第8話 仮面舞踏会3

 華やかな装飾とパステルカラーのリボンで飾られた舞踏会のホールは、吊るされたいくつものシャンデリアから幻想的な光が舞い落ちる中、ワルツの曲「春の嵐」が奏でられている。


 優雅な旋律が空間を満たし、優美な音色が聴衆の心を魅了する中、動物の仮面を付けた紳士淑女が会場をさらに盛り上げていた。


 夜風は若干冷たいけれど、音楽に合わせステップを踏む私には心地良く感じる。


 先程は思わす「得意です」なんて胸を張って答えた。けれどそれは昼間に挫いた足の事を軽く見ていたから。今日の私は美しい旋律に身を委ねながら、まるで湖面を進む白鳥の様に、優雅な動きで会場を移動するルイス様についていくのが精一杯。


 自慢気に得意だなんて口にした事をすでに私は、後悔しはじめていた。


「リリアナ様とダニエル様のお陰で、目立たなくて良かった」


 ルイス様は私の腰を柔らかく包み込み、舞踏会の床を滑るように動き回る。先程お手柔らかにと口にした彼は嘘つきだ。だってこんなに上手に踊っているのだから。


「本当ですね」


 私は足の痛みを堪えつつ、ドレスをふわりと揺らしステップを踏む。


「私があなたを誘うだなんて、突然の事で驚かれたでしょう?」


「いいえ、母から手紙で知らされておりましたので、それほどでも」


 私は机に隠したまま、すっかり母に送る事を忘れていた返信の件は伝えないでおく。流石に失礼だと思うし、私も今回の話を前向きな気持で考えなければと思っているから。


 エヴァンス侯爵家との縁談はこれまでのものとは格が違う。恐らく今までに現れた中でも、一番好条件のお相手だろう。実際、母も乗り気の様子だった。そのため、親孝行の意味を込めて、私はルイス様との結婚も視野に入れてもいいと考えている。


 私の部屋を突然訪れたオーランドの「姉さん、僕を置いてお嫁にいかないで」の気持ちは嬉しいし、どうして急にそんな事を言いだしたのかも気にはなっている。けれど彼だってアミラ様とこのまま上手く行くかも知れない。


 嫌だと思っても、こればかりはお互いどうしようもない。

 いずれ誰かと結婚しなくてはならないのだから。


「結婚は家同士の結びつき。だから今まで深くは考えておりませんでした」


 ルイス様が突然踏み込んだ話をはじめた。

 私は返答を間違えないように、しばし考えてから相槌を打つ。


「えぇ、わかります。私もそう思いますから」


 たぶん合ってるはずだし、偽りなく私もそう思っている。


「でも、あなたとなら。エマ様となら是非と……そう思うのです」


 ルイス様はステップを踏みながら、私をじっと見つめる。


 今のは一体どういう意味だろうと考えるも、丁度動きが変わりターンをした所で足に激痛が走り、思わず歯を食いしばる。


「もしかして、足を怪我されていますか?」


「あの……えっと……」


 私はなんと答えていいか分からず、口ごもる。


「正直におっしゃって下さい。貴方は私を気遣い、黙っていらっしゃるのでしょう?」


 図星だ。確かに彼に悪いと思い、ダンスを快諾した。今さら取り繕っても仕方がないと観念し、正直に話す事にする。


「昼間、ちょっとしたハプニングがあって、足を捻挫してしまったんです。でもそこまで酷くはないですし、何より私がルイス様とこうしてお話がしたかったので。でも、結局ご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ございません」


 私は俯く。こんな情けない姿をさらして、きっと呆れられただろう。せっかく良い縁談の話が舞い込んできたのに、自らぶち壊してしまったと落ち込む。そんな私の気持ちなどお構いなしといった感じで、春の陽光のように明るい曲が私達を包み込むのも辛い。


「貴方は私と話したかった。その言葉を聞ければ充分です。ですから、お気になさらず」


 ルイス様は私の肩を優しく抱き寄せながらそう口にする。


「抜けても大丈夫そうです。休みましょう」


 ルイス様は私に気を遣い、曲に合わせさりげなく移動する。


「いえ、あと少しですし、足でまといにならないよう頑張ります」


 すでに曲は後半部分に差し掛かっている。あと少し乗り切ればと、私は気持ちを新たにステップを踏む。


 何より途中退出なんてしたら、何かあったのかと周囲に勘繰られてしまう。社交界に格好の噂を提供する事だけは勘弁願いたい。私だけならともかく、優しい気遣いのできるルイス様を人の噂に巻き込むのだけは嫌だ。


「では、お言葉に甘えてあと少し。ご一緒させて頂きます」


 ルイス様は笑顔で私の我儘を受け入れてくれた。


 私はホッとし、そのまま音楽に合わせてステップを踏む。酷くなるばかりの痛みのせいで、先程よりは大分動きが制限されてしまった。それでも得意なワルツなら何とか踊りきれそうだ。


「今回のお話は、前向きに検討させて頂いてもよろしいでしょうか?」


 ルイス様は私の腰を優しく引き寄せると耳元で問いかける。


 私は彼の肩に手を掛けながら、絶妙なタイミングでの申し出だなと感心する。


 スピードを落とした彼のさりげないリードのお陰で、私は痛みはあれど、そこそこ踊れているという状況。しかもそんなルイス様の気遣いを目の当たりにし、顔見知り程度だった彼を素敵な人だと思い始めているタイミングでの問いかけ。


 貴族同士の結婚は、家同士の繋がり。その事は重々承知しているつもりだ。けれど心のどこかで、出来たらリリアナ様のように、幸せな婚姻の約束を結べたらと願う気持ちがないわけじゃない。


