第16話 グラント伯爵家へ4
オーランドが騎士になろうと決めたという思い出話に花を咲かせた後、彼はシリルと私に海岸に行かないかと誘ってくれた。
「でも父様がエマは怪我してるから、走っちゃいけないって。だから海には連れて行かない方がいいよ」
小さな紳士は私の事を心配……というよりベンジャミン兄様から叱られる事を恐れ、私を置いてけぼりにしようとした。
そもそも海と言えば走る所という発想が可愛い。けれど私も久々海を見たい気分だったので、何とかシリルを説得しようと悪知恵を働かせた。
「大丈夫、シリルに迷惑はかけないし、何かあったらオーランドおじさんのせいにすれば平気よ」
大人の汚さをシリルに教えてしまったと、密かに反省した瞬間だ。
「エマはいつもそう。俺のせいにする。でもまぁ惚れた弱みで許そう」
子どもだからと、完全に気を許すオーランドを睨みつつ、私達は三人で海岸へと向かう事にした。
屋敷から海岸へ続く道をゆっくりと下り、私は何とか目的に辿り着く。
「オーランドおじさん、はやくー!!」
シリルはオーランドの手を引きながら、早く早くと急かす。
「子どもは元気だな。少しだけだぞ。エマはそこで休憩してて。よし、シリル競争だ!」
「あ、待って。するい!!」
二人はまるで投げられた木の枝を追いかける犬のように、元気に走って波打ち際へと駆け出した。
寄せる波を避け、引いた波にまた追いつこうと、二人は大騒ぎしながら動き回っている。
潮の香りに包まれながら、私は砂浜に転がる流木に腰を下ろす。
「あー、やっぱり海って気持ちいい」
地平線の向こうまで果てしなく広がる海を眺めていると、私が抱える問題なんて大した事ない気がしてくる。そして、目の前で無邪気に遊ぶオーランドとシリルを見ていると、不思議と心が満たされて幸せな気分に包まれる。
「私を悩ませる張本人なのに」
王都では見せる事のない屈託のない笑顔を、私の目の前で惜しげもなく披露するオーランド。その顔を眺めていると、彼の全てを許そうという気持ちになるから困ったものだ。
「いつも今みたいなオーランドだったら、きっとアミラ様だってすぐに好きになると思うのに」
勝手に口から飛び出し、私は一人苦笑する。
自覚していた以上に私はオーランドをけなされた事を根に持っているらしい。
「でもそっか」
私がルイス様と結婚する事になれば、オーランドはアミラ様と結婚する可能性が一気に高くなる。そうなった場合、シリルと無邪気に戯れるオーランドの楽しそうな姿をここで眺めている女性は、私じゃなくてアミラ様になるということ。
「なんだかなぁ」
それは少し嫌な気がする。ここは私とオーランドの思い出がいっぱい詰まった場所で、それを誰かに譲る事を考えると嫌だなと思う。
「って、何考えてるのよ」
小さく頭を振り、今は目の前の景色を楽しむ事にする。
私は暫く楽しそうな二人の様子を眺めていたが、ふと、周囲に自分以外の気配を感じて慌てて振り返る。すると少し離れた所に、私と同じように海辺から二人を眺める姿があった。
春の柔らかい日差しを受け、煌めくバター色の髪。長身で痩せ型の方とくれば、あれは間違いない。
「コンラッド兄様?」
私が声をかけると、その人は視線を下に向ける事なく答えた。
「よう、我らが可愛いお姫様」
コンラッド兄様は、おどけた口調で少し離れた所にいた私に声をかけてきた。それからこちらに向かって歩きだし、あっという間に私の前に到着した。
「お姫様って、リリアナ様に失礼です」
「ははは、お転婆娘は今やすっかりどこぞの侍女っぽくなったもんだ」
「そういうコンラッド兄様だって、喋らなければ、立派な紳士に見えるわ。それに「侍女っぽく」じゃなくて、私はリリアナ様の侍女なんです」
「確かに。隣いいか?」
コンラッド兄様は私が座る流木を指す。
