第17話 覗き見の終幕
オーランドが母に拗らせた気持ちをそのまま伝えた可能性がある。
その可能性について怯えていた私は、特に母からの呼び出しもなく、グラント伯爵家から何事もなく帰宅した。むしろいつも以上に家族団らんを満喫した私は、心身共にリフレッシュし、軽い気持ちで王城に戻ったくらいだ。
因みに情報通のコンラッド兄様によると。
『エマの事が話題にあがったとは思うけど母さんの事だ。だったら自分でどうにかしろって突き放したんじゃないかな。どうせ最終的にはエマの気持ちを優先するだろうし』
不確定すぎてオーランドが母に、己の拗らせを告白したか否か。それは良くわからなかった。ただ、母は諸手を挙げてオーランドの事を認める気はないようだ。
だとすると、私が揺るぎない心でしっかりしていれば、オーランドは私に抱く感情が姉への愛情の拗らせだといつかは気付いてくれるだろう。
そう信じた私は通常業務に戻り、リリアナ様と覗き見をしているところだ。
「まぁ、アミラったら積極的ね」
本日のリリアナ様は、愛しのダニエル様よりオーランドの方が気になっている。というのも、アミラ様がとうとう本気を出し、蒼空騎士団にオーランドを訪ねてきたからだ。
といっても、私達は別に狙ってそこにいた訳ではない。いつも通りダニエル様とオーランドの休憩時間を狙い、王城内の職員用に開放されている中庭の生け垣に隠れていただけ。
つまり、いつもの時間、いつものポジションにいたら、アミラ様がオーランドに突撃する現場に偶然居合わせた、というわけだ。
現在ダニエル様とオーランドが定位置とするベンチに、アミラ様とオーランドが座っているという状況。因みに定位置を追い出されたダニエル様はと言うと。
「あいつは、大分迷惑そうですね」
何故か私たちと一緒に、生け垣からオーランドを覗いている。
もしやリリアナ様が生け垣から日々覗き見業務に励んでいる事を、ダニエル様は黙認しているのではないかという疑惑が私の脳裏に渦巻いている。
そのせいで心が落ち着かず、私はオーランドを覗き見る事に集中出来ずにいるので、困ったものだ。
「オーランド様はピクルスがお好きという話を小耳に挟みましたの。ですからこちらにはたっぷりピクルスが入っております。どうぞ召し上がれ」
アミラ様は午後のお茶の時間に合わせてなのか、サンドイッチをオーランドに差し出した。
するとオーランドがサンドイッチを受け取る代わりに、ピンポイントで私がこっそり隠れる生け垣に鋭い視線を向けてきた。
「まぁ、もしかしてピクルスの件をエマが漏らした事に、お気づきになられたのかしら?」
「そうかも知れません。しかもあれはかなり怒っていますね」
ダニエル様に指摘されずとも、視線からすでに殺意を感じていますので、ご安心を。
「申し訳ございません。こちらは持ち帰ってもよろしいでしょうか?」
オーランドがアミラ様に提案する。
「まぁ、後でこっそり楽しむおつもりなのかしら?」
リリアナ様の推理が冴える。
「いえ、あれはなまものなので、団員に配るつもりかと。あいつは女性から贈答される好意の品といった類は、全て教会に寄付していますので」
オーランドのペアであるダニエル様が言うのだから、本当の事なのだろう。
それにしても、女性から家族でも婚約者でもない男性にプレゼントを送るだなんてあり得ないことだ。それが常日頃から行われているのだとしたら、やはり近衛騎士は女性人気が高いのだと実感する。
もし無愛想だと周囲から思われているオーランドが、本当は喜怒哀楽をしっかり表現出来る人間だと知られたら、部屋が埋まるくらい女性からプレゼントが届くかも知れない。
そう考えた瞬間、私の脳裏に春の舞踏会に参加したリリアナ様が、ダンス中にボソリと呟いていた言葉がよぎる。
『こんなに素敵なダニエル様を皆様もご覧になっていると思うと……本当に悔しいわ』
今ならその気持がわかる気がした。けれど私にとってそれはとてもまずいこと。なぜなら、リリアナ様がダニエル様に向ける気持ちと、私がオーランドに思う「好き」の気持ちが同じだと認めてしまう事になるから。
私は小さく首を振り、浮かんだ疑惑を即座に頭から消し去る。
「ちなみに、ダニエル様は女性からプレゼントをお受け取りになったら、どうされますの?」
リリアナ様が可愛らしく探りを入れる。そんな彼女の視線は割と怖い。
「ご安心下さい。私もあなたと婚約してからは、教会に寄付する事にしましたので」
「婚約してから?では婚約する前はどうだったのかしら」
覗き見により鍛えられた観察眼を応用し、ダニエル様の余計な一言に鋭く言及するリリアナ様。さすが、我が主といったところだ。
「そ、それはその……あっ、動きがありました!」
墓穴を掘ったダニエル様が話を上手く逸らす。上手く逃げたなと彼の巧みな話術の誘導に感心しつつ、私も生け垣の隙間からオーランドを覗く。
