のぞきみ令嬢の密やかな恋
月食ぱんな
第1話 王女と私の秘密
私が仕える王女殿下リリアナ様は、今日も王城内の生け垣にこっそり身を隠し、愛しい婚約者が友人と日向ぼっこする様子を覗き見ている。
私は、そんな彼女を横目に見つつ「民衆の手本となるべき人がこのような奇行に走るとは世も末だ」と冷静に思う。と、ここで思考が停止したら、私は誰しもが認める立派な侍女になれるのだろう。
しかし私は、覗き見という誘惑に完敗した駄目な侍女だと自覚している。なぜなら、王女と共に生け垣に身を隠し、彼女が見つめる青年……の隣にいる人物をこっそり目で追ってしまっているからだ。
見てはいけない。そう思うのに目が離せないその人物は、グラント伯爵家の四男で現在二十一歳になるオーランド……様。
彼の髪は、夜の闇に溶け込むような深みを持った黒。前髪の隙間から覗く紫色の瞳はまるで深淵に魅入られるような、そんな神秘的な何かを感じさせるもの。形の良い薄い唇は微笑むこともあれば、時には冷たい笑みを浮かべることもある。
私にとって彼は――。
「ねぇ、エマ。私って変態なのかしら?」
リリアナ様が私の思考を遮る。
「誠に残念ながら、一般的にはそう思われてしまうでしょうね」
可愛らしい声で問われた疑問に、残酷な真実を容赦なく告げる。
もちろん、密かに自分を戒める意味としても口にした。流石に彼女には明かせない。けれど、変態はリリアナ様だけじゃない。オーランドをつい目で追ってしまう私もたぶん……変態だ。
「やっぱりそうなのね……」
リリアナ様は小さな声で呟くと、悲しげに項垂れた。その姿を横目でうかがい、私は少しだけ自分が放った飾らない言葉を後悔する。しかしすぐに侍女としての矜持を思い返し、「彼女を矯正しなければならない」と改めて強く心に誓う。
私が四年ほど前からお世話するのは、我が国唯一の王女殿下、リリアナ様だ。
現在十九歳の彼女は、生まれた時から神の寵愛を一身に受けているかのような美貌の持ち主。その上淑女としてのマナーや知識も完璧。非の打ち所がない王女殿下だ。唯一欠点と呼べる点があるとすれば、現在進行形で行われている行為だろう。
「そもそもリリアナ様はここから覗かなくとも、堂々とお会いすればいいじゃないですか。その権利があるのですから」
彼女のまるで秋の夕暮れに輝く太陽のような美しい瞳から放たれる眼差し。それを惜しみなく一方的に受けているのは、名門貴族ワイズ侯爵家の次男となるダニエル様。
輝く黄金の髪に、蒼穹のごとき青の瞳。高い鼻梁に凛々しい眉が完璧な配置で顔に収まった青年だ。その甘いマスクと鍛えられた体躯が相まって、彼を見た女性はたちまち恋に落ちてしまうという恐ろしいお方。
実際、この国一番の美女だと名高いリリアナ様も、長らくその犠牲者の一人だった。
しかしながら、リリアナ様の内なる情熱と粘り強さをダニエル様に惜しみなくぶつけ続けた結果、彼女とダニエル様は、半年ほど前に正式に婚約を結ばれる運びとなった。つまりお二人は今をときめく我が国筆頭カップルだということ。
だからこんな風にコソコソ覗き見をしなくとも、堂々と会えばいいのに ……と、思うのだけれど。
「彼の前に出るときは、いつも美しく完璧でありたいのよ」
王女であるリリアナ様は、好きな人の前で失敗する事を恐れているという状況。
「では、本日のリリアナ様の行動は、美しくありたいというご希望に沿っていらっしゃるのですか?」
「あ……。う……それは……えっと、ここから見ている分には、「彼の前」じゃないからいいのよ」
私がジロリと睨むと、リリアナ様は慌てた様子で視線を逸らす。
「それに彼といる時は気を遣うべき点が多いでしょう?そうするとダニエル様を思う存分堪能出来ないもの。だからこうやって一方的に見ている方が気楽でいいのよ」
悪びれずサラリと告げられたリリアナ様の意見。私としては「そんな状態で結婚できるんですか?同じ屋敷に住むんですよ?大丈夫そ?」と今すぐ問いたい。