「どうぞ。見た目に反して座り心地はなかなかのモノになっておりますわ」
私はおどけて、流木に腰を落ち着ける事をお勧めしておいた。
「コンラッド兄様も散歩?」
「二日酔いをさまそうと歩いていたら、お前たちの姿が見えたから。それに母さんがオーランドを見つけたら、呼んでると伝えろって」
「あ」
コンラッド兄様の言葉で、私は自分に課せられた最重要責務の事を思い出す。
「どうした?」
「いえ、なんでも」
私は慌てて誤魔化す。
「午前中、母さんに呼ばれてたみたいだけど、お前の結婚のこと?」
抜かりないコンラッド兄様は、早速探りを入れてきた。しかし隠す必要のない事は遅かれ早かれいずれ伝わる。そう思った私は簡単に概要を伝えておく事にする。
「エヴァンス侯爵家のルイス様と婚約に向けて前向きなお話を頂いたの。その件で母様に頑張りなさいって活を入れられちゃった」
「あー、なるほど。流石遣り手のエヴァンス侯爵家だな。お前が権利を保有する土地を狙ったってことか」
「え、私が土地を持ってるの?」
そんなの初耳だ。
「あれ聞いてないのか?カミルス殿下が所有していた財産はすべてお前のものになるそうだ。ようやく手続きの目処が立ったらしい」
「それって、もしかして私……」
この家から捨てられるという事だろうか。そんなの嫌だ。土地なんていらないから、家族でいたいと切に願う。
「泣くな。悪い話じゃないんだし。正式にカミルス殿下の子として認められるってことは、お前にとって喜ばしい事だろ?」
「でもそしたら、私はここのうちの子じゃなくなるってことだもの」
「ばーか。戸籍上はそうなるけど、俺たちはお前を家族だと思ってる。まぁ約一名を除いてだけど」
「え」
コンラッド兄様の言葉にうっかり落ちかけた涙も引っ込む勢いで、思考が停止した。
「ごめん、昨日オーランドから聞いたんだ」
「…………」
私は思わず頭を抱える。
オーランド、仕事はやっ。
ちょっと目を離した隙にという感じ。
油断も隙もあったもんじゃない。
「けどさ、お前だってオーランドのこと好きだろ?」
「好きだけど、それは弟としてだし」
私はもはや定型文と化してきた「弟だし」を発動する。
「そうかな。昔からお前たちを見てる者としてはっきり言うけど、物心ついた時には、お前らもう恋人みたいだったぞ?」
コンラッド兄様のあり得ない発言に私は目を見開く。
「嘘よ、そんなわけないわ。コンラッド兄様の思い違い。姉弟が恋人だなんて、そんなの都市伝説よ」
私が真面目に返した言葉に、吹き出すコンラッド兄様。全然笑いごとじゃない。
私は頬を膨らませ、今のはおかしいと主張する。
「すまない。つい」
コンラッド兄様は、握った拳を口元に当て、笑いを何とか堪えようとしている。
「大真面目なのに」
他人事だと思ってと、私はコンラッド兄様を睨みつける。
「都市伝説かどうかは別として、フィリップだってベンジャミン兄さんだって同じ意見だ」
「えー、あり得ない」
私は小さく首を振る。
確かに私はオーランドを特別に思っているけれど、それは大事な弟だからだ。現にオーランドを異性として意識した事なんてない。そう思うのに、何故か十二歳の時、蒼空騎士団の見習いで入団する彼の唇に触れた時の記憶が頭をよぎる。
私は脳裏に自然に浮かんだ記憶にゾッとする。
なぜ今このタイミングでその事を思い出したのか。その答えを認識するのが怖くなり、私は即座に記憶を封印した。
「それにさ、父さん、母さんも今はまだ駄目だって、二人を離そうと必死だっただろ?」
「今はってどういうこと?」
コンラッド兄様の言い方が気になり、私は尋ねる。
「少なくともオーランドが成人して、ちゃんと自分で稼げるようになるまでって事だろ」
「それって、父様と母様は私とオーランドが結婚してもいいって思ってるってこと?」