 そもそも嫌悪感を覚えるような人と同じ屋根の下で暮らし、歪み合って過ごすよりは、笑い合って過ごせる方がずっといいに決まっている。


 私は背の高いルイス様を見上げる。


「私で良ければ、よろしくお願い致します」


 私が告げ、ルイス様の口元がふわりと緩む。


 つられたように自然に私の頬も緩み、二人で微笑んだまま見つめ合う。その時、近くにいたリリアナ様の深い溜息が聞こえた。


「こんなに素敵なダニエル様を皆様もご覧になっていると思うと……本当に悔しいわ」


 うっかり心の声を聞いてしまった私とルイス様は、顔を見合わせ苦笑する。同時にワルツの曲が終了し、私はルイス様と向き合い紳士淑女の礼を取る。


 隣ではリリアナ様とダニエル様が、名残惜し気にゆっくりと体を離し、一礼する。


 姿勢を正したリリアナ様は、やや息が上がっているのか、胸元を静かに上下させながらダニエル様へ微笑んでいる。一見すると、いつも通り完璧な笑顔を称えているように見えるも、口元は僅かに不満げである事に私はすぐ気付く。どうやらダニエル様とお別れの時間が迫っている事を残念に思っているのだろう。


「楽しい時間はあっと言う間ですね。私は貴方のような素敵な女性を妻に迎えられる事を、とても嬉しく思います」


 普段はあまり感情をダイレクトに口にしないダニエル様の飾らない言葉に、リリアナ様はコロリと機嫌を良くし、華やいだ笑顔で顔を綻ばせた。その輝くばかりの美しさに、私を含むホールの誰もが見惚れてしまう。


「私も、あなたのよき妻になれるよう頑張りますので、どうぞよろしくお願いします」


 内心「大変、もう卒倒していいかしら?」と思っているであろうリリアナ様。しかしそこは王女らしく、ぐっと堪えて可愛らしい声で模範解答を口にした。


「あなたの花のような笑顔を見ているだけで、こちらの心は輝きに満ちてきます」


 ダニエル様は周囲の女性を蕩けさせる笑顔をリリアナ様に捧げた。そして彼女の手を優しく取ると、手のひらを軽く触れる程度。紳士的な態度でリリアナ様をエスコートし、優雅にその場を去っていく。


 二人の幸せオーラをたっぷりと浴びた私は、あと一年も経てば自分もルイス様とあんな風に愛情溢れる二人になるのだろうか……とルイス様の手に触れながら、つい想像してしまう。


 しかし恋をした事がない私には、未来の自分がうまくリリアナ様に重ならない。


 そもそも由緒正しい王女であり、神の寵愛を一身に受けているかのような美貌の持ち主でもあるリリアナ様と、ただの庶子である私が同じ気持ちになれるのだろうかなんて、その考えこそ烏滸がましいというもの。


「エマ様もとても素敵ですよ」


 私の気持ちを見抜いたのか、ルイス様はわかりやすく私を褒めてくれた。


「ありがとうございます。ルイス様のお優しい気持ちが胸に染み入ります」


 私もルイス様を、さり気なく持ち上げておく。


 きっとこうやってお互いの優しさを褒め合ううちに、恋に発展していくのかも知れない。


 人垣から逃れ、ルイス様と私は壁際に到着する。


「このまま医務室へお連れしましょう」


 ルイス様は心配そうな声で提案してくれた。


「ありがとうございます。でもまだ後少し、リリアナ様のお側にいないといけませんので」


 私はやんわりと断りを入れる。本当はアミラ様との勝負も終了したし、アリスもニーナもいるので戻らなくても平気だ。けれど、昼間に覗き見した時に起きたハプニングによる疲れもあり、今日は私も限界だ。これ以上ルイス様と一緒にいたら、たぶんボロが出る気がする。


「そうですか。ご無理をなさらないで下さいと言いたい所ですが、お仕事ならば仕方ありませんね。本日は楽しい時間をありがとうございました」


 ルイス様は一礼し、再度私の手を取ると、手袋越しに甲に軽く口づける。


 私は内心、「嘘っ!?」と激しく動揺する。しかし何とか堪え、笑みを作る事に成功した。


「またお誘い頂けたら嬉しいです」


 喉がカラカラになりながらも何とか告げる。


「もちろん。あなたに望まれるのであれば喜んで。近いうちにお手紙を差し上げてもよろしいでしょうか」


「お待ちしております」


「では、私はこれで」


 私はルイス様にもう一度一礼する。そして彼の足音が遠ざかり、人混みに紛れ姿が消えたところで、急いで近くのソファに腰を下ろした。


「も、もう駄目」


 顔が熱い。ドキドキが止まらないし、きっと私の顔は赤くなっているに違いない。だって、こんな風に男性に優しく手にキスを落とされたのは生まれて初めてだから。いや、昔はオーランドとダンスを練習する延長線で、ふざけて手袋の上のキスを落とされた事がある。でもあれは家族のおふざけで、ノーカンだ。


「……ど、どうしよう」


 ここまで来たらルイス様との縁談を絶対に断れない。思い通りに事が運び嬉しいやら困ったやらで気持ちが落ち着かず頭を抱える。すると、大理石の磨かれた床を見つめ、悩める私の視界に、男性の黒い靴のつま先が入り込む。


「やっぱり足、怪我していたじゃないか」


 俯いたままの私の前に、見知った声が降ってくる。私は嫌な予感たっぷり。ゆっくりと顔をあげていく。


「何でダンスなんてしてるんだよ。歩けなくなってもいいのか」


 呆れた声で私を見下ろすのは、頭から煙を出していそうなほど怒った雰囲気を全身にまとう、狼の仮面をつけた弟だった。

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