第58話

 祭りも終わって帰路に着く。

 相も変わらず彼女の腕は俺の腕に巻きついたままだ。


「う〜ん満足満足!」


 お腹を擦りながら、カランカランと音を立てて住宅街を進んでいく。

 夏だったら溺れそうな湿度と茹だるような暑さに鬱屈とするところだが、今の季節は秋。


 どこに植えられているのか、ほのかに金木犀が香ってくる。

 

「たまにはああいうのもいいな」


 先程までの喧騒を思い浮かべる。

 通りを歩く人はみんな笑顔で。


「ですよね〜明日お休み取っててよかったです」


 何の気なしに彼女が発した言葉が耳の途中でひっかかる。


 くそ、こいつ有給とってたのか……。突然呼び出された、というか定時退勤させられたからそんなこと考える余裕なかった。


「およ?先輩明日もしかして仕事です?」


「あぁ、誰かさんが突然誘ってきたからな」


 ひゅいひゅいと鳴らない口笛を吹く白帆。

 突如はっと顔を弾けさせると、こちらを振り返る。


「ちなみに明日は何のお仕事しますか……?」


「うーん、アポは無かったから申請の処理だな」


「会議もないですよね?」


 自分のスケジューラーを思い浮かべるが、確か会議予定は無かったはず。

 彼女の目を見て静かに頷く。


「じゃあリモートにしちゃいましょ!」


「あー……まぁその手があるか……」


 こいつからの内線のせいで周りからちよっと注目集めたから明日は出社したいんだが。

 これで休みなんてとろうものなら疑わしいが過ぎる。


「私、お昼作ったげますよ!お祭りの次の日に仕事してる可哀想な先輩に」


「お前煽りたいだけだろ」


「えへ」


 ちらっと出した舌は真っ赤で。

 俺が口を噤んだからか彼女も静かになる。どうにも足を前に出すのが億劫だ。


「……まぁでも、昼飯は助かるけどな」


 思わずぽろっと口からこぼれた言葉はもう拾えない。


 風が吹いて、涼しい風が俺たちの間を通り過ぎていく。続いて何か言いかけた俺の口を冷えた脳が制止する。

 今日が夏じゃなくて良かった。

 あの雰囲気に頭まで熱くなって良からぬことを口走ってしまいそうだ。


「そこまで言うなら不肖白帆、腕によりをかけます!」


 むんっと力こぶをつくった(できてない)彼女の白い腕が顕になる。


 思わず吸い寄せられた視線が恥ずかしかったのか、ゆっくり彼女は腕を下ろす。


「先輩、お家遠いですね」


 浴衣を着ているからか、彼女の2歩が俺の1歩に。どちらがテンポを握っているのか分からない。


「な、いつもより遠い気がするな」


 何本もの電柱が俺たちの横を通り過ぎていく。


 俺と彼女はただの先輩と後輩で、家が向かいにあるだけの他人で。

 そんなどうしようもないことがふわふわと頭を回っては消えていく。


 そうこうしているうちにマンションの前に到着する。

 いつもならばここで手を振って、それで終わり。


 あぁやっぱり雰囲気に呑まれているのか。


「なぁ白帆、今日は誘ってくれてありがとうな。こういうの普段来ないから楽しかった」


 くるっと彼女の頭がこちらを向く。

 いつも見ているはずのその顔は、自慢げで恥ずかしそうで、どこか泣きそうで。


「いえいえ、私こそ楽しかったです!」


 自分で柄にもないことを言ってる自覚はあるんだが、彼女はそれを指摘しない。


「ねぇ先輩」


 組まれた腕は既に解かれ、どうにも左側が冷える。


「この関係、延長してもいいんですよ?私はずっと」


 それだけ言い残して白帆は自分のマンションのエントランスへと消えていく。

 カランカラン、という彼女の足音だけがやけに耳に残った。

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