第2話 私の事情

 私が五歳の時、産みの母が亡くなった。


 孤児だった母は、城下にある「早くて、安くて、うまい」と評判の大衆食堂『ほっと一息亭』に勤める看板娘だったそうだ。


 当時ほっと一息亭では、蒼空そうくう騎士団にお弁当を提供するサービスをしていたそうだ。そして何の因果か、お弁当を配膳する母に一目惚れをしたのが、現在の国王陛下の弟で、蒼空騎士団に勤務するカミルス殿下だった。


 出会ってはいけない二人は、まるで紙に火がついたように恋心を燃え上がらせ、身分の差をものともせず、秘密裏に愛を育んでしまったらしい。


 もちろん王族である殿下と庶民の、しかも孤児である母との結婚は周囲に認められる事などあり得ない。しかし殿下の結婚について揉めている間に、私が母のお腹に宿ってしまった。


 大人になって考えると、両親は軽はずみにも「子どもができた」という事実を作り出し、周囲に結婚を認めさせようとしたのだろうということ。


 けれど、私がお腹にいる事が判明したのと同時期に勃発した他国との小競り合いによる戦争で、カミルス殿下はお亡くなりになられた。


 そして未婚のまま私を産んだ母は、カミルス殿下の部下だった蒼空騎士団員の伝手を頼り、郊外でひっそりと私を育てる事となる。


 しかし流行り病により呆気なく母も亡くなり、見事五歳で孤児となった私は、蒼空騎士団員のとある家族の元に引き取られた。


 なぜなら私には半分ほど、野ざらしにし捨て置く事のできない高貴な血が流れていたからだ。


 蒼空騎士団員に慕われていたカミルス殿下の最後は部隊の、それも名も覚えていないであろう末端の若い騎士を守ったから。

 感動的なその話は現在に至るまで、ノブレス・オブリージュの教えと共に、蒼空騎士団員の中で語り継がれているらしい。


 私は父に会った事がない。けれど立派な人物の血を受け継ぐ唯一の子として、現蒼空騎士団団長であるグラント伯爵により、手厚く保護され育てられた。


 それが私、エマ・グラントという人間の歴史だ。



 ◇◇◇



 窓の外では雨が降りしきり、城内の食堂もやや静かな雰囲気に包まれていた。しかし、同僚の侍女たちはその静けさを打ち破るかのように、元気に笑いながらお昼を食べている。


「ねえ、聞いた?アミラ様は今度の春の舞踏会用に紫陽花あじさいのような色のドレスを用意したらしいわ」


「へえ、そうなの?でもリリアナ様がお召になる予定の透け感たっぷりなブルーのあのドレス。あれには絶対にかなわないわ」


 雨音が窓ガラスを打つ音を背後に、侍女たちは噂話に花を咲かせている。


 残念ながら私を含む年頃の子を集めたリリアナ様の侍女達は噂話が大好きだ。その中でも好物なのは、やはり恋愛について。

 貴族の娘は自分で相手を選ぶ事はない。だから相手が決まるその日まで、誰かの恋愛話で恋心を膨らませておくのである。


 因みに現在話題に上がったアミラ様は、私が一度も会った事がない父、カミルス殿下の弟にあたるギデオット殿下の娘だ。


 ここ数年、従姉妹でもあるリリアナ様とアミラ様はダニエル様を巡り熾烈な争いを水面下で繰り広げていた。もちろんお互いの侍女を巻き込んで。


 その結果、勝利したのは我が主リリアナ様。

 そして彼女に仕える私達は鼻高々。


 逆にアミラ様に仕える侍女達は、主人を悲しませたから許さないと、私達を逆恨みしているという状況だ。


 お互い長きに渡る因縁があるので、恨まれるのも仕方がないと私は思っている。多分この先も、アミラ様の侍女達と、仲良くやっていくのは無理なのだろう。


「でもさ、アミラ様が薄紫のドレスを着るってことは、もしかして」


 一人の侍女が声を潜めた。すると、私を除く面々が興味津々といった表情でそっと目配せをする。


「アミラ様が次に狙ってるのは、エマの弟なんじゃない?ほら、彼の瞳の色は紫だし」


「なるほど、オーランド様か」


「もしかして、リリアナ様の侍女軍団筆頭であるエマへの嫌がらせとか。ねぇ、オーランド様から何か聞いてる?」


 テーブルを囲む仲間の視線が、一斉にこちらに向けられた。


「知らない。会ってないから」


 私は必要最低限の答えを返す。


 正直なところ、会っていないわけではない。今日は雨なので会って……というか見ていないけれど、晴れの日は彼が生きている事を確認済み。


 ただし、本人はその事を知らないけれど。


 話題がオーランドの事になり、早く席を立ちたくなり落ち着かなくなる。


 けれど私のお昼。トマトパスタはまだ半分以上お皿に残った状態だ。しかもトマトパスタは普通のパスタより、跳ね返りに特に気を使う必要がある。つまり気もそぞろな状態で手をつけて良いメニューではないということ。 


