第60話 そして後輩は決意する
side:白帆 羊
ぬるいシャワーが私の髪を撫でる。
今日は先輩が私の両親と会う日だ。我ながらめちゃくちゃだと思う。
お見合いなんて断れば、最悪会ってから「やっぱり気が合いそうにないです」なんて一言で終わらせてしまえばいいのに。
結局先輩に甘えたくてこんなことになってしまった。
「いや、もちろん満更でもないんだけど」
ひとり呟いた言葉は排水口に流れていく。
私は別に両親に会うだけだし、なんて思っていたのは2週間前。
約束の日が近づくにつれて、先輩をなんて紹介しようか、そもそも両親と先輩はちゃんと話せるだろうか、どこかでボロが出ないだろうか、と悩みは尽きない。
その日が来てしまったなら仕方がない。腹をくくろう、と頭を冷やしにシャワーを浴びることもう20分。そろそろ準備しないと。
実家に帰るだけだというのに、少しだけ上品な格好を。
ここはやっぱりワンピースだろうか。
時間を気にしながらも丁寧にメイクをする。彼に会う時はいつだって綺麗でいたい。
……はじめてベランダであった時はどすっぴんだったから、もう足掻いても無駄かもしれないけど。
エントランスに降りると、そこには既に先輩がいた。
普段よく着てるスーツともたまに見る私服とも違う。
見た目はシンプル、ジャケットとパンツに白シャツ。でもいつもの服よりワンランク上、どう考えても生地の厚みが違う。
あぁ、私は単純だ。
こんな偽の関係でさえ、彼は本気を出してくれるらしい。
先輩がちょっといい服を着てるだけでこれだけ嬉しくなるなんて、私も相当きてる。
「先輩、お待たせしました」
ゆっくりと彼が振り向く。
いつもは下ろしている前髪も、今日はばっちり上がってる。
磨けば光るというか普段から本気出して欲しいというか、いややっぱり私の心臓がもたないのでいつもはゆるっといて欲しいというか。
「いや、ちょっと早起きしちゃったんだよ」
頬を指でかきながら彼は応える。
エントランスの大きな窓から入る朝陽に照らされる彼は、どこか輝いていて。
恋なんてするものじゃない、まったく。
「ねぇ先輩」
私は一歩ずつ足を前へ進める。
いつもより高いヒールが地面とぶつかって音を立てる。
「私って意外と欲深かったみたいです」
我慢できなさそうで口から言葉が勝手に出てしまう。
「いつもだろ」
会社に行く時、お祭りに行った時より近い彼の顔。
どこか安心する匂い。ベランダにできた陽だまりみたいだ。
お馬鹿な先輩は何も分かってない。
「もうそんなに持ってるのにな」
明後日の方向を見ながら彼は口を開く。
いや、私は欲しいものを何も手に入れていないのだ。
「欲しいものだけが手に入らないんですよ」
ゆっくり自分の中で気持ちを育てるのはやめだ。こんなにも喉が手が出るくらい欲しい。
彼はもう覚えていないかもしれない。ベランダで会った日よりも前、初めて会社のプロジェクトで一緒になった時のことを。
あの時私が彼の一言でどれだけ救われたのかも。
「ほら行くぞ、羊」
差し出された手に一瞬頭が真っ白になる。こんな調子で今日一日乗り切れるだろうか。
なんとかなんでもない顔を作って彼の左手を右手で掴んで指を絡ませる。
エントランスの扉は私が押して開けた。
眩しい光に目を細めながらも心にひとつ決める。
必ず彼を振り向かせてみせると。
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