自分で口にして、何だか期待しているみたいに聞こえたらどうしようと恥ずかしくなる。
「ま、私はそんなこと微塵も思ってないけどね」
私は慌てて付け足す。
「母さんはどうだろうな。ここ数年母さんの目には、オーランドがエマを虐めているように見えていたみたいだし。オーランドの方はエマをリリアナ様の侍女に推薦した母さんに怒ってたし。ま、あの二人はエマに関してだけは、意見が合わないからな」
初めて明かされる事実に驚く。
そもそもオーランドは十二歳から最近まで、家族以外の前では、私を避けていた歴史がある。だからその間、彼がどう思い、動いていたかなんて私には知る由もなかった。
そして彼が私を避けていたこと。それを上手く隠せていたと思っていたのは、多分私だけ。他のみんなはとっくに気付いていたという事実を、私は何となく昨日察したばかりだ。
そんな鈍い私だから、オーランドが母と私の事で意見が対立していたなんて、全く気づかなかった。
「だから今の所、母さんは財産とか地位とかも考慮して、オーランドよりルイス様の方がお前を幸せに出来ると思ってそうだ。父さんはお前が選んだ相手を信じるタイプじゃね?」
「確かに……」
母がルイス様を推していたのは明らかだ。そして父は私の意見を尊重してくれるという意見にも納得だ。
「二日酔いにはならなかったんだ」
オーランドとシリルが話し込む私達の元に戻ってきた。二人とも足元がびしょ濡れになっている。
早急にシリルだけでも帰宅させなければならないという状況のようだ。
「見て。オーランドおじさんが拾ってくれた」
シリルが私達に、笑顔で貝殻を見せてくれる。
「わぁ、綺麗。良かったね」
私はシリルの頭を撫でる。
「オーランド、母さんがお呼びだ。早く戻った方がいい。この二人は責任持って俺が屋敷まで送り届けるから。ま、頑張れ」
コンラッド兄様が立ち上がり、オーランドの肩に手を置く。
「わかった。悪いけどよろしく」
「あ、ちょっと待って」
オーランドがそのまま屋敷に戻ろうとするのを慌てて止めようと声をかける。
「待たない。母さんを怒らせるとまずいのは、エマだって知ってるだろ」
そう言い残すと、オーランドは不適な笑みを浮かべ歩いて行ってしまった。
「嘘でしょ……」
私は目の前が真っ暗になる。というか、許されるならば荷物をまとめ、今すぐ王都に帰りたい。
「はい、エマの分。オーランドおじさんと見つけたよ。エマはこれが好きなんでしょう?」
去り行くオーランドの背中に唖然とした顔を向ける私に、シリルが小さな貝殻を私に差し出す。
一センチほどの巻貝は、ピンクの模様が連なるとても綺麗な貝殻だ。
幼い頃私はこの貝殻がとても好きで、見つけ次第拾って持ち帰り、クッキーが入っていた空き箱の中に大切に保管し集めていた。その空き箱は、タウンハウスの自分の部屋に今でも保管してあるはずだ。
「ありがとう。とっても綺麗」
私はシリルから懐かしい思いと共に、小さなピンクの巻き貝を受け取る。
「あいつは俺らの誕生日は忘れる癖に、エマの事だけは何でも覚えてるんだな」
何気なく放たれたコンラッド兄様の呟き。
私は嬉しいような、怖いような、複雑な感情が沸き起こる。しかし何となく嬉しいが勝ってるような気がして、慌てて自分の気持ちに待ったをかけた。
「嬉しくないの?」
シリルに顔を覗きこまれ、私は咄嗟に笑顔を作る。
「嬉しいわ、とっても」
スラリと出たその言葉が指すのは、貝殻の事なのか、それともオーランドがこんな些細な事まで覚えていたという事についてなのか。
じっくり考えるのが怖い。けれど、とにかく嬉しい気持ちがある。それだけは間違いないようだと、私は渋々認めたのであった。
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