 失敗したなと思いつつ、未来の事なんてわからないのだから仕方がなかったと諦める。


 そんな私の葛藤を知らない同僚達は、話にさらに花を咲かせた。


「アミラ様がオーランド様とご結婚されたら、エマにとって、彼女はええと」


「義理の妹になるってことよね。それってキツくない?」


「うわぁ、想像しただけで震えが」


 大袈裟に自分の両肩を抱くアリス。そんな彼女が続けて爆弾を投下する。


「ねぇ、エマはどう思うの?オーランド様がアミラ様と結婚する事について」


 またもやみんなの視線が、トマトパスタに集中する私に注がれた。


「お互いが好きならいいんじゃない?」


 私は彼の姉っぽく見えるよう、素っ気なく返す。


「案外エマは冷めてるのね。私なら自分の弟がアミラ様と結婚しようとしたら必死に止める」


「アリスは弟を溺愛してるから特別よ。普通は兄や弟なんて、物心ついたら他人みたいなものよ」


「みんないいなぁ。私には兄弟がいないから、一生わからない気持ちなんだろうな」


 一人っ子であるニーナの寂しげな言葉で、何となくオーランドの話題が終了する。


 私はホッとしながらトマトパスタを口に含む。


 酸っぱさとまろやかさ、パスタのもちもち食感にソースと絡むトマト。それらが口の中で合わさり、絶妙な味わいを醸し出す。私はこの料理が大好きだ。特に夏が旬のトマトを使っている時期は、格別に美味しいと思う。


 トマトパスタを楽しみながら、私は自分とオーランドの関係について思いを馳せた。


 私が生け垣からつい目で追ってしまうオーランドは、私を育ててくれたグラント伯爵家の末っ子で四男だ。


 誕生日は私と一ヶ月違いで、私の方が辛うじてお姉さんという関係。


 側から見たら多分そこで終わる話。けれど私とオーランドは、二人だけに隠された秘密の歴史がある。




 ◇◇◇




 まだグラント家に引き取られる前のこと。私は誰もが一度は抱くであろう気持ち、つまり妹や弟が欲しいと願った時期があった。


 近所で親しくしていた子とバイバイした後、彼女がよちよち歩く弟の手を引き、一緒に家の中に消えていくのを常々羨ましいと思っていたからだ。


 だから五歳の誕生日プレゼントに母にねだった。


『お母さん、誕生日は弟が欲しい』


『ごめんね。エマのお父さんはお空の上だから、弟も妹も無理かな』


 母は眉を下げて申し訳なさそうに告げた。


『お母さん、私ね、弟が欲しかったけどいらないや』


『そっか……エマはお姉さんだから、我慢できるのね』


 母は幼い私を膝の上に抱き上げると、ゆっくりと背中をさすって慰めてくれた。


 私は母を困らせたかったわけじゃない。だから本当は弟が欲しくてたまらなかったけれど、諦める事にした。その代わり寝る前、私は脳裏に架空の弟を作った。色白で可愛い子。街のショーウィンドウに飾ってある綺麗なビスクドールを参考にした。私は弟を連れて野原を駆け巡り、川で水遊びをした。パンを半分あげた事だってある。もちろんそれは全部、想像の中のお話だ。


 五歳の時、私は最愛の母を失った代わりに突然、弟ができた。


 一度諦めた、しかも本物の弟だ。繊細なレースのついたワンピースを着た彼は、とても綺麗な見た目をしており、まるで可愛らしい人形みたいな男の子だった。そう、私が想像していたビスクドールを参考にした弟そのままに。


 当時オーランドがワンピースを着ていたのは特別珍しい事ではない。男の子用のパンツや半ズボンは、複雑なボタンやら何本もの腰紐のせいで着替えの際大変手間がかかるものだった。その為一日に何度も着替えを必要とする幼い男の子には、あまり向かないと考えられていたからだ。


