第85話

 無事に遠峰さんを最寄り駅まで送り届けて帰り道。コートにマフラーという出で立ちで並んで歩く。

 「ここから一緒にまた帰るんですか?それってもう……」なんて捨て台詞と共に、遠峰さんは改札の中へと消えていった。


 「それってもう」なんなんだろうか。

 答えは既に見つけている気がするが、何となく恥ずかしくなって、心の中の奥に箱に入れてしまっておく。


 これまで何度も口について出てきそうだった言葉も、一度出せば溢れるから口を噤んでしまう。


「ねぇ先輩、最近毎週会ってません?」


「不幸にもな」


「いやいや、幸せでしょうが。主に私が」


「そりゃありがたい話で」


 だめだ、布団を剥ぎ取られてあまり眠れなかったせいか、脳みそがちゃんと回ってくれない。


 秋の早朝の日差しは柔らかく、それでも気温は低くて。

 コートを着ないと少し肌寒いようなこの季節、外に出るだけでも準備が必要でちょっと面倒だ。


 隣でしずしずと歩く彼女も多分に漏れずアウターを着ている。しかしそのコートの下はパジャマで、さっきまで俺の隣で寝ていた時と……って変なこと思い出すのはやめよう。


「どうしたんです先輩、そんなぶんぶん頭振って」


 ぴょこんと一歩前に出て振り返った白帆が俺の顔を覗き込む。

 まつ毛長いな……なんて良からぬことを考えてしまう。あれ、というかこいついつメイクしたんだ。

 俺の横で寝てて、朝ごはん食べてってずっと一緒にいたよな?


「いや、ちょっと邪念を払ってた」


 人通りはまだ少ない。それもそうだ、土曜日の朝なんて普段なら俺も眠りこけてる。

 最近はちょっと声の大きな後輩のせいで規則正しい生活をしてしまっているが。


「あーさむいさむい、手がさむいなー」


 隣から棒読みの寒いアピールが聞こえる。そりゃ中パジャマしか来てないもんな。


「マフラーとかしてくれば良かったな」


 俺も他人のことは言えないくらい薄着だ。首、手首、足首の三首を冷やすなとはよく言うが、今は全部出ている。日中と朝晩の気温差が激しいこの季節、免疫力の落ちた社畜には風邪の未来が待っている。


 さしあたって手首だけでも暖める方法が無くはないんだが。


「あれ、こんなところに先輩の手があるじゃないですか」


 なおも棒読みは続く。

 下からこちらを見上げる彼女の瞳は、早朝の光を受けてきらきらと輝いていて。

 何度目かわからない心臓の音、フェアじゃないとか言いながら自分から行動に移せないといつまで経っても変われないままじゃないか。


「風邪とか引いたらだめだから」


 自分に言い聞かせるようにして呟いて、意を決して彼女の手を取る。


「およ?」


 意外そうな白帆の声。


 そのまま自分のコートに自分の手もろとも突っ込む。

 指先から伝わる彼女の肌は想像以上に冷たくて、思わず自分の手で包み込む。


「えへへへへへへ」


「だらしない声出すなよ」


「だってだって〜!んふ」


 信号で足を止める。

 それ以降俺たちに言葉はなかった。家まであと少し、ほんの少しだけ出した勇気がこれからどう響いてくるのか分からないが、今は、今だけはこのままでいい気がした。

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