しかし恋心を抱えた貴族令嬢として考えた場合、リリアナ様の意見も理解できる。
幼少期より淑女教育を受けた私達は、人前で常に貴族の娘らしく、優雅に振る舞う事に集中しなければならない。それは、好きな人の前なら尚更のこと。
常識や礼儀のない女性だと思われたくない一心で、カップを持つ指先から視線の動かし方まで、それはもう類い稀なる集中力が必要とされるのである。
その点覗き見ならば「素敵だわ」と、頬をだらしなく伸ばしていようと誰にも咎められない。
確かに思う存分堪能できる。それは間違いない事実だ。
「ですが、流石に毎日だと飽きませんか?」
私は飽きもせず晴れの日は必ず、生け垣からコソッと顔を覗かせるリリアナ様に問いかける。
実のところリリアナ様の横で、私もオーランドをチラ見しているのだが、もちろんこの事は彼女には内緒だし、気付かれてもいないはず。
リリアナ様と違い私は、細心の注意を払い覗き見をしている。よって、二十一歳で立派に成人済みの私がうららかな春の時期、人目を避けて彼を覗き見していたという事実は、誰にも知られることのない、私だけの秘密だ。
「飽きないわ。私は彼の事をいつでも見ていたいもの。だって恋ってそういうものでしょう?」
頬を赤く染めてウットリと語るリリアナ様の言葉に、私の心臓がドキリと大きく脈打つ。なぜなら、私がオーランドを目で追ってしまうのは、彼に恋をしているからだとリリアナ様から指摘された気がしたからだ。
だけど私はそうじゃない。全然違うし、あり得ない。
私は腰に下げた懐中時計を手にし、パカリと開く。
どうやらタイムオーバーのようだ。
「リリアナ様にここまで想われて、本当にダニエル様は幸せ者ですね。でもそろそろお部屋に戻らないといけません。散歩の時間が長すぎるとみんなに勘ぐられてしまいますよ」
私が告げると、リリアナ様はこれ見よがしに大きくため息をつく。
「楽しい時間はあっという間ね。また明日、晴れますように。そしてダニエル様を覗き見出来ますように」
リリアナ様は白く小さな手を合わせ、神に祈る。
なんて煩悩まみれなお願いを神様に願っているんだ、このお姫様は。
内心そう思いながらも、つい微笑ましく思ってしまう。なぜなら、ダニエル様が所属する
「今日もダニエル様にお会い出来たから、残りの一日は頑張れそうだわ」
リリアナ様が満面の笑みで呟く。彼女の誰もを幸せな気分にしてしまう無垢な笑みが伝染し、私も思わず微笑み返す。
花が咲き乱れる王城内。美しいドレスに身を包むうら若きお姫様と微笑み合う私。まるで絵に描いたような光景で、誰しもが羨むシチュエーション。
しかし現在私達は、まるで王城に盗みに入った泥棒のように、頭から葉っぱ模様のスカーフを被り、腰を折り曲げ生け垣からソロリソロリと離脱中。リリアナ様のドレスのチュール部分には見事葉っぱが絡み付いているし、靴だって土埃で茶色くなってしまっている。
現実と絵本の世界のお姫様は異なるもの。それを今まさに私は、目の当たりにしているという状況だ。
「ふふ、覗き見って楽しいわね」
リリアナ様は悪びれず微笑む。
その微笑みを見て、私はふと罪悪感に駆られた。
覗き見。それは人として最低な行為だ。
まして国民の見本となるべく、正しい行いをしなければならないと、物心つく前から口を酸っぱくして言われ育ったであろう一国の王女ならば尚更のこと。だから覗いてはいけないのである。けれど、神は人類に好奇心という罪をお与えになった。
「神様、今日もまた覗いてしまうリリアナ様をお許し下さい」
私はリリアナ様の罪と共に、内心自分の罪も合わせて懺悔する。
「愛に満ちた神様は、きっと許して下さるわ」
自信たっぷりな表情のリリアナ様。
切ない恋心と変態気質が入り混じる、何とも複雑なリリアナ様の乙女心。私は王女殿下と私の隠された趣味が誰にも見つかりませんようにと祈りつつ、忍び足で生け垣から退散するのであった。
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