 そんな事情もあり、五歳であるオーランドは兄達から受け継いだお下がりである可愛らしいワンピースに身を包み私の前に現れた。私はその愛くるしい見た目を一目で気に入り、そしてすぐに彼を手懐けようと考えた。


 庶民としてそれなりに逞しく生きてきた私にとって、伯爵家のお坊ちゃんであるどこかポワポワしたオーランドを配下に置くなんて簡単そうに思えたからだ。


 私は彼の気持ちを尊重し、彼が安心してこちらに近づいてくるよう、常に思いやりを持って接する事を心がけた。本能的にそうすれば、人から好かれると知っていたからだ。


 幸運な事にオーランドの上には三人ほど兄がいた。しかも二番目と三番目はオーランドとたった二歳違いの上に、手のかかるやんちゃな双子だ。

 必然的に大人の目は手のかかるほうに向き、大人しくて手のかからないオーランドは常に兄の影に隠れ、後回しにされがちといった状態。


 さらにオーランドは双子の兄にとって、格好の餌食でもあった。


 無邪気な男の子は意外に残酷だ。


 オーランドが嫌がる事、たとえばカエルを彼のベッドに忍ばせたり、一緒に行きたいならハンカチを取ってきてとオーランドに頼み、自分達だけ先にどこかに消えたり。


 とにかく足手まといなオーランドに対し、双子の兄はあの手この手で、意地悪しているように見えた。


 そんな可哀想なオーランドに対し私は、彼がブランコに乗りたいといえば背中を押し、木登りをしたいと言えば一緒に木に登り、怖くて馬に乗れないと言えば、馬の背に一緒に乗ってあげたりもした。


 オーランドから読んで欲しいと頼まれれば、あまり気が乗らない、怖いお化けが出る物語も読んで聞かせてあげたし、剣の練習も本当は当たると痛いから嫌だったけれど、オーランドに好かれるために、私は模擬剣を手にし血豆まで作って頑張った。


 そんなふうに私はオーランドをとても可愛がっていたから、その甲斐あってか彼は私にとてもよくなついた。


 私の隣で「ねえさんは兄さんと違って大好き」と愛らしい笑顔を見せてくるし、少し大きくなったら「エマを独り占めしたい」といって私の背中に無邪気に抱き着いてきたりもした。


 そんな可愛いオーランドに心を奪われないわけがない。だから私はすぐに彼を自分の弟として特別視するようになり、彼の望むものは全て叶えてあげようと誓ったのである。


「ねえ、エマ。僕が大きくなったら結婚して」


 ワンピースを遥か昔に卒業したオーランドが十歳の誕生日の時、私にそうお願いをしてきた。もちろん男の子らしくパンツスタイルが定着したとしても、変わらずオーランドを大事にしていたその時の私は「いいわよ」と二つ返事で答えた。


 けれど仲良しだった私たちは、十二歳の時に離れる事になった。なぜならオーランドが蒼空騎士団に見習いとして入団する事が決まったからだ。


 そこで事件は起こった。


 オーランドが蒼空騎士団の見習いとして、入寮する日の朝のこと。


 私は「お別れのキス」をついうっかり彼の唇に落としてしまったのである。


 いつものように頬に軽く触れるつもりが、なぜかオーランドが横を向かないから、つい意地悪で唇を奪ってしまったのだ。


 彼は驚いた顔をして、それからプイと横を向いてしまった。


 正直唇が触れたのは一瞬だけだし、あれがキスに入るかどうか、実に微妙なラインだと今でも私は疑う気持ちを持っている。


 しかし、あの日を境にオーランドから私は目に見えて避けられるようになってしまったので、たぶん私は間違ったのだろう。


 きっと騎士団のませた先輩から唇に触れるキスは、姉が弟にするものじゃないと教えられたか、こっそり好きな子と本物のキスを経験し、私がしたことの罪に気付いてしまったのか。


 とにかくあの一件以来、現在に至るまでオーランドは見事私を避けている。もちろん家族の前だったり、他人がいる時は仲良しな姉と弟を演じているけれど、それ以外では私に必要以上に近づかないし、私を見ようともしなくなった。


 以上のことから、私は彼にだいぶ嫌われている可能性が高い。けれど困った事に、私は未だに彼と出会った時そのまま、「可愛い弟」としてオーランドを密かに大好きなのである。

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