第64話

「悪い、俺今日時間休なんだ」


 資料を他の課に届けに行った道すがら、キーボードを打つ遠峰さんに声をかける。

 彼女はこちらを見上げるとにっこり笑った。


「あ、そうなんですね!珍しい」


 確かに普段半休なんてしないからな。休む時は1日ガッツリ休みたい。


「野暮用でな」


 カタカタと音は止まらない。


「そういえば白帆先輩も今日午後からお休みだって聞きました!」


 ディスプレイに向き直ると、彼女はいたずらっぽい声で呟いた。

 どこまで話してるんだあいつは。


「へ、へぇ~、そうなんだ」


「私はなんにも知らないんですけどね~」


 そんな何かを確信したような声を後ろに受けて俺は総務の事務室を後にする。

 外からは肌寒い風が入り込んでいた。


 こっそり調べたところによると、今日行くディナーは自分が思っていた値段の2倍ほどのコース料理。流石に普段会社で着ているくたびれたスーツじゃ不味いだろう。や、料理は美味しいだろうけど。


『無事退勤できましたか?先輩』


 そんなことを考えていると、彼女からメッセージが届く。

 いつぞや連絡先を交換してから数ヶ月、これも当たり前の日常になってしまった。


『遠峰さんに怪しまれながらな』


『普段時間休なんて取らないですもんね』


 なんでそのことを知ってるんだ。仕事中隣の部屋にいるとはいえしっかり壁はあるんだが。


『どうして俺の有給の取り方を知ってるかはこの際聞かないが、今度もし遠峰さんになにか聞かれたら知らないフリしといてくれ』


 この期に及んでって自分で言うのもなんだが、未だ社内の注目の的である白帆と2人で出かけることを知られたくはないのだ。

 ゴシップの標的はまっぴらごめん、目立たずに粛々と仕事ができればそれでいい。


『ん~!!』


 なんて便利な言葉なんだろう。

 なんだかんだ彼女とやりとりしていると、あっという間に家に着く。


 デートって集合するまで相手と話さないのも楽しむ要因のひとつじゃないのか。

 これがだなんて、あいつの前では口にできないか。


 ここ最近俺の頭を悩ませる彼女への気持ちは、先程まで着ていたスーツと一緒にクローゼットへとしまい込む。


『先輩ホテルまで何で行きますか?電車?』


 家のドアを開けると同時に彼女から再び連絡が。 


『内緒ってことで。エントランスで会おう』


 それだけ返すとスマホを閉じる。

 やはり「会うまでの楽しさ」も大切にしたいのだ、なんて大人ぶって、俺は早くなる鼓動を落ち着かせた。

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