第9話 仮面舞踏会4
王女の侍女として勤めて四年目ともなると、舞踏会に参加したのはもはや数えきれないほどだ。けれどいつもの私は、決して自分中心に行動した事はなかった。なぜならリリアナ様という大事な主をアミラ様から守る必要があったし、ダニエル様と仲睦まじくなりがちな彼女に「適切な距離を」と注意を促すことも時には必要だったから。
そんな私の舞踏会での楽しみは、近衛として、もしくはグラント伯爵家の四男として、会場内にいるであろうオーランドをこっそり探し出し密かに目で追うこと。
昔の可愛いオーランドはもういないけれど、私は遠目でも彼が元気そうにしている姿を確認する事で、ぽっかり開いた心の穴が塞がるような気持ちになれていた。
むしろ無視されていた期間が長過ぎて、それで満足する体になっていたように思う。
それなのに、今日はオーランドが昼間とさっきと今現在。三回も私に話しかけてくれている上に、人気のない裏庭で私の足首の状態を確認してくれているという奇跡が起きた。
さらに、ベンチに私を座らせる時彼は、自らの上着を脱ぎ私の肩にそれをかけてくれた。
つまり、現在私はオーランドの懐かしい香りに包まれ、大人しくされるがままじっとしているという状況。
なんだか彼の手つきがこちらをいたわるように優しいので、拒否する気にはなれず、甘んじて受け入れてしまっているというわけだ。
そんな私に対し、オーランドはベンチに座る私の前に恭しく跪くと、月明かりを頼りに、白い手袋を脱ぎ捨てた手で、私のドレスの裾をめくり足首の腫れを確認してくれている。
もし、オーランド以外の人に同じことをされたら卒倒ものだし、傷モノ確定な行為だと言える。けれど血が繋がらなくとも彼は家族なのでノーカンだ。
「これは夢?」
思わず呟くも、お互いお役目御免とばかりすでに仮面を外している。視界良好な状態で、私には自分の足首を確認するオーランドが良く見えている。つまりこれは現実に起きていることで夢じゃない。
明日はやっぱり雨が降るかもしれない。でも、舞踏会の翌日は疲れているので、雨は少し有り難い気もする。
「ほら見ろ、思いっきり腫れている」
地面にあぐらをかいて座り込んだ彼は、私の足を軽く持ち上げる。そのまま自分の
「きゃっ、冷たい」
突然足首がひんやりとし、思わず肩をビクリと揺らす。
「ああ、悪い。氷水に浸していた布だから」
冷たいはずなのに、優しく触れるオーランドの指先がくすぐったくて、そして嬉しくて恥ずかしい。
「他に痛む場所は?」
オーランドの問いに私はふるふると首を横に振ったが、彼は納得出来なかったらしい。「全部言って」と眉を寄せてこちらを睨みつけて来たので、私は諦めて小さな声でポツリと告げる。
「心が少し……」
「まさか転んだ時に
私の言葉を聞いたオーランドは、サッと顔色を変える。私は慌てて首をまた横に振り「違う、違う」と否定した。
「ええと、その、今日は色々あったから、胸がいっぱいで苦しいなと思って」
本当はいつも冷たい態度を取るオーランドに対して「心が痛い」と愚痴をこぼしたつもりだ。けれど、オーランドがホッとしたように表情を緩めたので本当の事を言えなくなる。
「なんだ、それだけか……。驚かすなよ」
彼は安堵の息を吐き出すと、私の顔をジッと見上げてくる。月明かりの逆光で彼の顔には影が落ちている。だからはっきりとは見えないけれど、真剣な目をしてこちらを見つめているのだけは分かった。
「エマはルイス様とこのまま結婚するのか?」
オーランドは唐突にそんなことを言うと、私の足首に当てていた布を、芝生の上に置いた銀のアイスペールに浸す。
先程会場から抜ける時、彼は通りすがる給仕に声をかけていた。その時おしぼりとアイスペールを借りたのだろう。私は長年避けられていた彼に腕を掴まれているという状況にすっかり舞い上がり、何故アイスペールが必要なのか。その理由にまで行き着かないまま、ここに座らされていた。
「結婚するつもりなのか?」
再度問われ、私は正直に告げる。
「そうするつもり」
途端にオーランドの眉間に皺が寄ったのが見えた。彼は私の足首をアイスペールから取り出した布で拭いながら、小さな声で呟く。
「俺は反対だ」
そう告げる彼の声はあまりにもか細く、小さい声だったので一瞬空耳かと思ったほどだ。けれどその後手荒く私の足首に布を押し付けてきた。彼が苛立っているのは明らかだけれど、ギュツと押されたせいで足首が痛み、叫び声をあげる。
「いたたっ!ちょっとオーランド、痛い」
私は慌てて彼の手から足を引っこ抜こうとした。しかし彼は手を緩めてくれない。
「なんでそうすんなり嫁に行くつもりなんだよ」
彼は再びか細い声で呟くと、俯いてしまう。オーランドの顔は長い前髪に隠れてしまいこちらからはもう見えない。けれど怒りというより、悲しみのようなものが伝わって来て、私の心は揺れる。
「どうしてそんな事を言うの?」
思わず私が問うと、彼は少しだけ沈黙した後、静かに口を開いた。
「俺は……、エマと離れたくない」
絞り出された声は、いつもの不機嫌なものとは明らかに違う。少しだけ震えていて、自信がなさそうな響きだ。
オーランドがこんな風に私に弱さを曝け出すのが久しぶりで、嬉しくも戸惑う。
