第87話

 結局後輩からの圧に負けて午後休をとる羽目にになった。もうちょっと頑張ってくれよ俺の意志。

 PCをシャットダウンする傍ら鞄に荷物を詰め込む。


 ぐぐっと伸びをしながら周りを見渡すと、もう既に課内の半分くらいは帰宅したようだ。みんな自由かよ……まぁ突然降って湧いた祝日みたいなものだ、さっさと帰りたいか。


「おつかれっした〜!」


 誰にともなく向けた退勤の挨拶にまばらに返される返事。

 ビルの1階まで降りると、壁に寄りかかった後輩がスマホに指を走らせていた。


「来たぞ」


 あの流れからして、この後一緒に帰るんだろう。まぁほとんど同じ場所……というか座標に住んでるからな。


「もう〜!待ってましたよ!」


「悪い悪い、と言いたいところだが」


「だが?」


 こてん、と首を倒した白帆が目を瞬かせる。こういう仕草ってアニメとかじゃないと許されないんじゃないか。

 妙に様になった彼女の空気感は一旦置いておくとして。


「お前は元々休み取ってたかもしれんが、俺はさっき決まったから色々あるんだよ」


「にゃるほど」


 ぽんっと手を鳴らすと、白帆はこちらに寄ってくる。

 いつの間にか先程まで持っていたスマホは消えていた。


「それは悪いことをしましたね〜」


 白々しい、まるで悪気はなかったかのような口ぶり。


「思ってないだろ」


「……えへ」


 自動ドアを抜けて昼間のオフィス街を進んでいく。いつの間にか昼休みの時間は終わっていて、人通りもまばらだ。


「飯食ったか?白帆」


「私まだです!どこか入りますか?」


 すちゃっとスマホに指を置く白帆、おい今どこから出したんだよ。早すぎて見えなかった。


 空腹具合を自分の胃と相談する。


「うーん、80」


 一応数値化して呟いてみる。傍から見れば突然数字を口にするやばいやつだな。


「私は73くらいですね、お腹の空き具合」


「エスパーすぎる、なんで分かったんだよ」


「私の先輩すき具合が100だからですけど」


 こういうことを言えてしまう彼女のメンタルは尊敬する。まったく、こっちが恥ずかしくなる。

 ただ、白帆も無傷というわけでもなさそうで。


「おい、耳赤いぞ」


「最近寒くなってきましたよね、マフラーとか持ってくればよかったかな」


 早口に一息で言い切ると、彼女は少し前を歩く。

 確かに首元が寒そうだ。まだ冬じゃないとはいえビル風に吹かれると、身体が冷える。


 少しの逡巡、前もやったしいいか。

 むき出しの彼女の白い手を握る。


 触れるとびくっと震える細い指、しかし直ぐに俺の手をなぞると、俺の指と指の隙間に自分の指を絡ませた。

 歩く速度を落とした彼女の隣に並ぶ。


「駅までな」


 段々恥ずかしくなってきて、口ごもる。


「先輩も耳赤いじゃないですか」


「仕方ないだろ」


 近くなる距離、まるで彼女の体温が移ったかのように自分の身体も熱を持つ。


「ねぇせんぱい、こういうの巷ではなんて言うか知ってますか?」


 いたずらっぽく笑った彼女は年相応にかわいらしくて。次に何を言うかわかってはいたけれど、俺は首を振る。

 ちょっとずるいだろうか。


 耳元に口を寄せて、彼女はつぶやく。


「『恋人』って言うらしいですよ」

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