第3話 突然の来訪者
その日、仕事を終えて独身寮の部屋にいた私は、母からの手紙を受け取りひとり悩んでいた。ただし、母といっても天国にいる母ではなく、私を育ててくれたグラント伯爵夫人からの手紙だ。
現在、私はリリアナ様に仕えることになってから早四年が経過している。そのため、普段は王族の居住区に比較的近い場所にある使用人のための独身寮で一人暮らしをしている。
リリアナ様の侍女として仕える私に与えられた部屋は、必要な物がコンパクトに詰まった、質素ながらも清潔な空間。ベッドはもちろんのこと、大きな姿見や化粧台。それから着替えや身の回り品を保管するための棚も備え付けられている。
何不自由ない場所で暮らす私の悩みは、ただ一つ。
来年リリアナ様がダニエル様と結婚されるとあって、私にも縁談の話がチラホラ舞い降りてきているということ。
正直、リリアナ様に「ダニエル様との新居に、私も連れていって欲しい」と願いたい気持ちが喉まで出かかっている。
けれど私は、だいぶ複雑な事情の下に生まれた子だ。そんな私のために、条件の良い縁談を紹介してくれる育ての母の事を思うと「嫌です」とは言えない。
そんな所に届いたのが、この手紙。
数枚に渡る手紙の内容は、時候の挨拶から始まって私の健康面の心配。それから兄様達やオーランドへの愚痴が続いて、最後に母が一番伝えたいであろう事が記されている。
『――それから、エヴァンス侯爵家のルイス様が、あなたに一度お会いしたいそうよ。暇な日程を是非連絡してね』
この部分を何度も読み返す度、私の心臓はドキドキと早鐘を打つ。
ついに来たか、という気持ちだ。
しかも相手は私もよく知るルイス様。彼はリリアナ様のお相手として、何度も名前が浮上していた人。だから私も彼とは認識がある。
ルイス様は落ち着いた雰囲気で物腰の柔らかい男性だ。人当たりの良さが滲み出るそのお人柄から、貴族の間でも好評価を得ている。
年齢は二十四歳、いつもきちんと整えられた茶色い髪に、橙色の瞳を持つ顔立ちの整った方。そして、侯爵家の跡取り。これは間違いなく出世株であると、リリアナ様に仕える身として私はそう判断していた。
因みに侍女仲間からは、『腹黒眼鏡のライバルキャラ』なんて言われていたけれど、私は別に彼のことが嫌いなわけじゃない。
ただ、リリアナ様がダニエル様に熱烈な想いを寄せているのを知り、ルイス様がリリアナ様に近づくのが嫌だっただけ。だから警戒をしていたに過ぎない。
周囲からも、リリアナ様の気持ちを無視すれば、リリアナ様に相応しい男性はルイス様ではないかという声も多かったくらいだ。
「なるほど。ルイス様が私に回って来たから、アミラ様はオーランドに行ったのか」
私は一人納得する。
現在王族直系の血を引く年頃の娘は三名ほど。
この三名は、ここ数年ほど社交界における婚活レースの注目株だ。
一人は現国王陛下の娘であるリリアナ様。彼女はすでに意中の彼を見事に仕留め婚約した。よって今期の婚活レースからは卒業済み。
残された二人の内一人は、国王陛下の一番下の弟であるギデオット殿下の娘、アミラ様。
彼女は長いことリリアナ様とダニエル様を取り合っていたが残念ながら敗北した。そのため現在は、何故かオーランドにターゲット変更した可能性大。
そして最後の一人は今は亡き、第二王子だったカミルス殿下の娘である私。そう、何故か私も頭数に入れられているのである。
私としては庶子であるのにもかかわらず、リリアナ様やアミラ様に並ぶだなんて烏滸がましいと思っているし、出来れば話題にもしないで欲しい気持ちでいっぱいだ。
けれど私は、国民と蒼空騎士団から人気を誇る、悲恋の王子カミルス殿下の娘だから仕方がないらしい。好条件なルイス様が私に回されてきたのも、どうせその関係だろう。
「ルイス様だって、アミラ様の方がいいに決まってるのに」
王族と血筋で繋がりたいという思惑があったとしても、侯爵家の嫡男が庶子である私を充てがわれるのは、あまりにも不憫すぎるというものだ。
「どうしよう」
机に置いた手紙を前に、腕を組み考え込む私だったけれど、すぐに思い直す。
「いや……悩むまでもないわ。お母様にお会いしたい旨を伝えて……」
もしこの結婚で、お世話になったグラント伯爵家が何か利益を得るのであれば、私が断る理由はない。むしろこの話は恩返し出来るいいチャンスなのかも知れない。
私は母に自分の公休日を書き記した手紙を書こうと羽根ペンに手を伸ばす。程なくして公休日をしっかり記した手紙を書き上げ、便箋に封をしようとした時。
コンコンと、部屋の中に小さくノックする音が響いた。
私は慌てて手紙を折りたたむと引き出しの中へとしまい込む。それからいそいそと扉の前に立ち「どなたですか?」と返事をしてみる。
「すまない、俺だ、オーランドだ」
その声と名を耳にした私は、このまま死ぬのでは?と思うほど、心臓が激しく脈を打つ。
オーランドが私の部屋を訪れるなんて、明日は雨かもしれない。どうしよう、リリアナ様が悲しむ。私も悲しい。最近雨が多いしと、軽くパニックになった。