「あら奇遇ね。私だってずっと離れたくないって思ってたわ」
私は出来るだけ明るい声を出し、本音を告げる。
十二歳で毎日会えなくなって、十八歳の時リリアナ様の侍女になるまで私は、ほとんどオーランドに会えなかった。しかも王城に勤務すればもっと会えると期待したのに、オーランドは分かりやすく私を避けた。だから仕方なく覗き見を開始した。だってそうしないと、彼を見る事が叶わなかったから。
そんなふうに、私はずっと側にいたいと願っていたのに、離れていったのはオーランドの方だ。
「それは俺がお前の弟だからだろ」
オーランドはうんざりしたような声で、吐き捨てる。
「離れるのが嫌なら結婚すんな。お前の大事な弟がお願いしてるんだ。かなえてくれるよな、ねえさん」
オーランドは、乱暴で嫌味な言葉とは裏腹に、まるで捨てられた子犬のような頼りなさげな雰囲気で肩を落としている。そんな弱々しい彼の姿は、私の心を激しく揺さぶる。
「俺はお前が好きなんだ。勿論姉としてじゃない。だから結婚するな」
突然真剣な声で告げられ、私は息を呑む。
オーランドが私を好きなのは知っていた。だってそうなるよう幼い頃から仕向けてきたのは私だから。けれど、それは家族に抱く好きであるはずだ。異性として私を好きだというのは、だいぶ勘違いをしている。冷静にそう思う一方、「私だって好きよ」と思わず口にしたくなるくらい胸が高鳴るのを感じる。けれどその気持ちを慌てて飲み込むと、私は大きく首を振る。
「でも、ルイス様とのことは、私の意志だからやめない」
きっぱりと言うと、オーランドは弾かれたように顔を上げた。彼は今にも泣きそうな顔をしている。
「俺と結婚するって約束したくせに、お前は嘘つきなんだな」
痛いところを突かれて私は口籠る。確かに私は彼からのプロポーズに二つ返事で「いいわよ」と答えた。
「でもあれは、十歳の時の話じゃない」
そう、あれは子どもの戯言だ。言われて嬉しかった気持ちは今でも覚えているし、大事な思い出だけれど、あの時の私達は「結婚」という制度について今ほど理解していなかった。
だからこそ、オーランドは気軽に私に口にしたし、私も迷わず了承した。
「十歳から俺はずっとその約束を信じてたのに、お前はあっさり反故にするのか」
それを言われてしまうと、私は黙り込むしかない。
なぜなら「覚えていてくれたんだ」と嬉しい気持ちになりつつも、「もしかして私、間違った?」と幼い頃のオーランドに対する懺悔の気持ちが湧いてきたから。
オーランドが私に向ける愛情は、卵が孵った瞬間に、目の前にいる者を親だと思い込む行動と似ている気がする。
家族の中で一番小さかった彼は、誰よりも家族からの愛に飢えていた。そんな彼に愛情のこもった手を差し伸べたのは私だ。でもそうか。私もまたオーランドと同じ。むしろ彼以上に愛に飢えていたのだと気付く。
私にはそもそも父親がいなかったし、加えて唯一の家族である母を亡くしたばかりだったから。
私は埋めたくても埋まらない、心にポッカリ空いた穴を都合良く埋めるのに、オーランドが丁度良かっただけ。たまたま愛に飢えた子どもが共依存してしまった結果、今のように拗れてしまっているのかも知れない。
オーランドは私を好きで、私もオーランドを覗き見するくらい大好きだ。けれど果たしてその気持ちは、リリアナ様やダニエル様と同じような愛だと言えるのだろうか。
もし違うのだとしたら、早めにお互い依存するのをやめた方がいい。
でも、一度築いてしまった依存関係をうまく解除する方法はあるのだろうか。
その時脳裏に浮かんだのは、子どもの頃に飼っていたつがいの文鳥のこと。とても仲良かった二匹は、何の前触れもなくメスのイザベルがある日突然亡くなってしまった。すると今度はオスのシナモンが見る間に元気を失い、数週間後にまるでイザベルの後を追うように亡くなってしまったのである。
一気に二羽の文鳥を失った私は悲しくて、自分が何か悪いことをしたのではないかと自責の念にかられた。食欲もなく、空になった鳥かごの前でひたすら涙を流す日々を送っていたと記憶している。
そんなふうに、ただひたすら沈み込む私をみかねたのか、オーランドが本か何かで二羽が亡くなった原因を調べてくれた。それによると、文鳥は仲間やつがいが死んでしまうと、短い期間で残された文鳥も死んでしまうことがあるそうだ。
だから仕方がなかったんだよと私をなぐさめた後、続けてこうも口にしていた。
『僕もエマがいなくなったら、生きていけないだろうな。だからシナモンの気持ちは良くわかる。エマがご飯を食べないなら、僕も食べるのやめる。そしたら二人でイザベルとシナモンに会えるもんね』
あの時は優しくて可愛い自慢の弟だったから、ただ単に、私の細くなった食を戻そうとしてくれているんだと、心配してくれているんだと思い、その言葉が嬉しかった。現にその後私はきちんと食事をとるようになった。
けれど今思うと、七歳くらいの年齢でこの発言はだいぶまずいかも知れない。
私は思い詰めた様子でこちらを見つめるオーランドを前に、一体どこで間違ったのだろうかと、ひたすら困惑した気持ちに包まれるのであった。
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