第59話
仕事から帰ってシャワーを浴びる。ひやっと冷たいシャワーに身体が震えた。
この前祭りの帰りに言われた言葉が頭を飛び回っている。
別に仕事ができなくなるなんてことはないが、ふとした瞬間にあの編み込んだ髪が、ぽってりとした紅い唇が、甘い声が心臓を掴んで離さない。
「俺も相当だな」
髪から滴り落ちる水滴を眺めながら独りごちる。
ドライヤーから出る温風を頭に当てながら鏡に映る自分を見るが、特筆する顔でもない。
もう彼女が言いたいことは分かっている、分かっているが動機が不明なのだ。
初めてベランダで会ってから少しの間は、ただ遊ばれているんだと思っていたが、さすがにここまでされれば俺だって。
ベッドに寝転びながら自分の胸に手を当てると、落ちついた心臓の音。
顔がいいとか周りから人気があるとかそんなことはどうでも良くて、単に自分が落ち着くから、そんな理由じゃだめなんだろうか。
「まぁ答えなんて決まってるんだろうな」
どこか自分を俯瞰するような、それでいて当事者意識のような、2つの視点が自分の中に存在している。
ふとぴかぴか光るスマホが目に入る。
『せーんぱい!明日ですよ!大丈夫ですか!!』
差出人は件の後輩。
明日は彼女の実家に着いていく日だ。
『なんとかな』
『しゃんっとしてくださいね!私のお見合い回避がかかってるんですから』
実際、彼女はお見合いでもうまくやるんだろう。それでも本人が嫌だと言うのなら。
『はいはい、朝ちゃんと準備するために早く寝るわ』
『およ?じゃあ1杯だけ飲みましょ』
その連絡を見てベランダを開けると、もう彼女は窓際に寄りかかっていた。
彼女の顔が月に照らされる。
唇を尖らせて目を伏せがちな表情が、いつも元気な彼女に似合わなくて思わず笑ってしまう。
「もう、笑わないでください」
「その顔、あんまお前っぽくないなって」
「私だってアンニュイな気分になることあるんですよ!」
いつもみたいに乱暴にお酒を流し込むことはしないらしい。
置かれた缶はまた重いのか、風が吹いてもびくともしない。
「……お前緊張してる?」
顔のパーツを真ん中に集めて彼女はしかめっ面をしてみせる。
顔をぎゅっとしても整ってるの勘弁してくれ。
「なんでわかったんですか」
「なんとなく。すまんな、彼氏役が頼りなくて」
「先輩のせいじゃないです!私がまだ夢見心地というかなんというか……」
俺はお茶の入ったコップに口をつける。
明日寝坊したら目も当てられないから今日はノンアルだ。
「ま、明日は何とかやろうや」
心の奥底に恥ずかしい気持ちを押し込めてぶっきらぼうに吐き出す。
それから彼女の缶が空になるまで少し喋ると、早々にベッドへ舞い戻る。
ちゃんとした服着ないと、なんて考えながら俺は意識を手放した。
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