「はやく開けてくれ、誰かに見られるだろ」
扉の向こうから聞こえるのは、ぶっきらぼうで苛々した声。
昔はもっと優しくて可愛かったと過去を振り返りながら、私は慌てて扉の鍵を開けた。
「うわっ」
扉が開いた瞬間、オーランドは私を押しのけ部屋に滑り込んできた。まるで「盗賊か?」と疑いたくなる素早い身のこなしは、騎士団で鍛え上げられた成果だろうか。
「ちょ、ちょっとオーランド。急にどうしたのよ」
私は部屋の中をキョロキョロと見渡すオーランドに声をかける。すると彼はギロリと私を睨み、それから「早く扉を閉めろ」と怒ってきた。
やっぱり、昔はもっと素直で可愛かったのにと思わずにはいられない。
「なに怒ってるのよ。それに失礼でしょ。姉の部屋とは言え、オーランドはお邪魔してる立場なのよ」
怒りながらも、私は扉を閉めて鍵をかける。そして部屋に戻りながら文句を垂れていると、オーランドが私の机の上にあった、母からの手紙に勝手に目を通していた。
「ちょっと、見ないで!」
私は慌てて、手紙を奪おうと手を伸ばすも見事に避けられてしまう。
「やっぱり、本当だったのか」
私に背を向けたまま上に手を伸ばし、手紙を読み続けるオーランドに私はちょっと悔しくなる。
昔は私の方がずっと背が高かった。十二歳で彼が蒼空騎士団の見習いになった時点でも、まだ私の方が高かった。それなのに避けられているうちに、私は彼に頭一つ分ほど背を越されてしまったようだ。
「で、何しに来たの?」
聞いても反応しないオーランドの背中に向けて「返事くらいして」と呟いてみるも全く効果はない。仕方がないので彼が振り返るのを辛抱強く待つこととする。
今日のオーランドは、高い立ち襟のカフス付きの白いシャツ。それから黒いパンツというラフな格好。今の時間を考えると、彼も今日の勤務は終わったのだろう。
「で、お前は受けるわけ?」
手紙を読み終わったのか、やっとオーランドが振り返ってくれた。彼は何故か眉間に皺を寄せておりだいぶ不機嫌そうだ。というか、この部屋にきてからずっと怒っている顔しか見ていない。
普段覗き見る先にいる彼は、ボーッとしていて可愛いのに。
私は目の前の不機嫌な彼を可愛いオーランドで上書きし、心を落ち着かせた。それから彼の質問に答えようと口を開く。
「もちろんお話を受けるわ。断る理由はないもの」
「あるだろ」
何故か食い気味に、オーランドが言葉を被せてきた。
「ありません」
私が断言すると、オーランドは苛々した様子で頭を掻く。乱れたオーランドの黒髪に、昔の癖でつい手を伸ばしたくなる。けれどこれ以上嫌われたら困るので何とか堪えた。
「お前、自分が利用されてるのわかってるのか?」
「……分かってるわ。こんな私でも婚姻すれば王族と、それから蒼空騎士団の長を勤める父様、グラント伯爵家と繋がりができるもの」
私が答えると、オーランドは何故か私の方に近づいてきた。それから大きなため息をつかれる。
「いいか、これは命令だ。やめておけ」
突然命令と言われて驚いたが、すぐに「お断りします」と答える。けれど彼は引き下がらない。
「ルイス様はお前が断ったって、すぐに相手が見つかる。だからやめておけ」
もはや意味不明だ。
「私だっていずれは誰かと結婚しなくちゃならないわ。正直今回のお話は私には勿体無いくらいだと思ってる。それにルイス様の事は知ってるし、嫌いじゃないもの」
「好きなのか?」
「それ、関係ある?」
質問に質問で返すという暴挙にも、オーランドは怯む様子がない。
「よく聞け、俺が嫌なんだ。昔は俺の言う事は何でも聞いてくれただろ。だから絶対に断れ。母さんには俺からうまく言っておくから。わかったな!」
オーランドは言いたい事だけ言うと、来た時と同じ。またもや盗賊のように素早い身のこなしで、私の部屋から出て行った。
「オーランドの馬鹿……なんなのよ」
彼が私に対してこんなに強引な態度をとるなんて初めてだ。だっていつもは無視されるだけだから。
「もしかして、やきもち?」
小説などに出てくる、「姉さん、僕を置いてお嫁にいかないで」という、あれだろうか。
でもあのパターンは大抵、主人公より歳の離れた天使みたいな弟がぐすんぐすんと泣きながら口にするイメージがある。昔の彼ならともかく、態度が最悪な今の彼に限って、私にそんな可愛い気持ちを抱くとは思えない。
そもそもオーランドは私に興味なんかない。むしろさっきの態度そのまま私を嫌っている。
「そうよ、私にやきもちなんて妬くわけないわ」
呟く私の脳裏にこびりつくのは「俺が嫌なんだよ」というやきもちとしか思えない言葉。
私はオーランドが消えた扉を見つめたまま、あれはやきもちなのかどうかをしばらく考え込む。けれど結局わからずじまい。
「久しぶりに話せたのに」
なんだか気持ちが落ち着かない。こういう時はさっさと眠ってしまおうと、私はベッドに潜り込むことにしたのであった。
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