりになってたずねる。


「熱が出ているから、ぐっすり寝てるわ」


 母は、私のはねた前髪を直しながら微笑み、オーランドの容態を知らせてくれた。


「体が炎症を抑えようとしているのだろう。医者の話だと命に別状はないそうだ。安心して顔を見てやるといい。スヤスヤ寝とるぞ」


 はははと父は豪快に笑った。


 全然笑い事じゃないのに、私は父の笑い声を耳にし、オーランドが死んでしまう訳ではないのだと、ようやく安堵する。


「しばらくはここで療養するだろうから、エマも戻ってらっしゃい。それが何よりあの子が一番早く元気になる方法だろうから」


 母に言われ、私は素直に頷く。


「じゃ、儂は団に戻るとするか。陛下も心配して下さっているだろうしな。大したことはないと、報告せねばならんからな」


「じゃ、私も父様のお見送りを」


 屋敷にいる時は、家長である父の見送りは絶対だ。私はオーランドが気になりつつも、家族の決まりを優先しようとした。


「送りはいらん。お前はあいつの側にいてやりなさい」


「そうね、そうしてあげて」


 父は私の肩にポンと手を置き、母と共に廊下の奥に消えていく。


「ありがとう」


 私は二人の気遣いに感謝し、ゆっくりオーランドの部屋に入る。隣同士になった私とオーランドの部屋は室内で行き来出来るよう、扉がついている。


 どちらともなくその扉に鍵をかけてから、もうずっと訪れた事がなかった部屋だ。


 薄いブルーの壁紙の部屋は、静寂に包まれていた。


 部屋の片隅には、オーランドがかつて使用していたであろう調度品が並んでいる。本棚には古典から冒険小説までさまざまなジャンルの本が並び、机にはペンやノートが母の部屋のように整然と並んでいた。


 壁に視線を向けると、著名な画家に描いてもらった、幼い私達が笑顔で並ぶ絵画が飾られている事に気付く。


 まるで双子のように並ぶ私達は、お互いの顔を見合わせ無邪気に微笑んでいる。


 確か絵を描いて貰う時、見守る母に何度も前を向くように注意された記憶がある。けれど注意されて数秒後、我慢できなくなった私達はすぐ横を向いておしゃべりを始める。そしてまた母が注意を促すので前を向くといった不毛な争いを何回か繰り返した挙げ句、とうとう「もう横向きでいいわ。それがありのままなのだから」と最終的に母が白旗をあげたと記憶している。


 仲良さそうに笑顔を見せ合う肖像画に、私は胸がギュッと苦しくなる。


 今はあんなふうに、彼が私に微笑みかけてくれないからだ。


 私は悲しくなり、慌てて肖像画から目を逸らす。


 オーランドの部屋は昔何度も訪れていた時の記憶とそんなに変わらない気がする。そもそも私達は当時カントリーハウスに住んでいたし、十二歳で彼は蒼空騎士団の見習いになり王城内で暮らすようになったのだから、あまりこの部屋は使っていないのだろう。


 一通り部屋を確認した私は、覚悟を決めオーランドが横たわるベッドに近づく。


 ベッドは柔らかな白い布で覆われ、ベッドサイドには医者が置いたであろう薬の瓶や水差しが並んでいた。


 私はオーランドの顔をおそるおそる覗き込む。昔からつい引き込まれてしまう紫の瞳はギュッと閉じられ、苦しそうに眉間に皺を寄せていた。


 いつもは私を困らせる事ばかり吐き出す口元は、少し開き苦しそうな吐息が漏れている。


 掛け布団から出た、何度繋いだかもうわからないくらい馴染みある彼の右手の脛には、ぐるぐると包帯が巻かれ、どの程度の傷なのかわからない。


 心臓部分の掛け布団が上下にしっかりと動いている事を確認した私は、どうみてもいつもより大分疲れた顔をしているオーランドだけれど、それでもちゃんと生きていると、ようやく実感する事が出来た。


「良かった」


 ホッとした瞬間、私は堪らず安堵の涙をポロリと溢す。


「もしかしたら、母様が一番ひねくれ者なのかも」


 私は溢れる涙を拭いながら、この時ようやく母様の目が赤かった理由。それから母がどれほどオーランドを大事に思っているのかを、身に染みて理解したのであった。

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