「ではこちらをバスケットごとお渡し致しますわ」
アミラ様は侍女の持つバスケットの中に取り出したサンドイッチを戻すと、オーランドに渡した。オーランドは辛うじて笑顔だとわかる程度に口角を上げ、バスケットを受け取る。
「このバスケットをお返しする時にまたお会いできますわね」
ふふふと勝ちを確信した笑みを漏らすアミラ様。
それに対しオーランドは、少しだけ眉間に皺を寄せた。
「本日はわざわざ差し入れを届けて下さり、ありがとうございました。バスケットの方は手元にないとお困りでしょうから、すぐに郵送させて頂きます」
ニコリともせず、大真面目な表情でアミラ様に告げるオーランド。さすがにこれは、乙女心をわかってなさすぎにも程がある。アミラ様がその点を指摘したくなるのはもっともだ。
「オーランドったら、もっとアミラ様の切ないお気持ちを考えなさいってば」
私は生け垣に隠れつつ、頬を膨らませた。
「お久しぶりです、何をなさっているのですか?」
「何をって、覗き……え?」
嫌な予感と共に顔を横に向けると。
「なるほど、弟さんの事を心配なさっていると」
何故か私の隣で、生け垣の隙間からオーランドを見つめるルイス様がいた。
「お、お久ぶりですルイス様。これはその、仰る通りですわ」
私は心臓が飛び出しかけたけれど、咄嗟に取り繕う事に成功した。
「成る程、私はてっきり覗きが趣味なのかと思いました」
「っ!?」
驚きのあまり声が出ない。
「ルイス様はどうしてこちらへ?」
リリアナ様が驚いた表情でたずねる。
「エマ嬢の元を訪ねたところ、同僚の方からこちらにいるとお伺いしまして」
「え?」
涼し気な表情で答えるルイス様に私は固まる。
同僚に聞いた?そんな馬鹿な事があるだろうか。というか、ダニエル様だけではなくみんなにも覗き見が知られていたということ?一体いつから?
次々と疑問が浮かび、とうとう私は頭がパンクして、くらりとする。
「おっと」
ルイス様が咄嗟に私の腰を支えてくれた。
「あ、ありがとうございます」
私は即座にお礼を言う。
ルイス様が助けてくれなければ、ようやく治りかけてきた足首が悪化し、危うく松葉杖生活に戻るところだったからだ。
「大丈夫ですか?何だか顔色が」
ルイス様はそう言って、私の顔を覗き込んだ。
「申し訳ございません、色々と衝撃的すぎて」
私はルイス様にお礼を言い、適切な距離を保とうとしたのだが。
「エマ、俺をここから覗き見してたのか?」
アミラ様とベンチに座っていたはずのオーランドが生け垣の隙間からヌッと現れた。
「心配してくれるのは有り難い。しかしあまり褒められた行為ではないな」
オーランドは呆れ顔で告げつつ、さりげなく私の腕を引っ張りルイス様から引きはがす。
「弟を心配していただけですから、そう目くじらをたてなくてもいいんじゃないですか?」
今度はルイス様が私の腕を引っ張り、オーランドから遠ざける。
何だか男性二人から求められているような状況だ。ここが夜会の会場であれば、誰しもが一度は夢見た状況かも知れない。けれど二人は笑顔のまま、目が据わっている。
そして何より問題なのは、ここは私が覗き見をしていた現場……つまり生け垣の前だということ。
そんなの全然喜べないし、むしろ恐怖と絶望を同時に味わっているという最悪な状態だ。
「エマ、もうそろそろ時間じゃないのか?」
オーランドは遠回しに帰れと私に命令した。
「あら、まだあと少し。いえ、もう知られているのなら、全然大丈夫ですわよ?」
気を効かせてくれたのか、それともこの状況を楽しんでいるのか。リリアナ様は、今日に限って余計な気遣いを見せてくれる。
「まぁ、一体どういうこと?」
とうとうアミラ様まで修羅場に乱入してきた。
「まさか、こっそり覗いてらしたの?」
アミラ様の非難するような視線が私に向けられる。一応リリアナ様にお付き合いしていただいただけなのにと、往生際の悪い思いが湧き起こる。もちろん口には出さないけれど。
「まぁ、エマ様ったら覗き見なんてなさっていたの?流石に趣味が悪いですわ、覗き見なんて」
アンナ様の侍女がここぞとばかり大きな声で「覗き見」という言葉を連呼する。
「アンナ、そんなに覗き見、覗き見と言うものではありませんわ。はしたないわよ?」
和解の握手を固く交わしたはずのアンナ様が、注意するふりをして、言ってはいけないあの言葉を意気揚々と連呼する。
「わかったわ。とりあえずここでは悪目立ちしてしまいますものね。緊急でお茶会を開催致します。勿論全員参加よ。これは王女命令ですわよ?」
リリアナ様が普段は使わない究極の脅し文句「王女命令」を発動した。
逃げ場を失った私は項垂れ、まるで盗みが見つかり現行犯逮捕された泥棒の気持ちでとぼとぼとリリアナ様の後を追いかけるのであった。
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